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今までの「アイ love 授業」…バックナンバー編


 最新の「アイ love 授業」へもどる。

2013:中学1年生の1年間



March


3・31
今日は、風が強くて、
花粉症が過激に、体を痛めつけています。

明日香は、早春の桜で
とても美しかった。
藤の木古墳に初めて訪れましたが、
斑鳩の地のふもとに
小さな古墳でした。
二人の皇子が
埋葬されたのではないかとの推理。
授業でやった穴穂部皇子ともう一人、
そう推理もあるという話を思い出し、
そのはかなさを思いました。

今日から出勤。
新学期の準備が今日から始まりました。
31日は、とても複雑な日。
別れと、私自身の人事と、
それでいてどんどん感情を置いたまま
仕事を進める日々、
明日ももう出勤で、クラス分けです。



3・26
春休みに入りました。
でも、今年は実質3日間しかありません。
なんと、さびしい春休み。
23日に宣言しておいて、
こんなことを書くのも
自制心がありませんが、
今日から、奈良に旅したいと思い、
出かけてきます。
一人で、授業で説明した土地を
もう一度歩いてきたい・・・。
家族に許可もとりました。
全然旅程プランも建てていないけれど、
歩いて、博物館で新発掘品を見て
それで、また二年生の授業の英気を養います。
ぶっつけ本番の旅ですが、・・・しばしお休み。
また戻れば、猛烈な毎日が始まります。


3・23の2
春休み中の目標を宣言します。
新学期の若い先生たちの仕事に
役立てるように、
また、新しい授業の紹介を
がんばって載せます。

新学期と言えば、
中学校1年生なら、人類誕生、
2年生なら、鎌倉時代か室町かな?
3年生なら、日清・日露戦争
それ以外にも
南アフリカの授業や人権(アメリカの人種差別)の授業
他にも一番欲しい授業を
用意したいと思いますが、
このうちどれだけできるかな?



3・23
クラスでは、今年もたくさんドラマがありました。
女の子が、教室に入れるようになったと思ったら、
もう一人を連れて、かくれんぼや鬼ごっこ・・・に近い、
休み時間ごとに、他の先生に手伝ってもらって、
校舎を1回から4階まで走り回る日々、・・・

一方、男の子たちも、
毎年、私のクラスおなじみの、・・・
うるさくて、にぎやかで、解放されすぎて、・・・
目のくりくりした賢いはずの男の子が、
変顔したり、踊りを踊ったり、体をくねくねしたり、
もう一人のお調子者の男の子も、
キャーキャー休み時間ごとに、走り回る始末。
最後には、ゲームセンターにはまって
お金の浪費問題。
女子でも、ラインで悪口問題が頻発。

職員室では、どこの学校でも同じですが、
携帯やスマホ、ゲームセンターは
社会で不要な物・・・という認識の第一位です。
これらの物で、どれだけトラブルが発生し続けているか・・・
教員の仕事の十分の一ぐらいはこれにかかっているような気がします。

男の子たちが、こう言いました。
「ゲームセンターで、いくらお金を使おうが、
 これは、個人の問題だし、お年玉なんだし、先生が関係あるんですか?」
いえいえ、関係あるんです。
ゲームセンターに入り浸って、数千円、何万円、使う感覚が
麻痺してくれば、それも、集団で行っていたら、
必ずいろいろな問題につながってくるんだよ!!!
だって、本人たちが、
いくら私が、「もうゲームセンターに行かない」でいいね?
と聞いたら、
「ちょっとならいいじゃないですか」
「新しい機種が出たら、見に行くだけでもダメですか?」
まるで、パチンコ店に通うおじさんのような会話。
射幸心をあおられて、
もう、すでに、そういう習慣に成り果てているのです。
お家でも、学校でも、
甘い誘惑に、中学生が取り込まれないように、
見守ることが肝心なのです。
やれやれ・・・。



3・22
この三連休、
二日間、学校に出かけた。
修了式だというのに、
子どもたちのノートを見終わっていなかったせい。
ようやく400人近いノートを見終わる。
ノート点検ではなく、
私の場合は、ノートにいろいろ、
「考えたこと」を書いてもらってあるから、
その返事を、ごく簡単にひとこと書く。

大変な仕事なので、
一番最後に残ってしまっていた。
何年たっても
大変な仕事は後回しにしてしまう。
人間の性です。
でも、昨日の早春の
暖かい陽だまりの中で
教室の子どもたちの机の上で
えんえんと子どもたちの感想を読んでいるのは
なかなか楽しかった。

韓流ドラマの感想で
「初めは4つの国(百済・高句麗・伽耶・新羅)が
 全く区別がつかなかったけど、
 ドラマを見たらすぐに特徴がわかりました」
と書いてあるのには、しめしめと思い、
「驚いたのは、あらすじを母に話したら、
 ああ、それなら見たことある・・と即座に言ったことでした」
に、一人うふふと笑い・・・
子どもたちの感想を独り占めできることも
なんとなく幸せを感じた一日でした。



3・19
1年生の授業の最後は
映画「グラディエーター」
ローマ帝国のようすを見せる。
私にとっては、コロッセオは
二度旅して、それでも、そのすばらしさにため息の出る地。
確かに、残酷な闘技場だったけれど、
文明の偉大さには、言葉も無い。

それを伝えたい。
アカデミー賞を獲ったこの映画の
主人公「元将軍マキシマス」に
特に男子が惚れ込んでしまう。
強い男性にちょうど憧れる時期。
奴隷になるも、気高く強く、
最強の力を持つマキシマス。
マキシマスの対戦の度に
教室の雰囲気の張り詰めること・・・
息をのむ様子が、ビンビン伝わってくる。

授業でこの映画を見始めると、
私に声をかける子どもたちが、
必ず廊下でマキシマス?と言ってくる。
ローマ帝国は、唐の大帝国と同じくらいすばらしい。
水道橋、円形劇場、ポンペイの街路・・・。
イタリアを訪ねて、遺跡を巡ると
それらの建築物が、今も残り、
生活のようすを伝えるのが、とても不思議なのです。
文明の不思議さと偉大さ・・・それは、
子どもたちに確実に伝わったと思う。

二年生で、とてもむずかしい女の子がいた。
腫れ物に触るように、私は扱ってきていたが
本人は気付いていなかっただろう。
その女の子が、授業中に、
「きょうはあったかいね」
思わず、誰に話しかけたのか、見回してしまった。
私にだった。ようやく心を開いてもらえた。
とてもこれもうれしい出来事でした。





3・18
いよいよ最後の週に突入。
授業は、それぞれクラスの最後の授業。
クラス全員に「みんなと私の通知表」を
つけてもらう。
30年来の私の習慣。

子どもたちも、1年生の1学期からつけ始めて3回目。
・・・なので、もう迷うこともない。
10分であっという間に書き終わる。

今回のみんなが付けた通知表の感想欄で、
新たに、気付いたことは、
「よくわかった」「わかりやすい授業だった」
と書いた子たちがほとんどだったこと。
そして、その理由を、
・本物やレプリカにさわった。
・DVDで映像や映画を見た
・見ながら先生が説明してくれた
と理由をあげていたこと。

歴史の授業で、ほとんどの子どもたちが
わかると認識するのは、
大したことだと思う。
説明を聞くだけで、
古代国家の飛鳥や奈良、朝鮮半島の三韓を
「よくわかった」とは、誰も書かないだろう。
映像を使い、正倉院の宝物のカラーコピーを使い、
グラディエーターを使ったからこそ
子どもたちの頭の中に
映像を描けたのだと思う。

30年間、いいえ、学生時代から
「わかるとはどういうことか」に、
こだわったからこその
ご褒美だなあと思った次第です。

子どもが「わかった!!」と
喜びをもって言えるのはどういう時か?
わかるのはうれしいこと、楽しいことと言わせたい
・・・・それだけを考えて授業してきたから、
そういう授業をするのは、ほんとうに楽しいので、
通知表にありがとう・・・です。



3・16
久しぶりに、
クラスの子どもたちのことを書きましょう。
プライバシーに関わるので、
限定的ですが、・・・・。
昨年の4月に比べ、
1年間たつうち、
ほんとうに個性が際立って来ました。
翻弄してくれるのが、二人の男の子。
下ネタ、変顔、雄叫び、満載で、
いつも笑っていたいから、
机を教室の端と端に離しても、大声で掛け合います。

どうして、私が受け持つと、
こうやって全開になってしまうんだろう?
こわくないんですよね、たぶん私が。

女子の方も、なかなか・・・。
教室に入れなかった子が、
ようやく入れるようになり、
数時間授業を受けられるようになったと
2学期・・喜んだのは束の間でした。
3学期、教室で仲良くなった女子たちで
教室に入る、入らないで、
その日の気分で、もめます。
でも、それも、甘えたい一心。
きびしく、「冷たい愛情」で・・・
でも、彼女らは、先生たちの愛情を
わかってしまっているので・・・
そこはうまくて、
だんまりだったり、鬼ごっこだったり
かくれんぼだったり・・・
「ここは幼稚園か?」と愚痴を言いたくなります。

この年で、4階を上がったり下がったり、
面倒くさいなと思いつつ
重いお尻をあげて、上り下り。
かなり大変です。
でも、足腰はじょうぶになりそうですね。

そんな日常生活が、続いています。


3・11
震災から3年。

若いころは、日本の高度成長期と
私の若さが重なり、
何でも自分の意志で、やり遂げられる。
やる気さえあれば、いつか実現できる。
どうやっても、何とか、生活できる
という自信があった。
運命などという言葉にとらわれるのは
非科学的でナンセンスと思っていた。

それが、家庭を持ち
わが子のことで、運命ということを知る。

すべて運命という言葉で、
私自身の人生をあきらめたり、
翻弄されたり、嘆いたり・・・
したくはないけれど、・・・
時が戻れば・・・と
繰り返して後悔することがあったり、
自分の力ですべてが変えられる
選び取れる・・・と思うのが傲慢だと知った。

そう知ると、「仁」の中の江戸の人々のように、
いつの時代も、その時代の制約の中で
人々は精一杯生きていると思う。

震災にあった人々も
原発で故郷を失った方々も
そうして生きておられる。
敬意を抱かずにはおられません。

他にも思うことはたくさんありますが、
マスコミは本来の役目を果たし
真実を追求してほしい、それだけです。



3・10
2年生の歴史は、西南戦争で終わる予定。
緊張関係にあった
「いつもビデオばかり見せて」と言っていた子たちとも
緊張緩和、デタント。
それは、産業革命から
明治維新の授業のおかげ。
手紡ぎ手織り体験から力織機・・・
蒸気機関模型・・・アヘン戦争までの楽しい授業のおかげ。

そして、大丈夫かなあと思いながら、
ドラマ「仁」を1時間半見せた。
コレラの章のところ。
デタントの子どもたちも、大歓迎だった。
最初から最後まで見たいという子どもたち多数、
でも、それは無理です。

しかし、「仁」のドラマを見ていて
このドラマは深いなあ〜〜〜と、つくづく思う。

なぜ、私たちは歴史を学ぶのか、
時代背景の中で、限界のある中で、
どう、先達たちは、生きてきたのか、
私たちはどう生きていったらいいのか、
そういう問いと答えを
両方私たちに投げかける。

設定が、とても優れている。
現代の医師がタイムスリップした設定。
立ち向かうのは、江戸の病気。
主人公は、新しい治療法を
江戸の人々に教えるのは
時代を変え、未来を変えることに
なるのではないかと悩む。
ところが、ことは簡単にいかず
現代の医療技術をもってしても
江戸の人々をすべて救えるわけではない
・・・ので、
主人公の医師は、愕然とする。
なんと自分はおごっていたのかと。
自分はいったいここ(江戸)で、何をしているのだろうか、
自分は何の役にも立っていないのではないか、
あるいは、何かの役に立っているのだろうか・・・と煩悶する。

今の時代からすれば、簡単に治療できるはずの病気も
江戸の時代背景からの制約
・・・つまり薬や高価な機械が無いから
助けることができない。
それでも、江戸の人々は、
投げやりになるでもなく、
毎日の日常を、平均寿命が今より短く、貧しくても
精一杯生きている。
現代からタイムスリップした医師が
そうやって、江戸の人々と過ごすうち、
畏敬の念と親しみと愛情を持って、江戸の人々を見るようになる。

主人公の南方先生の問いは、私たちも巻き込む。
「なぜおれはここにいるんだろう」
「おれは、いったい、何をしているんだろう」
「おれがいない方がいいのじゃないか」
「おれがいたおかげで、みんながまきこまれたのじゃないか」
・・・・・そういう自問自答は、
私たちにも帰ってくる。
私たちだって、
自分がなぜここにいて、何をしていて、どう人の役に立っているか、
どうして生きているのか、・・・・

ふと立ち止まるとそう考えてしまうけれど、
江戸の町の人々がそうなように、
私たちも忙しく、毎日を精一杯生きている。

歴史はこうやって時を刻んでいくんだと、・・・とても哲学的だ。
何といっても、私は断然
大沢たかおと綾瀬はるかの演技に引き込まれてしまう。
MISIAの主題歌とともに、大ファンです。



3・8
わー!!、
一週間以上もあいだをあけてしまって
すいません。

HPビルダーの不都合で、
手を付けられず、
採点も重なり、ひと段落するまで
ほったらかしでした。
ようやく土曜日になり、
調整して、戻りました。

お久しぶりです。
3月になりましたね。

この一週間、
またまた、教え子たちから
いろいろと・・・ありました。

昨年卒業して1年生の時
担任したK君が、今の学校に訪ねてきて、
「はい、先生」
何かと思ったら、チョコレート二袋も。
「ホワイトデーのチョコだよ」
「私あげてもないのにもらってもいいの?」
「うん」
野球部で、丸坊主の彼は、
ちょっぴり大人になったけれど、
高校生で、やっぱり当時のままの
奈良のマスコットキャラ「遷都(セント)君」
(私の内心:おぬし、ほれとるなあ・・)
でも、彼女ができるまでかな?
かわいがって、よく叱りましたから・・・。

もう一人は、
小学校時代に教えた男の子
浩一くんです。30年以上前5〜6年生でした。
すごくにユニークな手紙と、今の報告。
その一部を。
「ぼくは、学生のころから、バックパッカーとして、
 いろいろな国を旅している時に、
 先生からドイツやベトナムより
 送ってくれた葉書をよく思い返していました。
 チベットで旅行に来ていたうちの嫁さんと知り合い、
 子どもを授かってから、
 自然の豊かな九州で子育てしたいと思い、
 熊本の阿蘇で七年暮らし、
 その後宮崎に来て、三年が経ちます。
 九州では手作りの暮らしをして、
 無農薬の米や野菜、こうじやみそ、
 鶏もいて、卵をいただいています。
 出産も手作りで、三人の子どもを自宅出産して
 取り上げました。
 長男も三年生になり、小学校にもかかわっていく中で、
 やっぱり先生の授業や出会えたことが
 とても印象に残っていて
 何度も家族や仲間にも話しました。
 5年2組で学んだ生命の歴史、人類の歴史、
 校庭で火を起こし焼いた肉、
 みんなで見た名作映画
 そして、差別や戦争の悲しい歴史などなど。
 日々、子どもたちの想像をふくらませて、
 みちびいてくれた先生の授業は、ほんとうに楽しかったです。
 そして、小学校5・6年生という多感な時期に、
 先生に出会えて本当によかったです。
 また、春休みのころ、実家の方に行くので、
 もしよかったら、遊んでください。みんなで行きます。
 ありがとうございました。」
 
浩一君は、普通の、でも好奇心の強い男の子でした。
特に、想像力がおもしろくて、
授業では、いつもおもしろいことを言ってくれていました。
授業が、浩一君の人生を膨らませてくれていたようで、
それは、ほんとうにうれしい。

絵葉書は、ベルリンの壁崩壊の年に
ベルリンを訪ねて大晦日の写真を撮り、
統一に喜ぶ人たちの姿を
クラスの子どもたちに送りました。
ベトナムは、戦争後10年以上たった
美しい海辺の写真を送りました。
教え子たちが、世界を、
とにかく自分の目で見たいと思い、
それを実践してくれることがうれしいと思います。
会うのが楽しみです。

同封された家族写真の息子さんは、
小学校の頃の浩一君に、
ほんとうにそっくりでした。





February



2・27
採点にも、私はわざと細かくない。
むずかしい漢字の間違いは
直してあげて、○をつける。
例えば、安政の大獄、大獄が間違えていたら・・・そうします。
あんせいのたいごくという言葉を覚えていただけで、
まあ、いいではないかと思ってしまう。
「愛知県の県庁所在地は何市?」に、
「名古屋市」と書いても、
「名古屋」と書いてもいいじゃないかと思ってしまう。
他にも、記号で答えなさいと書いてあるのに、
語句で答えを書いてしまったら、
×をつける教師は多いが、私は○にする。
答えは合っているのだし、ここで×にすれば、
記号で答える問題が10問でもあれば、
10点違うから、悔しくて悔しさの方が頭に残る。
テストを返した後、
必ず、「これではダメですか?」と抗議に来る。
私が説明しても、納得できず、食い下がって
腑に落ちない顔をしている。
・・・・そういう子どもたちの顔を見ていて、
よけいな消耗だなあと思ったことがきっかけだ。

それに、解答に厳格さを求めたところで
その後の子どもたちの人生で
大勢に影響はない。
それよりも、植民地化を防ごうと
幕末の人々が考え、行動した大きな流れの方が
知っておいて損はない。
教師を続けるうちに、
何を社会科で国民として知っておくべきか、
おこがましいけれど、
確信を持って、言えるようになってきたから。

テストは成績の基準だから、
まじめに、厳格に、厳しく・・・
そう教師の信念を思う人もいるだろう。

でも、私が教師になったきっかけは
一つは、子どもたちを信じることで
私が、解放されること。
テストや成績は、教師が権力を最大限に発揮する場でもある。
だから、私は、北風と太陽なら、
太陽で子どもたちを育てたい。

高校までは私は、まじめで、自分に厳しくて
全く面白くない人間だったから・・・。
あと半分の人生は
まぬけで楽しい先生で、時々本気で怒る先生で・・・
そんな先生でいいと思っているから・・・です。



2・26
テストが終わり、採点を始める。
改めて自分では意識してこなかったが、
テスト作りと採点とには、
長年の私の経験からの
とても細かな深謀遠慮が
いくつもあることに気づく。
若い先生に説明するうちに、改めて
これも「私のテクニック」だなと。

子どもたちの授業のようすで
テストの難易度を変えて
テストを作る。
1年の最初は易しく・・・これは当然。
最近の1年生( 3学期)は、緊張感が足りないから、
授業を聞いてないとできない問題を入れて
少し難しく。
2年生は、点数が二極分化しているので、
あきらめてしまっている子たちに
自信をつけさせたい。
2年の3学期に自信を取り戻せないと
3年になって意欲に結びつかない。
そして、歴史の授業の中でも、
一番難しい近代化…幕末から明治…
だから、ここで、とても易しく問題を作る。

問題の作り方、
最初の方の問題は、みんなが覚えているから
問に対して、漢字で書いて答えさせる問題。
最後の方は、幕末のさまざまな事件が
頭の中に入りきれないだろうから
選択肢から選ぶ問題。
意味が分かっていれば、選べる問題。

勉強した子が、どんなに苦手でも、
70点台を取れるようなテストにする。

それと、教えたクラスは
体験を中心にした「綿と植民地と戦争」の授業を
バッチリやっているので、
産業革命から明治維新までの因果関係が
ある程度頭に入っているはず・・・これもバッチリ。
だから、相当良い点を採るだろうと予想。

そうしたら、とてもいいことに、
今まで40点台だった子たちが、80点、
90点取る子も出た。
平均点が78点くらいだから
これは上出来、予想通り。
答案用紙を返したら、みんな、歓声を上げるだろう。
うれしくなって、今度もがんばるぞと思ってくれたら、
それが、私の仕事の成功ということになる。
手練手管を尽くして、
仕上げを待つということです。




2・24
もう二月も最終週。
三年生は受験で、
1年生はインフルエンザの第二波?
テスト問題を土日で作る。

細かい配慮を、キリが無いほどしたくなる。
だから、どうしても、徹夜に近くなる。
毎回毎回、そうなってしまうのが、
ほんとうに嫌になるのだが、
これもプロとしての仕事だから当然。

2年生の江戸中期から市民革命・産業革命・明治維新まで・・・
この範囲のテストを作る時には、
あまりにむずかしい言葉が多すぎるから、
子どもたちには、選択肢問題を多くしてあげる。
どんなに言っても、ほめて育てる、
北風と太陽なら太陽、点が取れると
少しでも自信がつけば、やる気も起きる。
重箱の隅をつつくような問題は、絶対出さない。
一応一般人の常識程度が、義務教育で分かればいい。

一問一答式の問題も作らない。
なるべく、その時代の流れがわかるような説明文を作って、
その文章に沿って、ほんとうに基礎的事項を聞く。
人物名よりも、歴史の流れに沿った事項で、
欠かせない事項を聞く
平均点を70点台にしても、
こちらが困ることは何にもない。
平均点を50点以下にしたら、
子どもたちは、社会科が余計に嫌いになる。
教師という仕事をすればするほど、
何がわかれば良しとするか、
それに、確信が持てるようになった。
そこはこだわりたい。
今回も、この作戦でうまく行くかしら?



2・22
飛鳥・奈良の授業を終え、
何度も授業で同じ番組を見ていると、
突然、飛鳥・奈良の地を
また自分の足で歩いてみたくなった。
平城京跡も、復元されていて
あらたな遺物もたくさん展示されているよう・・・。
春までに、土日にとんぼ返りで、見に行こうかなあ・・・
そんな気分にまでなった。

以前、奈良時代の食べ物として
「蘇」を知り、
実際に作ったことがある。
ただ牛乳を7〜8時間煮るだけなのだが、
その労力が怖ろしい。
焦げ付かないように、煮詰める。
でも、できた茶色い固まりは、
やわらかくて、ほんのり甘く、とてもおいしかった。

さて、今回、子どもたちに食べさせたくなった。
番組の中でも紹介されている。
ただ、私自身ではとても作る余裕がない。
数百人単位の量などできないので、
ネットで購入することにしたが、
なんと、高い高い・・・でも、そこは、
煮詰めるだけの労力がかかっているから、
当然だとあきらめて5個購入する。
1個1000円也。

さて、その感想は、・・・・
私自身も、耳かきほどの量食べて、
う〜〜〜ん、ちょっと味が無いのに、濃厚。
1クラスめで、予想より不評が多かったので、
2クラス目からは1口食べたあと、砂糖を用意することにした。
でも、予想よりは全体的に、
この味、好きかも・・・といってくれた子たちが多かった。
5月の研究会では、博物館でも作ってみたい。
奈良の飛鳥から、宅急便で送ってもらいました。
牛乳屋さんの商品です。
私にとっては、とてもありがたくうれしい商品でした。




2・18
2年生の方は
会の財産である
「綿と植民地と戦争」の授業をやっている。
その中の、アヘン戦争の授業で、
一番盛り上がるのが、
「麻薬の授業」。
ケシの実を用意して、
ちょっとインチキ。
「アヘン、麻薬の種を配るよ」
中学2年生といえどもどよめく・・・。
「え〜〜」
「大丈夫」?
と言っている間に、一番いたずら小僧をそそのかす。
机の横に行って
「ちょっと味見してご覧」とささやく。
「えっ、食べられるの?」
彼が口に含んで、あれ?みたいな顔をしたところで、
だましてしまう。
「あれ、本気で食べちゃったの?
 だめだよ、ふらふらしない?、あら、まずいよ・・・・」
と大騒ぎする。
彼は本当に困った顔、みんなもエ〜〜〜ってという顔をしたところで、
「大丈夫だよ!!アンパンの上にのっているやつ」
とタネをばらす。
ちゃんとていねいに、彼にごめんなさいと謝って、
三留理男さんの「麻薬」の本から
症状を書き抜いた文章を読む。
この授業一発で、
先生絶対麻薬はしない・・・
という感想とアヘン戦争に追い込まれた中国
アヘンを売りつけたイギリスの悪徳ぶりが
深く印象に残る授業となる
・・・・これをやったうえでなら、
ほとんどクラス全員に
あなたが坂本龍馬なら、イギリスが貿易を求めてきたら
開国するかどうか、対策はどうするかを考えてもらえる。
今回はいやいや開国派16人、
しょうがない鎖国派17人だった。
これで、尊皇攘夷・倒幕・明治維新が教えられる。
ほっと安堵した。
それとともに、
やっぱりこの授業に助けられて

子どもたちとの距離が縮まった気がする。
ありがとう、ケシの実さん・・・です。



2・16
昨年末に中国東北部行のため、
購入したスノーブーツが
とても役に立ってうれしい。
デパートで、札幌の雪まつりにも使えます・・・と言われたが、
東京で1週間も使えるとは思わなかった。

1年生の授業は、
平城京に入ろうとするところ。
初めての都づくりで、
子どもたちに話をする大好きなエピソードがある。
今から20年ぐらい前に、
NHKの番組で知って以来、
下ネタを披露する。
今では、この学説も常識のようだ。…(朝日百科によれば)

藤原京を造った時には
知識・体験とも不十分で
奈良盆地の一番南、
飛鳥の地の西側に造られた。
しかし、この地の都は失敗作だった。
盆地の南側に都を作り、
川を利用した排水を行うと
都の中央(最近の資料では)に、造った宮殿に、
町の排水が流れ込む。
トイレやごみの排水が、
町の最後に宮殿に流れ込み、
この都は失敗作となった。
このあと、都は必ず
北の玄武を背にして造られるようになる。
平安京も、鎌倉も、すべて同じである。

排水と伝染病とは切っても切れない問題。
数万人が集住するようになると
伝染病と下水の問題が解決できなければ、
都を捨てるしかない。
昔から、なぜ都をすぐに移転するのか不思議だったが、
この話を聞いてから、とても納得がいった。
天皇さえ天然痘にかかり死亡している。
家族の大部分が伝染病にかかって死亡したら、
弔うことすらできない。
死者の遺体が町を覆っただろう。
鴨川の河原は、そういう場所としても有名だった。
都の移転も、すべて木材や瓦も川で運び、
移築したらしいことも分かっている。

この話をすると、子どもたちは
「ウンコだらけ? うえ〜〜っ」と
悲鳴を上げるが、
最近の震災の問題もあって、
大事さがわかって興味深いだろう。
人気の上に重要なエピソードである。



2・15
またしても大雪。
自宅付近では、今回の方がすごい。
車が埋もれて出ていけない。
歩いていこうにも、長靴の深さの雪に
長靴の中まで入ってきてしまう。

大雪は、それでも、心を浮き立たせてくれる。
なつかしい思い出が伴う。
私自身が、小学校の頃
吹き溜まりで、
体が埋もれてしまうほどの雪だったこと。
小学校1年生を受け持ったときには、
クラス全員の子たちを、
持ち上げて、雪の中に
大の字に投げてあげたこと。
娘たちにかまくらを作って、甘酒を飲んだこと。

ああそれなのに、それなのに、
今の学校は、どこも自主規制。
部活でグラウンドが荒れると困るから
校庭で雪で遊ぶのは禁止、
雪かきをして雪合戦をしていた子たちは
大目玉をくらった。
大雪の思い出が、叱られた想い出とは
悲しいではないか。

こちらは雪かきの実働部隊になれない体力だから、
そのくらいいいじゃないとは言えず、
心の中でつぶやくのみとは情けない。
子どもの側に立って・・・などという言葉が
マスコミでも、本にでも、聞かれない・書かれない
子どもは雪で遊ぶのが当たり前のはず。

小学校の先生がた、
今回、そちらでは、雪合戦で2時間遊びましたか?
30年前の小学校では、
どのクラスもみんな遊んでました。
ストーブのまわりは、
濡れた手袋やくつ下で花ざかりでしたっけ・・・




2・13
9日の時点で書いたのだが、
頭の中が、混乱していたように思う。

授業をしていく中で、
要点が整理されて、
子どもたちに、何がわかれば
最少いいか、最小公倍数が見えてくる。
今回も、その後の授業で、やっと
すっきりとした骨格が見えてきた。

日曜日に、骨董屋を回った。
相方?さんの趣味なのだが、
そこで、1000円で、小さな仏像を手に入れる。
それなりに重いので、金属製。
真鍮だろうか?
スプレー塗料で金色を吹きつける。
これが、とても、なかなかいい。金ピカである。
すごく気に入った。
教材です。

今回初めて知ったが、
飛鳥時代も、奈良時代も、
仏像は金色なのが当時は当たり前(百済ほか)
(そういえば、今のタイなどの仏様も金ピカです)
それを見た当時の日本人は、
腰を抜かした?くらい驚いたろうと
番組の中で解説されていた。
ならば、子どもたちがさわれるような
金ピカの仏像を用意しようと張り切った。
塗料でぬればいいとは、我ながら良いアイディア。
自画自賛である。

新しい見たこともないものを
見せびらかすのは、
威嚇だし、優越感だし、
その当時は建築物で、高層建築はないから、
五重塔は、さぞ、遠くから
見えたことだろうとも解説されていた。

そういえば、浅草スカイツリーが、どこから見えたとか、
富士山が、どこから見えたとか、
高い物というのは、誰もが、必ず
「見えた」としゃべりたくなる。
ランドマークとは言ったものだ。
今の時代ですら・・・。
ということは、五重塔の役目とは
そういうものだったのだろう。
蘇我馬子の建てた飛鳥寺の五重塔は、
飛鳥ではどこからでも見える、
瓦屋根と赤と緑の縁どられたすばらしい建築物。
藤原不比等が建てた奈良の興福寺は
羅城門から見ると宮殿と並ぶ位置の東に
これも輝く五重塔を見せている。
子どもたちが、飛鳥奈良時代の巨大な建築物と言ったら、
大仏とお寺だと言ったのは、図星でした。

朝日百科がおもしろい。
20年以上前のシリーズもおもしろかったが、
今回のシリーズも、さまざまな学説がいろいろ載っている。
おもしろいです。




2・9
朝、雪かきを30分して、いい汗かきました。

飛鳥・奈良時代で
私なりの理解。

古墳、飛鳥、奈良、平安・・と区切りをつけるから
わからなくなってしまう。
弥生時代から始まって、
稲作・雑穀・農業文化を取り入れた日本列島では、
農業文化とセットで、
何段階かで、文化を取り入れていった。
つまり、すでに中国は
国家も文字も政治体制も都も度量衡も
すべてできていたけれど、
それを最初から全部は取り入れるのは不可能だった。。

まず、第一は農業・・・これが弥生時代

第二は王権=儀式と墓制・・・つまり神と古墳
これが古墳時代。

第三は文字と仏教・・これがいわば飛鳥時代
文字は書いて読める人々が大量に来なければ、
日本に定着するはずがない。
百済王から仏教(お抱え百済職人たち)を
プレゼントされたように
(今は、仏教公伝と言うらしい)
文字もそれに近いものがあるだろう。
日本書紀の中にも専門家集団の名字が出ている。
例えば、史部、・・・。

第四は政治体制と都・・・これがいわば奈良時代と平安時代。
律令と税制と都が構築されるのにはそれぞれが
不可分だろうと思う。

国家として体裁を作っていく時に
天皇家だけで法律も財政も軍事も・・・というのは無理。
ブレーン集団が
必要だっただろう。
飛鳥時代の二人三脚の相手は
蘇我氏だったけれども、
国家が確立すると、
安定的に藤原氏が、
宮廷の神事をつかさどるために
何千年も、ブレーンを務めている。
蘇我氏と藤原氏の違いは
時代背景の違い。
蘇我氏は古代国家が確立する前
登場したからこそ、天皇家の争い、
皇子たち(異母兄弟)の争いの渦中にいた。
藤原氏は、あくまでブレーンとして
皇子たちの権力争いに
距離を置き、
皇子が幼少でも摂政関白がつけば
天皇が即位できるよう
制度を変えたのが
成功の秘訣のようだ。

こうして、古代国家成立の過程が
古墳・飛鳥・奈良・・時代と
考えれば、それぞれの事件や背景が
わかりやすくなるように思えた。





2・8
2月になってしまいました。
ご無沙汰しました。
今日は大雪。
こんなに積もったのは20年ぶりぐらい。
確かに、下の子が生まれた年くらいに、
雑木林の大雪の中で
家族で撮った写真が残ってました。懐かしい。

さて、この一週間、
飛鳥奈良時代のもう一度再勉強。
一番読んでいたのが、「日本書紀」。
もう一度読み直したり、同じ個所を読み返したり・・・。
そしてNHKのBS歴史館の番組を
それこそ、20回くらい毎日繰り返して見ていました。

でも、実際の授業が始まると
う〜〜ん、思ったより、うまく行かない。
いつでもそうだが、自分が勉強すると、
そのすべてを教えたくなる。

そこでもう一度見直して、番組の8割は捨てる。
悲しいけれど、私が20回見て
楽しくてわかるものが、
子どもたちは1回しか見る機会はない。
だから、ほんとうに骨組みの一部だけしか要らない。

そのために見ていると、いつしか
イスで寝たまま明け方起きたり、
こたつで幾晩も寝ていたり・・・
それなのに、学年で猛威を振るう
インフルエンザにかからないのは
私自身が不思議でならない・・・。
早死にすると家族に再三再四言われながら・・・
それでも、元気にやってます。



January



1・30
教え子からの手紙、
その一部を紹介します。
「今、思い起こしても、織り機を体験したこと、
 寒い冬、炉を組んで製鉄を体験したこと、
 遠くの博物館まで、連れて行ってくださったこと、
 火起こしをしたこと、
 蒸気機関を動かしたこと、
 いろいろな食生活を体験したこと、
 芸能人のプライバシーについてみんなで討論したこと・・
 先生の授業の一つ一つが、たまらなく懐かしいです。
 三年間、社会の授業が、私の楽しみで、
 学校生活の思い出として、
 強く印象に残っています。
 ・・・中略・・・
 先生は、社会科は、単なる暗記ではなく、
 人の人生を学ぶ教科と
 私たちに教えてくださいました。
 教育を取り巻く状況は・・・・
 私もこの仕事について初めて分かりましたが・・・
 とても厳しいものがありますが、
 私も授業を大切に、
 先生のような信念を持って臨めるよう、
 努力していきたいと思います。
 そのためにもっと勉強しなければ・・・と考えています。
 思い出に残る素敵な授業を、ありがとうございました。・・後略」

人の人生を学ぶ教科・・・と言ったつもりは無いのですが、
どの時代に置いても、
その時代を生きた人々に共感してほしくて
いろいろと積み重ねたので、
それが、彼にも、そう感じさせたのかもしれませんね。
「素敵な授業」と書いてくれたのが、
とてもとても、うれしかったです。
教え子たちの心に、そうやって、
糧として、残ってくれているでしょうか?




1・29
大切なことを忘れていた。
先週、教え子から、10年ぶりに
手紙をもらいました。
小学校の先生になっているようです。
思わず、私の授業を思い出して
手紙を出してくれたそうで、
学校宛に、出してくれていたので、
突然机の上にのっていて、
ほんとうに、私としては、思いがけないプレゼントで、
とてもうれしいものでした。
明日にでも、内容は紹介しましょう。

2年生との授業、
レミゼラブルの2回目、
学生や市民が、革命前夜から、立ち上がり、
軍と戦うところ、
ジャンバルジャンが、学生を救い、
そして一生を終えるところ、
さいごに亡くなった市民たちが、
次々に登場して、明日こそ未来があると歌うところ・・・

ああ、それなのに、あくびをして、
また教科書を読んでいる少年・・・。
もう、ちょっとがっくり来ました。
でも、レミゼラブルの映画に対しても
ネットでの評価の中には、
全篇歌で歌われて、全然理解不能という意見もあったから、
音楽や、歌に興味が全くないのかもしれないと
私自身をなぐさめていた。

さて、その次は、産業革命の実習。
今日は、その第一日目
そうしたら、あくびの少年たちが、
問題集の1ページも開かず、教科書も見ずに、
ずっと綿花から糸紡ぎに夢中になっている。
班のメンバーとにこやかに、目を輝かせて・・・

ああ、よかった〜〜〜
2ストライクに、ちょっとヒットを打った感じです。
また、明日がんばるぞ!!

1年生の方も、渡来人の授業で
飛鳥時代を少し思い描けそうな
授業を作れた感触があります。

これまで、さまざまな文化、
漢字、仏教、馬、米作り・・・
などの、ハードとソフトが全部あってこそ
文化が伝わるのだから、
集団で渡来人たちが移住してきたのだと説明した。
そして、さまざまな専門家集団の名字を紹介。
犬養部、鳥飼部、弓削部、土師部、渡部、服部・・・

そのあと、「あなたが天皇(大王)だったら、
どこから、どんな専門家集団に、渡来人として来てほしいか」
という質問を設定して、考えてもらった。
それを、発表してもらう。
こうした過程を経て、
たぶん、飛鳥の豪族と天皇の関係が
少し理解できると思う。

文化が伝わる・・・これをどの子もイメージできる、
渡来人が大和政権の重要な地位を占めて、
権力を補佐する・・・
これを、どの子もイメージできる
そういう授業にしたかった。
古墳の授業や渡来人の授業は
今度、授業のページに載せたいと思っています。




1・28
ずっと教科書の飛鳥のページには
違和感があった。
聖徳太子の十七条憲法は
何だか、お説教じみているし、
聖徳太子と協力した蘇我氏が、
すぐ教科書のページの次の段落では、
中大兄皇子に、蝦夷・入鹿親子が殺されてしまう。
十七条憲法で、ヤマト政権が落ち着いたのかと思うと、
そうでもない、まったく、矛盾しているじゃないか。
それでいて、教科書では
金科玉条のごとく、聖徳太子の偉業だと持ち上げる。
そして、聖武天皇は国家鎮護のために
大仏を造る・・・・・う〜〜〜ん、わからない、
何か、納得全然できない・・・
何だか、仏教のありがたいお話を聞いているような、
洗脳されているような・・・変なページと
時代の位置づけといつも思う。
まるで忠臣蔵みたいに、作られた感じがする。

今回も、教科書には(東京書籍)、
「女性の推古天皇が、豪族どうしの争いを和らげるために」、
天皇の座についたという表現。
これは、違うでしょう。
直前の崇峻天皇が暗殺されているのに、・・・
飛鳥、奈良時代は、実像が違う・・権力争い、
血で血を洗うような、親子、兄弟、親戚・・・
お構いなく、殺し合い、暗殺しあう・・・
そんな状況と、あまりに、不釣合いな教科書の叙述。

それが、謎をいくつも、
NHKの番組、BS歴史館が解いてくれた。
3回も番組を見直してみると、
岩波新書の「飛鳥」も、割とスラスラ読める。
物部氏と蘇我氏の崇仏論争も、
実は、渡来人の囲い込みを含めた権力争いであったとか、
飛鳥寺をはじめとする仏教の伝来も、
まず、キラキラ光る金銅仏や
見たことのない、朱や緑に塗られた柱、
五重塔や、瓦が輝く高層寺院建築への
驚きが始まりだったとか、
飛鳥寺も、百済のお寺の完全コピーとして、
お抱え渡来人が、全て作ったらしいとか、
大仏を造った行基も、渡来人の子孫として、
専門家集団をつなぐ
ネットワークの中心人物だったようだとか、・・・・
夢中になって、私自身の勉強をしているが、
それを、どう骨格付けをして授業をするか、
今、勘と、論理で、組み立てているところです。
たのしいですね〜〜〜!!

そして、なんとなく、勘で、
百済、高句麗、新羅、伽耶の
韓流ドラマの一部を見せ、
倭のそっくりな遺物を見せ、
渡来人の重要性を、勉強したところで、
飛鳥、奈良は、ぴったり当てはまる・・・
とっても論理でうまく行きそうな予感、
きっと、これなら、子どもたちは、わかったと言ってくれるでしょう。
今年の飛鳥奈良の授業は、
そんな授業ができそうな予感がします。



1・27
一年生の歴史の方は、
渡来人や飛鳥時代に入った。
とても楽しい授業ができた。

一つは、
文化が伝わるのはどういうことか?
これを授業した。
私自身が40年以上前、小学校で
「稲作が日本に伝わった」と教わっても、
何のイメージも持てていなかった。
あえて言えば、何だか、
「稲の種がドンブラコドンブラコと
 日本に流れ着いて・・・」
というイメージのようなものを
漠然としか考えていなかった。

だから、こんな歴史の授業では、
おかしいじゃないかとずっと思っていた。
だからと言って、
「渡来人が伝えたんだよ」と説明すれば、
ひとことですんでしまう。
ところが、この時代のダイナミックさは、
ちっとも伝わらない。
だからこそ、また、新しいチャレンジの授業。

子どもたち自身が、自分の論理で、
「文化が伝わる」ということを
想像できるようにさせたかった。
そこで、班ごとに討論。
アイディアを出し合う。
何をかというと、
それぞれ各班で、この頃伝わった文化について
ソフトの面を考えてもらう。
ハードの部分は、私の方が考えて表にしておいた。

たとえば、馬がこの頃伝わった・・・ということについて
ハード(つまり物、:道具など)で、
必要なものは、小屋、えさ、鞍、訓練する人、
馬の医者、蹄鉄、馬場・・・と一応書いておく。
子どもたちは、ソフト(技術、方法、知識、そういうもの)を
考えて出し合い発表する。

おもしろい意見が出てきた。
ソフトの知識や技術の側面、
たとえば、馬については、馬とのコミュニケーション、
米作りでは、鳥を防ぐ方法、
鉄づくりでは、その時使う道具を作る方法、
漢字なら、墨の作り方、紙の作り方、筆の作り方・・・
古墳なら、設計図、人の集め方、リーダーの育て方、
絹織物なら、蚕の育て方、環境、織り方のコツ・・
仏教なら、お寺のたて方、坊主頭にする方法、お経の記憶力・・・

くめども尽きぬ、みんなの想像力。
次から次へと出る意見に驚き、楽しい。
つまり、文化が伝わるということは、
物=原料や道具だけが来るのではなく、
誰か教えてくれる人が一人で来るのでもなく、
集団で、倭国に、移住して広めていったこと
=これが渡来人、
ハードとソフト全部があって文化が伝わるのだ、と
少しは考えてもらえたのではないかと思う。

そして、次には専門家集団としての
この頃の人々の名字から職業を当ててもらう。
錦織部安那錦’にしごりじょうあんなこん)さんとか、
鞍部堅貴(くらつくりけんき)さんとか・・・
もしかしたら、渡来人の祖先かもしれない名字をあげると、
みんなが、どっとどよめく。

NHKのBS歴史館で「仏教伝来」を見るが、とてもおもしろい。
このことは、また明日に。



1・26
子どもたちは、授業中に、
寝ている時も、内職をやっている時も、
友だちに手紙を書いている時もある・・・
黒板に板書をしている時は、
たいていあえて、注意はしない。
あとで黒板を見ればいいから・・・。
説明をぜひ聞いてほしい時は、
咳払いをしたり、
その子の近くに近づいて行ったり・・・
そうすれば、はっと気づいて止めたり、
まわりが起こしたりする。
それでも、社会科が嫌いな子だっているはずだから、
大きな声で叱るつもりは無い。

映像を見てほしい時も、同じようにするけれど、
2年生の中で、DVDを流している時に、
下を向いて、教科書を読んでいる子が
ほんの少しいた。
しかも映画「レミゼラブル」の中で、
フォンテーヌが、娘のために髪を売り、身をやつしても、
娘のために金を工面しようとをしながら、
嘆き悲しむ歌のシーン・・・。
圧巻の場面だから、当然ほかのみんなは釘づけ。

レミゼラブルの題も説明し、
当時のフランスの人々の困窮が、
どうフランス革命に結びついたかを説明したあと、
見てもらったのだが、

その子たちの動作は、
まるで、この映画は授業に意味があるとは思えない・・・
と言っているように思えた。
でも、ここでいくらお説教しても
納得はできないだろう。
声をかけても、逆効果。
だからそっとしておいた。

歴史を学ぶとはどういうことか、
私とは、今の時点で、考えが違いすぎるのだ。
大人になったら、気づくだろう。
人々が生きていた証しが歴史であり、
その上に、私たちも生きているということ。
特に、フランス革命で、血が流されて、
今の人権があるというとても大事なこと。
たぶん、彼らは、教科書の細かい字句を
もっと説明する方が大事なのに・・・
と思い続けているのだと思う。

それでも、歴史で大切なのは、
その時代を理解することだということが、
かれらに、少しでも、わかるように、
また、明日の授業でも話そうと思うし、
その心に響くような授業をしたいと思う。
毎日の授業の積み重ねが、
彼らの血となり肉となることを望んでいるのだから・・・
ちょっとカッコつけましたが、
彼らのようすは、ちょっと、グサッときたのです。



1・25
また一週間空いてしまったが、
忙しい。
授業が、佳境に入っている。
二年生、ルーツを大満足で見終えた。
実質は約1時間半。
クンタキンテが
西アフリカで成人式を迎えるところから、
奴隷商人につかまり、アメリカの農場に売られる。
そして、逃亡して、また捕まるところまで・・・。
誇り高く名前を捨てずに、逃亡するところ、
不屈なところが、どの子たちにも、
畏敬の念を抱かせるようだ。
へこたれるなというメッセージが届けば、
こんなにうれしいことはない。
どれだけのアフリカ人たちが、
絶望の中から、生きようとしてきたのかを思うと・・・・
奇跡だと思ってしまう。
クンタキンテの名前は、やっぱり大人気だった。

一番気になるのは、
二年生に私との気持ちや心が通じ合うかどうか・・・
まだまだぴったりとはいかない。
ルーツを見てさえ、まだ遠い子が、
ほんの少しいる。
すごく難しく感じている。
私のマジックも、届かない感じが残る。
でも、苦悩あってこそ人生ですね。





1・19
2年生は「ルーツ」を見ている。
その前に、
マイケルジャクソンの「ブラックオアホワイト」を見せた。

南北アメリカ大陸には、
コロンブス以前は
黒人は皆無と言っていいのが、
これだけいるのは、そのすべてが
アフリカから連れてこられた人々の子孫だということ。

かわいそうな歴史で終わらせたくなくて、
今の問題だとして、知ってほしかったのです。
今も人種差別に苦しむのは
アフリカ系の人々で、
ホイットニー・ヒユーストンも薬物で亡くなったことを伝えた。
マイナスの歴史遺産も世界の常識として知ってほしい。
それなのに、教科書には奴隷貿易という言葉は無くて、
奴隷船の絵が載っているだけ・・・・
それに、インディアン悲史もひとこともない

しかし、今の中学生は
ホイットニーヒューストンを知らなかった。
びっくりです。




1・18
韓国は、韓国への古代・近現代の旅と
韓流ドラマにはまり、好きになった。
中国は、古代の旅で日本との共通性に驚き、
ガイドさんたちとの温かい交流で、これまた好きになった。
私にとっては一貫している。
日韓中は、平和友好を築くべきなこと。

だから、授業でも一貫している。
どうしても、古代の勉強で取り上げたい。
日本書紀にも、ずっと出てくる。
日中韓の、交流、戦争、外交・・・・の歴史。
それ抜きでは、当時の日本の政治も語れない。

NHKのタイムスクープハンターでも、
唯一平安時代が出てくるのは、
対馬の烽火台の話。
新羅の貿易船か、海賊船か、見分ける話。
いつの時代も、江戸時代すら
すべての国と国交断絶してはいないこと。

子どもたちは、韓流ドラマのほんの一部出てくる、
高句麗の馬のポロの競技
百済の太学舎の技術、
新羅の親衛隊の兵士の話
伽耶の殉死と鉄製作・・・
その様子に食い入るように見ている。
新しく知る未知の文化のイメージを楽しんでいる。

これらの技術・文化が
高句麗の古墳の壁画が、高松塚古墳の四神の壁画へ、
高句麗の馬が日本にも伝わり、はにわの馬へそして馬具の副葬品へ
新羅の金の王冠の副葬品が、藤の木古墳の金の冠
百済の弥勒菩薩が、広隆寺の弥勒菩薩
伽耶の鉄ていが、ウワナベ古墳の鉄ていへ・・・
という風に、つながっていく。

今回、飛鳥と奈良、平安時代を、
ひとまとまりとして、つなげて教えたいと思う。
歴史は、骨格とイメージ。
がんばって構想中です。




1・15
一週間も空いてしまった。
すいません、忙しく過ごしていた。

先週水曜日、同じ市内の若い先生たちに
中国東北部の旅のレポート報告をする。
写真と、叔父のエッセイと、私の文章入り。

先週の土曜日、会のものづくり講座で
実物大のはにわのベニヤ模型を製作。
こちらでは、授業計画、授業プリントも用意。

両方の報告と、教材作りのために
資料を作る。
旅の報告は、どうしても、
今の日中関係が気になるので、
戦争の跡を訪ねたことと今の中国人のかたの反応・・
とに集中して感想を書いた。
ガイドさんが「日本の若者も中国の若者も同じ」
と言ったことに、一番驚いたこと。
加害者側と被害者側・・・と考えていた私に、
歴史を知らなければ、
戦争中の残された遺骨の意味も分からない、
哀悼も、追悼もできない・・・そういう意味では同じ・・・
そう冷静に答えられて、驚いた。

ものづくり講座では、模型を作るだけでなく、
授業を体験してもらい、その楽しさ、おもしろさ
知的探求の旅・・・を味わってもらった。
でも、こちらでも、私にとっては
日中韓、友好関係を築くための授業です。
東アジアの古代文明は、しっかりと結びついている・・・
それをまず知ること・・・
今の状況は、理性で乗り越えていかなければならないから。



1・7
昨年、年末、一番最後の授業は
1年生はファッションショーをやった。
民族衣装が20着以上あった。
もらったもの、自分で買った物、・・・
男性用、女性用、
それぞれ10着近くあって、
それを、スーパーで安く買った衣装スタンドに
ハンガーで掛けて、
教室にブルーシートを敷き
男女に分かれて着て見た。

最初は、恥ずかしがって着ないし、
誰それちゃんは、かわいいからと言って、
女子が、変に、自分はガラじゃないと言って、
ゆずりあってしまう。
日本人らしい牽制球と言うか、
ゆずりあいと言うか・・・
だから、おとなしい子に、
私が、まず着せて回る。

チマチョゴリ、チャイナドレス、
メキシコのポンチョ、中国の昔の人民服
ベトナムアオザイ、タイの民族衣装
アラビアのガラベーヤ、ヒジャブ ニカブ、
アフリカの男性衣装、
インドのサリー、そして、たくさんの帽子も・・・

友だち同士で
さかんに写真を撮って
(一人で撮るのは嫌だけど、友達とならピース)
終わった後、・・・・とっても楽しかった
・・・という感想でした。
よかった。
三学期もがんばりましょう。


1・5の2
明日から授業が始まる。
また、楽しい授業がしたい。
賢くなるような授業がしたい。
子どもたちの期待に応えたい。
親御さんの期待にもこたえたい。
明日、明日、明日・・・・これからの未来、
子どもとの授業は、そういう仕事。
学校の仕事が、やっぱり楽しみ。




1・5
もう二か所、楽しみにしていたところがあった。
撫順戦犯管理所と、張学良の住居である。
実際に訪れて、
心がほっとした。

西安事件の張学良のインタビューを
NHKで見たことがある。
自分の父親を日本軍に殺され、
軍閥として東北軍を率いていたが、
中国の勝利のために、国共合作を画策し、
二度と故郷を訪問できず、台湾に軟禁された将軍。
それでも、誇り高く台湾で暮らしていた。
住居は、当時の高価な造りだったが、
人柄をしのばせるシンプルなようすだった。
写真の張学良は、意志が強く、誇り高く見えた。

撫順戦犯管理所は、
これもNHKの優れたドキュメンタリーで視聴していたが、
訪れてみて、知らないことが、
ここでもたくさんあった。
戦犯と呼ばれた人々のために
(実際に七三一部隊の高官たちも数名いた)
日本軍が作った監獄を造り直し、
(部屋の高さを替えたり、暖房施設を作ったり・・・)
その当時では破格な豊かな食事。
一番驚いたのは、個々人に関するカルテがあったこと、
ていねいな看病がされていたこと。
そして、重病で戦後、家族も困窮しているからと言う
日本からの嘆願書を、
毛沢東と周恩来が受け入れ、
恩赦をして、早めに日本に帰国した重罪犯が
何人もいたこと。
日本の戦後でも、こう厚遇はされず、
たくさんの餓死者や病人が死んでいるのに、・・・と思う。
周恩来の指示は
「一人も逃がさず、一人も死なせず」
というもので、それを徹底したそうだ。
同じ敵国人・捕虜に対して、
日本は生体実験、中国は思想教育、・・・。
思想教育とは言っても
それは、誠心誠意の厚遇だったことがわかる。
撫順管理所は確かに刑務所ではあったが、
結果的に、罪の償いは、
罪の自覚と平和を作ることで果たされる
とされていたのだろう。

そして、七三一と同じように、
注射器なども展示してあったが、
真逆の意味を、強烈に象徴していた。
一方は細菌戦のための細菌注射、
一方は、治療のための注射。
刑務所なのに、訪れた私たちは、
温かい気持ちになった。
特に溥儀の変化は、ユーモアもあり、
楽しく読めた。
自立のために、自分で洗濯も、
できるようにならなければならないとされた時
溥儀は困惑し、悩み、孤独感にさいなまれたそうだ。
家臣たちが、
「もうあなたのために洗濯をしません」
と宣言しているようすに、
溥儀は最初、どう対応していいのか
わからないようすだったらしい。
映画「ラストエンペラー」を思い出した。



1・4
ハルピンは厳寒だった。
−16度で暖かい方だと言う。
少しぐらい外に出ただけでは
顔は寒いと感じないが、
すぐに、手袋と帽子が必要になる。
それも、ミトン型の手袋と、
耳を隠す毛糸の帽子。
それに、もちろん靴は
防寒が効いて滑らない靴。
一番寒かったのは、下半身で、
毛のズボンだけではダメで、
オーバーズボンかスキー用のズボンが
必須だった。

こんな極寒の地で、
凍傷実験をやった七三一部隊の地。
今は、建物も、ほとんど残らず、
特に、マルタと呼ばれた実験用に
閉じ込められた人々がいた建物は
跡形もない。
退却の時に、爆破されてしまった。

この博物館で、
生体実験の残虐行為だけが問題ではないことに気づく。
その残酷さにだけ30年前はおののいたが、
訪れて、説明版を読み、
対中国・或いは特にロシアとの戦争で勝つための
細菌戦研究であり、凍傷実験であったと
全体像がわかる。
つまり、勝つためには、
ヨーロッパの国々が
扱わないペスト菌は
「絶好の武器だ」と考える思考。
実際に、細菌戦の被害が
中国全土に広がったようだった。

改めて森村誠一氏の
「悪魔の飽食」を読み直す。
森村氏の分析に驚く。
戦争の非人間性、残虐性がどこから来るのか
明解に答えている。
改めて、中国の現地を見たあと
さまざまなことを考えたが、
森村氏の文章に心から納得した。
とても大きな仕事だと思うし、
その仕事の偉大さを思った。

それにしても、七三一部隊の跡には
真っ白い雪が降り積もっているだけだった。
夕暮れ時だった。
ほんとうに美しい景色だった。
だからこそ、胸が痛んだ。あまりの美しさに。
ここで亡くなった人々の名前は、
すべてはわかってはいない。



1・2
年が明けました。
おめでとうございます。

昨年末に、中国東北部を旅した。
ほんとうに行ってよかったと思う。
百聞は一見に如かず、
また、私の造語だが、
「百聞は一会に如かず」とも痛感する。
長くなりますが、そう思った理由を書きます。

四つ、驚いたことから。
一つめ、
行く前、さんざんまわりの人から心配された。
しかし、中国の人は冷静だった。
満州の地を訪ねるのだし、
戦争の跡を訪ねるのだから、
多少、謝罪を要求されるかもしれないと
私自身、心配していたし、
「殴られるんじゃないか」と
心配してくれた友人もいた。
けれども、まったく、全くあり得なかった。
拍子抜けするほどだった。
中国のテレビニュースでは
安倍総理が毎日話題の中心だったが、
「日本人の一般の国民はどう思っているのか」と、
ガイドさんに1回聞かれただけだった。
それよりも日中関係が冷え込んで、
ガイドさんたちの仕事が激減していることが
大きな悩みの種だった。
転職を考えているとも話されていた。
あれほど、ていねいに心配りのできるガイドさんたちなのに、
それを生かしきれない日中関係は不幸だ。

二つめ、
しかし、中国にとっては、
日中戦争はいまだに、調査中の歴史だった。
特に、体験者が亡くなっていく渦中、
博物館の建設や、資料の収集が
さかんに行われている。
それは、よくわかることだった。
つまり、生存者がいなくなると、記憶が風化する。
19世紀から20世紀にかけての
列強に浸食された中国を忘れてはならないという、・・・
或いは、忘れるならば、
また再び、侵略を受けるだろうという
危機感なのだということが、よくわかった。
一方、ガイドさんたちはみな、
熱弁をふるうこともなく、
博物館の日本語の説明を読んでください・・・とほおっておかれた。
そのことに驚いてしまった。
特に、共産党の抗日運動に関する部分は
ほとんど説明されなかった。

三つめ、
川島芳子は生きていたと
大連の満鉄に関する学芸員が述べていたこと。
数年前に日本でも生存説が
報道されていたことを、知らなかったが、
そのかたによれば、ひっそりと生き、
遺品は皇族の物でしかありえないものがあったとか。
重病の身代わりの方がいて、
処刑はその人がされたとか・・・それもまた悲劇。
皇族の臣下が世話をしていたとの話だった。
中国では確定しているらしい。
川島芳子の話を読むと、
日本と中国に翻弄された人生を悲しく思っていた。
その話で多少ホッとする。
1人の女性が断髪して、男装して
暮らすには、それなりの理由があったと思う。

四つめ、
政治問題化している慰安婦のことだが、
遺跡として、中国・東北地方で、
11か所が整備されているらしい。
それは、5〜6年前にようやく資料も集まり、
残されているとのこと。
柱や壁には、日本語、中国語、モンゴル語、ロシア語、英語の
落書きが残されているとか・・・・
これも、大連の学芸員のかたの説明。
平頂山事件のあとも訪ねたが、
たくさんの遺骨を前にして、これをウソと言えるのか?
圧倒的な事実を受け入れられない・・・とすれば
何事からも学べないということになってしまうだろう。
日本の報道ばかり聞いていると
すべてウソに聞こえてしまうが、
現地を歩けば、圧倒的な遺跡と資料に、
私たちが知らされていることが
ほんとうのごく一部だと気付かされた。
初めて知ることのなんと多いこと。


振り返ってみて、
アウシュビッツに行って、
亡くなった人々の遺品を前にして
「これはでっち上げの歴史だ」と言えるだろうか?
広島・長崎に行って、
資料館の遺品や写真を前にして
「これはレプリカですか? この証言は嘘でしょう?
 少ない事実を大げさに言ってるんではないですか?」と
言えるだろうか?
言う人がいたとすれば、冒涜でしかない。
そんなことは、決してしてはいけないことなんだと思う。

改めて思う。
日本国憲法の前文のように、
世界から尊敬され、敬意を受ける人間になりたい。
物事を曇りなき「まなこ」で見て、
(もののけ姫の中に出てきていた言葉)
真摯、誠実に、行動できる人を育てたい。



2013


December


12・24
明日、中国へ出発。
撫順戦犯管理所のドキュメンタリーを
NHKで、以前見ている。
周恩来の方針だったと言われるが、
戦犯として、処刑されてもおかしくない
残虐行為をした兵たちに、
白米を出し、被害者たちが面倒を見る・・・
確かに、思想教育だろうが、

別に思うところがある。
復讐や憎しみ、憎悪では国際関係は作れない・・・
そう思う信念からこそ、
そうした待遇を選んだのだと思う。
それだけではなく、全員を
日本に帰し、平和の種を蒔くことを
希望したのを、思想教育の言葉だけで、
片づけたくない。
感情だけではなく理性で乗り越えようとする・・・
それを、断固とした方針として出した中国に
敬意をずっと感じてきた。

こうした理性で、
平和を作るべきだという信念に、
胸が熱くなる。
最近の真実と和解のための委員会を設けた
南アメリカ共和国や、ルワンダや
アルゼンチンが、チリが、試みている。

日中平和友好につくした人々の
伝統の一端でも、感じて、伝えられるようになりたい。




12・23
学校は休みに入ったが、
忙しく過ごしている。
昨日、今日は
中近東文化センターのトルコ報告会に参加。
20年以上参加を続けている。
尊敬する大村幸弘先生を中心とする
研究メンバーの年一回の報告。
胸が熱くなる思いで、毎年うかがう。
素人に開かれ、
世界中の若い研究者が報告する。
大村先生は、トルコのカマンカレホユックの発掘に
携わるが、子どもたちの教育、
現地に還元することを、
何十年も仕事として続けてきた。
研究と教育と・・・・
その、自由さ、開放性、
私にも何かできることはないかと、
ずっと考えている。

アイディアは、たくさんある。
くめども尽きぬくらい、
こうしたらどうだろうかということが、・・・たくさん。
自称、企画の達人のつもり・・・・
社会への還元を、死ぬまで続けたい。

一方、
満州帝国について、本を読む。
鳥肌が立つほど恐ろしい。
世界最終戦・・・・
(日本とソ連のあと、日本とアメリカが戦争をして、
 二つの戦争に日本は勝つ。
 そして、そのあとに平和が来る)
思想がもてはやされた・・悪夢のようだ。
それなのに、その題の本が、
今も書店に並んでいて驚く。
信じられない・・・。
電車の中で読んでいたら、
おもしろい本を読んでますねと、
初老の男性に話しかけられた。
満州国は、いまだに、幻の夢なのだろうか?
誰かにとっては?・・・




12・22
年齢の行った人は、
たぶん七三一部隊のことは、
ご存じだろうと思う。
若いかたは、もしかしたら、
知らないかもしれない。

満州で、軍隊で、
生体実験をした部隊があった。
叔父の文章には、
短いが、凍傷実験をしたこと、
細菌実験をしたことが描かれている。

それを、見つめていたおじさん。
悪夢を見て、転属を願い許可された。
それでも、忘れられず、
良心の呵責にせめられつつ
日々を過ごしてきたとあった。
題は、「終生の重荷」

七三一部隊の被害を受けたかたが、
以前は話しをされたというが、
今回は無理だろうと言う。
もう少し早くうかがうべきだったろうか?




12・21
2学期が終わった。
三者面談で、
悩みを打ち明ける子、
お母さんの前で、神妙にする子・・・いろいろ。
ひと段落終えて、すぐに終業式。

ずっと、心に引っかかってきた
旅をすることに決めた。
今年の冬は
満州を旅する。
厳冬期にこそ、この旅をしなければと決めた。
叔父が、亡くなったあとで、
七三一部隊員だったと知った。
朗らかで、いつも笑顔で、優しかったおじさん。

それとは別に、数十年前に、
森村誠一氏の「悪魔の飽食」を読んで、
一世一代というぐらいのショックを受けた。

その部隊員だと、十年前ぐらいに
父から聞いた。
市の戦争体験談集にも寄せていると聞き・・・・
ずいぶん逡巡したが、
図書館にコピーを送ってもらった。
それが、今日着いた。

短いエッセイ風ではあるが、
書かれていることは、
森村誠一が書いていたことと同じだった。
中国東北部の旅に、25日から出発する。
授業をしている現役の時に、
叔父のあとを訪ね、
何とか次世代に伝える役目を果たしたい・・・
と思ったけれど、叔父の文章を読み、
旅の途中で、私自身がどう感じるか、
生々しく、ショックを受けるだろうと思う。
それでも、行きたいと思う。知りたいと思う。

やっぱり、普通の人であったおじさんもが、
戦争になると、こういうことをしてしまうんだ、
それが戦争の恐ろしさだ・・・・
ずっと戦争をそう聞いてきたのだから、
たぶんそう感じるだろうけれど、
それをやっぱり確かめるために、・・・・
ちょっと、おじさんの文章に書かれた事実、
・・・・予想通りなのだが、参ってしまっている私です。




12・15
今週は忙しかった。
三者面談が連続して2日間。
88歳になる父がインフルエンザにかかり、
大学病院で1日付添い。
さらに、身内の不幸があり、・・・・
娘をかわいがってもらっていた
お姑さんが亡くなった。
あっという間で、
冬の寒さが、とても身に染みて寂しいし、
悲しい。

木枯らしが吹き荒れている。
眠るように逝ったおばあちゃんの顔は
笑っているようだった。




12・10
案ずるより産むがやすし。
2年生とも、あまり、
思いつめず、相手にも重荷に感じさせずに
行こうと月曜日に決めた。
「アンケートに、
 テスト前にスピードを上げすぎて、
 わかりにくかったと書いてあったけれど、
 今度は、なるべくわかりやすくようにしますね」
「みんなの声も聴いてほしい、
 という意見もあったので、
 これもがんばります」・・・・
月曜日の授業は、2か月ぶりに、
みんなが、ちゃんと集中して、
眠っている子もほとんどいなかった。
いやらしい話もしなくて済んだ。

月曜日の授業の前に、
集めた地理のノートを読んで、
とても驚いたことがあった。
それが、自信をもう一回取り戻してくれた。
そのノートを、みんなの前で、たくさんほめた。

驚いたのは、インターネットで、
どこに、どの企業の工場があるか、
企業のホームページで調べた授業の記録だった。
何人もの女子たちが、
たくさんこまめに調べていて、
とてもとてもおもしろかった。
例えば、食品工場は産地にあるだろうと
仮説を立てて調べたら、
その多くが、海沿いにあった。
それは、きっと、いろいろな原料を
海上輸送する必要があるから?と、分析している。
ハウス食品の工場で、
こくまろカレーの工場は○○で、
バーモントカレーはどこそこで、・・・と、
ものすごく具体的。
社会科が苦手な子も、仮説がほとんどあたっていた。
ちゃんと調べた子どもたちは
具体的な日本の工業のイメージが湧いて
暗記に取り組んでも
忘れることはないだろう。

ああ〜!!やっぱり、
楽しく授業を受けてくれていた子どもたちもいたんだな
そう思ったとたん、ありがとうと言いたかった。

謙虚に、でも、最大公約数を求めて
がんばろう・・・・




12・7
今が一番忙しい時。
師走です。
水曜日には絶好調だったが、
これは、1年生のクラス。
2年生も1クラスだけ教えているが、
以前にも書いた通り。
最近ますます心のとげのように、
チクチク感じるところがあった。
授業中、雑談が多い。
人の説明を聞かない。
地図の色ぬりを指示しても、
三分の一ぐらいの子がやらない。

子どもたちとの信頼関係が、
築けているという実感がうすい。
クラス全員ではないが、
肌で感じる雰囲気というのがある。
それがしっくりこない。

しっくりこない原因が一つわかった。
一生懸命編集し、あきないように作ったDVDを
必要ないと考える子がいる。
特に、成績の良い子どもたちの中の一人か二人。
楽しい授業よりもわかる授業よりも
点数を取れる授業が欲しいのだ。

来週、あんまり深刻にならずに
その子に話してみようと思う。
そんな時、いやらしい話だが、
進学校の名前を出して、
「○○高校へ行った子どもたちも、
 ビデオを見て中身を思い出して、
 問題が解けたから、先生ありがとう
 って言って、合格していったよ」
と話すだろう。
ともかく不安がそうさせるのだ。

親御さんの中にも、以前、
ビデオばかり見せて「手抜きをしている」と
学校に苦情を申し立てようとした方がいた。
なぜ視聴覚教材を使うのか、
子どもの学力や好奇心、暗記に役立つなど、
ていねいに説明したが、
その話は、ほとんど役に立たず、
進学校へ行った子の話を出した答え方が、
一番不安をぬぐったようだった。
その時は、とても悲しかった。
教材作りに徹夜していても
「手抜き」と受け取られるとは・・・

今回も、申し訳ないけれど、私は、
口だけで、黒板に書くだけの授業では
死んでしまいそうだ。
自分でやっていて、退屈さに、
死んでしまいたくなると思う。
私も受験対策はやるけれど、
そうではなく、すべてを受験のためにと言われたら・・・
勉強の楽しさを教える必要がないとしたら・・・、
私は教師の仕事を辞めるだろう。

今日はちょっと極端なことを書きすぎたかな?



12・4
今日、廊下で小耳にはさんだうれしい話。
男の子が、友達に話している。
「歴史の授業って、ゲームとおんなじ感覚なんだよね。
 なんか、やってたら、いつの間にか終わってたっていう感じ」
つまり、夢中になっていたら、
あっという間に終わっちゃったということ。
それだけ夢中にさせられるというのは、
うれしい評価です。

今日の授業は、弥生時代で、
板書で説明したあと、
手塚治虫の「火の鳥・黎明編」、
そして大阪・藤井寺辺りの2万5千分の1の地図から古墳さがし、
そして古事記から「黄泉の国へ」の文章・・・。
手塚治虫の火の鳥は、私が一人10人役で、
まるで演劇のように読み上げます。
黄泉の国への古事記の文章も、
怪談のように、ゆっくり、不気味に読みます。

彼ら、私の術中にはまってしまいました。
イメージを膨らませ、当時のようす、
人々の生き生きした息吹を感じると、
好奇心を掻き立てられるようです。
シメシメ!!



12・1
おととい、校外学習の長い1日。
でも、朝、一人も遅刻はなかったし、
大きなトラブルもなかった。
上野・浅草周辺の班活動で、
やはり、下町の職人さんに
作らせていただいた工芸品と、
上野動物園が、良かったようだ。
江戸風鈴や切子、錺金具のキーホルダーに
江戸指物で教わるお箸、自分で彫る印鑑
銀細工の指輪・・・・
男の子たちも、自分の指に指輪をはめて
見せびらかしている。
一番見事だったのは、
文鎮の重しのガラスに
スカイツリーを彫ってしまった男の子。
売り物にもなるぐらい上手だった。

何しろ、チェックポイントに
走ってくる子どもたちの笑顔がいい。
「せんせい、せんせい、・・・・だったよ」
「せんせい、作ったの見て」
中学1年生の無邪気な笑顔が、
何より、こちらも笑顔にさせてくれる。

いつも、学校に遅れてくる数名の子どもたちも、
クラスでよくもめている女の子も、
ちょこちょことイタズラして怒られているこどもたちも、
都会の真ん中では、そんなことをしている暇は
なかったようだった。
疲れて分裂する班も出ず、
「たのしかった〜〜あ」
のひとことで、教員、私たちは、十分報われたと思う。
木枯らしが、夕方吹く、
公園の最終チェック場所で、
学年の子どもたちの帰りを待つ・・・
これも幸せです。




November




11・28
明日は校外学習。
昨日書いた女の子も、
何にもしゃべらない他の女の子も、
結局みんな参加できそうで、
それがうれしい。
いろいろ行事に向かうには、
班活動とか、高いハードルがいくつもあったが、
そのハードルも少々形を変えながら、
乗り越えられるよう・・・
そして実際何とか乗り越えて・・・
クラスのみんなもご苦労様でした。
いろいろきっとハプニングが待ち受けているだろうけど、
楽しみです。

もう一つ、高遠さんのこと。
胸に、いまだにずっしり残り、
それでいて、胸の中で、
熱く燃えている感じの感覚が残っている。

その理由は何だろうかと思う。

自己責任と言うバッシングの中、
「家族に対して天誅」という脅迫状が
高遠さんを引き裂いたらしいが、
それで悶々とひきこもる高遠さんに
お母さんは、蹴り飛ばさん勢いで、イラクに送り出したそうだ。
これで辞めたら許さないという、意味の言葉を言われたらしい。
高遠さんという娘もすごいが、
おかあさんの愛情の深さと強さも、すごいと思う。

私たち、いや、私自身の責任を
間接的に問うお話もあった。
自衛隊がイラクで空輸したのは
70%近くが、アメリカ軍の武器弾薬、そして兵隊たち。
だから、人質としてとらえられたのは
目の前でファルージャで殺されていくのが、
イラクの子どもたちだったために、
彼女たちを人質にして、イラク人たちは、自衛隊を本気で止めたかった。
ひとこと、「ほんとにもう少しで首を切られる話になっていた」と
ふれました。
たくさんのイラクの人々が、殺され、
今も、劣化ウラン弾で、先天性の異常な赤ちゃんが生まれている。
それに加担して、
アメリカ軍を支持すると言ったのが、
小泉首相と日本政府。

彼女たちが、償えるわけではないと思う。
赤ちゃんたちの姿を、ずっと見るうちに、
この爆弾を運んだのは、私たちの持つ軍なのだと、教えられる。
胸に残るのは、この重い事実なのかもしれない。



11・27
今日は、とてもうれしいこと。
万歳三唱です。
詳しくは書けないが、
教室にいられるようになった彼女が、
友人にあやまった。
ごめんなさい・・・って。
昨日、ほんとうにいろいろなことがあって、
どうなるか心配したが、
お母さんの協力、
校長先生も含めた同僚の力添えもあって、
彼女が、意地を張らずに、素直に、言えた。
ものすごい進歩。
とても勇気が要ったことだと思う。
こんな奇跡に近いことが起きるなんて・・・。
予想せず、・・・・
まわりの誰もが、とても驚いた。
彼女自身の力です。
素直になることが、どうしてもできなくて、
そのことが、一番の大きな壁だったのに、
彼女が、一歩乗り越えた・・・・
子どもの力って本当に凄いと思った一日でした。



11・26
高遠さんのお話の中で、
イラクに行くまでのお話が、
深く心に響いた。

高校の時から、
自分が何になりたいのか、夢は何なのか、
よくわかっていなかった。
職業は、全く思い浮かばなかったのだが、
人の役に立ちたい、その思いだけがあった。
そして、20代前半から、商売を始めたのだけれど、
30になったら、この仕事はやめると
家族にずっと宣言していた。
経済活動は2番目にして、
奉仕活動を第一にする。
・・・・でも、こう宣言する高遠さんを、
お母さんも、なにを言っているのかと理解できなかったそうだ。
ご本人自身もそうだったと、・・・・
十年かかって自分でもわかっていったと。
それが、インドに行き、マザーテレサのもとで
一年間、仕事をして、ようやく自分のやりたいことがわかった。
ところが、その時、アメリカの9・11が起きた。
そして、なぜアメリカがこれほど憎まれているのか、
全く知らなかった自分に愕然とし、
アフガニスタンに飛ぶボランティア仲間に
ついていけない自分にも、悶々とする日々があった。
そして、ようやく、必要とされている場所で
援助を行わなければと、奮い立たせて向かったのが、
イラクだったというお話。

自分の進路について思い悩み、
援助やボランティアの仕事の意味について思い悩み、
半年近くも悶々とする日々…怖さと恐れも・・・
それだけ、この世界を真剣に生きようと考える人が、
ここにいるんだ、

自分のやるべきことと、できることを考え、
それに悩んで悶々とするほど・・・、
高遠さんのひとかけらでも、
それだけ、日本の政治家も、アメリカの政治家も
良心にもとづいて考えていたら、
イラク戦争は起きずに、
(大量破壊兵器は無かったからごめんなさいなんて…それで済むのか・・・済むはずがない)
イラクの国も崩壊せずに、
劣化ウラン弾で、現在のイラクで、
新生児が先天異常で生まれることもなかったはず。
(高遠さんの報告の中心はここだった)

おいしいものを食べ、高い買い物をし、楽しく過ごす・・・
ダイエットも・・・そういう番組ばかりが流れる日本で、
世界のことを悩む若者が、それは、当然いただろうし、
今もいるだろう・・・その志、やっぱり胸を打つ。




11・25
高遠菜穂子さんのお話を
何回かシリーズで。
辛坊治郎氏のヨット事件について
高遠さんのところにまでメールが来ていたのだそうだ。
「あのバッシングの中心だったのだから、
 高遠さんに謝るべきだ」
そのメールに心底驚いたと言う。
今井紀明さんも、同じだったそうだ。
「なぜ、助かった人に、助かってよかったね
 と言えないのか、
 もう一回チャレンジ、
 がんばってとなぜ言えないのか」
「安藤美紀さんが出産したことにも
 赤ちゃんが生まれて、
 おめでとうと言えない社会ってなんなのだろう」
「すべてがいじめになっている」と・・・。
「そういう日本に帰るのかと思うと
 とても気が重くなった」と話していた。

そうですね。
失敗をとがめ、
未熟さを許さない。
弱者を痛めつけようとする、・・・そんな社会

自由の森の卒業生が
パキスタンに留学して悩み、講演会で質問した。
高遠さんの目指す理想の社会とは、何ですか?

辛坊氏と安藤美紀さんの話を例に挙げ
「そういうチャレンジをがんばって、
 赤ちゃんが生まれておめでとう
 ・・・・と自然に言える、
 そんな寛容な社会です」
それは、世界にも言えると話していた。
寛容さ・・・本当に、無くなっていることを、痛感する。



11・24
十年ぶり以上になるが、昨日
埼玉の自由の森学園公開教育研究会に参加する。
創立当時、合唱を聞きに、
授業を見に、そして、
第一回卒業式に参加したくて
足しげく通った。
それはもう、たくさんの刺激を受けた。
2人の恩師が維持に関わり、
後輩が今も踏みとどまってがんばっている。
何度もの荒波、それでも、守るべきものを
守ろうと頑張っている。
創立以来の公開教育研究会は、
精神的支柱だろう。
それを続けるプライドに敬意を表したい。
分科会で、修学旅行の事前学習を聞き、
子どもたちの胸に、時間をかけて
勉強の種を蒔いている姿に、
やはり、感動を覚えた。

1日目の最後の講演会。
高遠菜穂子さんだった。
心から「講演会を聞いてよかった」と思う。
あまりの迫力に、感想が書けない。
人質事件の前の話に驚き、
そのいきさつと真相に驚き、
今の活動にも驚く。

彼女の元気さと
活動のエネルギーがすばらしいと思う一方、
イラク戦争以来の日本の姿、今の姿・・を
問いかけられ、沈黙しかできない。

高遠菜穂子さんは、やっぱりすごいと思う。
体育館にいた全員が、それを実感していた。




11・20
歴史の授業は1週間に1時間だから、
進度はものすごくゆっくり。
これから先のやりたいプランがたくさんあって、
早く進みたい。
例えば、竹簡に、学年全員
文字を書いてもらおうと思っている。
1人一本で、
何を書いてもらおうかなあと、・・・。
漢の時代の木簡には
九九が書かれてあったので、
一番手軽には九九。
ちょっと難しいお手本には
論語や魏志倭人伝なんかどうだろうと思う。
そのほんの一部を、一行。
それを、クラス分つなげると、
竹簡の束=巻物になり、
本を一巻二巻と数えるのも分かる。
一冊二冊と数えるのも束だから。
一編二編と数えるのも、紐で編んであるから。

論語や魏志倭人伝など、
史記も確実に、竹簡の本だった・・・とすると、
とても不思議な気がする。

地理の方では、気候帯の暮らしが終わったので、
民族衣装のファッションショーをしようと思う。
そのくらい持っているのです。
楽しいでしょう?

チマチョゴリ、メキシコのポンチョ、エジプトのヘジャブ、
チャイナドレス、アオザイ、ギリシャのブラウス
タイの木綿の上下、フィリピンのスカート
アフリカの民族衣装、帽子も多数・・・
みんなが着た様子を写真に撮ってあげよう・・・

次々にアイディアが出てきて
自分でも楽しい。





11・19
中国の古代史の授業で、
黄土をさわってもらう。
今回の夏の旅で
黄河の土を持って帰ることができた。
前回も持ち帰ったのだが、
今回は、中洲にあった土。

とても驚く。
私自身が、さわっていても、ふしぎにに思う。
水を含んだ黄土は
とてもやわらかくて、
そのまま粘土になる。
なめらかで、ふわふわの粘土で
指紋の中にまで入り込む。

一方、乾燥させると、
岩のように固くなる。
日本の泥だんごは、乾くと崩れてしまうが、
黄土はそんなことはない。
ガッチガチ、ちょっと握ったくらいでは
崩れないほど固くなる。

粘土ならば、青銅器の型
乾燥した黄土なら、万里の長城の城壁。
数千年も土だけで保った城壁のゆえんだ。
土だけの城壁が、数千年も持つのが、
何度聞いても、信じられないくらいすごいと思う。
さわってみなければわからない不思議な感触。
殷や秦の謎が
一つ解明したような
実感である。
こどもたちも、さわっただけで、
「これすごいね」と言う。

黄土にまつわる言葉はたくさん。
黄泉(よみ)の国、
黄土色(おうどいろ)
黄色は、中国では皇帝の色。
中国の人々が、
自分たちの文明は
黄土に依っていることを表わした
そういう表現だと思う。
みなさんにも、さわってほしいくらいです。
楽しいんです。


11・15
それでもそれでも、今の学校を平和に思う。
20年前に勤めた学校では、
一瞬でも気が抜けなかった。
今日は、ふとその当時を思い出した。
事件やトラブルが多発して、
眠れない日々が続いていたが、
何より緊張したのは、
私自身が気をつけなければいけない
日々のちょっとした行動だった。

教室に、教材を持っていくと
目新しいものは、すぐに無くなった。
つまり、子どもたちが欲しくて取っていってしまう。
それも、たいてい、誰が取っていったのか
絶対にわからない。
無くなったことで、誰かを疑わなくてはならず、
そうかといって、誰なのかは、たいていわからない。
よかれと思い、授業に使うつもりで
持って行った物が、姿が見えなくなるのは心底悲しい。
だから、教室に持っていくのは、
無くなってもいいと覚悟したものだけ。

今日は、子どもたちに、
漢の時代のようすを説明するのに
玉や、連鐘のレプリカなどを持って行って、
さわらせたが、
あの当時の学校だったら、
確実に、あっという間に無くなっていただろう。

特別教室に入る時にも気を使った。
外から南京錠の鍵を掛けるタイプなら
必ず、南京錠を、どちらかのドアに
ロックしてから中に入る
誰が、私をとじこめるか、わからないから・・・。
一度とじこめられた経験がある。

集金の時など、とても気を使う。
何度か、紛失があったことがある。
それは、私のクラスではなかったが、
これは、ほんとうにドキッとする出来事だった。
でも、今の学校では、募金箱が置かれたまま。
それもどの教室にもそのままで・・・。
経済的に子どもたちが置かれた状況で、
教師たる者の、行動が、全く違ってくる。
以前は、毎日、毎瞬間、
気を張り詰めて生活していないと、
よけいなトラブルを、私の行動から
呼び込んでしまうことにならないか
・・・そういう緊張だった。

だから、今は、平和なのです。
日本中には、今、この瞬間にもいろいろな学校がある。
それは、先生たちのせいだけではない
いろいろな原因があるのです。



11・14
昨日、平和だと書いたとたん、
今日、男子がふざけていて、
けが人が出た。
幸い、大事ではなく済んだようだけれど、
ふざけが、ものの弾みの事故になることは
よくある。

以前もニュースになって、
そのニュースを聞くと、
とても人ごととは思えなかった。
例えば、廊下で、布団蒸しのように、
男の子が折り重なって、
一番下にされた子が亡くなったり・・・、
廊下を追いかけごっこをしていた
卒業間近の中三の男の子が、
体育館のガラスを突き破って
亡くなったり・・・、
給食のパンを丸めて食べた男の子が
息をつまらせて亡くなったり・・、
すぐ、私たちの身近にも
ありそうなニュースで
とても胸が痛んだ。

こういう時は、クラス全員の前で、
大きな声を出して叱る。
それだけじゃなくて、
大事故につながる危険性を
具体的な例を例えにおどかします。
事故があったとしたら、そのあと
まわりの人の人生がどうなるかまで、
詳しく話す。
最初は、笑ったりニヤニヤしている子たちが
震え上がるくらい話します。

そういう時こそ、
私自身は、クラスの子たちの人生や健康を
預かっているのだということを、
私自身が自分に自覚させ、肝に銘じている感じがします。



11・13
土曜日のように小さな旅でも、
小さなわかったことが積み重なって、
知識が数珠つなぎのように、
あるいは分子構造式?(亀の甲らのような図)
のようにつながっていく。
こうしてわかっていくことが増えるのは
無上の喜び。

また、小さなうれしいことがあった。
2年生の、社会科教科リーダーが
勉強が苦手だといっていた女の子が立候補したらしい。
この間、わざわざ私のクラスまで
質問を聞きに来てくれた子。
ちょっと、勉強の壁を、
突破できそうと感じてくれたみたい。
勉強をいくら頑張っても、がんばっても、
点が取れないと、少し、自信を無くしていたように思った。
何とかしてあげたいと思っていたら、
少し、一歩踏み出したかな?
そういう子どもたちの踏み出した姿は、
何より励みになる。
「自分に自信を持って・・・」
それが、まず自立への第一歩だからね。

それにしても、今勤務している学校は平和だ。
荒れている学校の時の仕事とは、
全然違って、
教室に差し込む冬の暖かい日差しに、
ちょっと癒される。
これでいいのかしらなどと思ってしまう
毎日である。
子どもたちが、何より素直で、
それが、精神的に負担が少ないというわけです。



11・12
土曜日、秩父に、銘仙工場を見に行った。
NHKの小さな旅という番組を見逃し、
最後の5分くらいだったのだが、
木と鉄でできた手造りに近い力織機が、
いまだに動いている映像を見た。
4月に見た時、とても驚いた。
こんなに素朴な力織機がまだ動いているのか!!!と。
そして、ぜひ、見に行きたいと思っていて、
ようやく実現。お母さんたち、若い先生とで
こじんまりと訪問する。
また、秩父駅前にある、秩父銘仙館でも実習をさせてもらった。

そこで、また、始めて、わかったことがある。
秩父は、明治期に、長野や群馬から
繭が集まる集積地だった。
秩父でも、繭が生産されていた。
良い繭は「ああ野麦峠」にもある通り、
横浜に送られる。そして、アメリカへ輸出。
くず繭・・・汚れていたり、糸が均一でなかったり・・・
そういう絹糸をどうするか?
捨てるのももったいないので、自家用に・・・。
でも、あまりきれいな繭ではないから、
織って布に仕立てた時、無地では、アラが目立つ。
だから大きな柄で、色も派手に、・・・
そうして、秩父銘仙は独特な色合いに・・・。

昔の端切れは、まるで、昭和の中ごろに
実家で使っていた、
ふとんのカワ(木綿布団のカバー)の柄でした。
なつかしかった。
ここにも近代の足跡が残っていた。
今は、秩父銘仙の派手で大きな柄が、
なんとも、ステキに感じてしまう。




11・8
「インカの目覚め」というジャガイモがある。
デパートで見つけた。
それを、子どもたちに試食してもらう。
DVDの中で、盛んに
ケチュア族の人々が、ジャガイモを栽培し
市場でも、さまざまな色と形のじゃがいもが登場。
どうしても、どんな物か
見たいし、食べてみたくなるではないか。

いつも書いているが、試食はほんの少し。
この「インカの目覚め」は
普通のじゃがいもより、ずっと小さい。
四分の一くらいしかない。
それを、四分の一に切って、それをまた五等分する。
大きさは、小指の先くらい。

いろいろの気候帯の食べ物を
子どもたちにふるまってきたが、
30年来のこだわりがある。
食も文化だから、ふるまうのが私の哲学、
量は、食中毒とか、アレルギーとか、安全の面も、
心配なので、すべて、小指の先くらい、ほんのちょっぴり。。
危険が少しでもあるから、やらない・・・・では寂しい。
危険が心配なら、十分配慮して、
それでもやってみる。理科の実験と同じ。
アレルギーについては、娘も配慮が必要なので、
知識も豊富で、十分気を使う。

そんなちょっぴりなので、…ケチと、最初は言われる。
しかし、地理で食べる物は、
日本では普通、食べられない物ばかり。
それを、知ってもらうために食べてもらうので、
食べ慣れてないから、子どもたちは微妙な顔をする。
おいしくない、微妙・・・という感想が多い。
以前、たっぷり用意したことがあった。
そうしたら、ありがたみは薄れ、酷評をもらうことになってしまった。
珍しいものを都会のデパートを走り回って探し、
高いのを、無理してたくさん買ったのに、
がっかりしてしまった。

そういった経験から、ほんの少しにする。
以前、甘すぎると言って、何十年前酷評された
「なつめやし」も、今回はまずまず。
「おいしすぎる」という子もいて、良かった。
ほっと安心。

長くなるが、もう少し。
今回のじゃがいもは、他にもいろいろ考えた。
よく見ると皮が少し緑がかっている。
ジャガイモの毒素が心配なので、
丸ごと蒸すつもりだったが、
皮をむくことにする。
皮をむいてみるとビックリするのは
真っ黄色の色!!
ゆでるのではなく蒸すのは、
味わいをなるべく残すため。
皮をむくと、イモを細かく切ると崩れてしまうかも・・・
それを試すために、家で実際に蒸かしてさまし、切ってみる。
前日の夜、・・・それは成功。
小さいイモだけれど、しっかりしたイモだ。
味見もしてみる。
栗のように甘いと書いてあったが、
それほどではないなと・・・ちょっと残念。

ほかほかのじゃがいもをバターで食べたらいいが、
それは無理。
冷めてもおいしく食べるには、・・・
最大の工夫が、塩コショウにした。
家で使っている、クレージーソルト、
これがなかなかおいしいので、これを使う。
小指の先のイモに、これを振りかけた。

・・・・結果、子どもたちに、大好評。
おいしい、うまいと、ほとんどの子たちが喜んだ。
こんなおいしいジャガイモを食べたことが無いという子もいた。

こんなにこだわるのは
インカの人々が発明したジャガイモに、敬意を払うため。
今でも4000mもの高地で、
栽培しているケチュア族の人々に敬意を払うため。
それが、地理だと思う。
異文化、日本と違う食物、
その人々へも敬意を払い、理解しようとする
共感が、地理で形作る知識だと思うから・・・・
そうして、勉強を生きたものにしてきた自負がある。



11・6
小さいことでも、
幸せになるのが教師という職業。

企業の工場がどこにあるか調べた2年生、
社会科が苦手な女の子が、
私の担任するクラスの教室まで
質問をしに来た。
自分でネットを使って、調べたことが、
おもしろくて、自信がついたよう。

よくやる調べ学習とは違い、
言葉をネットで検索して、
ウィキペディアやヤフーキッズの内容を
まるまる写す勉強とは
大きく違う。
女の子の笑顔が、とてもうれしかった。

一年生の方は高山帯の勉強で、
DVDを見た。
タレントの伊藤英明さんが、
ペルーの村を訪ねる内容。
その中で、食い入るように見ている場面があった。
4歳のマグノリアちゃんが、
髪切りの儀式と言って、日本の七五三に似た儀式。
彼女の成長を願って、
村中が、おめでとうの言葉と、踊りと、プレゼント。
質素でにぎやかなお祭りと、
とまどって、黙って困った顔をしている
マグノリアちゃん。
伊藤英明さんは、鼻水をふいてあげて、
抱き上げる・・・。

とても、子どもたちの見ているようすは、
真剣で、誰一人眠らない。
幸せな子ども時代を過ごす彼女らから、
目がはなせないようだ。
それを見ている私の方も、幸せで、
とても集中する子どもたちに、
それだけでジーンとくる。



11・4
周の時代に学校教育が始まっているが、
意外なことに、小学も大学も
戦の技術が中心となっている。

小学は、8歳から貴族の子弟。
15歳で射・御を学び、
最も重点科目だったのが、
射だと言う。
射術は、貴族男性の能力を判定する尺度とされ、
射礼とも言われた。
(礼儀とは異なる)
射術と馬術に秀でたものが、
採用されたらしい。
毎年何度か射術競争が行われ、
周王が参加する重要な儀式だったという。
優れたものが、祭祀儀式に
選ばれて、盛大に行われた。

大学では、六徳・六行などの理論を
学んだそうだが、この字のイメージとは違い、
軍事演習と組み合わせて、
集団の礼・楽・射・御、および戦陣を指揮する方法・・とある。
この場合の礼や楽は
今の礼儀や音楽ではなく、
身分制度の細かい規定と儀式であり、
楽の中には、舞も含まれ、
文舞と武舞があって、
武舞は、隊列と剣術の訓練だそうだ。
そうした体系こそが、礼なのだろう。

中国から来た言葉の本来の意味は
意外なことがありすぎて、驚くことばかりだ。
日本の毬杖(ぎっちょう)も
どうも、中国の打球の、馬がいないバージョン
と思える。
日本に伝わった時には、馬がいなくても
球を叩いて儀式が行われたのかもしれない。
今のゲートボールのご先祖様でしょうか?



11・3
何しろ、中学校では、同じ授業を
何度も繰り返すことになる。
子どもたちは1回だが、
私は受け持っているクラスの分だけ、
DVDを、6回以上も繰り返し見る。
そうすると、数秒しか解説していないことも、
その意味がだんだん分かってくる。
特に、NHKの番組は
内容が豊富だ。
殷墟を紹介した探検ロマン世界遺産、
それを、繰り返し、いやになるほど
(全然いやではないが、それほど多く)見て、
気が付いたことがある。

漢民族と言われる中国文明。
始めから、車馬坑を始め、
兵馬俑の、戦車用の馬車もあり、
たくさんの馬を、生贄としている。
馬は、とても大切な財産のはず。
生贄としても、余裕があるほど馬を飼っているとは
こんなに、馬を飼う技術がある国が、あるだろうか?
本の写真で200頭以上の殉馬坑も見た。
この時代は、あぶみが無いので、
馬には乗らず、御者の技術が重用されたとある。

そして、田という字は
殷の時代は狩猟という意味を持つとあった。
韓国の時代劇でも、
王は狩りの訓練を定期的にする。
この時代劇では、反乱を押さえることも
暗に、狩りという言葉で象徴していた。
殷の時代は、戦争も狩りの延長線上ではなかったか?
生贄の奴隷を羌(きょう)族から得るための戦争だったし、・・・
朝鮮では、王も鷹狩をやったが、
江戸の将軍も、鷹狩を成田方面でよくやったらしい。
高句麗をあつかった時代劇では
馬に乗ってボールを打つポロが出てきたし、
中国の壁画でも、見たように思う。

朝鮮通信使も、鷹匠を連れてきたうえ、
曲芸の馬も一緒だったと聞いた。
それは、日本も朝鮮も江戸時代は
根本は、中国のしきたりによっている・・・
そういう考え方だったのではないか

中国は農耕文明だと思い込んできたが、
甲骨文字には、たくさんの動物や家畜が
象形文字として上がっている。
農耕と同じくらい、
家畜を飼う牧畜を得意とする民族が
中国には、それぞれの地域でいたらしい。
殷の時代には、商族が強くなり、
周の時代には、周族が強くなり、
秦の時代には、秦の民族が力を得ていく。
たった一つの漢民族が、
政権を受け継いでいったというイメージは
違うように思った。

秦の始皇帝陵の内部の想像図には
灯りがともされ、煌々と明るい。
創元社の「中国文明史図説」は、
とにかく写真が多く、おもしろいが、
始皇帝陵のまわりでは、完成後も
毎日儀式をやったり、
管理する大きな役所があったらしい。
馬の殉葬も1000頭を超え、
それの面倒を見る人のかわりに人形も埋められていた。




11・2
これだけ工業製品に囲まれながら、
自分が使っている物が、
どこでどうやって作られているのか
ほとんど知らない。
それで、地理の授業は
工業地帯と工業分類の割合
・・・つまりこの工業地帯は機械工業の割合が多いとか・・・
だけ覚えるのは、何の意味もないのじゃないか、
考えてみると、そんなふうに思えたりする。

1時間、企業のホームページを探し、
工場がどこにあるのか調べる。
次の時間は、それを発表してもらう。
そして、各自の日本地形図に点を打つ。
そして迎えた3時間目、
もう1時間パソコンを使ったら、
要領がわかってきたせいか、
みんな、生き生きと調べていた。
みんなが好きなのは、食品工業。
例えば、不二家の工場は? カルビーの工場は?
そして、任天堂の工場は?
ホームページには、各地の事業所とか、
国内の生産拠点として載っている
その言葉も分かってきた。

3時間目が、ほとんど誰も寝ずに、
集中して笑顔があったのが、
ホッとする。
来週は、その結果をまとめようと思う。
がんばるぞ〜!
調べて意味がある楽しい授業だと、実感してもらうために・・。



11・1
台風を避けて、昇降口に入れておいた
綿花のプランター30鉢が、
次々と、弾けて、実を見せ始めた。
「綿が、見えてきましたね」
いろいろな先生たちから、声がかかる。
春先の、種まき、
夏の水やり、台風の風よけ、
手塩にかけて大きくしてきたのを、
いろんな先生たちが見ているから、
声をかけてくれる。
それは、うれしいものだ。
心配したが、綿花の実が、
最低でも、60個ぐらいは取れそうだ。
できると嬉しくて、
他の学年の子どもたちも、
授業で使わせてあげたくなる。

来年も、育てて、みんな・若い先生たちに、
市内の先生たちにも、分けてあげようと、
もうその気になっている私である。




October


10・31
2年生の日本地理の授業、
とても苦労している。
中学2年生は、部活の今、中心。
朝練、午後練・・・その積み重ねが
授業中に出て、眠くて仕方がないようす。
特に、地理などは、映像を見ないと始まらないと思い、
シルシルミシルや、リアルスコープという番組で
工場見学をやっていたから、
それを見せた、・・・・
おもしろい番組だと思うのだが、・・・
バッタバッタと討ち死にするように、
机にうつぶせに寝てしまう。
一度、本気で怒ってみたが、
次の時間は、同じだった。

地理と歴史を交互にやっているのだが、・・・
(同じ学年を組んだ先生のやり方に合わせて)
「歴史の授業に戻りたい」という感想も出て、
困惑してしまう。

試行錯誤中。
とにかく眠らせないために、
一計を案じて、こうしてみた。
私自身がやっておもしろかったので、
「まず、工業の企業を選ぶ」
…例えば、トヨタとか、パナソニックとか
「次に、工場がどこにあるか、仮説を立てる」
「その根拠、立地条件も考える」
「その上で、ホームページで工場を探す」
…そして、日本の地形図上に、それを、点で打ってみる。

ホームページで工場を探すのは、
以前に私自身がやった時に、意外に面白かった。
私の仮説が裏切られたり、合っていたり、
特に、海外の工場は、意外だった。

出発点は、私の疑問。
工場地帯とは言うが、教科書には、企業名は全く出ていない。
工業地帯が、顔を持っていないのだ。
ヤマハやホンダ、トヨタ、日立が、
どの工業地帯にあるのか、
それを知ってこそ、工業、工場、の顔が見えるのだと思っている。
私自身が知りたくて、ホームページで以前探したが、
それを話して聞かせるのでは、
暗記の地理でしかない・・・
だから、ネットで子どもたち自身が調べる・・・
今、お試し授業中である。
これで、工業地帯が身近になり、
しかも覚えてくれればうれしいが、・・・
このあとは、黒板大に拡大した日本の地形図上に、
点を打ってみる予定である。
うまく行くかな?…心配とドキドキである。
それと、信条は地域ごとの産業ではなく、
日本全体の共通性の中から、
仮説を立てるべきだというのが持論。
そううまく行くか、不安もあり・・・努力してます。
確かに、眠らなくなってます。
作業が入るせいですが、歓迎されるでしょうか?



10・29
長年集めた授業のための教材は
ミニ博物館ができるほど。
(実際にそれで作った博物館が山梨です)
全てが五感に訴える。
それぞれについて、全部説明できるのが、ミソ。
今まで断片だった知識が、
何十年もたって、毎日授業をする中で、
結びついていったもの。
これが無形の宝物かな?

エジプトの授業で使った物は・・・
ピラミッドの横で採った砂。
ツタンカーメンのミニチュア
スカラベやミニミイラのお守り(これはエジプト展のたびに買った物)
パピルスの死者の書複製 
カノポスのミニチュア
ツタンカーメンの香水
(現代の物ですが、名前がついていてミステリアス)
ツタンカーメンの黄金の仮面のまわりに
矢車草の首飾りがあったという写真と記事をプリントした物
(ちなみに、私が一番好きなエピソードです)
ツタンカーメンの王墓の模式図のプリント

殷の時代については・・・
甲骨文字のレプリカ
甲骨文字クイズのプリント
本物の牛骨(現代の物…川上さんが煮てくれました)
邪馬台国からも似ている物が出土したとして・・
銅鏡(江戸時代のものですが)
銅鐸のミニチュア
玉と同じ翡翠の勾玉(レプリカ)
青銅の司母戊鼎の写真(実物大)
殷の王墓の復元図カラーコピー
・・・そして、NHKなどの映像。

こうすれば、当時の社会のようすが
イメージできます。
謎がナゾを呼んで、おもしろくてたまらない。
みんな、そんな顔をしています。
見せて、説明して、みんなの予想を聞いて
まとめて、・・・とても楽しい授業の毎日!です。



10・27
なんと、25年ぶりの再会。
都会だと、教え子には、ほとんど会う機会が無い。
それなのに、
文化祭に、25年前の教え子が、訪ねてきた。
「かわいい真美ちゃん」
顔を見たとたんに、名前が出てくる。
ほんとうに、なつかしい。
うれしい。
もうおかあさんだ。
まだ、お子さんは、小学校1年生。
隣りの小学校に通っている。
ああ、ちっとも変わらない。
私も思ったし、
彼女もそう言った。
楽しい楽しい日々を思い出す。
こんな日は、とても幸せ、
最高に幸せな時間を感じる。
言葉を交わせたのは、ほんの5分もないけれど、
うれしかった。
卒業生、みんなも元気らしい。よかった。
顔を見ているだけで、至福の時間だった。



10・26
今日は、文化祭の予定が、
台風のためにお休み。
大島の災害は、鹿児島での似た災害を思い起こさせます。
火山灰、・・・これは、
日本に特徴的な災害ですね。
自然をよく知り、暮らす土地を理解する。
それも人間の長年、持ってきた知恵と思います。

以前、河口湖で、子どもたちと、
夏休みに、楽しい合宿活動をしました。
私たちの会主催でした。
印象的に覚えていることがあります。

地元のかたが、土砂崩れがどこで起きたか、
言い伝えがあって、
一度も起きていないところに、
学校とお墓を建てていた・・・ということでした。

全国、フィールドワークでうかがう土地土地で、
その土地の知識をうかがったのを思い出します。

沖縄で台風に出会った時は、
「島では、台風後も風が360度巻いてからでないと、
 おさまらない。だから、台風後もしばらくダメ」
・・・・・その通り、飛行機で石垣島を脱出できたのは、
2日後ぐらいでした。

伊豆で、子どもたちの海の合宿をしていた時にも、
台風後に、すぐにヨットや海遊びが
できると思う都会人の私たちに対して、
「ダメダメ、三角波が立ってるでしょう。
 吹き返しがあるし、何回かに一回大波があるから、
 海の活動は潔くあきらめて」
そう言われました。
海での活動は、磯や、波のようすなど、
地元のかたの知恵が無いと
10年以上もやってこれない・・そういう背景がありました。

近々でも、六ヶ所村地帯の夏のやませは、
稲作に向いていないことを教えられましたし、
逆に、下北半島では、海岸沿いの方が温暖で、
だからこそ、十三湊の繁栄も
想像がつきました。
六ヶ所村の方たちは、
それを、入植して乗り越え、
営々と、酪農で、ようやく食べていけるまで、
農業を続けられてきたわけです。

そんな、土地の知識をうかがう機会は
なかなかなくて、ふと、そういう話をうかがうと、
とても納得させられることが多いのでした。
地理で教えている内容を、じかに教えていただきます。
日本という土地を、新しく知った気持ちになります。



10・24
三人からのお手紙は、なんていうことはない、
彼女が、「いつも話を聞いてほしい」
そう思ってることを、周りのクラスの女子に訴え、
気持ちが一緒になった友人をまきこんだものでした。
一人一人じっくり話を聞いてあげないと・・・
と思ったら、「○○ちゃんの気持ちがわかったから、
先生、一生懸命私も書いたの」
昼休み、放課後、話を聞いたげるよと誘ったら、
先生、忙しいからダメ・・・ですって。
杞憂に終わりました。

部活で、顧問に叱られた男子、
いつも踊りを踊ってしまう彼。
部活の練習ではなく、奉仕活動として
そうじを数日間していなさいと言われて、
校庭でしていたのは、そうじではなく、ドングリ集め。
職員室では、ドングリくんの名前がつきました。
彼に、そう言われているよと言うと、
大きなくりくりした目で
「先生、ちがうんですよ。ドングリじゃなく、木の実です。」
本気で教えてくれました。??????こだわるのはどうしてかな?
思わず笑ってしまいました。

私も半ばあきれて、笑いながら、
「○○君の、第一印象は目がくりくりして、かわいらしい感じだったのに」
というと、毒舌クラスメートが、
「かわいいと言われて中一にもなって、喜ぶ男子はいない」と
なんとまあ絶妙の返し。
だんだん混乱し、収拾がつかなくなるクラスで、
今日はお開きとなりました。




10・23
アメリカの学園ドラマについて、第二弾。
若い時に、深夜「フェーム」という
アメリカの学園ドラマをやっていた。
映画にもなったが、ドラマの方が数段、新鮮だった。
ニューヨーク芸術学校。
そこに通いながら、スターを夢見る高校生たち。
とても自由な高校生がまぶしかった。
バレエをめざす黒人バレリーナの卵。
先生が、モダンバレエを勧めると、
差別があってもクラッシックを目指したいと抗議する。
仲間の結びつきが強く、
先生たちにも堂々と抗議し、
何とか団結力でのりこえていく知恵とユーモアがステキだった。
人種差別にも、親との葛藤にも、障害にも立ち向かっていた。
そして、歌声とダンスが、何よりすばらしかった。
ルロイという少年の羽ばたくようなジャンプのダンスが見事だった。

それだけじゃなく、今から思えば、
高校生と言っても、ドラマの中でも
みな、自立のために、もがいていて、
もう一人前の大人だった。大人びていた。
差別やいじめをするような高校生は、描かれていなかった。。
そんなことをすれば、軽蔑される、それほど一人前だった。
高校生の鋭い刃は、社会に向けられていたと思う。

それから30年。
今の学園ドラマ「グリー」は、楽しいし、
歌声とパフォーマンスがすばらしい。
学生たちは生き生きと目を輝かせているが、
それでも、アメリカの教育の破たんを示している。
子どもたちの間には、階級が存在する。
いつも、炭酸を頭から掛けられるいじめが、お決まり。
(見ている方は、耐えられない・・・こんななの?)
なんだか、幼稚に感じてしまう。
高校生の批判的精神が、社会に向かず、仲間のいじめに向いている。

ゲイの男の子や太っている子、田舎から出てきた子、
弱者が、いつもいじめられている。
それは、大人の世界でも、同じで、
アメフトの監督やチアの監督は大きな顔をして、
学校の予算を使える。
グリー、合唱の監督は、予算をもらえず、
自分たちでチャリティをして、お金を集める。
授業は、寝ているか、騒いでいるか、
教師など、ほとんど尊敬されずに、・・・といったふぜい。

教育が、いかに資本主義と対立するものか、
このドラマが実証している。
悲しくなる筋立てだ。確かに、それでも、
前向きで、ひたむきな学生たち。
アメリカの若者たちに勇気を与えているらしい。

でも、日本も、こうしたアメリカ並みに
むだな教育予算をカットして、
むだな学校、むだな教師、・・・は切り捨てられるのだろうか?
デトロイトなどでは、目標達成できない学校は
軒並み閉校され、教師は首を切られ、それも、何千人?も
学校が無くなった地域が多数を占めるとある・・・。
百年以上の歴史がある公立高校が閉校され、
高校生が抗議活動をしても、ついに廃校。
(写真はデトロイトの廃校の図書室・・・
   なんと悲しい光景だろう。こんなふうに教育が荒廃するのは
   教師にとって敗北に思える。子どもたちの未来を奪うのだから)
私立高校が、払い下げられた土地に建ち、
授業料を払える子は、きれいになった学校へ通う
・・・ここでも民営化、もうけるのは、投資家。
高校へ行きたくても行けない子どもたちが増え、
教育ローンで負った借金は入隊で、返すことになることも・・・

だから、アメリカは差別と格差が固定化し・・・
日本も、アメリカの論理に
同調しているようで、そこが、怖ろしくてたまらない。
学力テストや学校評価
校長の一人の力量で、地域や学校の歴史が変わるはずもないのに・・・。
ほんとうに教育を知っている人たちが、
発言をしない、できない状況が、今、苦しく感じる。



10・22
今日は合唱コンクールでした。
残念な結果でしたが、
男子もだんだん上手になって、
ベストの出来だったと思います。

昨日などは、ようやく教室に
1日いられるようになった彼女も
なんだか、ほんの少し歌っているようすで
驚きました。

彼女は、カウンセラーの先生に
「もう、特別扱いしないで」と言ったらしい。
ホントに驚きます。

何かあるんじゃないか、
波乱万丈が中学生だから、そんなに平和なだけじゃないだろう、
・・・そうしたら、やっぱりありました。
今度は、私へのお手紙。
クラスメート三人との連名で、
「先生は、何でいつも怒っているんですか?」
「私たちの気持ちをわかってくれてますか?」
「大人がいつも正しいわけじゃないんじゃないですか?」

う〜〜ん。
そう言われてみると、最近怒ってばかりかもしれない・・・。
ベテランだと自負して、おごりがあると、
自分自身に、必ず足をすくわれるなあと思います。
謙虚にならなければ、・・・明日、彼女たちと
じっくり話してみようと思います。
聞いてほしいことがあるんですね。
聞いてくれると思っているから、お手紙をくれるんですから、
期待に応えようと思います。
子どもたちの目は鋭い。
何歳になっても私を育ててくれるのは、中学生の子どもたちです。



10・17
台風一過、秋晴れ。
いよいよ来週、合唱コンクール。
前任校では、文化祭もあり、
昨年のクラス発表の劇で、
この年齢で、
あまりのチームワークのなさ、情けなさに
涙したこと(過剰演出でした)がなつかしい。

市内、どこの学校も、そういう面倒はやめて、
授業時数確保のためという口実で、
文化祭をやめた。

アメリカの学園ドラマを
NHKで放送している。(「グリー」)
おもしろいとは思うし、とても好きだが、
アメリカの学校の殺伐とした体制も感じられて胸が痛む。
そのドラマの中で、政治家たちが、こう言うのだ。
「芸術など、何の役にも立たない。
 予算を削って、勉強やスポーツの方に使うべきだ。
 グリークラブ(合唱部)など廃止せよ」
それだけではなくて、クラブ活動は実績を作らなければ、
即、予算を削られて、廃部にさせられる。
アメリカって、教育なんて名ばかりだなと、感じてしまう。

芸術は時間もかかるし、お金もかかる。
しかも子どもたちがやるとしたら、ものすごい時間が必要。
それに、自由が無ければ成立しない。
文化活動は自由が必須。
だから面倒くさいんですよね。

面倒くさいし、手間がかかるし、・・・
でも、子どもたちは、その中で集団を作っていく。
人間関係の、逃げられないぶつかり合いで、
いろいろな他者のことを学んでいったと思う。
若いころは、文化祭なんて、有志でいいじゃないか・・・と思っていたが、
ぶつかることのできない今の子どもたちにとって、
とても、有意義な時間が持てるのに、・・・・と
今は、とても残念に思う。

とにかく、来週の合唱に向けて
あまり気合を入れすぎないようにしながら、
クラスがみんなでやろうと、盛り上がるように、
私は援助をしています。
1位になることよりも、ベストを尽くせるように、・・・ですね。
私のクラスのみんなは、小柄な子たちが多いので、
声はちょっと遠慮がち、でも、ハーモニーはいいと思います。




10・14
試験の問題で、
今まで見た極北の人々:アラスカインディアン、
熱帯のパプアニューギニアの人々、
熱帯のフィリピンの島の人々、
灼熱のエチオピアの砂漠の民・・・
こういう人々の生活に共通するものは何か?・・・と
尋ねてみました。
何が書いてあってもまちがいは無いですが、
私の答えの一例は
「助け合って、自然に合わせた生活をしている」です。
でも、子どもたちの表現の”美しい”こと。
驚きました。

共通点は?という子どもたちの答え。
「みんなが支えあって生きている」
「やさしいところ」
「仲間思い」
「たくさんの物を与えてくれる優しい人が多い」
「古い暮らし方を守って暮らしていること」
「仲間を大切にして食べ物を分け与える」
「自然の物を取りすぎず、必要な分だけとって使う」
「人々の団結力、協力、知恵」
「ご飯を食べれることに感謝しているところ」
「自然を大切にし、弱いものを優先する」
「思いやりや知恵がたくさんある」
「自然とともに生きている」
「人々が助け合って生活している(ケチじゃない)」
「それぞれが工夫をして生活している。やって来たスタッフに優しくしてくれる」
「努力をしているところ」
「生きるための独自の工夫をしているところ」
「その気候の特性を生かし、その地の人々の知恵はすばらしいものであること」
「食べ物や自然を敬って、大切にすること」
「相手を大切にし、お互いを支えあって生きていること」
・・・・・ひとりひとりの答えが違います。
それでいて、要点をつかんでいる。
それに、子どもたちが言う、その通りだと思う。

スタッフに優しくしてくれる、ケチじゃない・・というのには、
思わず笑いが、こぼれました。
旅人に、ほとんどの人々が、あたたかい。
ウルルン滞在記やレポーターの涙があるわけです。
所有について厳しいのは、資本主義社会だけかもしれません。



10・13
金木犀の花の香りが、秋をつげている。
なんと、かぐわしい香り。

綿花は、ようやく弾け始めた。
でも、今年は、成長が遅いので、まだまだ。
台風や、大風の度に、
1m近く育った綿花が
倒れないように、30以上のプランターを
昇降口に入れたり出したり・・・
子どもたちに頼めない。
綿花の実が、すぐに折れて落ちそうだから。
一人で、1時間弱かけて運びます。

手塩にかけて
今年は格別苦労して育てたので、
子どもたちに見せるのが楽しみ。

試験一週間前は、部活動が休み。
それを利用して、帰りに
学年の女性の先生たちで、
ケーキを食べる会を催しました。
カフェで、豪華なケーキを食べて
雑談1時間・・・。
前任校でこれが、とてもよかった。
1年間に5回だけ。
でも、私の経験談も話せるし、
少しでも、伝えたいことが聞いてもらえる。
この時ばかりは、気持ちに余裕があるせいか
若い先生たちの顔もほころぶ。
女の先生なら、誰でも、笑顔になる。
たわいのない話をして、・・・
いっそう、仲良くなれたと思う。
校外学習の気持ちのわだかまりも、
私自身は、少し解けた。
言ってもしょうがないことだもの、ベストを尽くそうと思う。



10・12
テストに不安を言った男の子。
その子に対して、大人げないなあと
今は反省している。
でも、完璧にはまだまだなれず、
そこは感情の起伏は隠しても、
自分の中では、むきになってしまう私がいた。

でも、テストは、
2年生のクラスの子たちは、
前回より、よくがんばった。
平均点が上がると、
先生たちは、「問題が簡単すぎた」と
反省するのだが、
全然そんなことはないと思う。
自信をつけさせて悪いことなど一つも無い。
いっしょに組んでいる先生が、
ワークをやればできる問題にしてくれた。

前回より10点以上、上がった子たちが
たくさんいたので、たくさんほめた。
「あきらめるのが良くない」と
試験前には、繰り返し言った。
暗記カードを作った訳も、
答案用紙を配りながら、説明した。
暗記が大嫌いだけど、
今度のテストはがんばりたいと思った時、
社会科の教科書は、
中学校の教科の中で、一番難しい。
まず、少しでも点を採りたいと思った時に
最初に暗記カードを覚えれば、30点とか40点とか
少しでもとれるようになる。
一番荒れ狂ってた学校でも
勉強したい子たちがいて、その子たちのために作った・・・と。

そして、勉強方法を聞いてみる
「暗記カードを使った人?」
「ワークをやった人?」
「ワークを2回以上やった人?」
「自分でまとめなおして、自分なりのノートを作った人?」
その順番に点数が上がっていったので、よくわかるし、
みんなも分かったと思う。

彼も、点数が上がって、
「がんばったでしょ?」とたずねてくる。
私もこたえる。「うん、そうだね」
「でも、もっととれるんじゃない?」
彼は「いつもそう思われるけど、ちょっとそうでもないんだよね」
・・・・という悩みを抱えているようだった。

私は警戒心を抱いていたが、
それは、ちょっと、私の思い過ごし?・・・
彼は逆に思ったことを、
すぐに正直に口にしてしまう
・・・そういうあけっぴろげな性格。
それが、彼の一番良い所なのだと思い出した。




10・9
若い先生からうれしいひと言をもらう。
ずっと、1年に5回ずつぐらい、
定例の研究会が、市である。
この10年くらい、彼女と他の先生たちと続けてきた。
中国にもいっしょに行った先生です。
その彼女が、
「最近、いろいろ授業で考えるのが、
 楽しくなってきて・・・」といってくれた。
1年に5回だけなので、
話せるのはちょっぴりだけ。
それでも、10年くらい続けてきたせいか、
たぶん、知識が、積み重なり、
点と点がつながって、おもしろくなってきたのでしょう。
私、お得意の「麻薬とアヘン戦争」の授業を、
まねしてもらえるようになったし、
他の先生も、「絹糸取りと野麦峠」も、
まねしてくれるようになりました。
そうして、少しずつ、子どもたちを笑顔にして、
その上、先生たちも少しずつでも、
この仕事の幸せを味わってもらえるようになったなら、
今まで、がんばった甲斐があろうというもの。

今日は川上さんにも来てもらい、
先生たちを対象に
原発のしくみとソーラー体験の授業をしてもらった。
とても好評でした。
めでたしめでたし・・・です。




10・8
昨日、ちょっとへこむことがあった。
2年生を一クラスだけ教えている。
ある男の子が、こんなことを言った。
「先生は、ビデオばっかり見せて、
 ちゃんと説明しないから、
 ワークの問題が解けない。
 ノートにもあんまり書かないし、
 ノートを見ても分からないから困る」
大きな声で、抗議の雰囲気。

まあ、何度も経験しているから
あわてず、そのまま終わりまで聞く。

でも、内心、カチンと来ている。
彼は、ほとんど、授業中寝ている。
何度起こしても寝てしまう。
一方で、塾でちゃんと教えてもらってるから
ビデオなら寝てもいい・・・そんな雰囲気。
ちゃんと授業を聞いてから言ってよと、
内心そう思う
「いつも寝ている人に、
 そんなこと言われたくないよね」
「試験が近いから、今日は起きてるの?
 だとしたら、ちょっと計算高くない?」と
思わず言う。
そうすると、彼は強気で
「みんながそう思ってるから、僕言ってるんだよ。
 寝てない人で、おんなじこと、他の人も言ってくれれば・・・」と口ごもる。
ここで、なぜこういう授業をしているかとか
ビデオをなぜ見せるか…などと言っても
全く言い訳にしか聞こえないので、
じゃあ、今日はていねいに説明しよう・・・と言って、
授業を進める。
私の鉄則は、無視はしないこと、
授業の中で、こたえること。

つまり、彼らは、一クラスだけ、私が教えていて
テストは、他の先生が作るから
自分たちだけテストが不利になると思い
不安なのだと推理する。
子どもたちの意見に腹を立て、何もしないのは、
最悪の結果を生むこともある。
だから、テスト向けのフォローを考えることにする。
何でも不安なのが中学生。

不安を取り除き、自分で勉強をする気になり、
社会科を好きにさせる・・これが私の仕事。
だから、なにくそと、頭の中を整理して、
次の授業で、
フォローし、秘密兵器「暗記カード」も作成する。
批判する子の頭を押さえつけ
文句を言うなと言ったところで、反発するだけ。
他の子たちを含めて安心させることが、最重要なのです。

一方、口を開いた子は
相変わらず、言った後、10分もすれば、
机に突っ伏して熟睡モード。
言わせておけばいいということに
しておきました。




10・5
クラスの子どもたちの変化。
とてもうれしいことがいくつか。
教室に入れなかった子が、
日に数時間、入れるようになった。
クラスの子が受け入れ、話しかけるようになったから。
私の力もあるけれど、
基本的には、クラスの子たちの柔軟性の方が、
ものすごく重要で、それこそが彼女を変えるのだと、
よくわかっている。
特別に、クラスの子たちにお願いはしない。
いてもいなくても、自然に私はふるまう。
だから、彼女が突然教室に居ても、
子どもたちが特別な動きをしないようになった。
まだ、行きつ戻りつしていて、
私は、完全に戻るのは難しいと思っているけれど、
彼女の笑顔を見るのは、うれしいものです。

一方で、授業中、時々、さっと出て行ってしまう彼女を、
ずるい、先生はひいきしている・・と
思っている子の気持ちも、わかっている。
その子たちには、あなたのことも、
大事にしているよというアピールが必要。
だから、お代わり用のゼリーが無くなった時、
食べなさいとさりげなく渡してあげる。
ここでもうれしそうな笑顔。

小学校でわんぱくだった少年二人、
少しずつ、少しずつ、大人になってきている。
でも、どうしても、はめをいつもはずす。
教科リーダーが明日の体育から
創作ダンスをやるんだと言うと、
教室で踊りだす。
「おれに、音楽はいらない」と言って・・・
そのくねくね踊りに、周りは爆笑。
まわりが笑ってくれると、彼はうれしくなって、
もっと楽しく踊る。
私も、思わず笑ってしまう。
かれは、そうしたみんなに笑いがあるのが、
好きなんだなとつくづく思う。
いい笑顔をしています。

笑顔がたくさんあるのはいいことだが、
いつも私のクラスは
うるさくて、にぎやかになってしまう。
ほめられる時は、甘え上手と言われる。
でも、最近は先祖がえり、赤ちゃん返り・・・とも。
わかっているのだが、私は、しつけは、すごく苦手。

甘えん坊が増えてしまった。
他の教科の先生の授業でも、
終わった後で、教卓のところで、
ずっと先生に、自分のことを話しつづけて、
あまりにうるさくて・・・という状況に、
担任の私は、頭を下げるばかり。
早く大人になろうね、みんな!



10・4
昨日、研究授業を終えた。
授業の内容は、中国古代文明、殷。
流れは次の通り。
まず、発掘されたものとして、
甲骨のレプリカを見せた。
亀の甲羅のプリントを見て、
その中の、解読を試みる。
ほとんど読めないので、漢字プリントで、
甲骨文字を当てる。
その中には、心や血、首、火、炎などの
生贄に関する文字も入れてある。
ここで、少し、当時の中国社会のイメージを作っておく。

他に発掘されて出てきたものとして、
殷墟からの玉、青銅の鼎(実物大)、青銅矛、
銅鏡、楽器、そして、人骨の写真を見せる。

・・・・そして、どんなふうに使われたか、
どういう社会だったかを推理した。
子どもたちは、おもしろかった。
「入れ物は、人骨を入れただろう」
「楽器は、敵が来た時、鳴らしたのでは?」
「玉は、他の国の王様にプレゼントしたのでは?」
「人骨は、殺されたのだろう」・・・
・・・・そこで、どういう社会か、
そっくりの社会が日本にあったので、
それが出ている文章を読んでみようと言って、
魏志倭人伝を読む。

鬼道に仕え、亀の甲らで占いをする。
奴隷を使い、死んだときには、殉死が百人。
それだけでなく、当時の日本の墓から発掘されたものとして、
銅鏡のレプリカ、銅たく、勾玉を見せる。
そっくりと思ってくれたかな?

次の時間に、ほんとうにどういう社会か、
NHKの探検ロマン世界遺産で、みんなの想像を立証する予定。

見ていた先生たちも、おもしろいと言っていた。
私のねらいは、日本と中国の古くて深いつながり。
ほんとうに、つながっていると思う。
日中友好の種を蒔いておきたい。
アジアは、つながっている。



10・2
今日は楽しかった。
私には、宝物の教材がある。
熱帯の勉強をする時に、
必ず使うものなのだが、・・・

今から30年前に、
ベトナム戦争のあとを訪ねて旅をした。
その旅の最後に、ガイドの勧めで
いやいや訪れたのが、
コブラ飼育園。
趣味が悪いと、拒否したかったのに、
強引に連れて行かれた。
でも、そのおかげで、
子どもたちと最高に面白い授業を
30年間体験している。

コブラ園では飼育員の人が噛まれ、
見る見るうちに、腕が丸太のように
腫れ上がってしまい、唖然!言葉が出てこなかった。
もう一人の飼育員の言ったことも凄かった。
「こんなのは大したことありません。
 この間は、太ももまで飲み込まれて、
 引っ張り出すのが大変でした」
そんな長くて太い大蛇に、見学した人はみな、
無理やり触らせられ、
写真を撮られて、・・・・
早く退散したかったのに、
最後に、コブラクリームを売りつけられた。
筋肉痛に効くというので、3本も買ってしまった。

これが、恐るべき品物だったのです。
家に帰って、
クラスの子どもたちにつけてみせてあげる前に、
私自身もやって見なきゃと思い、
筋肉痛の場所に、ちょっとぬってみた。
そうしたら〜〜〜〜!!!!!
手が、カアッと燃えるように熱くなり、
ドクドクいっている感じ。
それだけではない、とにかく臭いがものすごい!!
ああ、これって爬虫類の臭いなのね、
蛇の臭いなのね・・・・と思い当たるほど、むんむんと臭う。
まるで、私自身が、ヘビになったように思えた。
だから、その当時は、子どもたちに
臭いをちょっとかいでもらうだけにした。
それでも、大パニックでした。

きょう、また、30年前に買ったヘビクリームで
大盛り上がりしました。
30年たって、クリームをつけても、
燃えるような熱さは無くなりましたが、
相変わらずの強烈な臭いです。
中には、最初「この臭い好き!」
なんて言っている子もいるのだが、
クラス中の子どもたちが、つけてつけてと、
クリームをつけ始めると、教室の中が、すごい状態に・・・・。
やっぱり威力はすごかった。
怖さと気味悪さと好奇心と・・・
そうした子どもたちの目の輝きは大好きです。

異文化は、ほんとうに面白い。
30年前、渋い顔をして、ガイドさんごめんなさい。
あなたのおかげで、今、私は、子どもたちに大人気です。

ちなみに、ベトナム戦争では、
アメリカ兵たちは、ジャングルの中で、
神出鬼没のベトナム兵を恐れたが、
(だから枯葉剤をまいたのです)
ジャングルのコブラや毒虫たちにも、
戦意喪失したそうです。
ガイドさんが説明してくれたことでした。




10・1
寒帯、冷帯、乾燥帯、熱帯、温帯、高山帯・・・と
映像を探し続けて、
見ていて、つくづく考えたことがあります。
どの民族、どの人々も、暮らし方は共通していた。
助け合い、弱いものを支える仕組み。
環境が厳しいだけに、
そうしなければ生きて行けない厳しさゆえだろう。

例えば、アラスカインディアンの人々は、
村で、働き盛りの人々が、ムース(巨大な鹿)を獲ると、
それを、近所で分け合い、特にお年寄りに分ける。
冬の生活のためだ。
1年間通った西田敏行は、サーモンを分けてもらう。
クマの肉も、ムースの料理も。
必要なだけしかとらず、それを村で分け合う。
「欲しい人にはあげるんだ。昔からそうしてきたんだ。
 俺らは、ちょっと違うんだぜ」と。

乾燥帯のエチオピアの民族の人々もそうだった。
地球上でもっとも暑い砂漠地帯。
水は、ほんの少ししか得られない。
その水を、汲んでくると、一番初めにやることが、・・・。
水は、幼い子どもに、まず飲ませる。
村を訪ねた俳優が、人々と共に働くと、
少ない食料の中から、一番多くを分け与えられた。。
「最も大事な物こそ分け合うんだ」というのが教え。

熱帯のニューギニアでも、
石蒸し料理を作る人々、
全てが、協力作業。
100人が住む村が、
焼き畑で、森の木を伐り、火をつけて焼く時、
ヤムイモ祭りで、皆と踊る時、
石蒸し料理を作るのに、
子豚の丸焼きを作る時、
ヤムイモにココナツと豚肉を包み、
石蒸しの穴に詰めていく時、
そして一人一人に料理を分ける時。
すべて平等、すべて協力・・・。

インカの山奥の塩田でも、
人々は、600年続いた塩田を失わないために、
塩田の補修も村全体の共同作業、
そして、観光収入も、塩田の広さに関係なく、
村人一人一人に平等に分配される。
みごとに同額だった。
村の集会所で、全員に分けていた。
利害関係を作らないから、全員が協力できる。
伝統を守り、協力関係を続ける知恵が、
今のペルーの村に生きていた。

ほんとうに、当たり前の感想になってしまうけれど、
つくづく今の日本との違いに、考え込む。
日本では、誰かを出し抜いて、もうけることばかり
考えている人々もいる。
あるいは、自分だけは生き残ろうと、
老後を迎えた人々は、投資に夢中。
あれだけの災害にあったのに、
あれだけの事故を起こしたのに、
どうして弱い立場の人々に心を寄せ、
助け合って生きて行けないのか。

熱帯では、おじいさんの世代から、
マングローブを育てているフィリピンの青年がこう言う。
「夢? 夢なんてないよ。家族がちゃんと食べていけることかな。
 それと、世界で一番マングローブが育つ場所になったらいいな」

僻地に住むからだけでなく、
その笑顔が、都会との違いを際立たせる。
ものにとらわれず、与えて、支えられる・・
そういう安心感。
一人では生きて行けないけれど、一人じゃないから安心。

極めつけは、タンザニアの、狩猟民族だった。
私有財産は、弓だけ。
共同所有だし、食べ物も全員で分ける。
そして、・・・驚きは、明日、明後日の概念はあるが、
それより先の、未来の概念が無いこと。
年齢も無ければ、予定に追われることもない。
「どうして思いわずらう必要があるのか」と
真顔で聞かれた日本人は困惑するしかなかった。

暦は、農業が始まって、未来を予見するために、
考え出されたものなのだと、初めて気づく。
未来が予見できることは幸せなようでいて、
逆に、人類を神経質にしたのかもしれない。

文化って、つくづくおもしろい物なのだなと、
痛感した。



September




9・30
地理では、
今度は、温帯と高山帯、それにサバナ(雨季と乾季)。
それを、見てわかる番組を探す。
この1ヶ月は乾燥帯の番組探しから始まって、
毎週土日に、適当な番組探し。
この土日も、全部で、700もの番組。
まずタイトルから探し、
それとおぼしき番組を見て過ごす。
とても時間がかかるが、楽しい。
どんな番組なら、子どもたちがひきつけられるか、
その上で、重要な映像が入っているか、
ここは、30年の経験がものを言う。

温帯では、イタリアの産物と気候の話。
ここでは、料理の話が、いいかもしれない。
「コロンブスの台所」という番組で、
レモン農家とトマト農家がちょっぴり出てくる。
イタリアに行った時、
南イタリアはレモンがすごくおいしいと聞いた。
レモンの皮を炊き込んだピラフ。
レモンの皮をいっしょに炒めたスパゲティ。
ほんとうにイタリアっぽくていいなあと思う。
実際のイタリアで実感したのは、
夏の乾燥と猛暑だった。
40度の暑さと乾燥で、
毎日2リットルの水を飲み、
それで胃を壊して、体調がボロボロになった。
これが、柑橘類の果物とオリーブを育てるのだなと
つくづく思った。

映像探しで苦労したのは、
高山帯の映像探しだった。
700本の中にマチュピチュの映像は山ほどあり、
インカの謎についての番組は多いが、
ペルーの人々の暮らし、特に高山の寒さと
ジャガイモ、トウモロコシの栽培、
リャマ・アルパカが出てこない・・・・
でも、1日見続けて、いい番組があった。
全部出ていて、驚きもあるし、
現地の人々への敬意もある。
レポーターも「海猿」の伊藤英明だし、
見入ってくれるだろう。

昔は、番組を全部VTRに録画して、
それを、時間があいた時に、もう一度早送りしてみて、
番組タイトルを背表紙に書いておく。
授業のまた1ヶ月前くらいに、何本も見て、
さがす・・・・その時間たるや膨大で、
徹夜も続いた。
部屋には三千本ものVTRが積み上げられていた。

今は、ハードディスクに保存されていて、
リモコンを操作すれば、タイトルが出てくる。
分野ごとにも検索でき、
ドキュメンタリーか、バラエティーか、ドラマか・・・
とても便利になった。

でも、いつも思う。
飛ぶ教室(=つまり空間を超える教室)があったなら、
地理は、現地で勉強できるのに・・・・
子どもたちも、いやな顔一つせず
社会が大好きになるだろう。
実現不可能な夢である。
ケストナーの「飛ぶ教室」では、
学校の劇で、教室が飛んでいき、
エジプトのピラミッドの横で、
みんなが古代文明を勉強する。
懐かしい少女のころ読んだ本です。




9・28
校外学習・浅草に行くのに、
小遣い無し、お土産無しと決まってしまう。
こんなプランは初めてだ。
中学生なのに、
それは無いでしょうと思う。
心の中で、子どもたちに
お詫びします。
ごめんねみんな。
私しか反対意見が言えない学年の会議は
おかしいと思うよ。
煮え切れず、私の中に
マグマがたまってしまうかも。
きれいごとで行かないのが現実、
やりきれないし、やっぱりもやもやし続け・・・。


9・27
1年生の進度は、ものすごくゆっくり。
1週間に1時間しか進まない。
行事でつぶれると
2週間近くあいてしまうこともあって
それが悩みの種。
でも、学年の全クラスを教えることができるのは
とてもうれしいことだ。
熱帯のところで見せた
マングローブの秘密は面白いし、
ニューギニアのヤムイモ祭りも、
好評だった。
私としては、焼き畑農業と石蒸し料理が出てくるので、
とても貴重だと思う。

10年以上前に、新聞で宮崎の焼畑農業を紹介していて
実際に、椎葉クニ子さんに、会いに行った。
これが、人生で海外旅行に行く時くらい驚いた。
それだけ私の思い込んでいた
日本の農業のイメージと違っていた。

焼いたら作物を育て、・・・を数年後に
同じ畑で繰り返すのだと思っていた。
しかし、おばあちゃんに聞いてみると、・・・・・
4年作物を植えたあと、30年以上放置すると言う。
しかも、毎年の作物は決まっている。
1年目はソバ、2年目は粟、3年目はだいず・・・。
そして、いつどこを焼き畑にしたのか、
すべて覚えているわけではない・・・・
つまり、それだけ広い地域・山を、
持っているということ。
それを、先祖代々、土地も順繰りに
焼き畑にしてきたということ。
だから、今年焼き畑にしたところは、
クニ子さんのおじいさんが焼いたところだと思う・・・というように
世代を超えて土地が使われるのが普通なのだ。

つまり、畑で育てると言うことは、
そのくらい地力を奪うということ。
そして、その分をまた自然に戻ってくるのを待ち、
また何十年か後にまたもらうということ。
それに、ここが畑だよ・・・と教えてもらったところは、
ちっとも畑にみえなかった。
ただの自然の野原のように見えた。
山の崖のような斜面だった。
崖には、粟はよく育つそうだ。
それに、稗は何十年たっても、
腐らないし、虫にやられもしない。
粟と稗に対する見方も変わった。
救荒作物なのである。
水田ではなくても、どんな土地でも栽培でき、
肥料が少なくても、天候不順でも育つ作物。
そんな作物は、日本中で
大事にされてきたに違いない。

クニ子さんの倉にも、十年くらい前の稗が、
まだ、青々として、保存されていた。
見事だった。
循環農業とはよく言ったもので、
ほんとうに循環していた。
山奥で、質素な純朴な暮らしと思っていたら、
それも裏切られた。
クニ子さんは、時流をよくとらえ、
山奥でこそ、儲かるのだという。
山は、薬の宝庫だという。
それを、よく行商の人が、
買いに来るのだそうだ。
山に生えている草や木で、
クニ子さんが知らないものはなかったし、
効能や使い道、それをお母さんに教わったと言って、
歩きながら、すべて解説してくれた。
クニ子さんの頭の中に入っている知識は
2冊の焼畑の辞典として
本になっているくらいです。

クニ子さんに、3日間
忙しいのにお邪魔してお話をうかがい
ほんとうに目からうろこだった。
そして、中世の日本の人々の暮らしが、
想像できるようになりました。

だから、ニューギニアの焼畑農業が
循環型なのは、当然。
ブラジルや、インドネシアのは、
「焼き畑農業ではない」と言ったほうがいいと思う。

あともう一つ、
クニ子さんは粟や
ひえを
小さじ1杯ずつ米に炊き込んで
ごちそうしてくれたが、
これは今風のごちそう。
中国に行って気付いた。
粟やひえは、粥にした方が食べやすい。
鍋に入れて、囲炉裏にかけておけば、
ふきこぼれるのに注意すれば、
料理しやすいし、青菜を入れれば栄養満点。
だから、中世は粥で食べていたんだなと思っている。



9・26
仕事をしていると、
もやもやすることもある。
昨日は、そんな気持ちでした。
どう考えても、チームワークが優先と思うので、
若い時よりは、自己主張をしなくなった。
やっぱり仕事をする時、
そのもやもやを自分で整理して、
次の日に前向きに仕事できるようにするのが、
とても大切だと思う。

若い時は、
理不尽さも、あいまいさも
迷いも、自信の無さも、
全部同時に抱え込みながら、
ひたすら走り続けていた。
だから、自分しか見えなかった。
毎日ひたすら授業をすること、
授業を組み立てることを考え、
子どもたちともどう関係を作るか・・・・
それしか考えられず、
他のことを考える隙間すらなかった。

今の私のむけるエネルギーは
どちらかというと、自分よりも、周りへ。
そうして、人の役に立ちたいと思う。
だから、私自身のメンツやかっこなど
どうでもよくなった・・・というカッコをつけてるところ
でしょうか?

さて、明日も、また楽しい授業です。




9・25
2学期は行事の季節でもある。

今までは行事も中心に
担わせてもらっていたので、
とても毎年楽しかった。
今年は、第一線ではないので、ちょっと寂しい。
学校がかわったせいです。

今まで、いろいろな人と
一緒に仕事をしてきたが、
苦手なタイプの人はいます。
子どもに苦手は無いのに、
同僚には苦手タイプがある。

それは、
子どもたちに手をかけるのを、
面倒がる人。
こういう人たちは、苦手です。
話は、正論を言う。
子どもたちのためだとも言う。
いろいろな理由や説明がつくのだが、
でも、その裏に、面倒くさいというのが透けて見える。

私の尊敬するベテランの先生からの教え。
「子どもたちの心をつかまないといけない」
「子どもたちから”頼りになる”と思われる
 先生にならないといけない」
「子どもは、育てることを考えなくちゃいけない」
「子どもに、言うことを聞かせようというのは間違い」

さて、今日、何が問題だったか?
細かなことなのだが、行事の計画では、
ことごとく食い違ってしまう。
でも、私もベテランだから、
やんわりと、???を、何回もつけてみるのだが、
相手は手ごわい。
制限することが山ほど、・・・・。
ちょっとうんざりしてしまう。
闘いは長期戦、粘り強く
私のペースに巻き込んで、
私のカラーの学年の子どもたちに
3年間で育てていこう・・・
ようやく書きながら、そう決心して心が晴れました。




9・20
秋、研究授業が、どこの学校でも実施。
今の学校は、全員がやる。
私は、この時こそチャンスだと思っている。
私の授業を見てもらって、
若い先生たちに、
おもしろくてわかる授業ができるということを伝えたい。
指導案に書いてしまった。
「驚きと楽しさこそが、学習意欲を育てていくと実証したい」
・・・・ほんとうに実証しなければ。
かっこいいでしょう?
そのためにがんばります。

でも、授業は得意分野にした。
古代中国文明、甲骨文字、兵馬俑・・・です。
子どもたちに楽しんでもらうぞ・・・と張り切ってます。

しかし、、他の先生たちもそうだけれど、
何が苦痛と言って、
指導案を書くのが、ものすごく苦痛。
教育分野・学校専門用語の、
意味不明だと思う言葉を
使わなければならなくて、
若い時のシンプルな指導案より、
年々意味不明になっていく。

例えば、評価基準と評価規準(辞書にも載っていない)、
問題解決学習(戦後発足したころと意味が変質・その課題自体がナンセンス)
生きる力(子どもたちはもうすでに生きて存在しているのに・・)、
多面的多角的考察(具体性全くなし)・・・・
結局、この分野は、官僚主義なんです。



9・19
ピラミッド再建を見終わったあるクラスで、
男の子が一人、
ぼくもピラミッドを作ってみたい・・・
そうつぶやく。
彼は、長いDVDを、まばたきもせず
じっと見ていた。

そんなつぶやきを聞くと
小躍りしたいくらいうれしくなる。
受験勉強も大事だが、
人類の知的財産である
世界遺産をよく知っていることだって、
誇らしいことじゃないだろうか?



9・18
2年生の方は、グローバル化についての授業。
DVDで、「いのちの食べ方」という
ドキュメンタリーを見る。
バックミュージックも無く、解説も無く、
畑でキャベツの収穫、ヒヨコを飼い卵を取る、
ブロイラーが肉になる、
牛や豚さえ機械化されたトサツ・・
そういう場面が続く。

私が驚愕したのは、
すべてが機械化され、
全てが大量生産を前提にしていること。
当然ながらも、家畜の種付け=人工授精も
出産=帝王切開も、
全て自然ではなく人工的に計画的に行われている。
家畜たちは、人間に肉を供給する道具、
人間に乳を供給する道具になっている。
う~~~ん、考えこんでしまう。
これだけの肉や作物を、誰が食べるのだろう?
鳥肉も豚肉も、牛肉も
上からブランブランとつるされて、
ベルトコンベアーの流れ作業で
次々と精肉にされていく。

千と千尋の神隠しではないが、
むさぼるように食べる父と母が
豚になってしまう場面。

グローバル化という言葉の中身を
具体的に教えてもらえる映像だと思う。
これを見たあとで、2年生たちの意見を聞きたい。
世界中の市場に、世界中の食料を供給する。
なんだか、私たちも太らされているガチョウのようだ。



9・17
ピラミッド再建のビデオを
授業で見ていた。
シーンはそりに乗せた3トンの石を運んでいる。
10人で引っ張っても動かず、
20人で動かず、27人でようやく動く。
坂道を引っ張り、
ヘーラーホップとアラビア語で掛け声をかけながら、
みな、汗だくで、一度に10cmほどしか動かず・・・
ようやく30分かけて
1段目の石の一個目が上にのった。

その場面を見ながら、
男の子が、つぶやいた。
「ああ、でも、あのそりにのっている石、
 あれは、どうやって乗せるのかな?」
当時のことを考えれば、そう思うのが自然だ。
こういう質問が、とても大切だと思う。

今の学校の勉強は、
わかることが中心で、
わからないことをたくさん出しちゃいけない。
でも、歴史なんていう学問は、わからないことがいっぱい。
私は、そのわからないことが、一つ一つ、
解決していくのが、とても好きだから、
歴史の授業をやっている。

その男の子に言ってあげた。
「すごくセンスいいね。そう、頭がいいよ」
そうしたら、廊下で見かけたその男の子は
友達に自慢している。
「どうやって乗せたのかって???言ったら・・・」

歴史は不思議なことばかりだ。
なぜピラミッドは何千年も壊れないのだろう。
なぜ人々は文字を発明したのだろう。
なぜ、人々は、花を好み、墓にささげるのだろう?
わからないことも楽しいし、わかってくることも楽しい。
こうなんだからと、説明されて、
覚えるだけなのが、一番つまらない。




9・16
久しぶりの大きな台風。
風が怖ろしい音を立てていた。

京都の嵐山が洪水に見舞われている。
これから、修学旅行で訪れる予定の学校もあるだろう。
大変だ。水の勢いは恐ろしい。
津波の水の流れを思い出してしまった。

綿花を避難させておいて、ホッとする。

ピラミッドの授業のあとは、
やはりツタンカーメンの話をする。
黄金のマスク発見の話と、ミイラの話、
子どもたちは大好きだ。
私は、ツタンカーメンの棺に収められていた
矢車草の話が大好きだ。
話で聞いたことはあったが、
昔、新聞で写真も掲載していて、
10年以上前の記事だが、大事に取ってある。
しかも、その記事には、
花の首飾りに囲まれた黄金のマスクの写真もある。
残念なのは、当時はカラー写真が無かったから
白黒の写真である。
ツタンカーメンの妻
アンケセナーメンがマスクのまわりに、
ヤグルマギクの花の首飾りを入れたのだろうと想像して、・・・
胸に、温かいものを感じる。
しかも、棺を開けた時には、
その鮮やかな青色が残っていたというエピソードにも
心惹かれる。
新聞の写真は白黒なので、
棺をあけた人々と、カメラマンの目にだけ
残像として青色が残ったというのが、もったいない。
一瞬のあと、その色は失われていったというから、
何千年の時をその話が感じさせてくれる。
同じことが、ネアンデルタール人の墓でも・・・、
墓からは大量の花粉が発見されたと言う。
その話も子どもたちに話してある。
しかも同じヤグルマギクだということが、
何ともロマンチックではないか?
こういうことを知り始めると、
歴史嫌いだった私も、変わって行った。
自分の身近な人々を悼む気持ち、
それを知ると、なぜか昔の人々を
近く感じてしまう。
昔の人々と、自分との共通点、とても大事だと思う。




9・15
歴史の授業は、古代文明に入った。
まずは、エジプト。
ここでは、1978年の番組を見る。
授業で教材として、必ず使う番組である。

子どもたちに、「古いビデオだけど、
世界で一回しかやったことのない実験だから、
ギネスなみに貴重な映像なんだよ」と言って見せる。
日本テレビが吉村作治氏らと、
ピラミッド再現を試みた番組である。
ビデオテープにとってあった物を
DVDに入れなおして、ずっと使っている。
何が重要かというと、
まず、ピラミッドに使われている石の数を、
測量と計算で推計してみる。
270万個もあるらしい、想像がつかない。
そして、地盤の基礎から、
小さいながらもピラミッドを造って見せるのだ。
そのために、石を運ぶ実験を繰り返す、
そりで、・・・枕木を置いて、
あるいは簡易舗装して、・・・。
石切り場から川を渡って運ぶことも・・・
大きさは14分の1にもかかわらず
機械を途中使うにもかかわらず、2か月間でぎりぎり。

しかも、作ったあとは、整地をして、
元に戻すという期限付き。
だから必死になるにもかかわらず、難題が山積する。
最後には、事故、病気が続き、
完成は不可能かという状況にまで追い込まれる。

始めはえんえんと石を運ぶ映像に、
あくびをし始める子どもたちも、
必死で石を運び、事故をのりこえ、完成するチームに、
大きく共感するようになる。

吉村作治氏はこの実験以来、
ピラミッドを作ったのは、強いられた奴隷たちではない、
と、強調するようになったようだが、・・・
その実感は、私には少し難しい。
しかし、このチャレンジを通して、子どもたちに
いかに、ピラミッドが巨大な建造物で、
いかに多くの人々が携わったかということが、
少しでも実感できるように思う。
古代国家というものの輪郭を
子どもたちにイメージさせているし、
わかりやすいと思っている。

今年も、全クラスではないが、
少し見終わるクラスが出てきて、
いつものように、「ヘーラーホップ」と
口ずさむ子どもたちが出てきた。
ヘーラーホップは「エンヤコーラー」や
「ヨイショ」のアラビア語である。
古代の人々を、少しでも身近に感じてくれるようで、
とてもうれしい。




9・14
今日は、三連休の第一日目。
今日は、思いがけず小さな旅。
車窓から、山並みや秋のコスモスを見る。
会の第三日曜は、お母さんたちとの勉強会。
そのフィールドワークのつもりで、
10月か11月に・・・と思い、
その下見に秩父へ。
秩父銘仙の力織機を見たいと思い、
秩父銘仙館というところへ、ネットを見たあと直行。
おもしろい場所だった。
蚕の糸取りの機械も、実演のできる状態だし、
整経、染め、織りもできる・・・
実習生がいて、作業をしていた。
今後、連絡を取って計画をする。
10月の銘仙祭りがいいかもしれない。

その後、学校へ直行。
秩父から学校まで3時間半かかった。
ちょっとした旅である。
わざわざ学校まで・・・のわけは、
台風が、明後日くるらしい。
せっかく今になって、
ようやく大きくなってきた綿花が、
暴風で、倒れてしまったら困るのだ。
そこで、36個のプランターを
昇降口に入れてきた。
これなら大丈夫。汗だくになった。
一つの綿花の苗に、
最少でも3つは実が成っている。
これなら安心。
他の学年にも、市内の若い先生たちにも、
分けてあげられるだろう。



9・12
また、ちょっと空いてしまいました。
今日は、おもしろい話を。
今、1年生は、それぞれの気候の人々の暮らしを
勉強している。
教科書の乾燥帯のページでは、
サハラ砂漠周辺の人々の暮らしが載っているし、
熱帯では、フィジーの人々の暮らしが載っている。
地理の授業は、百聞は一見に如かずと思っている。
だから、一生懸命、今までの録画済みの番組から
捜してさがして、・・・・これならという番組を探す。

今までは、古くは「なるほど・ザ・ワールド」「世界ふしぎ発見」
「世界ウルルン滞在記」など、・・・・おもしろい番組がたくさんあった。
特に、ウルルンは、とてもお気に入り。
ところが、最近は、少なくて、さびしい。
「行ってQ」もおもしろいが、最近は山登りの方がメインで・・・。

そんなわけで、
おもしろくて、世界の人々の暮らしがわかる番組を探すのに、
ひと苦労する。
そして、アナログで録画してあった物を
これまた編集するのが、膨大な時間がかかる。
でも、子どもたちの笑顔があれば、その苦労も飛んでいく。

さて、乾燥帯では、
NHKの「世界で一番暑い土地:エチオピア、アファール地方」
についての番組が、抜群に面白かった。
遊牧民の人々、水に対する考え、食生活、衣服の紹介もあって、
その上に、アフリカの大地溝帯や塩の話もあり、おもしろい。
子どもたちも大満足。

次、熱帯の暮らしの番組はどうか・・・・さがしたのだが、
教科書にあるような、ヤムイモ、タロイモや、キャッサバが出てこないし
熱帯雨林のジャングルもわかりにくい。
さらに、石蒸し料理までが説明されている・・・ということになると
それだけ入った番組など、ありはしない。
フィジー諸島の録画はない。・・・・う〜〜〜ん

そこで、二本選んだ。
一つは、フィリピンでマングローブの詳細がわかる番組。
これなら、サンゴ礁やヤシについての話も近くなる。
もう一つは、ニューギニアの森を体験した番組。

最近、「ウルルン」や「ふしぎ発見」で
やりつくした感があるせいか、録画番組を見ると
やたらにニューギニアの裸族とともに暮らした
体験番組が多かった。

その中でも、ヤムイモも出ていて、
部族同士の弓矢の戦争も出ていて、
暮らしがよくわかるのが、「世界ふしぎ発見」だった。
私はとても民俗学的にもおもしろいと思ったし、
世界ふしぎ発見だけあって、
その敬意の払いかたが、とてもいいと思った。
中学生も、とてもおもしろがると思ったが・・・

ちょっと迷った点が・・・・あった。
それは、レポーターが大学院に通う学生タレントなのだが、
その民族は、ペニスケースを着けている。
タレントが、ちゃんとそこは理解して、
「コテカ」という名のペニスケースに敬意を払って
身に着け、暮らしていく。
見ていて、こだわらないし、
彼が、カッコイイというのが、
レポーターとして、なかなかいい感じ。
でもね、ちょっと・・・妙に生々しい。
なぜかというと、ニューギニアの人々の肌の色に比べて
ほんとうに真っ白の肌色だから・・・。
う〜〜〜ん、どうしようかな???
それに、時々「はずれちゃった、・・付け直します」
という音声・・・どよめくだろうなあ・・・
ヤムイモより、そっちに気持ちがいっちゃうかなあ???

そう思ううち、忘れていたことを、思い出した。
実は、なんと、20年以上前、
愛知県にあるリトルワールド博物館の売店で、
この、コテカを買っていたのだっけ。
それは、そのころ、他の先生で、
やはり熱帯の生活を授業する時に
コテカについて、中学生に授業して、
その大胆さと、生き生きした報告に魅かれて、
思わず衝動買いしたのだった。
確か、当時で3000円ぐらいしたから、
高額商品だったけれど、勢いで、買ってしまった。
それを、何十年も秘蔵していたのだから、
この際、教材として、
陽の目を見るのだとしたら、
・・・うん、いいじゃない、一挙両得と思い、
私は、よ〜〜し、この番組にしようと、
心を、決めかけた。

でも、でも、ちょっぴり、また迷いが出てきたので、
最後に、高校生の娘に聞いた。
コテカを身に着けたレポーターの場面。
娘はひとこと。
「お母さん、なあに考えてるの!! 論外、論外!!」
「これ、見たくない・・・・」
と言われてしまった。

私としては、未練たっぷり、
「やっぱりおかしい?そう思うの?」
娘:「聞く方がおかしい」
まあ、娘は、花も恥じらう乙女のお年頃、
そういうのも無理はないな・・・と思いつつ、
よく考えてみると、
学年の社会科をもう一人の先生と
同じ教材教具で授業している。
私の方は、もちろん文化についての解説付きでやるにしても、
相方の先生は、当惑してしまうだろうなあ、
その分の責任は、負わせられないし、私も負えないし・・・
・・・と思い、やっぱり、止めることにしました。

20年前に買った教具の「コテカ」が、
また、秘蔵されたままになってしまうのは、
さびしい気がするが、しかたない。
この話を他の学校の仲間の先生にしたら・・・・・
大笑いされたあと、
やっぱり無理だろうという話になった。
他の先生にとっては、解説はしにくいだろうということ。
「月一回の、研修会なら、
 社会科の先生たち、おもしろがってくれるし、
 話題になりますよ」
・・・・うん、それがいい・・・と納得。

でも、ヤムイモや、キャッサバ、石蒸し料理はどうしよう・・・
と考えて、悩んでいたら、
ひと晩眠れなくなってしまった・・・。

それで、ハッと思い至ったのが、
NHK「人間は何を食べてきたか」シリーズである。
全巻を私自身が購入していた。
もしかしたら、あの中に、イモも出ているかもしれない・・・
探してみたら、あったあった!!イモ編である。
眠れないのだから、もういいやと
やけくそで、深夜にDVDを見直す。
すると、なんと、ヤムイモも出てくるし、
石蒸し料理まで出てくる。
ジブリが販売している。
宮崎駿監督が気に入って販売しているのである。

一件落着であった。
しかし、翌朝、眠いこと、頭が少々痛いこと・・・・
次の日、爆睡したのでした。




9・7
教育相談週間というのがある。
最近、どこの学校でも、
学期に一度くらい、担任が、子どもたちの相談にのる、
そういう1週間だ。
原則全員。
でも、困ったこと、相談したいことが無い子は、
2~3分で終わり。
この、相談週間、子どもたちは、
めんどうくさいという雰囲気なのだが、
ひとりひとりは、担任と話すのを、
とても好んでいると思う。
私もわりと好き。

そこで、今回驚いたこと。
ある子が、夏休み中、何度も熱を出して、
部活を休まざるを得なかったことを、悩んでいた。

3年前、とてもまじめな子が、
夏休みの部活中、熱中症に2度もかかり、
9月、一か月間、だるくて、登校できず
とても、お母さんともども悩んでいたことがあった。
だから、それ以来、1年生を受け持ったときには、
「夏休み、まだ体ができていない時に
 部活をやっていくと、ブレーキが利かずに、
 やりすぎて、こわしてしまうこともあるので、・・・
 様子をよく見てあげてください」
という話を、お母さんたちにするのだが、・・・

やっぱり今年も、小学校から上がってきて、
猛暑の中、2・3年生についていくために、
部活で調子を悪くする子がいたらしい。

それに気づいて、クラス全体に聞いてみたら、
5~6人の子たちが、頭痛がしたり、
吐いてしまっていたり、貧血を起こしていたり・・・していたようだ。
とにかく、炎天下の校庭、熱気がこもる体育館、
いかに、厳しい暑さだったか・・・・地球温暖化か・・・を
まざまざと見せつけられるようだった。
その子たちも、すぐに体調を戻し、回復しているようだ。
何よりだ。
一人だけ、昨日も微熱がある子がいるので、心配、
いつも笑顔な男の子だけに、がんばりすぎているらしい。
早く治るといいね。




9・5
今日は疲れた。
受け持っているクラスの子について
職員の中で、打ち合わせがうまく行かず、
なかなか納得してもらえなかった。

長年、いろいろな子を受け持ってきた。
長い年月の間には
普通学級の枠の中で、いろいろな子がいた。
もう、何十年も前の話。
ダウン症の男の子、トイレに失敗したパンツを振り回した猛者、
彼は、毎日給食を食べたあと吐くのが習慣になっていた。

アスペルガーの女の子
人間関係を結ぶのが苦手で、男の子と仲良くなってしまう・・・

障害を持っている子もいたけれど、
ハンディキャップが無くても、
家庭的に、恵まれず、登校できない子がいたり、
教室に毎朝バリケードを築く子もいた。
そのバリケードを解除するため
私は始発で家を出たことも何度もある・・・

でも、いつも助けてくれたのは、
子どもたちだった。
クラスの子どもたちが、何度も、いつも助けてくれた。
とても感謝しきれないくらいだ。

こうした枠に収まりきれない子どもたちと、私自身を
支えてくれた、学年の先生たちも多い。
ほんとうにありがたいことです。

つくづく思い知ったことがある。
不登校の子どもたちも、
自分が自分で本気で変わりたいと思わなければ、
私の手助けも意味をなさないということ。
そして、3年間の年月の間に、
いつかは、その時が必ずやって来るということ。

何十年もかかって、やっと私が理解したことを、
他の経験してない人たちが、わかるのはかなり難しい。
今日は、1時間話したけれど、・・・・・
学校だから、約束を決めて、その枠の中に
入らなければだめだと教えたいらしい・・・・
でも、成立しないんです。
今後も、悪戦苦闘が必要なようだ・・・ちょっと気が重くなった。
でもね、彼女の担任は私だから、
ここが正念場なんですよね。 がんばらないと・・・ね。



9・3
ハイビスカスのお茶の反響は、ちょっと微妙な感じでした。
1クラスは・・・・ちょっと薄すぎて、水みたい…て言われた。
2クラス目は・・・・おいしいという子が多かった。おかわりした子も。
3クラス目は・・・うわ〜〜にがて!という子もいたし、おいしいという子も。
でも、文化だから仕方ない。
乾燥地帯では、酸っぱさも刺激のうち、なのだろう。
明日、また違うクラスにチャレンジ。
台所で、ハイビスカスのお茶の、すごく濃いのを毎日用意する。
準備万端である。




9・2
2学期が始まった。
とても賑やか。
久しぶりに会う友達と、
とても楽しそうに会話している。
このなごやかな雰囲気が好きだ。

明日から授業。
さっそく、暑い残暑の時期こその授業を考えている。
エジプトで以前買ってあったハイビスカスのお茶、
それをほんのちょっぴりふるまおう。

暑い地帯では、冷たい飲み物も
甘くて酸っぱいのが、いいようだ。
エジプトのハイビスカスのお茶は、
紅色で、甘くって、酸っぱくって・・・
とてもユニークだった。

2学期の勉強は、
歴史なら、エジプト文明、
地理なら、乾燥地帯から始めようと思う。

幸いなことに、教室にエアコンも入っている。
それでいて、残暑の暑さ暑さ!!
この暑さの中でこそ、砂漠地帯の摂氏50度が、
ちょっぴり想像がつく。
お茶は、コップに0,5mmほどしか上げない。
ケチ・・・といわれるくらいが、ちょうどいい。
さて、これから授業の準備です。
お茶と、DVDと、プリントと・・・
明日のみんなの顔が楽しみだ。



August



8・31
昨日は出勤日。
会議の後、
兵馬俑とはにわの実物大模型の仕上げに取り組む。 
技術室の糸鋸を借りて、
ベニヤをていねいに、模型の型どおりに
切り抜いていく。
猛暑だったせいで、暑い暑い!!
汗が滴って、カラーコピーに、
小さな染みができてしまった。

でも、とにかく完成!!
バンザ~~~~イ!!
思わずうれしくなって、職員室に、ちょっと見せに行く。

実物大模型を作っている途中に、
どうやって授業に使おうか?
誰をどう, おどかそうか?
「すご~~~い」って男子は歓声を上げるだろうか?
授業を考えて、ドキドキわくわくする。

こういうスタートはいいなと思う。
授業が楽しみで、2学期に子どもたちに会うのが楽しみで・・・・
来年も、夏休みに、若い人たちと、何かを作ろう。
授業のために。



8・30
いっしょに中国に行った若い先生たちから、
「殷墟は耐えられなかった」
「吐きそうでした」・・・と衝撃的な感想を聞く。
レプリカとわかっていても、
殉死の風習はむごい。
今回は、ガイドさんに、一つ質問をして、
また驚いた。私にもこれは衝撃だった。

前から疑問だったのだが、
殉死や生贄と言っても、
人間も、馬も、死んでから埋めるのか、
生きてから埋めるのか、死んでからなら、どうやるのか?
絞め殺すのか、毒を飲ませるのか?
むごい質問だが、あまりにも、車馬坑の馬の骨や人骨など、
きれいに埋まっている。
暴れるから、生きたままなど無理だとわかっていたが、・・・。

説明によれば、
馬は首の動脈を一気に切って
倒したのだろうということ、
人間について質問したら、
ガイドさんは指し示した。
「見てごらんなさい、あの人(御者の人骨)は、
 足首から先が、両方とも無いでしょう。
 歩けなくして、殺したんでしょう。」
「こちらは、内臓の部分の骨が無いですね。」
 (つまり、肋骨はあるが、腹の部分の背骨が無い、腰の骨はある)
「だから、内臓を取られてしまったのではないでしょうか?」
・・・・他にも、手首の先が無かったり。
これは、御者だから、敵の捕虜ではなく、
殷の人々だったはずだが、そうやって殺され、埋められたらしい。
奴隷制社会は、ほんとうに現実として、血も涙もない。
ほんとうに恐ろしい社会だ。
それなのに、文明としては文字を生み出し、芸術を発展させた。
これこそが、不思議で、大いなる矛盾!!

若い先生が、「手塚治虫の火の鳥の中に、
生き埋めの話が載っていましたよ。昔読んで、
むごくて、忘れられなかった」と話してくれた。
急いで書店に行き、手に入れたら、「ヤマト編」だった。
ついでに、手塚治虫の他の漫画「MW」を買ってみたが、
手塚治虫ほどすごい人はいないと思う。
すごいインテリゲンチャだと思う。
描いてないものが無い。幕末も、ヒトラーも、下山事件も、
原始時代から現代まで、ブッダ、・・・・
MWは沖縄の毒ガス問題だった。
それも、いつでも裏と表が両面あって、
ためらいなくテロも、裏切りも、同性愛も、
ぐいぐい描いてしまう。
その迫力に、圧倒された。
たいていのジャーナリストより、怖ろしい。
火の鳥やMWを読んで、そう痛感した。



8・29−3
まだまだ暑い。
2学期の歴史の授業のために、
中国の農業の始まりの歴史を読んでいる。

改めて驚いたこと。
中国には、クロマニヨン人にあたる新人も
発見されているし、
農業の始まりの部分も
中国中の遺跡を発掘してみると、
身分・階級、村落から都市へ・・・・
そういう過程の遺跡が、
それぞれ複数見つかっているということ。
だから、とてもわかりやすい。
突然王国ができたのではなく、
村ができ、余剰を蓄え、それを奪うようになって、
戦争の武器を作り・・・
それが、発掘された遺跡で、
ほとんど、説明されている。

私たちが教わってきた
国家や文明の始まりが、
チグリスユーフラテス川沿い?
あるいは、トルコ東部、シナイ半島のあたり、
小麦の栽培もその地から・・・と、
金科玉条のように思うのは
まちがいのようだ。

中国は、考古学も
どんどん発展しているのだなあと、
驚いてしまった。

それにしても、書店で、
世界史や日本史の棚からは、
足が遠のいている。
あまりに並ぶ本が、中国や朝鮮(韓国に対しても)に
敵対心をあおり、
タイトルだけからでも、憎悪を感じてしまうから・・・
いつからこんなふうになったのだろう。

でも、少しは予想していた。
アジアの国々が、いつかは経済成長をすると、・・・
そして、日本を追い越して行った時には、
日本人のプライドは、どうなるのだろう・・・と
屈折したプライド。
アジアに対しては優越感、欧米に対しては
対等だという誇り・・・。
これは沁みついたものだから、私の中にもある。
でも、先入観こそ、海外に行くことで打ち破られる。

今、日本人は、何に誇りを持っていいのか、
わからないのかもしれない。
経済成長を誇ってきた人々こそ、
不安なのかもしれない。



8・29−2
もう一つ、
書きたいことがあった。
もう、8月も終わり。
2学期の準備で、
皆、少しずつ忙しい。
研究授業も、たいていやる。
だから、お役にたちたい・・・
授業を、早く載せないと、・・・と気ばかり焦る。
がんばって、授業のページを
また、充実させたい。
9月まで、あと、3日。



8・29
中国を旅して、今回
また、思い至ったことがあります。

以前にも書きましたが、
なかなか手を広げすぎていて、
とても忙しい。
都市型農園として、
市内の農家のかたに指導していただきながら
畑をやっています。
ほんのちょっぴり。二坪ぐらいです。
ところが、野菜は待ってくれない。
今年は雨が少ないせいで、
トマトとナスの当たり年。
トマトは、もうひと段落したのに、
ナスが食べきれない。
近所に分けても、それでも、毎日5個ぐらいずつ実ります。
なんとか、量をたくさん食べられる方法はないかと、
油も使わない、皮もむけば、量が減るかと
ひと苦労。
でも、皮をむきながら、
あまりのグリーンの美しさに、しばし見とれます。
そういえば、中国で出てきたナスは、
十中八九、皮がむいてあった。
キュウリも皮がむいてあったし、
瓜の細~~い千切りの炒めた料理もうすい緑でした。
これが絶品。
みんな、透き通るような美しいグリーン・・・・、

アッと思いました。
中国の人は、玉(ぎょく)が好きなんだ。
ダイヤよりなにより、ヒスイの玉が宝物、
古代から王様がそうでした。
金縷玉衣(王様の遺体を玉で包む)などを見ていたので、
何か、玉や翡翠にまつわるものが欲しくなり、
一度目の中国行で、「翡翠を買いたい」と言って、
連れて行かれたのが、翡翠研究所。
・・・・目の玉が飛び出ました。
数百万単位のアクセサリーでした。
中国の人は、玉を愛してやまないんです。
だから、ナスもグリーンなんだ。
私も、だんだん翡翠が欲しくなってきました。
今回は、玉の小さい蝉を買ってきました。
そのいわれもあります。
食べる方のナスは、皮をむいて、ゆでて、
ゴマソースをかけたら、好評でした!!




8・28
ホームページをやっていると
いろいろなことがある。
今回も、サイトが破損されたというメッセージで
まったく、ページを編集することができなかった。
2回目である。
前回は、真っ青になってしまったが、
今回は、少し余裕があった。
でも、4日間もかかってしまった。
すみませんでした。

昨日は楽しかった。
市内の社会科の先生たちで、
教材作り。7人が集まる。
ベニヤを20枚購入。
等身大の人類の祖先4体の模型。
兵馬俑の実物大模型。
はにわの実物大模型・・・。
そのどれかを作った。
2時間半では、とても終わらなかった。

始めは、ゆっくり   
コピーを張り合わせて、いったん休憩、
おやつを食べて・・・
ところが、終わりの見通しが立たない、
しかも、電動糸鋸の素人ばかり。
女性が半数以上だったので、
四苦八苦に、糸鋸の歯をボキボキ折ってしまって・・・
でも、できあがっていくのは楽しい。

仲間の先生が言っていた。
この人類の祖先を、中学生の
社会科教科リーダーの男の子たちに
「そうっと持って行ってね、みんなにばれないように・・・・」
そう頼んだ時の子どもたちのうれしそうな顔が
楽しみで仕方がないです・・・と。
私は、兵馬俑の180センチの等身大模型をこしらえた。
完全ではないので、もう少しかかる。
明日明後日で、完成したら、
横に並んで、記念写真を撮ろう!!
疲れたけれど、
2学期がみんな楽しみになった一日だった。




8・24
2週間もサボってしまいました。
ごめんなさい。
実は、3度目の中国への旅でした。

なぜ?・・・
1度目は自分のため。・・・ここで、古代中国史にはまりました。
なぜかというと、日本とのつながりに、驚いてしまったから。
2度目は娘と仲間のため。・・・いっしょに行ってくれた人は
みな楽しんでくれました。でも、若い人が少なかった。
3度目は若い先生たちのため。・・・これから授業をする人たちが、
世界を見て、授業をしてほしい。自分の目で見て・・・
そういう思いでした。

お金持ち?というよりも、
あとさきなど考えず、
感動を人に伝えたくなってしまうおせっかいです。
毎回、一番身近に感じてくれるのは、殷墟です。
漢字の故郷だから。
象形文字に、驚いてくださいます。

現役時代に、なるべくたくさんの若い先生たちを
旅に連れ出したい。
そう思っています。
学校と家との往復では、世界は見えません。
特に社会科を教える先生たちが、
一つも世界を見ていないのでは、
グローバル化の時代に、
ほんとうに重要なことは何なのか?
教えられません。

ずっと、若い先生たちを誘ってきました。
なかなか、いっしょに行きたいとは言っても、
実現がかなわなかったのに、
インドと、中国、
これで、7人の先生たちを
世界に連れ出すことができました。
それも、他の国ではなく、インドと中国。
普通のツアーが行かないところと体験!
私は、BRICSと呼ばれる国を、
ぜひ、娘にも、若い先生にも見ておいて欲しかった。
一つ、目標達成です。
中国は、たった1年半前に行ったばかりだったのに、
また驚かされました。
そして、ガイドさんとは2度目。
友だちと呼んでもらえる仲になりました。

彼は、率直でした。
私とほぼ同い年。
それなのに、猛暑の中、すべてをいっしょに歩いてくれました。
龍山石窟では半日、汗をかきかき、
白楽天のお墓の近く、緑陰の中
茶店で、おいしい中国茶を飲んで、1時間。
時が黄金のようでした。
ガイドさんの心遣いに、本心から尊敬しました。

隣の国の経済発展を
なめてはいけません。
日本で思うような敵対心は、どの人も持っていませんでした。
温かく迎えられ、今回も楽しかった。

若い先生たちは、自分たちで感じ取った中国を
まわりの人たちに、伝えるでしょう。
それが、日中友好だと思います。
まして、彼らには教え子がいる。
草の根の友好の、少しは足しになりたかった・・・のでした。

待ちに待った、2学期は、中国の古代史です。
今から楽しみでなりません。
どんなふうに授業しましょうか?




8・11
瀬戸内海の海は、静かでした。
朝もやが、暑さのせいか
昼ごろまで漂い、
まるで幻想的な、雲海に浮かぶ山頂のようでした。

研究会の報告は
無事すみました。
なんとも、疑問に思えたのは
現在「問題解決学習」と呼ばれるものが、
必ず、「子どもたちが、自分で解決し、まとめ、表現できる学習」
としているところ。
戦後すぐの問題解決学習は
生活からすべてを演繹的に解決する、
というので矛盾があったけれど、
問題解決学習で、すべてができるという
そういう先生たちの存在。
どうしてもよくわからない。
ほんとうに本気でそう考えているのだろうか?
「子どもたちが動き出すまで、ずっと黙っていられるかどうか
 忍耐力が無ければ子どもたちは育たない。
 ずっと待ち続けなければならない・・・」と言われるが、
それならば、先生は要らない。

全ての社会科の内容を、
子どもたち自身が、自分たちで発見して、解決できるのであれば、
教師など不要だ。
「あなたが聖徳太子だったら
 どう政治を行いたいと思うか」・・・
などという課題を作り、
その課題に、本気で子どもたちが答えられると思っているのが、
不思議で仕方がない。
もし、「平和を望み、国がまとまること…」
などという答えを望んでいるとしたら、
それは、教科書と資料集から
「十七条憲法」を持って来たいだけの
誘導尋問でしょう?と思うのだが・・・

若い時から感じているのだが、
官制の研究会は、その時代に流行るやり方と言葉があって、
それが、どうしても、意味がよくわからない。
まるで禅問答のようになってしまう。
だから、形式だけが追及されることになる。

子どもにわかる、子どもができるようになる
それも、とても楽しく…そういう目標に変えてもらいたい。
なかなか変えてもらえないので、自分で目標にしているのです。

しばらく留守にします。1週間ほどです。
猛暑なので、ご自愛ください。



8・10
山口県から帰ってきた。
福島菊次郎さんのお話を聞く。
30年前、私たちの会の久津見宣子氏が、
広島の写真を使って授業をした。
その時の写真が福島さんのもの。

私が小学生のころ、
広島のドキュメンタリーも
よく放送されていた。
理不尽さと悲惨さを強く感じたのを覚えている。
そのころは、白黒テレビ。
福島さんの鬼気迫る写真は、
当時を思い出させる。

お話は、福島さんの写真と同じで
私の胸、腹、・・・にグサグサと突き刺さった。
「国に給料をもらっている公務員、
 原発反対の口先反対なら
 いくらでもできる・・・。」
「原発反対の地を訪れても、
 何の助けにもならない。」

「ほんとうの支援なら、
 高齢化の進む祝島で
 その隊列に参加することしかない。」
「お話を聞いて「勉強」するのは、
 自己満足に過ぎない。」
「自分のために訪れるのだということをよくわかって・・・。」

福島さんを訪ね、
福島さんを崇拝し、
福島さんのお話にうなづき、・・・
そして、日常生活に戻っていく。
それだけでは何も変わらない。
そういうことだと思います。

改めて気を引き締める。
私たちの会の白井春男氏は
特攻隊寸前に帰り、
米軍と戦後日本に職を奪われ、
「権力との闘いは負けるところから始まるんだよ」
と言っていた。

私の場所は、
授業なんだと思う。
よりよい世界にするために、
私ができること、私ががんばらなきゃならないところは、
今、私がいるところなんだと思う。
仕事を精一杯できるのは、
あと数年です。
子どもたちが、幸せな将来を過ごせるよう
そのために、彼ら自身の力を育てるため
全力を尽くしたい。
未来の大人を育てる、こんな尊い仕事は無い。




8・8
今日から研究会。
二つを掛け持ち。
新幹線にも乗る。
その事前準備の一つが、
綿花のプランター。
用務員のかたが、
3日ごとにお水をやってくれる・・・というので、
ありがたい。
でも、それに完全に甘えては
申し訳ないので、
家の庭に生えているすすきの
昨年切って枯れた萱状のもの、
それに、博物館で、あいかたが
草刈り機で刈った雑草の山・・・
それを、地下鉄でエンヤコラと
2時間かけて運び
乾燥よけに、綿花の足元に
たくさん入れてやる。
2時間ほどかかってしまった。

我ながら、なんと、ちょっとばかばかしいことを・・・
と思うが、
学校で手作業で草刈りして、その雑草を入れる方が、
合理的かもしれない・・・
でも、時間が無いのです。
いつも追われて、・・・。
でも、自己満足。
これで、綿花が枯れ果てるのを、防げるかも・・・
ダンゴ虫とナメクジとの戦争に敗れ
いつもの年より、半月程も遅れてしまった綿花。
だから、まだ50cmにも満たないが、
早く育って、綿花をつけよ・・・と愛しているのです。

そうそう、もう、お花が咲きはじめて、しまいました。
だから、綿の実は、せいぜい1つの苗に1〜2個かなあと、
悲しくなっております。



8・7
1学期の子どもたちのノートを読んでいて、
やっぱり、すごいなと思う。

おもしろくて楽しい感想、
すっと一人選んだだけで違う。
今年は、400人を受け持つので、
ノートを全員分読むのは無理と
あきらめた。
いっせいに見るのではなく、
随時、見せてもらおうと思ってる。
夏休み、一クラス分を預かった。
そのうちのひとり、男の子、
「考古学者は、何事も深く考える人たちで、
 歴史を解明していく
 ロマンある仕事だと思いました。」

こんなに書けてしまうのかと驚いた女の子
「考古学者という仕事は、
 机上で考察するだけでなく、実際に石器などを作り、
 自分の考えが正しいかどうかを確認する
 という作業があることを知り、驚きました。
 なかなか学者の中では、
 特徴のある興味深い職業だと思いました。」

あまりにも出来すぎの感じ。
でも、私は思いました。
女の子は、文章もうまいし洞察力もある。
でも、この文章からは、彼女の驚きが伝わってくる。
学者というのは、学問を机に向かってする人と
思い込んでいたのに、・・・・・。
自分の考えを実際にやってみて確認する、って・・・すごいな
おもしろそうだな・・・こんな学問もあるのか・・・

そのあと、実際に私たちも
火を作ってみたり、石器で肉を切って見たり、
言葉ではなく、動作で人に伝えてみたり・・・
そういう作業をしてみたので、
もっともっと驚いてくれたでしょう。

思い込みを打ち破り、
新鮮な驚きに胸をドキドキさせる。
そうやって勉強は進みます。

それこそ、人類の特権!!



8・5
研究会でのレポートを書いているのだが、
文部科学省のよく使う言葉に、
とても困惑することが多くて困る。

学習活動案じゃないといけないと
言われた時期があるが、
今は指導案に戻った。
基準と規準を使い分けさせられたり、
ずっとここのところは「生きる力」・・・

「生きる力」ってなんでしょう?
ホームページによれば、平成14年から。
こういう言葉は、一番わかりにくい。

私たちは、わかりやすくおもしろい授業・・・では、ダメなのか?

思うのだが、「生きる力」なんて言ってると、
わかるかわからないか・・そういう部分がごまかされてしまう。
私は、小学校から教師スタートしたせいか、
わかったかどうか、それに、とてもこだわってきた。
いつも気になる。
わかったと、子どもたちは納得しているだろうか?
わかったと、楽しく子どもたちは確信を得られているだろうか?

私自身の性格かもしれない。
わかったと思うとすっきりし、
納得がいかなかったり、わからないと思うと、
ずっと分析してしまう。
試行錯誤して、
「わかった!!」という笑顔を、追求してきた。
それが一番自信になってきた。
その時に、子どもたちは、
「勉強って意外に面白いね」と言ってくれる。
その時の親御さんの感謝の言葉もありがたい。
やっぱりずっと、そこにこだわって、仕事をしたい。




8・4
今年の8月の初めは、
陽射しがかげりがち。
一番心配なのは、米どころのかたがたの
水害が増えているところ。

降水量の雨量計を作ったおかげで、
私自身が1時間に100mm・・・という記録を聞くと
これは、大変な量だとすぐにわかる。

日本各地のかたがた、大丈夫でしょうか?
土砂崩れもそうですが、
雨が多い年は、冷害になったりします。
娘が小さい頃に、
タイ米騒ぎがありました。
天気は、農業にとても大きい要素です。
暑くて、晴れるのはつらいけれど、・・・
でも、おてんとさまのめぐみが
やっぱり日本に実りの秋をもたらしてもらいたいと思います。

都市型農園で、畑を地域の農家に教えていただいていますが、
今年は、10年以上続けてきて、
始めて、トマトが、とてもよく実って、
毎日たっぷり食べました。
こんな年は珍しい。
太平洋側は、水不足になりつつあります。



July


7・31
8月に急きょ、100人規模の研究会で
報告することになった。
あらゆる場を使って
授業が楽しいということを伝えたい。
こうすればわかるということを伝えたい。

報告は、イギリスの産業革命から明治維新まで・・・
の部分にすることにした。
糸から布へ
蒸気機関の模型
製鉄・・・・
そして、子どもたちの意見。
ていねいに具体的にたどれば、
中学生が、富国強兵、関税自主権、殖産興業…そういう言葉も
自分の言葉で説明できる、
これは、私たちの会のもっとも優れた
集団で作ってきた実践だから、
おもしろいし、大したものだし・・・

まず、ペリーの黒船を
若い先生たちに見せたい。
ちょっと、度肝を抜かせたい。
そんな楽しみが無ければ・・・ね。
100人の中で、一人でも、
ああ、こんな授業もできるんだと思ってくれれば
いいんです。
そのために、コツコツとレポートを作ってます。



7・30
また少々脱線するが、
大河ドラマ「八重の桜」が、
特別気に入っている。
視聴率は低迷しているらしいが、
私には関係ない。
初めて知ることがたくさん。
そして、私が前から考えていた仮説にぴったり。

きっかけは『下山事件』という本だった。
この本も、なぞかけだらけで、
驚きと、初めて知ることばかりで、はまってしまった。
研究会で2回も報告したほど。
この本によれば、下山総裁はGHQの右派と
戦争中からの諜報部メンバーの生き残りによって、
殺されたらしい・・・・という書きっぷりだった。

この本の謎かけ自体も、おもしろいし怖ろしいのだが、
初めて知ったことで、戦時中の中国で、
日本の軍部の諜報部員たちが、
アヘン貿易やら、物資調達やらで、
凄まじいもうけで私服を肥やしていたらしいことを
初めて知った。
児玉誉士夫の名前が出ていた。
また、福岡の頭山満の名前も出ていて驚いた。
そして、頭山満は西郷隆盛にも会いに行っている。

この本をきっかけに、ペリー来航の年に、
明治の元勲と呼ばれる人物たちの年齢を調べ、
いくつで死亡したか、
若いころ何をしたか・・・・調べて、本で読んで行くと、・・・・・
私には、明治維新は、きれいごとの無血革命などではなく、
明らかなクーデターであり、内戦ではないか?
新撰組も、薩長の下級武士たちも、テロリストのように思えた。
そのぐらい恐ろしいし鳥肌が立った。
やたらに殺されている。
主張が違えば天誅と言って、殺すだけではなく、首をさらす・・・・
改めて資料をさらってさらって・・・・
幕末から西南戦争まで、私が調べただけで、
数えてたし算をすると3万人以上の人が死んでいた。
新政府の内部であろうが、寝返れば、処刑。
佐賀の江藤新平には胸が痛んだ。

これが、私の仮説。
260年続く江戸幕府をつぶすのに、
血が流れないわけがない。

八重の桜の中でも、
会津藩士の妻女たちの中には自刃するものも出てきていた。
薩長側は、徹底的に会津をたたいていた。
びゃっこ隊は知っていたが、
朱雀、青竜、玄武、白虎からとったとは・・・これも初めて。

これだけの血を流し、犠牲をして、
権力を奪取していれば、
近代化は力だと、当然政府側は突き進むしかなかっただろう。
薩摩藩は薩英戦争でイギリスが使ったアームストロング砲を買い入れ、
会津を攻撃している。

八重の桜が取り上げなければ、
会津の犠牲も忘れ去られていったろうし、
私も知らなかった。
敗戦の後も、下北半島とは・・・・!
昨年フィールドで行ったからわかるが、
夏でもやませの吹く、霧の多い土地だから、
米は育たない。
それでも、生きていった。
亡くなった人の命を思いながら、・・・・
福島に重なる思いがする。
原発のせいで、1年近くも家族の遺体すら探せなかった方たちの
心の痛みを思う。
会津戦争であれだけ人がたくさん亡くなっても、・・・100年以上前に、
・・・そして今
津波で、家族を亡くされた方たちがたくさんいても
時間は、無常に流れていく。
なんと残酷なのだと思う。



7・29
二学期は、たいていどこの学校でも、
研究授業が行われる。
この間、若い人たちに話をした。
今までやったことの無い単元に
よく、チャレンジしたくなるけれど、
止めた方がいいと思うよ・・・と。

これは、私自身の体験だ。
始めてやることは、
必ず、多かれ少なかれ失敗する。
授業の後の研究会では、
授業者として、反省ばかりしたくなる。
講師の先生からは、当然、厳しく指摘され、
気分が暗くなる。
姿勢としては、潔いかもしれないが、
仕事としてはどうなんだろう?

研究授業の前に、他のクラスで、
何度もやったうえで、
予行練習のように、想定される問答まで、
考えたくなる先生もいるようだけれど、
それってやらせになってしまう・・・でしょ?

毎日の授業だって、
中学校でやる場合は、同じような授業を
複数クラスやることになるので、
あとのクラスほど、
説明によどみが無くなるし、
あげる例も分かりやすくなってくるし、
自分の頭の中で、ちゃんと構成できるようになる。
初めての授業で、どんな失敗をしても、
その失敗と、その克服方法を、
教えてくれるのは、子どもたちだ。
私の質問がわからなければ、首をかしげるし、
誰も、何も反応してくれないし、
もし、子どもたちが、自由な雰囲気で育っていれば、
「わからないよ、先生」と言ってくれる。
わかった時、おもしろかった時、
目を輝かせてくれるのは、彼らだ。

だから、何も、講師の先生の前で、
失敗の授業をチャレンジする必要はない、
今まで、自分で積み重ねてきて、
少しでも楽しくわかりやすくできた授業を、
指導案から、じっくり記録にとどめるつもりで、
書きとめればいいと思う。

うまく行った授業に
人は感動するし、
子どもたちも、やったぞという顔をするし、
同僚の同じ教科の先生同士とも
刺激になるはずだから。
自分の力になり、
明日からの自信につながる授業研究を
ぜひ、私もやっていきたい。
と、そう変わりました。



7・28
もう一人、
私のクラスにおもしろい男の子がいる。
目がくりくりして、・・・・とても大きい。
彼をよく見ていると、
これが、やっぱりまだ少年。
声は高いし、やることがイタズラ。
何より、おもしろいのは
そろそろ他人の目を気にしだす年頃なのに、
全く気にしない。
これをしたら怒られる、注意される・・・
それを気にしない、考えもしない。
叱られても、いじけたりしない。
だから、教師としては、
説教のし甲斐が無い。

逆に、みんなの注目を浴びるのが、
楽しいらしい。
みんなが笑ってくれるのが、うれしいようだ。
・・・・・
だから、教師にとっては、懲りない彼、
落ち込まない彼は、困りもののはず、
・・・ところが、どこか、彼の陽気さと明るさに、
先生も、クラスメートも、みんなが許してしまう。
それは、意地悪な部分がこれっぽっちも無く
おふざけばっかりなせいだと思う。

でも、一面、ものすごく賢いところもある。
私が舌をまいたのは、地球儀と世界地図の違いだった。
彼は、みんなの前で、こう説明した。
「世界地図は、ほんとうなら、
 地球儀に貼られている紙を、
 こう(手で説明・・・スイカの表みたいに)切って
 それを、貼り付けるべきだけれど、
 よくある地図(メルカトル図法)だと、隙間を埋めてしまってるから、
 その分が、面積が増えてしまう。
 だから、面積が実際より南極北極の方が広く見える」
たぶん、塾で教えてもらっただろう。
でも、それを、自分の頭で消化して、
自分の言葉で説明してる・・・・
さすがだな・・・とこれは私の頭の中・・・。

彼が、声変わりして、ひげが生えるようになり、
自分の目標や野心が出てきたら、
すごく変わるだろう。
男の子は、それからが、ほんとうの人生を作っていくことになる。
大器晩成型の彼、これからが楽しみ。
でも、今は、彼が楽しくしてると、
一応学校の規律が、しっちゃかめっちゃかになってしまうので、
注意しています。
でも、でも、彼は、毎日楽しいだろうなあと思ってる・・・。





7・27
1学期の授業をまとめて
授業のページに載せようと、
ずっとパソコンとにらめっこです。
なかなか12時間分くらいの授業を載せるのは
大変です。
でも、誰か読んでくれて、
ヒントに使ってくれるだろう。
これで授業が楽しくなれば、
子どもも、先生も幸せになれるだろう・・・。
そう思うから、できます。

もともと、会の代表だった白井さん
そして先輩久津見宣子さんからも
どうにもおせっかいな性分ね・・・と言われ、
それが教師としての天分だと
自覚しました。
おせっかいというのは、
身近な肉親だと、
それこそ、うっとおしいもの・・・嫌われます。
現に娘から疎まれている・・・。
でも、思春期の中学生にとっては、
半分くらいありがたいもの・・・のようです。
それが、教員生活三分の二過ぎたあたりから、
自覚できるようになってきました。

生徒たちの中にも、
疎ましがる子もいっぱいいます。
でも、そこは、ドライにもできるようになってきました。
娘なら、やってあげた分を、
返してほしいと思ってしまう。
でも、他人のお子様なら、
「まあいいか、報われない愛ってあるもんね・・」
などと愚痴を言って、それでおしまい。
その距離感が良いようです。

学期の終わりに通知表を見て、
とても喜んでいる女の子がいました。
「先生、私のこと、どうしてこんなにわかってるの?」
大したことを書いたつもりはありません。
その女の子は、
「みんなから信頼されていますって書いてある。
とってもうれしかった」
とはち切れそうな笑顔で、言いました。
ほんとうのことです。
彼女は、班長にも推薦され、
しっかり者として見られています。
でも、彼女は、自分では自信がなかったようでした。
そんな必要ないのになあ・・・・
私のひとことで、自信を持ってもらえるなら、
こんなにうれしいことはありません。

彼女は、いつも、歌を口ずさみ
踊るようなかっこうをして歩いています。
ことあるごとに、いつも笑っています。
とても中一の少女らしい・・・・。
自分では気が付いていないけれど、
ほんとうに少女らしくて、
いつも彼女を見ると
私も楽しく笑顔になってしまいます。



7・25
私自身は、部活を全く持っていません。
中学校教師にとって、
休日も部活顧問として、
朝から晩まで出勤するのが
女性教員でも、今は普通です。
若い女性の先生たちも、
例外は無い。
ほとんど毎日学校へ・・・・。
若い先生たちの過労が心配です。

私は偶然がいくつも重なって、
部活を受け持たずに来ました。
まず、35歳までは小学校だったために顧問無し。
35歳から9年間いた学校は
荒れ放題だったので、
若い女性教員が持つような部活は
ありませんでした。
学校全体が男性ばかり・・・
だいたい、女性教員の数が、学年1〜2名だったから
担任をするだけでも、「えらい!!」という感じでした。
その後、結婚。
学校を移っても、子育てまっさかりだから、
部活は持てません。
今は、年齢とそれにどだい、
通勤に2時間かかる人間が、
部活を持てるでしょうか?

そして、次に行った学校も、男性ばかり。
・・・・・ここ10年ばかりです、若い女性教員が、ぐんぐん増えてきたのは。
採用される新採用の教員の半分以上が
女性という感じ。
だから、部活も女性教員が持ちます。

でも、私は心配。
結婚して、子育てしながら、部活も担任も・・・
というのは、決して、楽ではない。
それどころか、母親としての先生に、
そしてお子さんにも、
負担がかかります。
土日に学校に出続けるなんて、
労働条件としてもおかしい。

でも、今の日本で、そんなことが言える状況ではない。
私たちの先輩女性教員たちが築いてきた労働条件が、
どんどん崩れていっています。
既得権益ではないのです。
子育てできないということは、
子どもの数が増えない、
出生率が上がらないということなのです。
その子にとって、母親はたった一人、
それを大事にしたいのは当然なのです。
子どもにも、母親にも優しい社会を作れないなんて・・・逆行してます。
フランスでは、実現しているのに、・・・・
だから、若い女性の先生たちが、とても心配。
でも、今部活顧問まっさかりの先生たちには、
私の心配は、高みの見物にも見えてしまう。
・・・・日本中で、職場で起きている世代の断絶が、ここにもあります。



7・24
夏休みですから、ぜひ、またこのホームページを充実させていきたい。
がんばります。
また、授業のページで、新しく授業を載せます。
2学期に、どんな授業をしようかと、
また、検索をかけてくださる方も、
後半、2学期の初めも、増えることでしょう。
そうした方たちの期待に応えたい。

公民の経済の授業も、
歴史の最初の授業も、
地理なら、グローバル化の授業も載せたい。

このホームページから
教具や本を購入してくださる方が、
少しずつ、増えています。

糸車
『人間の歴史』テキスト
『楽しいものづくり』
火打石セット
それだけ、実践や道具が広がることは
それを楽しむ子どもたちが増えること。

私が若いころ夢見た
日本の教育を楽しいものに変えたい!
そういう願いが、革命的に実現しなくても、
少しずつ、少しずつ、地の塩のように、役立ってくれればいいんです。
このページも
少しずつ勇気をもってもらえるのなら、
こんなにうれしいことはない。・・・のです。

私自身は、充分とはいかないが、
授業と教師という仕事に、自信とやりがいを感じられるまでになった・・・
大きくやり残した仕事は、
これからの困難な時代に、若い人を力づける仕事だと
数年前から心に決め、このHPを始めました。
白井春男さんが私を育ててくれたように、
仕事の素晴らしさと自信を教えてくれましたから、私もそれをつなげたい・・・のでした。



7・22
夏休みになりました。
慌ただしい日々は
ひと段落です。

昨日、研究会に行った帰り、
とても驚いたことがありました。
駐輪場に止めていた自転車に乗ろうとした7時。
あれ〜〜〜〜〜
サドルが無い・・・・・仰天!!
そこは、100円の民間駐輪場。
だから、ぎっちり止めるので、自転車は止めにくいし
取り出しにくいくらい間隔が狭い。
確かに私も止める時、
苦労して止めました。
ぎっちり押し込んで、駐輪場の機械に押し込みました。
ところが、夕方、
座るところが無い!
・・・これは、イライラした隣に止めた人が
わざわざ固く錆ついたサドルを抜いて・・・
嫌がらせをしたかったのでしょう。
それにしても、・・・・茫然。
あとで探しまわったら、
隣の駐車場にぶん投げてありました。

以前も、ありました。
他の駐輪場で、自分の自転車が取り出せないと、
他の人の自転車を放り投げていた
若者、50代のおじさん・・・何回か見ています。
そういうのを見ると、気持ちがすさんでるなあと思います。
なんだか、こわいし、見ている方も惨めな気持ちになります。

都会はこわい、
気持ちがすさむように、できている
誰もかまわないし、誰もかまってくれない・・・
子どもが子どもを襲ったり、
大人が子どもや女性に切りかかったり・・・
それが日常茶飯事です。

選挙できれいごと言っても
テレビでガンバレ日本と美談を語っても
まず、気持ちがすさまないような人間関係を作れる
社会を作ってほしい、そう思います。




7・18
地理の勉強をする時に、
私自身が海外に行って、
いろいろな現地での食事、食べ物が印象深いので、
どうしても授業で取り入れたくなる。

学校で食べ物は、タブーのように思われがちだけれど、
私が食べるものが大好きなので、
いつも取り入れてきた。
勉強のためだもの、
それで賢くなるのであれば、
万々歳ではないでしょうか?

ただし、注意は二つ
「衛生面とアレルギーに気をつける」
もう一つは、
「ほんのちょっぴり、その方が、危なくもないし、ありがたみも増す」
昔、熱帯のところで、ココヤシをたくさんごちそうしたら、
確か、まずいまずいと言われ続けた。
ほんのちょっぴりの方が、
子どもたちは喜ぶし、味わって、体験する。
量が多いと、私の好意に
甘える方が中心になってしまう。

二年生には、地中海性気候で、
果物を何とか食べさせたかった。
カリフォルニアや、南アフリカ、みんな、地中海性気候。
カリフォルニアの防かび剤のオレンジではなく、
イタリアの真っ赤なオレンジが良かったのだが、
時期も時期だし、日本に売っていない。
だから、オレンジのゼリーのお菓子にした、イタリア製。
本場の味、とてもおいしい。
大喜びで食べてくれたが、
地中海性気候を忘れるな!瀬戸内も果物だよ!レモンだよ!・・・
そう教えたけれど、暗記してくれたかな?




7・16
1学期の授業の感想。
こう書いた男の子がいた。
「小学校の時も社会が好きだったけど、
 中学になって、もっと好きになった。
 これで一学期の学習が終わってしまうと考えると、
 ものすごく残念で、
 もっとやりたかった」
とても楽しみにしてくれてたのだなあと思う。

2学期も楽しいですよ。
とにかく古代文明で
エジプト、中国、ローマですから・・・。
こうご期待といったところです。
「鮭とば」という商品名の物に近い、
鮭の燻製は、大好評でした。

・・・ただし、酒の肴なので、
しょっぱいから、のどが渇いたと言って、
子どもたちはたくさん水を飲んでいた。
1匹1500円でした。
それを、40人で分けます。
グルメでした。



7・14
1年生の人類誕生の授業、
週1時間ずつで、1学期をかけて終える。
最後に見せているのは、
これも古いのだが、
西田敏行がアラスカに1年間滞在して
インディアンたちとともに暮らすレポート。
冷寒帯の暮らしを知るとともに、
今も生きる狩りと採集の生活、
どちらも知ることのできる絶好の教材。
ただし、もう、犬ぞりは現地で無いかもしれない。
でも、このアラスカインディアンたちが、
「おれたちは、ちょっと違うんだ」
「金もうけに鮭を取るんじゃない、食べるためだけだから、
 欲しい者には、いつもあげるのさ」

私たちの生活は、私有権を主張するところから始まる。
学校では、自分の持ち物を整理整頓できるかどうかも、
小学校から評価の対象。
人のものは取ってはいけない、
自分のものはちゃんと管理・・・。
そういう生活からすれば、理想主義に見えるけれど、
ビーバー村は70人余りで暮らす小さな村。
助け合ってこそ極北の生活ができる。

その話を聞いて涙ぐむ西田敏行を見て、
私もやっぱり、こういう生活をしている人々がいること、
ぜひ伝えたいと思ってしまう。
今年は、おまけつき。
インディアンの人々は、夏にキングサーモンを燻製にする。
アメ横に行ったら、そっくりのサーモンの燻製があった。
アメ横ならあると思った。
知床製である。
1年生は、食べる社会科。
食べることが大好きな私は、地理や異文化は、
味も要素だと思って、どうしてもごちそうしたくなる。
さて、明日1年生たち、どうした顔で
味見してくれるだろう。
ひとり分は、ほんのちょっぴり、小指の先ほど。
でも、たぶん笑顔だろうなあ・・・・。



7・13
ずいぶんあいてしまいました。
一番忙しい時期です。
ひと段落ついたと思ったら、もう夏休みが目の前。
この時期、いつか祇園祭を見に行きたいと思っていたが、
絶対不可能なんですね。それが一つの夢。

先日この猛暑の中、
最後のクラスが
火起こし2回目体験終わりました。
あまりの暑さに嫌がると思ったのに、
やっぱり「外に出て!!」といった瞬間、
「やったー」の大歓声でした。
気持ちがいい〜〜。

今年は、例年とは逆に、
梅雨前の1回目の方が、着火率がよく、
梅雨を超えたかんなくずが湿気が多いせいか、
2回目の方が、火が着かず、
ミニウィンナのために必死にもかかわらず、
四苦八苦していました。
でも、これの方が、勉強になったと思います。
そんなに火はすぐに作れないということと、
炎を保ち続けるのは大変だということ。
北京原人がほら穴に蓄積させていた
20mもある灰の層のすごさに
少し想像できるのでは・・・と思います。

猛暑の中、今度は、綿花が勢いを増してきました。
やっぱり熱帯性植物!!
でも、水が切れるとプランターなので、
すぐに枯れてしまいそうです。
三連休中も水やりに出勤ですね、これは。
いよいよ夏本番です。



7・9
今日は生徒総会の日だった。
体育館に1000人近く集まる。
熱中症が出て、救急車でも必要になるかも・・・・と思ったが、
さすが中学生、
感想は「死にそうなほど暑かった」けれども、
みんな耐えていました。
体力があります。
体育館の端っこで、少しは風が通るところで36度でした。
子どもたちの中ではもっとあったでしょう。
今年は、冷房で、電力が足りなくなるかもしれないとは、
ひとこともニュースで触れない。
昨年も、一昨年も
毎日、電力予報をしていたのに、
なんだろう、この違和感。
電気代が上がると言っているし、
原発の再稼働申請が、ニュースになっているのに、
電力の需要供給について、
今年は全く触れないのは、かえって異常な感じがする。
目に見えないところで、
私たちの知らないところで、
大きな変化が起きているようで、不信が募る。

電力が足りなかったら、節電をしよう。
原発の電力が無くても大丈夫なようにみんなで節約しよう・・・
そういった連帯感はきれいに消え去り、
考えなくてもいい社会にまた戻ったということか?・・・・

一番切実なのは、電車の冷房がガンガン冷えすぎて、
また、私の苦痛が始まる。
長距離通勤にとって、冷えすぎる電車は体に悪いのだ。
体調を崩す元である。
2011年からちょうどいい程度になっていたのに、・・・・。
やっぱりおかしい、どこかおかしい。



7・7
今日は七夕。
天気は快晴。猛暑である。
1年生は、縄文時代を勉強中。
市内に何か所も貝塚がある地なので、
教材には事欠かない。
教え子からもらった
「先生、家の畑から出た縄文土器のかけら、
 ひと箱あげるよ!」もあるし、・・・。
でも、一番人気なのは、
40年以上前のNHK番組。
知っている人は、もう、お年寄りしかいないかもしれないが、
今の情報番組「ためしてガッテン」の前々・・・前身、
このころは、科学学習番組だった「ウルトラアイ」
映像は古いけれど、
ものすごく楽しい。
小松政夫さんが、「縄文さん」に扮しているところ。
一番いいのが、
私たちの会でうかがった民間の研究家
塩野半十郎さんが作るドングリ団子の試食、
そして、本物の、落とし穴に追い込むイノシシ狩り。
映像は、荒くて、
時々テープの汚れの白い線も出てしまうけれど、
DVDに焼きなおして、ずっと見ている。
10分も見れば子どもたちはすぐ覚えてしまう。
「今日も縄文さんのビデオ?」
授業の前に、そうやって、子どもたちから
「勉強したい、おもしろいこと教えて!」
というメッセージを送られると、
私としては、破顔一笑してしまう。
うれしいですねえ。またまたNHKさんに感謝です。
小松政夫さんも大好きです。




7・6
今年の梅雨は、確かにじめじめしていたけれど、
雨が格段に少ない気がする。
降水量を測るのが、結局できていない。
昨日測ったら、1時間でもちろん1mmもいかず・・・・
みんなで「絶望的だね」と子どもたちと話す。
それなのに、やっぱりもう梅雨明けらしい。
降水量を測るのは、秋の長雨の時期かな?台風の時期かな?

我が家の狭い庭で、とてもうれしいこと。
所狭しと、いただいた木々を植えてきて、・・・
亡き母にもらった紅梅、
あまりに私が枝を切りすぎ、新緑の芽が一つも出ず、
これも絶望的だと思っていたら、
うれしいことに、梅雨の時期、
芽がいくつも出てきた。
植物が、生き返るのはとてもうれしい。

・・・・学校の綿花は最後まで生き残り、綿花の実をつけてくれるだろうか?
一番の問題は、生育環境だと思う。
風が強い学校で、1週間のうち、何日も風に吹かれている。
・・・・生き物はたくましいし、でも、難しいですね。

蚕日記は、検索してくれる人が、ものすごく多い。
これは、やっぱり難しかったりわからなかったりするせいだろう。



7・3
今日は4年前に教えた卒業生とお茶を飲んだ。
ひとりは、高校からアメリカに留学した女の子。
年一回里帰りする時に、同級生と
私のところへ。
想い出話に花が咲く。
今は、みんな、
子どもの病院で働いていたり、
木村屋さんのパン屋さんに就職したり、
デザインの大学、保育系の大学・・・・
それぞれ美人になっていて、
心遣いもできる大人になって、
楽しそうににぎやかに話をするのが、
とても楽しかった。
とにかく教え子たちが、
健康で、幸せに過ごしてくれるのが
私にとっても一番幸せだ。
彼らのかけがえのない13歳からの3年間を
一緒に過ごしてもらえたのは、
私には、宝物である。
中学生ほど瑞々しくて、
生意気で、しゃくにさわって、でも純情で、・・・・
そんな時期にいっしょに時間を共にするのは
私の人生の宝物だ、と思う。ありがとう。



7・2
先週の日曜日、
蚕の羽化、交尾、産卵・・・を撮影する。
動画にするため。
でも、映しながら、
やっぱりドキドキしたり、
その何というのだろう
不思議な性に、ドギマギしてしまった。
交尾してから、産卵するまで12時間以上
かかっていた。
もう死んでしまったのかと
動かない蚕蛾を見ていたが、
もう深夜近くになって、真っ白い卵を産んでいたことに気づく。
虫だから、ちょっと気味が悪いような・・・
うまく表現できない。
ここまで、撮影して、
ようやく今年の蚕日記の仕事を終えた感じ。
読んでくださる方が多いらしく、
検索が多いようだ。
全国の学校で、飼われているのかな?




7・1
今日は、ちょっとかわいいお話。
1年生と、2回目の火起こしをする。
1回目だけだと全員火をつけられないのと、
何といっても、火で、何かを焼かないと・・・・
私が体験してほしいのは、北京原人のように、
火を絶やさないことは、とてもむずかしいことだということ。
灰を、10m以上、堆積させるのは至難の業ということ。
それを体験してほしくて、ソーセージを用意する。
生でも食べて大丈夫な、
しかも長さ3cmほどのミニミニソーセージ。
商品名で言うと「ポークビッツ」というもの。

ところが、中一の男の子たちのなんとかわいいこと。
うまい、うまいと、感極まった口調。
火で焼き目を少しつけたあったかいソーセージは、
予想もしていなかった実験だから、・・・その味は絶品のようだ。
ほんとうに、一口で食べ終わってしまう量だからこそ
ありがたくて、おいしい。
「先生、どこで売ってるの?」
「みんなが買いものするあそこのスーパーだよ」
「じゃあ、メモしておこう。名前忘れないようにしよう」
「家に帰ったら、すぐ買いに行くんだ」
そんなにおいしかったんだね。
そんなにほめられると、少々こちらの調子もくるってしまう。

それだけではなくて、仲間と、火起こし器を作る気らしい。
「先生、定規で測っていいですか?」
「なあんだ、設計図あげるよ!!」
「えっ、ほんとうですか?明日、絶対ですよ」
・・・・そう簡単にはできないだろうけれど、・・・・
そんなにうれしく楽しかったんだね。
私もうれしく笑顔になりました。



June



6・28
二年生には、日本の国土の勉強。
山脈や平野、川や扇状地・・・
名称を覚えたりする。
だけど、それではちっとも面白くない。
小学校の国語の教科書に
30年前載っていた(小4)の説明文を使う。
これが、見開き4ページで、すこぶる面白い。

まず、竹内均さんのウェゲナーの
大陸移動説をわかりやすく書いた物。
もう一つは、火山学者の(手元に資料が無いので・・・学校に置いてきた)
先生が書いた富士は生きている・・・という文章。
なんと、富士山が世界遺産になって、
グッドタイミングではないか。

「富士は生きている」の文章は、よく読むと怖い。
宝永の噴火のことが詳しく書いてあり、
青木ヶ原の樹海も、もとは溶岩流の草も生えない土地が
1000年たつ間に、森林化するという話だ。
世界遺産として、ごみが多いとか自然破壊だということが問題になっているが、
休火山ということを忘れてはならないと感じる。

どうしても、大陸のプレートテクト二クス論の
プレートをイメージできる映像を探したかったので、
録画している番組を探し、
NHKの「巨大地震」という番組に行きつく。
それを見ていて、改めて3月11日の地震の大きさに驚く。
まるで横浜スタジアムの客席は、遊園地の遊具のように、
ゆさゆさと揺れている。
高層ビルの12階では、立っていることもできないほど・・・

番組が解説する地震のメカニズムは、
プレートが、100年単位だけではなく、
1000年単位で動く調査も必要だと訴える。
その後に出てくる、富士山噴火の可能性、
そして噴火した場合の想定CGは、とても怖かった。
言われてみれば、プレートが動き地震が起きたのだから、
それによる噴火の可能性は高まったと言っていい、当然の結論だ。
そして、環太平洋の近年の地震の後、
数年の間に火山の爆発が始まっていて例外はないと言う。
人知の及ぶ範囲ではない。
あれだけの噴煙と灰が降り積もれば、
関東平野の食料は激減する。
都会は停電し、交通網は分断され、生活さえままならない。

あれだけの地震があり、津波があり、活火山がある・・・・
それだけの災害の地なのに、なぜ日本人は日本列島に住み続けるのか・・・
そう強く思う。
プレートが日本列島の目の前にある以上、
永遠に、地震と津波と火山から逃れることはできない。
なぜなのか・・・・それは、日本列島が海に囲まれているおかげの
私は、雨と、温暖な気候だと強く思っている。
地球上から見ても、これだけ雨が降る温帯気候の地はない。
雨は生命の源。平野が少なくても、植物の恵みは多い。
だから、日本列島を日本人は選び住み着いた。
稲作人類なのだと思う。
災害を知っていても、恵まれた豊かな土地を知っているから
日本人は住み続けている・・・それを、中学二年生に伝えたい。
壮大な夢なのです。





6・26
梅雨になっているのに、
雨がたくさん今まで降らなかった。
今日、久しぶりの、ざんざん雨です。
なぜ、雨を待っていたか・・・・
それは、降水量の勉強。
1年生を教えるたびに、
雨温図=つまり年間の降水量と年平均気温のグラフ を
どうにか、体でわかるようにできないかと
ここのところ、チャレンジし続けている。

雨温図の見分け、分類は受検に必ず出る。
しかし、行ったこともない熱帯・寒帯・乾燥帯の気候の特徴など、
具体から抽象にすぐに行けない子どもたちに
どうしてわかるだろうか?

ということでチャレンジをしているのだが、
3年にいっぺんのチャンスなので、
なかなか進歩ができない。残念であるが、それでも、チャレンジ、あきらめず・・・。。

6年前は、月ごとの降水量を、ペットボトルに実際に水を入れて、
理科室の机に並べてみた、気候帯ごとに・・・。
でも、かかる手数の割には、全然理解が深まらなかったと反省。
集めた200ccのペットボトル
12か月分12本×気候ごとに6地域6セット
72本のペットボトルは即、廃棄した。

3年前は、降水量は深さであるという
解説の文章をプリントして、読んで説明した。
理科室から水槽を借りて、
1日分雨水をためて、例として見せた。
6年前よりは少しわかってくれたかなと思ったが、
自分で雨量計として使えるものを探し、
雨水をためてみると私自身がよくわかった。
ほんとうなら子どもたち自身が測るべきだし、
そうすれば、もっと体感的にわかるなと思った。

だから、今年は、やっぱり、子どもたち自身が雨量計を作り、
降水量を、簡易的に測ることに・・・・
でも、一番の難問は、底が平らで透明な円柱か角柱か・・・
そういうものは無いということ。
子どもたちから、牛乳パックならどうだろうと言う。
確かに名案なのだが、以前に一回やってみて、困った。
透明でないと、中に物差しを入れて測るのだが、
メモリが正確に読めない。・・・・

もう、仕方がないということで、ペットボトルにやっぱり戻った。
一昨日、昨日と、各クラスで、ペットボトルを切り(くびれの部分を除くため)
雨量計を作製している。
だから、じゃんじゃん雨よ降れ降れ・・・と思っているのだが、
一方で、綿花の芽の方は
ほんとうにみじめな姿、
長雨が続くと、さらに打撃で、貧弱な茎には
綿花の実が成らないかもしれない・・・・
じゃんじゃん降って、そのあとカアーっと晴れる。
都合のいいことを望んでいます。




6・24
今日はテスト返却。
みんな、わくわくしてるような、
ちょっとでも自信が無いような・・・顔をしている。
1年生のテストは、とても簡単にしたので、
平均点は70点ぐらい。
2年生は50点ぐらい。
2年生の女の子が言っていた。
私、とにかくあがり症で、
一生懸命勉強しても、
頭の中が、真っ白になっちゃう・・・。
「部活の試合でもそうなの?」
うん・・・だそうです。
その女の子たちに必要なのは、
まず、自信かもしれない。
育ててあげたいと思う。
思春期の子どもたちに、一番必要なのは自信。
何か自信が付けば、
やりたいことや笑顔が増えてくる。
授業の中でも、ほめることで自信を育てているつもりです。



6・23
まだまだ蚕談義。後日談・・・・。
もう、繭を作っているのだが、
我が家で1000匹飼うと
大変なことになる。
実働は彼なのだが、・・・。
今年もその恩恵にあずかるのは・・・・
つまり、学校で生糸を取り出すのは、私と相棒なので、
娘たちは渋い顔。
何しろ、生まれた時から、
春から夏はお蚕なのである。
屋内ですべて飼っていた時などは、もう大変だった。
そんなところに、私の実家の父が
突然訪ねてきて・・・・・
私が家に帰り着いてみると・・・・
茫然。「予告してよ!」と相成ったが、
それより気の毒だったのは娘。
小学校の娘が帰ってきたところにチャイムが鳴り、
父が突然現る・・・・。
娘は、何の言い訳もできず、
娘も茫然、父も茫然・・・。
しばらく父に「お前の家は蚕屋敷か?」と言われ続けた。
それ以来、屋内では、飼わずに、縁側で飼っているのだが、
この季節、雨が多い。
そこで、どうしても繭の時期は玄関に入れる。
そうすると、繭を作りたいお蚕たちは、
箱から脱走して、狭い空間を
自分の場所を定めたくて、探し回る。
今年も・・・・悲劇と大騒ぎが起きた。
まず、私の靴の中にいたらしい蚕を
家族が踏んづけたらしい。
私が靴を履こうとしたら、蚕がミイラ化していて
私も思わずギャッと叫ぶ。
娘の靴の中にも繭を作っていた。
私は繭になったからいいじゃないの・・・と言うのだが・・・
そんなこんなで、娘たちは、蚕アレルギーである。
私たちは仕事でお世話になっているから仕方ない。
繭が無ければ、一世一代の授業もできなくなる。
ごめんね、勘弁してください。家族が大いに迷惑をこうむるのであった。



6・20
今は試験週間。
初めての定期テストの1年生。
やる気十分。でも、要領がわからないから、
結果はどうだろうか?
やらなくては、・・・という緊張感が、
子どもたちの顔に表れていて、
とても、そういう顔がいいと思う。
まだ、自信を失っていないし、
あきらめてもいない。
1年間たってくると、そうではなくなるから、
さびしくなっていくのだけれど、・・・。
こちらも応援をしたくなる。

2年生とは時差の勉強をした。
1年生との地理は緯度経度の勉強。
改めて気づいたことがある。
地球儀を扱うと、わかりやすいと思い込んでいたが、
子どもたちにとってみれば、
球体の地図の方が、慣れていないし、
それだけではなく、
裏側がいっぺんに見えないからこそ、難しい。
見えないところを思い描くというのはむずかしい。
本初子午線を目の前にして、
地球の裏側の日付変更線を思い描くのはむずかしいのだ。
「地球儀って苦手、難しいし…嫌い」
1年生も、2年生も、女の子がつぶやいていた。
そう言われてみると、そうなんだと、初めて実感!
ちょっと遅すぎました。



6・15
お蚕さまと繭は今年は大活躍だった。
市内の社会科研究会にも連れて行った。
若い先生たちが、物珍しそうに見ている。
なんと、街の真ん中なのに、
隣の学校に、桑の大木があった。
木の幹が20〜30cmはある大木だ。
小学校だから、きっと、
昔、蚕を飼った先生が植えたに違いない。
それは、きっと、今から数十年前だろう。

そんなことも想像できる。
それを話すと
隣の中学校の若手の先生が、
来年は絶対蚕を飼いたいと言っていた。
まあ、10匹程度だったら、
可能だろう。
来年のことを考えると楽しい。

通勤2時間、町を通り抜け
今年は、蚕も毎朝、毎晩旅をしていた。

以前、ドライアップしそこなった蚕蛾が
たくさん卵を産んでしまい、
それを2回目の飼育をすることになってしまい、
8月まで飼っていた時のことを思い出す。
みんなに大爆笑されたが、
奈良で研究会をやった時には
蚕を10箱以上の段ボール箱に詰めて
連れて行った。
もちろん、新幹線の中も・・・・
そして、研究会中もエサがやれるように、
宿泊先の旅館に、山に桑の木があるかどうか聞いて・・・
旅館の好意で、着くと、
トラックで、桑の木探しに出かけていった。
生き物を飼うのは、とことん大変なんだと思い知りました。

そして、今年は、綿花の栽培も苦戦中です。
発芽しない、芽が出ても、双葉を食べられてしまう・・・・
ダンゴ虫とナメクジが、こんなに強敵だとは思わなかった。
都会だから食べ物がなくて、・・・なんだろう。
もっと早く、ナメクジ退治の薬を蒔くべきだったと
今、後悔しているところです。


6・11
繭を作り始めたお蚕を
学校に持って行って見せる。
中学生が「先生、お蚕ですか?」
「うん連れてきたよ」と言うと
「わあ〜〜!!」と拍手が起きる。
私自身もよくわからない。
この間、ゆっくり見せてから
「お蚕さま だいす〜〜き」になってしまったというのだが・・・
どのクラスでも拍手が起きるのが
ちょっと不思議に思う。
一方で、大嫌いな子も、相変わらずいるので、
そこはあまり強調せずに、
教卓の前で、見せることにする。
繭を作っているお蚕は
ほんとうに見事だし、見とれてしまう。
お蚕の入った箱を取り出すと、
みんながどんどん寄ってくる。
おとなしく、おもしろく、静かだし、
かわいいというのだろうなあ。

お蚕は、隣の学校にも貸し出し、
同僚の若い先生も借りていった。
中学校三年生が、大騒ぎ、
すごい悲鳴も上がったらしい。

虫だから嫌い、とまるでゴキブリのように言う子もいるので、
でも、とにかく一番セレブな人間が
着る衣類ですから、・・・と必ず解説する。

もう一つ、盛んに聞くようになった。
「先生、この中にいるの?(繭の中という意味)」
「先生、このあと、蛾になるの?」
「先生、このあとどうするの?」
「うん殺すよ」
「どうやって?」
「乾燥させるんだよ」
「かわいそう」
繭という不思議なものに変身したのだから、
このあとはどうなるのか、・・・とても気になるんだな
それが最も自然に思われた。



6・8
言葉の授業の続き
子どもたちはこうも言う。
「言葉を使うようになって、
 情報を伝えられるようになった。」
「例えば、どんな情報?」
「危険な動物がいるから、近寄るなとか」
「遠くの人にも伝えることができる」

言われてみれば、
ジェスチャーでは、近くの人にしか、
伝えられない。
遠くの人にも、声で呼びかけることで、
情報を伝えることができる。

以前に見た、アッテンボローの番組を思い出す。
南米だったかマダガスカルだったか?
ホエザルが、遠くの仲間に、
伝えているのが、とても響く雄叫びだった。
危険を伝えるのに吠えるのだった。

そして、昨日の授業。
言葉をつかえなかった時代の実験として、
私の問題を子どもたちが、班で仲間にジェスチャーで伝える。
「ほら穴にクマがいる。つかまえて食べよう」
「仲間が病気になった。薬になる草を探そう」
「トラが来ると怖いので、火を焚こう」

1問目はさっぱり伝わらない。
それでも、クマはだいたい伝わる。
ガオーという格好をしている。
ほら穴が伝わらない。でも、1クラスだけ当てたクラスがあった。
2問目、3問目になると、だんだん勘が働いてくる。
中学生のイマジネーションとコミュニケーション能力は
実はたいしたものだった。
この時の、班ごとの子どもたちの表情は、
実に生き生きとしていて、楽しい。
見ているだけで大満足です。

この授業は、私が最初に出会った、
久津見さんの35年前の授業でした。
「教育ってなんだ」(斉藤茂男著)の本の中に出てくる
ケサイ狩りの授業です。胸が躍ったものでした。



6・6
原始時代の授業を、私たちの会は
たっぷり時間をかけてやる。
人間が、どうやって人間となっていったか。
それは、不思議であるとともに、とても興味深い歴史だ。
この授業をやっていると、
子どもたちとのやりとりが、実に楽しい。
心が和むし、子どもたちの言葉にハッとするし、・・・
今回も、とても感動してしまった。
授業は、ネアンデルタール人が、言葉を使っていた、
そういう生活になったとして、
どこがどう変わったか、言葉を使っていない時代とどう違うかを
想像しようと言って、発表してもらった。
私は、こんな言葉は言えない。

「人生が、明るく楽しいものになった。
 しょうもないことを言って笑ったりする遊びも出てきた」
(私の内心:人生が明るくなるとは・・・・そんなこと、考えもつかない。でも、
 言われてみれば、言葉で笑ったりするのは人間だけだ)

「子どもにいろいろなことを教えるようになった」
(内心:中学生から、教育が出てくるとはすごい!!)

「友だちが増えた」
(内心:言葉がやっぱり友情を作るんだと言いたいのね)

「逆にケンカ・悪口も増えた」
(内心:言葉でトラブル続出の中学生らしい想像だね。でも面白い)

「集団で行動するようになった。狩りも協力してできる」
(内心:本質をズバッというところが中学生のすごさ)

「ねごとも言うようになった」
(内心:言葉以前も祖先は、ねごとのような音声は、発しただろうか?
 疑問が次々湧いてくるな)

「商売ができるようになった」
(内心:商売までは行かないだろうけど、交換は、始まっただろう。
   つまり交渉を他地域の人類とするようになったということ?
   それはいつごろなんだろう?黒曜石の交換はあったらしいし・・・)

「教えてもらえる。教えを分かち合える」
(内心:なんてステキな表現をするんだろう。
    わかちあえるなんて・・・そういうのが人類の本来の姿なのかもしれないな)

分かち合える、分かち合える、なんてステキな言葉・・・
ずっと、今も感動している。
言葉って、そういう役目を果たすこともできるんだなあと、
そのひとつの仕事が、
私がやっている学校の先生という仕事。
だから、私が教わったこと、学んだことを分かち合い、
子どもたちもその教えを分かち合っていくことが、
そう、教育なのよね・・・・ちょっとお説教臭くなったかな?
でも、なんとなく私の仕事をほめてもらった気がして、
うれしくなってしまったのでした。
ありがとう、中学生たち。



6・3
今日、なんと、通勤電車の中で、
22年前の教え子に会った。
ホントに、奇遇だった。
最初誰だかわからなくて、
それでも、○○先生ですか?と尋ねてくれた。
名前を言われて思い出すが、
顔に面影が、そういえばよく残っている。
とても優しい男の子でした。
でも、いろいろ苦労をしていて、
その後のこともあって、
卒業以来全く会えなかったけれど、
心配していました。
37歳、タクシーの運転手をしているとか、
職場では、恵まれた人間関係で
「大丈夫です、先生」を
繰り返していた。
ほんとうに、会えてよかった。
うれしかった。顔が明るくて、それが何よりだった。
一番うれしかったのは、
変わらないって言われたことかな?
ちょっとそれは自己中ですね。



6・2
月が替わりました。
田植えをしました。
バケツ稲ですが、それでも、ちゃんと育つだろう。
新潟の有機栽培をしている農家で、
田植えと草取りをさせていただいたことを思い出す。
その土のなんとやわらかだったこと、
いつまでも入っていたいくらい、
足の指の間から、柔らかな土が、
むにゅむにゅと出てくる、その感触が、
とても気持ちいい田んぼだった。
生物がたくさんいて、トンボもクモもたくさん。
特徴的なのは、イトミミズがたくさんいて、
土を柔らかくしていること
ところが、こちらに土を持ってきたのはいいけれど、
ハタと気づくことがあった。
イトミミズを育てるための
栄養豊富な水がない。
都会では、水道水か下水しかない・・・・
イトミミズが住む田んぼの土は
新潟でしか生きられなかった。
都会では、水がないのです。水道水しか・・・
思い知ったことでした。



May



5・30
今日は、降ったり止んだりの雨。
火起こしはやらずに、
家から持って行ったお蚕さまの観察。
中学校でも歴史では、
古代のシルクロード、
(中国古代文明のシルク・・・特に前漢時代の中国の墓の絹織物は本当に素晴らしい。)
奈良時代の正倉院の絹織物、
江戸時代の工芸、明治以後の殖産興業・・・・など、
絹は、重要な歴史の柱である。
そういうこともあって、子どもたちに見てもらう。

しかし、マンションに囲まれた地区の子どもたちは、
教室に、羽虫のような虫が飛んできても、
授業にならない。授業中断!
男の子も「蝉は大嫌い。ゴキブリに似ている」という子が
半分くらいもいる。
カブトムシやトンボも嫌いなそうだ。
だから、お蚕さまにも、大騒ぎ、
観察すらできないという子もいる。

だから解説する。
「お蚕は、えさが、桑の葉で、桑がなければ死んでしまう。
 つまり、人間がえさをやらなければ死んでしまう虫なんだよ。
 しかも、作った糸は今でも、
 何十万もする衣服の材料になる、高級品。
 おとなしいし、飛ばないし、人間のために生きている
 じっとしている、おとなしい虫なんだよ」

 そのあと、じっと見ている間に、虫ぎらいだった子どもも、
「う〜ん、かわいいね、ほんとにかわいい」
そう言ったり、てのりにして見せていた。
生き物を対象にする時の、
子どもたちの穏やかな笑顔は、ほんとうに、愛らしい。




5・28
今日は楽しかった。とてもとても。
三年に1回めぐってくる、
歴史の授業で・・・火起こし。
だいぶ息切れをするようになったので、
舞切り式の火起こし器のコマを回すのに
途中で、教科リーダーに手伝ってもらうが、
最後の炎にするところまで、
私だけでやってしまう模範演技。
ボッと火が付くところで
「おおーっ!!」というため息、歓声・・・そして拍手。
今日は3時間やったので、3回拍手を受けた。

教育実習生も「先生、見事でした!!すごいです。」
なぜって、30年も火起こしをやり続けていたら、
当然ですね。もう職人の域です。百発百中です。

この授業があれば、
この火おこし器があれば、
どんなヤンキーの中学生とも仲良くなれる。
どんな生意気な中学生がいても、尊敬される。
ありがたい魔法の道具です。
女の先生が、文句なく男子から尊敬される・・・
そんなことって、中学校ではありえないのに、
それを可能にしてくれるのです。
だから、ぜいたくに、
36人に火起こし器15台を用意しておいて、
全員つけるように、アドバイスもします。
今日、女の子が、
「火起こしって、こんなに楽しいんだね」
「火を見ていると、心が和むなあ」

火種を作るのにあきると、
炎にする息のふき方を、ずーっとずーっとやり続けて
何度も何度も炎にして楽しんでいる男の子たち。
そういう中学生を見ていると幸せです。

明日から雨なので、急きょ、今日火起こしに変更しました。



5・27
体育祭の代休。
のんびりしました。

人類誕生の授業・・・続きです。
「北京原人とネアンデルタール人が
 人類にとって、大切なことができるようになったんだ、
 なんだと思う?」と問いかけ、
「火と言葉の使用だよ」と答えていって、
次には、では、どう火や言葉を使ったか、
想像してもらいました。
全員発表してもらうと、
とてもおもしろい意見がたくさん出ます。
奇想天外な意見も、ありえないとは言いません。
いいんです。楽しんでいるのだから・・・・
例えば、「火を使って水を沸かして、お風呂に入っていた」
まわりの子も、私も爆笑・・・・。
でも、「もしかしたら、あったかもしれない」
そう言ってあげます。
自分が一生懸命発表したことを
子どもたちが、勇気をもって発表して、
それを、否定されたら、二度と発言しません。
この場合は、それを否定する材料はないので、
肯定してあげます。
私がまとめる段階で、
「今、科学者がわかっている使い方はこうだよ」
と言って、証拠も見せれば、それでみな納得してくれます。
発表した本人も、授業の中に、
ちゃんと主人公で、いられるのです。
でも、びっくりするほど、的確な意見ばかり。
火は、温まる、肉を焼いて食べる、動物を火でおどかす、
火があると夜こわくない、蚊も動物も寄ってこない、
狩りに火も使っただろう、火を合図にも使ったかもしれない・・・
やけどしたかもしれない、暗くないから心が和む・・・・
おもしろいです。

言葉は、友だちが増えた、意志の疎通ができる、
感情を伝える、気持ちを伝えることができる、
狩りの時に協力できる、集団で行動する、
親が子どもに伝える、けんかもする、仲直りもする、
(以前に愛してるって言える・・・と言った子もいました)
こういう意見が次々と出てくると、
すごいなあと思います。
子どもたちって、想像力のかたまりだなあと・・・・
これが楽しくて授業をやってるんですね
次の授業は、火起こしです。
私の大好きで、私が尊敬される、崇拝される
そのおかげの授業です。




5・26
最近、ホームページを見てくださる方が増えました。
延べ1か月で300名ぐらいのかたが、
見てくださっています。
特に、今は4月・5月=
第一次世界大戦の授業で、検索される方がたくさん。
中学校で三年生、第一次大戦から始まるんだなあと
改めて、痛感しました。
授業で、少しでも、若い人たちに貢献できれば、
とても幸せです。

さて、1年生の人類誕生の授業。
黒曜石で、鶏肉を切る実験の時、
私にとっては、驚きのことがありました。
女の子が鶏肉のことを
「きたない」と言って触れませんでした。
その日の朝、スーパーで買ってきたもの、
用心はしてあります。
ビニール手袋が欲しい、これは、他にも
数人の女の子たちが、言ったことです。
ちょっとびっくりです。
原始時代の勉強に、ビニール手袋は
用意できませんでした。・・・・・!!
でも、男の子たちは、
30分たっても、飽きもせず・・・
大歓迎してくれました。





5・24
土曜日は体育祭。
毎日2時間か1時間は、体育祭練習が入る。
しかし、5月の陽射しは、強い。
今までの早春の陽射しとは大違い。
1年生だから、体力がなくて、
みんな、体調不良。
特に、野球部の男の子たちは、
彼らが言うには
「坊主頭にしたら、直射日光で、先生、頭が痛い」
どうも本当らしい。
みんなが頭痛を訴える。
軽い軽い熱中症のようなものかもしれない。
扇風機の回る4階の教室で、
風通しを良くして、ボーっとさせた。

団体競技の練習を子どもたちとする。
自信をつけて、がんばるぞという気持ちに励ます。
秘伝の「走るDVD」も、回覧したけれども、
三年生の、青春を燃やそうという迫力、
勝負への飽くなき欲望は・・・1年生無し。。
和やか、ふんわりと楽しんでいる。



5・23
2年生との授業。
江戸時代のようすは
NHKのタイムハンターシリーズが、とてもおもしろいので、
いくつか見せる。(ある程度、古文書から題材をとっていると思う)
その後、俵を見せる。・・・・・実物です!!!!
これがおもしろい物で、
実は、中はもみがら。
米屋さんの店先にあった物を、
いらなくなったらしく、昔ゆずりうけたもの。
博物館にも一つ置いてあるが、
もう一つは、私の勤務校に置いてある。
中がもみがらなので、重さは10kg弱程度だろうか?

それを見せようと思い、わんぱく少年に
手伝ってもらった。
そして、頼んだ。「重そうに持って行って」・・・
そうしたら、二人で、
ほんとうに重そうに持って、教室に持ち込む。
クラスメートたちは、うわあ、重そうだ・・・としり込み。
ひとり代表が担ぎに来て・・・あれっ思ったより重くない・・・

何に使うのかというと、一石の量を、
目で見て、ちゃんとわかるようにするため。
一石は一人分の1年間の食料
=2俵半=60kg×2,5俵というわけで150kg
それを、見るためです。

なかなかさわりに、・・・かつぎに・・・来てくれないので、
とっておきのひとこと。(老練な”こずるい”教師の手口?)
「さわりに来たら、成績アップするんだけど、・・・積極性で」
そうしたら、わあわあと20人位、すぐに並ぶ。
(成績を気にしたのではなくて、みんなは、
 様子を見て、恥ずかしがっていたんです。
 笑われたらやだなと・・・だから、ちょっと私が呼び水をすれば、
 好奇心旺盛な子どもたちは、寄ってきます)
女の子も、かついで見せていた。
そのあとで、ひとこと
「う〜ん、成績アップと言ってもまあ、0,003点ぐらいかな?」
だんだん私とのかけあいがわかってきた2年生。
「おれ、それでもいいから、0,003点欲し〜〜〜〜い」
授業を盛り上げてくれてありがとうね、みんな。
楽しく楽しく勉強して行こうね。



5・22
ここ最近、
栽培日記に、時間をたくさん使っている。
学校で、綿花の種まきしたが、芽が出ない・・・・
あんなに蒔いたのに、190粒中9粒だけの二葉?
毎日、空き時間に見に行くのに、全然増えない。
その上、二葉の葉っぱが次々と
虫食い状態に・・・
にっくき害虫は、たぶん、ナメクジかダンゴ虫だと思う。
ホントなら、ダンゴ虫は、かわいいと思うが、
各プランターの下にたくさん、20匹以上はいた・・・

これでは話にならないので、もう一度蒔きなおすことにする。
ナメクジとダンゴ虫に襲われないように、
ごみ袋のビニールを開いて、農業用マルチのようにするつもり。

発芽が、9個だけだと
綿花が教材として成立しない。
ちょっと焦っている。
栽培日記も成立しないと恥ずかしい・・・。
来年の、秋以降に使うつもりなので、
チャンスは来年もあるが、
急いで蒔く準備。
綿花の残っているのから、種を100以上、もう一度取り出す。
これが、綿毛だらけで、なかなか手がかかる。
今度、水に浸すのは2日間にしてみる予定。
まわりの綿毛が邪魔して、なかなかしみこまないので、
普通の種よりちょっと長く。

生き物はむずかしい。
でも、好きです。
手をかけるだけ、こたえてくれるものね。




5・18
夜、駅から家まで15分歩く。
夜風がとても心地いい。
まだ夏には早く、春ももう終わり。
でも、花粉症に悩まされ、頭がボーっとしている3月より、
花粉症もひと段落して、春の宵を実感している。
ほんとうに、気持ちのいい日々です。
春の匂いがしている。
新緑の・・・・夜だからこそ、においに敏感になっています。

昨日は3月に卒業した女の子2人が会いに来た。
なつかしく、照れくさく、
二人とも、とてもかわいい。
私のことを「大嫌いだったけれど・・・」と書いてくれた二人。
社会科が苦手でしたが、
教わったことが、今、役立っていると教えてくれた。
高校の現代社会で、グローバル化の食を扱っているようすです。
「牛の解体とか話が出て、・・・・私知ってるって思っちゃった」
そうやって、いつか授業を思い出してくれればいいかな。
私の授業というより
ドキュメンタリー「いのちの食べ方」の迫力です。

毎日1階と4階を休み時間ごとに往復しているので、
・・・それも、速足で・・・・
どのぐらい歩いているかと思って万歩計で測ってみた。
驚異的・・・・2時間目までで7,000歩。
1日だと、2万歩を超えている。
足腰丈夫になるかしら?



5・16
体育祭の練習が始まった。
学級対抗リレーと騎馬戦や棒引き。
1年生なりに作戦を立てようと
がんばっている。
でも、とても本音が出ていると思うのは
みんながみんな、
順番が前の方やあとの方で、
走りたがらないこと。
大丈夫だよ、お互いを責めないで、
がんばろうね、と言ってあげたい。

黒曜石の実験で、
昨日、なごんだお話。
料理が得意な男の子が、
黒曜石を使って、まるで包丁でやるように、
手羽元の小さな肉を、
おいしそうに、薄く延ばしていた。
「こういう風に、薄くすると、味がしみて美味しんだなあ
 フライパンにバターを溶かして、そこに入れて、
 ちょっとしょうゆを垂らして・・・」
まるで、においがしてくるような描写。
ほんとうは、アウストラロピテクスの石器の実験だが、
彼の本物の話に引き込まれる。
将来の仕事も、料理に向かいたいらしい。
ほんとうに薄く延ばした肉は上手で、
大葉や梅を間にはさんで、肉巻のロールにしたいぐらい。
彼の話に、ほんとうに感心した。
「どこで、そういうことを調べるの?」
「机の横には、そういう本が置いてあるんです」
「インターネットでも調べるの?」
「ネットは、ほんとうとは限らないから、あんまり信用できないんです。
 だから、ネットに出ていることは、実際にやってみてから、信用するんです」
いつもは、必ずおどけて、みんなを笑わせているのに、
そんなに真剣なんだと、とても感心してしまった。
「先生、知ってますか?
 鳩の肉のお団子は、ゆでて、白くなったからって、あげてしまうと
 まだ、中は生なんです。浮かび上がってきてからあげるといいんですよ」
「え〜! 鳩の肉って、どこで手に入れてるの?」
「肉屋で手に入れられますよ」
いや、すごい、知識の量が半端じゃない、
能ある鷹は、爪を隠す・・・でした。楽しかったです。



5・14
新しい学校に来て、1ヶ月過ぎても、
まだ、迷う。
校舎の作りが、ちょっと変わっている。
だから、階段をぐるぐる回っているうちに、
方向感覚が狂い、二つある階段のどちらなのか、
一瞬、見失ってしまう。
校舎の真ん中に二つの階段があるから、
東側の階段か、西側の階段か・・・・
子どもたちもよく迷っている。

よくわからないことがたくさんある。
学校によって、習慣が違うので、
いちいち聞かないとわからない。
それが、また興味深い。

健康観察カード、出席簿、要録がどこに置いてあるか、
特別教室のカギ、教室に鍵を掛けるか掛けないかの習慣、
1日中体操服に着替えているか、それとも、そうじ前か、
職員室にほとんど人がいないと、これは、なにか、
私が知らない会議があるのかな?とすぐに不安になる。
少しずつ、少しずつ慣れていきます。
子どもたちも柔軟性はあるが、
今は、大変なようで、毎日、熱を出す子が出ています。



5・13
今日の授業は、
黒曜石で鶏肉を切る実験。
ほんとうに楽しそうに
1年生は、班で男女仲良く
切り刻んでいる。
リチャードリーキー博士の
「人類の起源」のビデオには、
骨髄の中を食べていた・・・という推理が出てくるので、
骨も割ってもらう。
手羽中の骨なので、力の強い女子は
素手で折っていた。びっくり!!
設定は「猿人の君たちの弟妹が3歳ぐらいだから、
    小さく小さく切り刻んでね。」
始めはさわれないと騒いでいた子たちも
10分もすれば大丈夫。
子どもたちの笑顔は、ほんとうに見ているだけで
うれしい、楽しい。



5・12
金曜日、すごく疲れた。
でも、健康的な肉体的な疲れ。
1年生、このところ、連休明けから
体調を崩す子どもたち多し。
予想されたとおりだ。

4月は緊張しっぱなし、
5月、部活も始まり、生活が朝型になる。
友人関係も、ただの仲良しさんだけでなく、
ちょっとした問題も起き始める。
勉強も、今までは、担任の先生が、
全て教えてくれていたが、
宿題も含めて、自分でやらないと・・・。
熱を出したり、お腹を壊したり、胃をやられてしまったり・・・

今日はクラスの二人が早退。
しかし、通学に30分かかる距離だというので、
お迎えをお願いする。
何しろ、130センチほどの小さな体で、
教科書など数キロの荷物を持って帰るのは、
こちらの方で、不安になってしまう。
その連絡、そして毎日の保健室の様子見と・・・
1階と4階を10回近く往復した。
息切れはするし、・・・
・・・でも、簡単に体重が減らないのが悲しい。

そうそう、綿花の種を蒔きました。
お蚕さまも、産まれました。動画も作成! 春ですね。



5・10
全く違う話を。
先日、研究会でIさんと話をした。
どうして、中学校で、そんなにいろいろな体験を
授業でできるのかと聞かれた。
時間が足りなくて、子どもたちにやらせたいと思っても
できないと言われた。

いろいろ話していて、はたと気づいた。
私は、小学校を経験してから、中学校社会科に移った。
だから、授業を進めることより、
子どもたちにわかってもらうことに力を入れた。
それから、時代を大まかにつかむことをどうしたらできるかと
ずっとずっと考えて授業していた。

また、それだけではなく、
教科書を1時間に2ページ進める
・・・・という授業形態を、最初からしてこなかった。
中学校の社会科の先生の定番は、
1時間に2ページ進み、なるべく早く教科書を終わらせる!
それが、同僚の各先生の話で、
時には1か月前に終わらせることができたという話が、
自慢話のように語られた。

それが、わたしには、どうしても、最初からわからなかった。
子どもたちがわかるように教えるのが、仕事。
わからないかどうか確認しないで、前に進んでも、
意味があるのかな??????と疑問。
だから、わが道を行く・・・でした。

私自身が、「わかった」ということにこだわる性格。
時代の全体像が、思い描けることが、わかったことになる・・・
そう思っていたので、時代の全体像にこだわっていた。

そのおもしろいたとえを、思いついたのです。
みんな、先生たちは、バームクーヘンのように、
1枚ずつ焼いては重ねていく。いつできあがるか、見とおすことは大変。
1枚ずつ焼いていかなければ、バームクーヘンはできません。
だから、体験など、とても入れる余裕はない。

私のは、スポンジケーキを焼く。
ふわっと、思い切り膨らませて、最初に生地を焼いてしまう。
自分では、それも、しぼまないスポンジケーキを焼いてるつもり。
そして、その上に、生クリーム、イチゴと、
どっさり、おいしいデコレーションをのせる。

ケーキの作り方は、いろいろあるけれど、
一枚ずつ焼いて行かなくても、スポンジを膨らませれば、
おいしいケーキができるのです。

このたとえはどうでしょうか?




5・9
今日は、体育祭の全体練習が始まった。
ものすごい好天でした。
1日目だからこそ、日ごろ太陽のもとでは仕事をせず、
こんな日は、まぶしくて、クラクラ来ます。

朝日新聞のオピニオン欄
内田樹氏の論、私自身もそう思う。
グローバル企業は
利益を株主に還元と称して
会社で働く者には還元しない。
特に、日本人労働者には・・・。
それをグローバル企業の社長たちは是としている?
日本は食い物にされている。
アメリカの保険会社の乱立、CM。
日本にとって、マクドナルド、ケンタッキー、
ユニクロ、トヨタ、利益になっているのか?
私たちに、ほんとうにおこぼれが回ってくるのか?
企業だけが利益になっているのではないか?
おこぼれ主義でしか、日本経済は回らないのか?
なんだか、いつもおどされている感じがする。

朝から、悲しい光景を目にしたせい。
通勤電車で、30代の男性が、
手拭いをかぶり、ジーパンにTシャツ、足元は格安のスニーカー。
リュックを背負って、多くの乗降客が降りていくと
ひとり、カップ酒の日本酒を朝7時半に、がぶ飲みしている。
唖然としたのは、その飲み方の速さ。
まるで水を飲むように、一息入れずに5秒程度で飲み干した。

横で、見ながら、考えてしまった。
これから働くのに、大丈夫なのだろうか?
飲まざるを得ない、そんな職場?そんな労働環境?
アルコール依存症だろうと思う。

20年前は、少なくとも通勤電車のほとんどの客は、
20代、30代であれば、背広を着ていた。
ネクタイを締めていた。
サラリーマンがほとんどだった。
しかし、6時半台に乗る客の何割が、
今は、こうしてリュックを背負い、ジーパン、スニーカーで
働きに出ているのだろう。
日雇い派遣が問題になったが、
結婚できず、もちろん恋愛もできず、こうやって、
孤独に暮らす人々が
20代、30代に、激増しているのではないかと
肌で感じてしまう。

政治家も、官僚も
子どもの数が激減して、
鉄道の人身事故が、毎日有って、
こういう人々の姿を見て、
これでいいと思っているのだろうか?

税を預かり、法律を作り、人々を動かす仕事をする人間たちが、
日本人が未来を失っていっている・・・
そう思うような社会に、ストップをかけ
夢を描けるような社会に、なぜ作り変えようとしないのか・・・・
授業ではたくさんの夢が語れるのに、
行政で同じ世代で働く人たちは、誇りを持って、
全身全霊で、生きているだろうか?
黒沢映画の「生きる」を思い出す。



5・8
火縄銃の模型は、とても楽しかった。
火縄に火をつけるところまでは実演するので、
そのきな臭さに・・・・驚き、
わんぱく坊主さんたちが、首をすくめたり、
耳をふさいだり、・・・・
パチンコ玉が発射できるはずもないので、
そのあと何も起こらずに
「なあんだ」ということになるのだが、
ドキドキ、してくれる。
ごめんね、みんな、おどかして・・・。

1年生の歴史は、石器。
石器の使い方を推理して、
NHKが放映した「人類の起源」
リチャードリーキー博士のDVDを見せる。
大人用の番組の一部だが、私の解説付きで見せると
1年生の最初なので、真剣に見ている。
今度、これをもとに黒曜石で鶏肉を切ってみる。
実験をしながら、DVDの内容を思い出すだろう。

こういう勉強のしかたで、
歴史は、想像の産物ではなく、
科学なのだということを
つまり証拠をもとに考察する学問だと
実感してほしいと思っている。

教室になかなか入れない女の子と
いっしょに帰り道送って行った。
春の風、夕方、気持ちいい。
とても気持ち良かった。
ゆっくり歩くのも、たまにはいいね。



5・6
連休も終わり。
この間に、ホームページもがんばりました。
動画を入れたり、インタビューを入れたり、
目と肩が、ゴリゴリ。

明日は、2年生の授業は、
安土桃山、兵農分離。
山梨の星野先生に以前教わった。
刀狩と言っても、全国から集めることが
そんなに簡単にできたわけではない。
あなたなら、簡単に渡す?と聞かれた。

だから、最も現実的な政策は
兵農分離=城下に武士・職人・商人、農村に農民。
確かに、「七人の侍」を見ると
農民が山ほど武器を持っている。
それを持ち出してきた時、
侍たちは、激怒し、悲しむ。
タイムスクープハンターでも、
落ち武者狩りの様子が生々しい。
武士と農民を階級として、切り離し、
住む場所も分離する・・・それが江戸時代に徹底され、
ある意味で平和が作られた・・・そう説明したいと考えてる。

それと、明日は、鉄砲を見せるつもり。
この鉄砲の因縁の不思議さ
 ”島原の乱のフィールドワークの帰り、
 誰が出したかわからないが、ふと見ると
 銃身が、ごみとして出されていた。
 真っ二つに折れて・・。
 それを復元して(もちろん撃てない)
 木の銃身をつけ、火縄銃の格好にしたのが、その模型”
 
いつも、大人気!!
子どもたちは驚くだろうなあ・・・・


5・4
心配な女の子は、最初の一週間大変だった。
予想を上回る行動。
多分、学校、学年、保健室、何より先生たち・・・を
測っていたのだと思う。
探っていたのだと思う。

でも、保健の先生と意見が一致した。
保健の先生お二人が、居場所を作ってくれている。
それ以外の、学年を超えた先生たちが、
若い人たちが多くて、
逃げずに声をかけてくれている。
みんな優しいのだ。

あわてない、あわてない。
彼女は自分で目標を立て、
自分のその日の気分により、
自分の行動を自分で決めるようになった。
すごい進歩だと思う。
だから大丈夫だと思う。




5・3
合宿研究会で
川上さんお手製のソーラーによる発電の
工場模型完成のお披露目!
感動的です。ぜひ、動画をご覧あれ!
ソーラーで、工場模型が動くんですから。
一家に一台ソーラー発電があれば、
電力会社が要らなくなる。
未来も描ける。
原子力発電の一番の問題は
放射能と、ごみ。
それも、ソーラーなら出ない。
ソーラーのパネルが手に入れば
大資本の送電システムは要らない。
大資本に危険を押し付けられる必要もない。
意に添わない社会システムを
受け入れざるを得ないシステムが
これからさらに巨大化するのが、グローバル化。
グローバル化というのは、
地球が一つになるような幻想を抱くけれども
そうではなくて、逆に、地球規模の大資本が
もうけ、富も集中するということです。
だから、未来図を描くことが大切だと思う。

大資本がいなくても、
このソーラー工場模型は動き続けているし、(送電線が無い!!)
極端に言えば、人間がいなくなっても、
機械が、壊れない限りはずっと動き続けているんだと
変な実感がありました。
太陽エネルギーは、それほど
資本に左右されず、ずっと存在していくのだと思ったのです。



5・2
この連休中に、博物館で合宿研究会をします。
そのため、連休明けまで、ページはお休みです。
また、三日後に、お会いしましょう。


1年生の1学期に最適な教材、
1年生の1学期に絶対合わない教材があるものだ、と
改めて思うことがあった。

これは、授業を見ていたお母さんたちに、
指摘されて気付いたことだった。
人類模型が登場する。
実物大のベニヤ板張りの、
アウストラロピテクス。
コピーの写真とレプリカをもとに
子どもたちが、アウストラロピテクスの復元図を
想像して書いた後
私が、芝居っ気たっぷりに、
「今日は、実は、最古の人類である彼をお連れしてきました」と言って、
連れて教室に入ると・・・・
ハハハハ・・・という笑いは、いつでも起こる。
授業では、「背比べしてみて、握手して、よく見て」
と、全員、前に出てきて親交を深めるように言った。
そうしたら、今年は、全員、前に出てきて、
ちゃんと握手する。
いつもは、10月に人類誕生をやるので、
その違いにあとで驚いた。
お母さんたちから、
「喜んで、握手してましたね」
「もう1年もすれば、やらなくなるのですか」と聞かれた。
そういえば、10月にもなると、
前に出てくるのが、数人になる。
少しずつ、中学生は、恥じらうようになる。
そうでした。だから、今がいいのだった。

絶対無理な教材がある。
時差だ。
これは、1年の最後か、2年の最後なら、何とか・・・
それなのに、1年の最初の教材に入っていて、
私は、わざわざ、一番最後に持って行った。
今は、うしろの方になっている。
20年以上、こうして、最初に教えられるようになっていた。
文部科学省は、わかっているようでいて、
全然わかっていない。現場の声は、一番聞かない、届かない・・・。

山梨の博物館で合宿研究会をやります。




5・1
1年生の方は人類誕生の授業。
週1時間だからさびしいが、一期一会のつもりで。
まず、アウストラロピテクスの化石、
写真コピーとレプリカから
復元図を予想して、描いてもらう。
「絵は、下手でも全然問題ないよ。
 美術の時間ではないんだし、
 誰も、この400万年前まえの人と、
 地球上の誰一人として、
 会ったこともないんだから・・・・
 どんな絵を描いていても、
 間違ったとは言えないものね。
 もしかしたら、みんなの意見が
 正解かもしれないし・・・・」
そうやって、勇気づける。
手がはたと止まり、「描けない、描けない・・・」と
苦しむ子もいるので、
まず、想像する楽しさを知らないと・・・・。

化石のレプリカを見た男の子たちが
口々に言う。
「どう見たって猿だよ」
「あんなに頭小さいんだもの」
「口が前に突き出てる感じ」
「ちょっと出っ歯なのかな」
・・・・・・
確かに、どう見たって、サルのように見える。
だから、なぜ人間かということが大事。
決定的証拠は、化石といっしょに発見された石器。
それも、今は、すぐに写真として手に入る。
科学の最先端が、見られるのだからすごい。





April




4・29
連休が始まった。
5月の連休には、会の合宿研究会がある。
各地の会員のかたと、お会いできるのがうれしい。

2年生との歴史の授業の感想、
こしょう、クローブ、シナモンを味見。
ビーナス誕生の黒板二分の一の絵画コピー。

「スパイスは世界をつなぐために
 必要なものだったんですね。
 ルネサンスの芸術もすばらしかったです。
 一生に一度は本物を見てみたいと思いました」
              ゆみさん
「欲望で、世界は変わるんだな」
           ゆうやくん
「誰もが知っている
 世界的に有名な作品を作った予算などは
 スパイスから来てると知って
 すごいと思った」
       はじめくん

イタリアで実物を見てきた感想を
授業で話すのが楽しい。
「ボッチチェリのビーナス誕生で
 このビーナスの女神の肌の色が
 ほんとうに美しくって、
 世の中に、こんなに美しいものがあるのかって
 透き通るようなピンクでしょ・・・美しいね」
「ダビデ像は、すばらしい筋肉で、
 これも見事な男性美なんだけれども、
 フィレンツェの街の中にある時は、
 気が付かないんだね。
 これが、博物館の中にあると、
 台座の上にのっていて、しかも2mぐらいの大きさ、
 なるべく近くに行ってみようとすると、
 見えるのは、男性の大事な部分が
 一番よく見えてしまう。
 だから、ちょっと恥ずかしくなって、
 離れてみると、よく見えない・・・
 世界中から来てる人が、
 前行ったり、後ろ行ったり・・・
 ちょっとおかしかったよ。
 でも、ミケランジェロは、女性を描くのは苦手、
 芸術家で、男性を好きな人は、
 昔から多いんだよ」
みんな、耳学問だったり、雑学だったり
私の実感と重なり合って、おもしろい話になったようだ。


4・26

3年目の若い先生から、
悩みを聞く。
板書をどうしているのかという話。
指導書のそのままを書いている。
それしかまとめようがないと。

そう言われて、同じ単元の板書
=つまり、ノートにどうまとめて書くか、
私の板書例をノートに書いてみる。

それを、若い先生に見せると
「おもしろい」と言う。
何がおもしろいのかと聞いてみると、
延暦寺の力をおさえるために信長が焼打ちにした理由を
「当時の大寺院は軍隊を持ち、サラ金のように金貸しをして
 力をふるっていたから」と
まとめているのがおもしろいそうだ。

教科書には「僧兵」「経済的力」などという言葉を使っている。
私は、教科書の言葉はなるべく言いかえて板書する。
まず内容がわかることが大事。
単語の説明をつなげていくようでは、
とても子どもたちにはわからない。

井上ひさしさんが言うように
「むずかしいことをやさしく,
 やさしいことをふかく,
 ふかいことをおもしろく,
 おもしろいことをまじめに,
 まじめなことをゆかいに,
 ゆかいなことをいっそうゆかいに」(井上ひさし)

わかるということは、とてもおもしろいことだと思う。
若い先生がおもしろがってくれたが、
板書の内容、一つとっても、
そういえば、30年、工夫し続けてきたんだから
参考になるのは当然だなと思う。
ノートを紹介するのも、
大事なことなのかもしれない。



4・25
いよいよ授業が始まっている。
大笑いしたことが一つ。
さすが中学1年生
原始時代・・・などの時代分けを話していた。
「みんなは原始時代の人というと、
 毛むくじゃらだとか、
 猿だとか言って、笑うよね。
 でも、私は、一番この人たちを尊敬してるんだよ。
 タイムマシンでみんながこの時代に戻ったら、
 どれだけ、みんな生きてられるかな?」

昨日は冷たい雨が降っていた。

「まず、この時代は、洋服が無いわけだから、
 裸にならないといけないね。
 雨にあたっても、毛むくじゃらなら、まだいいけれど、
 私たちだったら、凍えて、風邪をひいて、
 肺炎になっちゃうね。」
「食べ物だって、自分で取らないといけないわけだから、
 食べると下痢をしてしまう草を
 食べちゃうかもしれないし、
 川の魚も捕まえられない。」
「原始時代の人々が、いかにすごいかということを、
 体験するとわかるから、楽しみにしていてね」・・・・

そう言ったら、数秒後、息をのむ音、
「えっ!!!!! はだかになるの?」
ああ、大いなる勘違い!!!!!
みんな、顔を赤らめて大爆笑でした。
「ちょっとびっくりさせないで、
 そんなことしたら、大問題だし、
 みんなもなりたくないし、お互いに見たくないよね・・・」
うんうんとうなずくみんな。
でも、とても楽しいとてもおかしな1年生。
言ったのは、女の子でした。



4・22
30年以上、
クラスの一番初め、
授業の一番初めは、
会の大先輩”久津見宣子さん”から教わった
次の方法で始めている。
これは、常に私の教師たる指針!!

まず、黒板に私の名前を書く。
「○○ 優子」
そして尋ねる。「優」の字の違う読み方は?
「やさしい?」とちゃんと誰かが言ってくれるので、
「そう、優しくて、ぴちぴちで、若くて美人の先生に
 受け持たれるみんなは、とっても幸せだね」
そう言うと、子どもたちは、
「くすくす」あるいは「えーっ」という顔をしながらも苦笑?
緊張した顔がまず笑顔になる。そこで
「いつもは優しい先生ですが、これだけは本気で怒るという時が三つあります」

「まずひとつめ、自分も友達も大人に対しても
 体を傷つけそうになった時」
そういって、例を挙げて説明をする。
「自分でふざけて首を絞めたり、ビニール袋を頭からかぶったり・・・」
「中学生だから、わかっているはずなのに、ふざけて廊下で
 プロレスの技をかけて、頭を打ちそうになるとか・・・」
四国で、全面ガラスに追いかけっこで突っ込んで亡くなった話もする。
追いかけた方も、負い目の心の傷を抱えるようになること…シーンと聞いている。

「二つめ、自分も友達も大人に対しても
 心を傷つけそうになった時」
例を上げる。「自分はバカだから勉強しなくていい」これもダメ。
「私の嫌いな言葉は、むかつく、うざい、死ね、キモい」
「許せないのは、ガイジ、障害を持っている人を例にして
 バカにする言葉」私もあなたたちも、いつ交通事故にあって
障害を持つようになるかもしれない・・・。自分だけ「ふつう」みたいな考え方はおかしい。
「社会科では、人間を大切にすることを勉強するわけだから、
 テストで100点とっても、それがわからなければ、0点と同じ」
そう話しても、反発する子は、毎年皆無。
わかっているのです、ほんとうは。

「三つめ、授業の妨害をする時」
「おしゃべりして友達に話しかけるのも、友達の勉強の邪魔をしているからダメ」
「話しかけられたら”僕は授業が聞きたいんだ! 話しかけないでくれたまえ”と言って
 断らなきゃダメだよ」

三つの点を、もう一度確認したあと、突然
「コラ〜〜〜!」と大声を上げ、みんながびっくりしたところで
「こんなふうに、本気で怒ります。
 でも、慣れてきて大声でいうことを聞かなくなったら
 女の先生得意の、ねちねちと、しつこくお説教してあげて
 もういいというまでわからせてあげるから、楽しみにしてね」

あらかた、こういう話をする。約20分くらい。
その日から、小さいことでも、この三つにかかわることがあったら、
ちょっと大げさに、叱る。

例えば、翌日に、やっぱり、「ガイジ」と言った子がいました。
それを、自分が言われたと、言いに来た子がいました。
すかさず、こういう時は、すぐに、話題に出します。
聞くと「言ってません、外人と言っただけです」
見えすいていたので、みんなの前で報告すると、みんな失笑。
そこで、改めて、言った言葉を確認して、相手に謝ってもらいました。

もう一つは、おしゃべりが増えてきて、先生に叱られたことです。
早速帰りの会で、話題になると、ふざけた方の子が
「おもしろかったから、いいんだよ」と軽口をたたいていたので、
その子に聞きます。入学式の次の日話したことは?
すっかり忘れていても、周りが答えてくれて、
授業に集中しなかった点を担当の先生に謝りに行かせました。

若い時にはわかりませんでしたが、
この三つの点については、
絶対におろそかにしない。
小さなことでも、必ず確認して、注意し、修正する。
こうしていくのが、いじめを無くし、
クラスを平和にし、安心して過ごせるようにする、
最低保障なのだと、わかっています。

長くなりましたが、若い先生たちが読んでくださっていれば、
ぜひ、参考にしてください。
この三つの点について、
叱る先生は、子どもからも保護者からも、信頼され、
叱らない先生は、逆に、信頼されません。
久津見宣子先生様さま・・・大明神です。
一番大事なことを、一番最初に教えていただきました。




4・21
新しいホームページのコーナーを作ろうと
今日は、パソコンを前に、10時間以上四苦八苦する。
基本を作ったのが、ほぼ1年前なので、
すっかり忘れている。
もっとわかりやすくなればいいのに・・・。
字がかすむので、メガネをかけるが
肩はこるし、腱鞘炎になりそうだ・・・・、
それでも、綿花の栽培や、稲・紅花など、
教材にこれからはいい季節だ。
早く新ページの開設をしたいと気ばかり焦る。
やりたいことがたくさんあって、
アイディアでパンクしそう。

まず、2年生でも自己紹介がうまくいったのがうれしい。
やっぱり、かわいかった。
緊張していたが、すぐほぐれた。
名前が優子なのがうれしい。
ずっとこのネタで30年やってきました。



4・20
授業が始まった。
クラス数が多いが、1年生全クラスを持ちたい。
全員が体験できるようにさせたい。
それには、帯で持つようにした。
歴史1時間は全クラス持つ。
地理基礎と名付けて、地形・地球儀・気候・産業
などについて、1時間。これもほとんどのクラスを持つ。
もう1時間は、世界地理、
これは全クラス、もう一人の先生が持つ。
そして、2年生を1クラス持つことになった。

内容としては3種類。
地理、歴史最初から、歴史途中から。
1時間目、これは、30年間同じパターンで
自己紹介とルール説明。
飽きるかなと思っていたら、
2年生でも、目を丸くして、笑いながら聞く。
1時間目で、子どもたちの心をつかめたと確信する。
だてに30年やってきたわけじゃないなと思う。
その秘策については、今度ご紹介します。

心配な女の子のために、
1日、2時間ごとぐらいに
1階と4階を行き来する。
良い運動になる。
はて、脂肪は減るだろうか?
元気で、最後まで
(ただし私自身は60を過ぎても、
講師でもなんでも授業をするつもり)
授業をしたい。と思っているが・・・・。





4・16
1年生のレクで、長縄大会。
八の字で連続飛びと、全員がいっせいに飛ぶのと・・・。
みんながものすごい勢いで、
連続とびをするのに驚く。
小学校で大会をやり、競ったらしい。
お互いに声かけ合って
「ドンマイドンマイ!」
「つなげていこう」
飛んだ数も声を出して、数えていく。
私は見ているだけで、
男女仲良いようすに大満足。
3月までの3年生は
とてもむずかしかったから、ホッとするし
とても心が和む。

ついに、133回連続とびで、1位。
みんな全員でピョンの方は、
30分近く0回だったのが、
ようやく飛べ始めて、本番13回もいったので、
私は一人優勝と思っていたら、
他クラスが20回越えをしていた。
底力ってすごいものだ。




4・15
クラスの不安定な女の子が、
今日はちょっといろいろありました。
でも、百戦錬磨の私なので、
それなりに、してあげられたと思います。
動じずに、話を聞き、
さすってあげました。
人間というのはすごいもの、
いつかはのりこえていくもの、そう信じています。
みんな、そうやって巣立っていきましたから。
ひとりひとりペースは違うけれど、・・・・
だから、むやみにあせらずに
ユーモアを持ってのんびりと、
そして、明るく構えることにしています。

もう一つ、
今日はうれしいことがありました。
元同僚と話をしたら、
以前に渡した私の三年間の授業一覧を見て、
映画「西部戦線異状なし」を
レンタルで借りて、見たそうです。
白黒、2時間余り。
娯楽作品とは言えないながら、
当時のアカデミー賞をとっている映画。
でも、見るのは、エネルギーが要ります。
何より、私にとっては、
戦争について、男子の共感を得る
数少ない映画。
兵役に就く年齢に近い
中三男子にとって、胸が痛くなり、共感する
映画のようなのです。
それを、見て授業に使おうかどうか
いろいろ迷っているという話でした。
少しでも参考にしてもらえるのは
とてもうれしいです。

昨日、また4往復して引っ越しを全部終えました。
家内労働で、家族総出、
特に、鉄の炉に使うドラム缶や、
100個近いレンガ・・・今回は娘に活躍してもらいました。
これが無いと鉄づくりができません。
引っ越しのそのついでに、
家庭科の先生のところに、
会のベテラン先生お手製の
高機を一台、置いてきました。
これも大変喜ばれてました。



4・13
昨日の最初の学年集会。
いつも気合を入れて臨む。
最初の授業と思って、
奇抜なこと、しかも楽しいこと、
社会のことを入れる。
昨年の3年生の集会の時は、
防毒マスクをかぶった。
・・・・戦争の勉強するよというアピール。

今回は、地理と歴史を教えるので、
二つのクイズのつもりで、
一つは、中国の耳当てのついた帽子・・・これは寒い地方
では、エジプトで買ったニカブをかぶり、
(つまり黒のベール=目のところだけが開いたものです)
これは、どういう地方の服装?
(びっくりさせたいのです)

二つ目は
「はにわって、知ってるね」
「人形、土でできた」
「そう、じゃあ、実際の大きさ知ってる?」
と言って、拡大コピーを見せた。
1mくらいの大きさ。
「はにわは、何に使われたのか?
 そのヒントは中国でも、同じような、人形があるんだ」
そういって、兵馬俑の写真を見せる。
これも実物大・・・・
「死んだあとの世界のことで、
 とても恐いけれど、不思議な謎が、あるんだよ」
「答えは、授業で、勉強しよう。
 歴史も地理も、おもしろいよ」

これが、あとの大人の歓迎会で話題になる。
「先生、はにわって、ほんとにあの大きさですか」
「私、はにわって、10センチくらいだと思ってた」
・・・・・私も実は、大人になって、しかも教師になって
約20年くらいして気づきました。
結局はにわは、人身御供、殉死のかわりだった。

そんなことは、ほとんど勉強の中心にはならない。
でも、こんなに不思議で面白いことがあるだろうか。
よく読み返してみれば、魏志倭人伝にも
「卑弥呼は100人の殉死」とあるし、
日本書紀にも、
「殉死の人々の泣き声がうるさくて、
 天皇が殉死をやめさせた」とある。
テストに出ないところに
歴史のおもしろさがある。




4・11
今日は1年生の二日目。
心配な彼女は、朝早々保健室へ
その後、疲れ切って家に早退した。
朝、一番に教室で待ってあげるべきだったと、
「失敗したな」と一瞬思う。
でも、長い目で見ないといけない。
そんなに簡単には解決しない。
こちらのスケジュールで、子どもを動かそうとすると
たいてい空回りばかりしてしまう。
だから、少しのんびり構え、
とにかく話をして、彼女の意思を尊重する、
それが、最も大事・・・そう経験上わかっている。

他の子どもたちとは、
仮説の本に出ていた「七つの扉」的に、自己紹介をする。
つまり、クイズ形式・・・たとえば
「私は男です。
 私は背が高くはありません。
 私の好きなものはゲームです。
 私はマンガののび太に似ています。
 私の秘密は、小学校二年生の時に道路で踊っていたら、
 車にひかれました。
 私は誰でしょう?」
(実際に、以前こういう子がいました)爆笑!
というようなクイズにします。
秘密が一番盛り上がるように、説明します。
からかわれるような嫌なことは、絶対書かないようにして、
人に話してもいい秘密があったら、
おもしろいことがあったら、書いてねと言う。
もし、迷ったら相談して・・・・
というと、かなりおもしろいエピソードが出てきて盛り上がります。
誰に似ているというのも自称でかまわないので、
私自身を例に出すのには、今年は
「綾瀬はるかか、AKBの大島優子に似ている???」と言って盛り上げます。
いっきに、楽しい雰囲気になり、
みんなが大嫌いな自己紹介が楽しく早変わりします。

あと、もう一つ。
来週、クラスメートの名前が覚えたかどうか、
テストするよ。・・・ただし、ひらがなでOK。
だから、毎日、知らないクラスメートと
6人以上握手したら、かえってよろしい・・・・。
そう言うと、1年生は、まじめに、しかも照れながら
握手して、帰って行きました。



4・10
今日は、うれしいことが二つ。
朝の通勤電車で、卒業生たちに会う。
屈託なく、明るくて、輝いている。
電車の中でも、頓着せず、名前を呼んで、手を振る。
こちらの方が照れくささで参ってしまう。

入学式後、もう一つうれしいこと。
他のクラスのお母さんが、私の教え子のようだ。
それも、私が小学校で教えていた時代、
8年間の中でのメンバーらしい。
本人とは直接挨拶できなかったが、
小学校時代に、とても楽しかったと
話していたらしい。
ありがたいことです。
小学校で教えていた時代のことを思い出すと、
光り輝く時代でした。
よもぎを摘みに行って、草もちを作ったり、
川辺に漂着したクラゲをさわりに行ったり、・・・
大らかで楽しい日々。
散歩がクラスの習慣になっていた。
川沿いの土手に、自然観察に行く時の楽しかったこと・・・・
楽しくて、楽しくて
・・・・そんな想い出が次々と湧いてきていた。
ぜひ、会いたいな、楽しみである。



4・9
明日は入学式。
1年生とクラスのメンバーと
初めての顔合わせ。
今日も忙しく仕事をした。
個人の机の修理、しおり作成、
たくさんのこまごました仕事がある。
家事と同じで、キリが無い。
完璧にやろうとしたら、今日の仕事で疲れ果ててしまう。
年季の入った私は、早々に切り上げて帰ってきた。
若い人たちは、まだまだ残り仕事をやりそうだった。

今日、私が一番考えていることは、
明日、クラスのメンバーとどう出会うかということ。
気になる女の子がいる。
彼女は、かまってほしい・・・という行動を極端にとるらしい。

よくよく考えて、いくつか作戦を立てる。
一つ、とにかく覚えて、まず「かわいいね、髪形が可愛いよとか・・・」
と通りがかりにさりげなく、ひとこと、ほめる。
これは、やらせのようでいて、
以前同僚が、不登校の男の子を毎日登校させるようにした技。
横で見ていて、私はあざといと思ったが、その効力は抜群だった。

二つめ、握手をする、か触れ合う。
何人かと、何気なく握手をする。
同じクラスのメンバー、よろしくね・・・といった具合にボディタッチ。
あるいは、襟を直してあげながら、肩に触れる・・・安心してくれるかも。
親近感がわくだろう。

三つめ、何か、小さな役割・係をやってもらう。
明日も来なくちゃという気になるように。・・・

後はぶっつけ本番。
この位を考えておいて、彼女の顔色を見ながら、
あとは、臨機応変、
充分に声をかけてあげよう。
私にちょっと特別だったかな?と思えるように、
そして家に帰って、お母さんに、明日も行くよ、と言えるように。
手練手管が、おばさんベテラン教師の真骨頂です。



4・7
新学期が明日から始まる。
今年は1年生。
クラス数が多いから
子どもたちの名前を覚えるのが大変。

昨日は嵐が来ると言う前ぶれの中、
学校間の教材の移動=引っ越しに
家族総出で4往復。
やっと三分の二を、新たな学校に収めた。
家族ともどもくたびれきった日になる。

何とか、たたら製鉄もやりたいな。
火起こしはさっそく5月にでもやろうか
教材を運びながら、
アイデアが湧いてくる。
水曜日が入学式、
まだまだ一年生はやってこない。
楽しみです。



 4・4
一週間も空いてしまった。
まだ、子どもたちは来ていないが、
毎日、準備に忙しい。
新しい学校は、通勤によけいに10分ほどかかる。
相変わらず、家を出るのは6時。

今度は1年生。
新しい学校での学年構成やら、
職場の雰囲気はあるが、
とにかく大規模校。
若い先生も多い。
特に女性が多い。
学年メンバー12人いるが、
経験年数10年未満が半分。
そこに助っ人として入った感じ。
今までいた学校では
副主任の仕事を引き受け
校外学習や修学旅行、進路の実務を
全部引き受けていたが、
その役割をする人は別にいる。
もうそんな年齢かもしれないと思って
少しさびしかった。
学年行事はとても大変だけれど、
学年全員を見渡せて、
学年全体の雰囲気作りもでき、
それなりに学年づくりができただけに
ちょっと残念に思ったのだ。

でも、逆に、これは、授業に専念できるなと
だんだんうれしくなってきた。
やっぱり授業が一番私は好きだから、
いいですね。

それと、たぶん若い人たちの
雰囲気づくりとサポートができると思う。

最初は、若い女性たちは、
ちょっと、どんな人かな?と警戒していたよう。
1日から3日間は
私もちょっとした疎外感を感じる。

でも、クラス編成の最後に
心配な子を引き受けて・・・
一気に頼りになる存在と
少し認めてもらえたよう。
私には、当たり前のことだけれど、
学年のメンバーが、ふっと和んだ。
これでいいと思う。

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