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今までの「アイ love 授業」……バックナンバー編


 
最新の「アイ love 授業」へもどる。


2014:中学2年生の1年間



March



3・24
明日で今年度はおしまい。
学年・クラスの子どもたちの居場所づくりと
若い先生たちの過労については
来年度本腰を入れないといけないけれど、

授業の感想は
ありがたいものばかりでした。
好評なのが、
ドラマや映画の時に
入れる私の解説のようです。

みんながわかると書いてくれるのがうれしい。

300人いて、進度を気にしている子は二人。
その信頼を裏切らないように・・・。

「今学期は、今までの時代より一気に文明が発達して
 まさに激動の時代の勉強をしました。
 糸や米などの農業が主流の時代から
 工業化への移り変わりが
 とてもおもしろかったです。
 また、革命が多く起こり、
 市民の気持ちやその時の状況のようなものも
 よくわかりました。
 レミゼラブルは、ミユージカルのテンポ
 で次々と話が進んでいったので、
 話もよくわかっておもしろかったです」
もう一人
「市民革命のところが、
 塾では全然わかりませんでしたが、
 授業を受けてしっかりと学ぶことができました」

・・・・そうそう、わかるように教えるのが授業・・・
弾丸トークは誰だってできる。
1時間に2ページも子ども無視ならできます。
でも、私はやれないしやりたくない。・・・
これは私のつぶやき。
「ビデオを見ると、教科書を見るより
 倍ぐらいわかるからよかった。」

感想に、わかりやすいと書いていない子が
いないくらいだった。
「糸作りとか、鉄づくりとか、布織りとか、見るだけ
 じゃなく、自分たちで体験できたので、楽しかったです。
 あと、映画やプリント(話)で、そのころのようすが
 すごいわかりやすく出てて、印象にも残りました。
 黒板も分かりやすかったです。
 来年も歴史を楽しみにしてます。
 あと、楽しんでちゃんと頭に入るようにしたいです。」

楽しんで頭に入れたいとはなんとぜいたくな
なんとうれしい要求でしょう。
楽しんでわかる勉強をもっともっと・・・・と子どもたちに
励まされ、働かされ、調子にのらされて、踊らされている・・・
笑顔の私でした。




3・21
授業も最後になり、
来年度その続きをすることになります。
1週間に2時間の歴史はつらい。
3時間だとぐいぐい進むが、
ちっとも進まない。
やりたいことは
もっと精選しないといけないだろう。
でも、ようやくペリー来航、
薩長同盟まで行きついた。

授業の感想は、
子どもたちから来ると、ほんとうに癒される。
教師の間では、進度が一番、
そしてすぐに話題になる。

1時間に2ページ進むと自慢する人もいる。
だから、1年生で世界地理を終え、
歴史も鎌倉時代まで終えたと言う。
・・・・絶句してしまう。

そんなに詰め込んで、子どもたちが、
3年後、受験の時、何を覚えているだろう。
わかるように、覚えやすいように、
教えるのが私たちの仕事ではないだろうか。

私が30年こだわってきたのは
「社会科がわかる」ことだった。
わからないことを覚えることほどつまらないことはない。
だから社会科が、一番嫌いだった。

そして、今、受け持った子どもたち。
子どもたちは、
わかって楽しい授業がうれしい・・・
と言う。
私のことも信頼してくれている
それにこたえて、確実に、終わらせる・・・
それは決意だ。
そして、子どもたちは、
時代をイメージできるのが、良いと言う。
わかりやすくて、
テストの時にも思い出しながら、
答えを書いていた・・・・そう書いている。

3年になっても、
「ルーツ」もはずせないし、「仁」もはずせない
「モダンタイムズ」もはずせない。

おもしろいことに、子どもたちは
「龍馬伝」より「仁」の坂本龍馬の方が
良かったと言っていた。
同感!!!!
でも、これは、好みの問題ですね。

そういえば、伏見の寺田屋も行ってきましたよ。
9月に。



3・14
娘の卒業式と勤務先の卒業式を終えました。
下の娘は、小学校までは
ほめられたくて、ほめられたくて、
たくさん私のお手伝いをしてくれていた。

それがいつしか
たのんでも「いやだ」
受験が始まる高校になると、
乱暴な言葉づかいになり、
時には「おまえ」だの、
逆に、すべてに、敬語をわざと使ってみたり、
まるでハリネズミのように、
話しかけるだけで、
棘に刺されてしまうようだった。

私の両親が、よく言っていた言葉を
思い出した。
「屁理屈ばかり言って」
「親をバカにしているんでしょ」
私自身が高校生の時には、
ヘリクツだとは全く思わなかったし、
バカにしてるつもりなんかない・・・と思っていたが、

娘にも「屁理屈ばかり」と、
同じことを言っていた。
そうか、親にとってみれば、
これはヘリクツだなあ、
学生時代によく言っていた言葉、
「なんでやらなきゃいけないの?」
「大人だから許されるの?」
「親なら何を言っても良いわけ?」
それと同じことを娘が口走っている。・・・・

今、私が感じるように、
なんて、理屈っぽくて、
気難しくて、面倒くさい中学生や高校生だったのだろう

娘も、受験がこれで終わって、
少しはとげとげしい病から、
解放されるだろうか?

おだやかな毎日が、また、訪れてくれるように、
娘の顔色を見ながら思う毎日です。






3・10
ガンジーの映画を見せているのだが、
映画の場面場面で、
インドの風景を思い出す。
まるで、ほんとうに
お釈迦様の周りに集まったような
牛、犬、インコ、クジャク、ロバ、鳥たち・・・
そういう動物にあふれていた町。
ガンジーの農園は、映画に出てくるより、
もう、街中になっていたけれども、
質素で、ガンジーが断食をして、
インド全体に非暴力を訴えるために
横たわった家も、映画の通りだった。
今も、ガンジーの故郷周辺では、
白い、ワンピースのような
すらっとした、衣装を着けた
若者たちが多かった。
ガンジーの心が生きていると感じた瞬間を
今、また思い出していました。




3・9
今、学校で大問題になっているのが、
子どもたちの処遇。
教室に入れない子どもたちを
誰が、どこで
指導、ケアするのか?
それぞれの権限、部署のメンバーが
それぞれの主張をしあって
今は、難民状態、流浪の民になっている。

子どもたちのためにという一点で、
一致できない職場って
すごく悲しいと思う。

この二年間、すごく努力してきたが、
多くが徒労に終わってきている。

でも、その分、子どもたちは、頼りにしてくれている。
成長してきているのも確か。

何とか打開したい・・・・それを思う仲間も多いのが救いです。





3・8
授業は産業革命を終えて
イギリスがしたインド植民地支配を勉強している。

その後は、薬物乱用防止教室・社会科授業編。
一昨日、担任クラスでやったらば、
私のクラスは、とても穏やかで
おとなしい子ばかりなので、
だれも、「アヘンの種」を味見してくれず、
困ってしまって、
そそのかすのに、苦労した。
(誰かが味見したら、「大丈夫?」
「大変だよ、気持ちよくなったんじゃない?」と
ちょっぴりからかう予定だった)

でも、結果は上々。
「アヘンの種」
(アンパンの上にのっている食用ポピーシード)
を、ノートに貼ることすら、
「気持ち悪いから絶対いや」という位
怯えていたのが、「うそだ」とわかると
なあんだ・・・。大笑い。
忘れないだろうし、アヘン戦争の怖ろしさも分かるだろう。
アヘン戦争をしたからこそ、アヘンづけになった中国。
それがわかれば幕末の危機が理解できる。



3・4
昨日は結局私の代わりに
若い先生が、子どもに付き添ってくれて
夜10時過ぎまでの残業になってしまいました。
疲れ果てて、眠れない若い先生たち2人に、
インスタントでも、豪華な夕食を
湯沸し室で15分で作って
今日ごちそうしました。

メニューは、
フランスパンに
ブルサンのガーリック入りチーズをのせて
二切れ、

サラダは、ルッコラとミニトマト、
燻製のカキとコンテチーズを混ぜて
シーザーズ風味ドレッシング、

スープは缶詰のオニオングラタンスープ、
デザートにあまおうの巨大イチゴを5個、

こうなると、ワインでも欲しい所ですが、
それは我慢して、・・・お盆にのせて運びました。
2人はびっくりしていましたが、
おいしいおいしいと完食。

これで、一人暮らしで、夜、学校に8時過ぎまでいて、
夕食と言ったら、ラスクだけとか・・・、
その上、毎日クラスの子どもたちの夢を見て
明け方に飛び起きる疲れ切ったからだが、
少しは癒され、元気になれて、
今日は熟睡できますように・・・と祈ってます。

若い先生たちを、少しでもサポート・・・
それが子どもたちのためでもあります。
喜んでもらえるのは、とってもうれしい。
わたしの魔法のテクニック編でした。




3・3
お雛祭りなのに、ぐったり疲れた一日。
もう、3月ですね。
何があったか、
これは、今の時代にはとても神経を使う仕事なのですが、
テストの採点をしていて、
答案用紙が1枚足りないことに気づきました。

顔面蒼白・・・・・、まるでムンクの叫びのように・・・
家での作業だったので、
学校のどこで、教室?職員室?私の机?・・・
どこで採点したんだっけ?
夜は眠れなくなるし、
朝は、5時半に家を出て、
学校中朝のうちに探し回ろうとして、・・・
もう、無ければ、親御さんと本人とに
謝罪しなければ・・・それだけではなく、・・・
と、思い詰めていたら、・・・結果的には、
他の先生が、まちがえて持っていたのを返してくれてはいたのですが、
連絡が無かったので、私の中ではどこいったの???????
と、相当真剣に、思い詰め、悩んでいたのです。
ほんとうに、心臓に悪かった!!!!!!!


愚痴を言っても仕方ありませんが、
今の時代は、
処分と親御さんからの苦情に汲々、ピリピリ、とする時代です。
結果的に、問題は何もありませんでしたが、
一つもまちがいを許されない雰囲気にストレスがたまるばかりです。

夜には夜で、もう一つ、
子どもたちに関する問題が起きて、
まわりの先生にも迷惑をかけました。
思春期の子どもたちは、不安定、
仕方のないことではありますが、
健やかに育ってほしいと、心から思います。

若い先生たちが、激務で、
深夜に突然目が覚めてしまう・・・
夜、子どもたちの夢を見る・・・それも気になるからこそ、
みんな心配です。
学期末で忙しい時だからこそ、
励ましあって、なんとか、さまざまな問題を乗り切りたい
そう思います。




Febrary


2・23
今年は1回も風邪をひきませんでした。
漢方薬をずっと飲んでいるから
体温が上がって、その分抵抗力が少し上がったのかもしれません。

今、テスト2日前、
しかし急ぎつつ、
産業革命の影響について触れる授業に突入。
これからが、ダイナミック。
インドの植民地化、
アヘン戦争、
ペリー来航と開国か鎖国継続かと考えてもらう授業、
そこまでは、がんばって行きたい。

今年、週三時間歴史にせず、
週二時間歴史、一時間地理という
カリキュラムにしたので、
歴史の授業が足りなくて困っている。
がんばって体験もしながら、
視聴覚教材も見ながら、
これから難しい幕末から明治維新の授業へと入る。

でも、産業革命の体験を授業でするようになって、
幕末のところの授業が楽しくてたまらくなった。
そして、ドラマ「仁」とドラマ「篤姫」が
具体的なイメージを作ってくれるから勢いがつく。

子どもたちが「わかった!!」と言ってくれる顔が
一番楽しみ。
今の段階でも、高機・糸紡ぎの体験、
蒸気機関の模型を見て、
近代製鉄の映像を見て・・・
こうした発明が世界をどう変えたか?と考えてもらったら、
「鉄の大量生産で、鉄の武器が増え、戦争になった」
「イギリスが大量生産をしたために、インドの布が売れなくなり、
 インドは貧しくなった」
というところまで予想した子どもたちが、何人もいる。
こんな予想が、普通の授業ではできない、
だから、時間と手間をかけて体験してもらうのです。





2・18
今は産業革命をやってます。
これが教具のオンパレードで
師走ぐらい忙しく、先生走り回ってます。

今年栽培した綿花がようやく役に立つ
登場場面!!!!一班で2個の綿花
全部で150個

そして体験学習のために
高機の整経
糸紡ぎの紡錘車の準備
糸車の調整
ふとんワタの調達
一番難しいのが力織機模型の整備
これは、専門家に頼みます。
デザートがその代金替わり。

蒸気機関では
ミニ蒸気自動車の整備・・・・もう30年前のクラシックカーと言いたいくらい
蒸気機関で動く工場模型
蒸気船
それぞれ動くかどうか、全部確かめ
調整します。

製鉄についても、
たたらで作った鉄の塊を割り、
みんなで割って、鉄ができてるどうか、確かめるために
金やすり、
豆電球と乾電池と銅線の準備
磁石や汚れないための紙とか・・・・

その準備をしながら、授業用のプリントを作成し、
しかも並行して、修学旅行の基礎学習用に
授業構成を考え教材を準備するのを
この忙しい中でやっています。

ああ、忙しい、忙しい
また、こたつで寝てしまった。
また、長椅子で寝てしまった
乗り切っているのは、今年は、漢方薬のようです。


2・17
中学生の感想でも、
いたずらっ子の男の子が
レミゼラブルの映画を
「とても美しい映画だった。
 牧師さんが、ジャンバルジャンを
 かばった場面が好き」
と書いてあって、
思わず彼の感性の美しさの方に
ビックリしながらジーンと着てしまいました。

私にとっては、小学生のころ読んだ
「ああ無情」は、題の通り、
悲惨で、暗くて、恐ろしい話だったけれど、
当時の人々を、美しいと感じる
=つまり魂のことを美しいと感じている
・・・・
ユゴーは魂のことを書いていた
と昔読んでいたので、
そのあまりのピタッとあてはまる感性に驚いたわけです。



2・9
レ・ミゼラブル、見終わりました。

予想以上に痛感したこと。
子どもたちにとって、
フランス革命が身近に思えたらしいこと。
レミゼラブルの映画では
一人一人の登場人物の境遇や生き方が様々で、
その時代の群像劇になっている。
確かに、フィクションの物語ではあるけれど、
臨場感といい、時代状況といい、
当時の人々が、いかに貧しさに泣いていたのか
だからこそ、革命が起きたのだということ・・・
それを言葉ではなくて、全体で
群像劇だからこそ理解したらしい・・・ということです。

その時代を懸命に生きた人々に敬意を持ち、そして
思いを馳せることができるのは、
歴史教育の目標じゃないかと
最近は考えるようになりました。

私も授業で、何度も繰り返し見て、
見れば見るほど、
当時の正確な歴史を知りたくなり、
ようやくフランス革命以後の革命の歴史を調べ、理解できました。
フランス革命のあとも、七月革命、
六月暴動、二月革命、パリコミューン、五月革命・・・
そのたびごとに 人々は抵抗し
血を流しながらも、普通選挙、義務教育の無償化、
働く権利、言論の自由などを、少しずつ勝ち取っていったこと。

何度も何度も闘ったこと。
この間、NHkの世界街あるきの番組で
パリの街角から、カタコンベに入る様子が出ていたのですが、
カタコンベの中で、フランスの若い二人が
「この墓の中には、革命のあとで葬られていた人々もいるんです。
 この美しい国を作ってくれたのが、彼らだと思うんです」
と話しているのを聞き、驚きました。
カタコンベは興味本位で見て回るものかと思っていたら、
昔の人々の整然と並べられた頭蓋骨などの遺骨を
なんといとおしそうに見ているのか・・・そう考えるのが
フランスの人々の漢郭であり、
自分の国を、昔の人々を「美しい国を作ってくれた人々」と思うのかと・・・
なんとなく、その言葉を聞いて
何も言えなくなってしまいました。
とても胸に残る一言でした。





2・2
先週は、冬休みから、ずっと棚上げして
さぼっていたノート点検を
こたつで眠りながら、1週間睡眠時間激減で
350冊、読ませてもらいました。
その上、ひとことずつ・・・・。
その重さにも、厚さにも、
ずっと逃げ続けていましたが、
子どもたちから矢の催促・・・
まだあと言われ・・・
ようやく取り組み始め、
家まで持ち帰る時は車で持ち帰ったのに、
間に合わないので、
学校に持っていく時は
80冊ぐらいをリュックに詰めて
恥ずかしく、4日間に分けて
しょって行きました。
傑作でしょう?
情けない・・・そんなこともありますね。

今、レミゼラブルまっさかり。
号泣する女の子たちもいます。
私と言えば、よく調べ直して、
実際に起こった出来事だったのだと、
改めて自分の無知さに、うれしくなっているところ。
新しく知ることはうれしい!!!








January



1・24
さらに恥の上塗りでしたね。
スーパーで調べてみたら、
ほとんどのとろろ昆布に、いろいろ入っている。

改めて考えてみたら、
そういえば、とろろ昆布というのは、
酢を昆布に塗って柔らかくして
削っている・・・なんて聞いたことがあるような無いような・・・
100%昆布なんてとろろ昆布には無いんだな、
とわかりました。
だから、まあ、とろろ昆布でだしをとろうという考えが
ちょっと違っていたかも・・・。
もう、多少の味付けがされていると考える方がいいのかも。

でも、趣旨としては、昆布には出しが出る・・・
そういう食材を
江戸時代に多用する習慣がついて、
日本人の懐かしの味になったということがわかればいいのだ、
と考えました。

だから、訂正なし。白状なし・・・
目的は北前船が運んだ昆布が
1000両も儲けさせた昆布ロードなので、・・・
ちょっと後味が悪いけれど。

さて、授業はもう先に進んでいる。
フランス革命について、
先に「レ・ミゼラブル」を見せることにした。
さて、どう子どもたちは受けとめるだろうか。



1・20
今日、授業中に、
最大限に恥ずかしい、穴があったら入りたい・・・
ことを発見してしまった。
なんと、子どもたちには大見得を切って
とろろこぶと花かつおで
こんなにいい和風だしが出る・・・!!
これがわかったら日本人だ・・・なんて言っていたのに、
ふと、とろろ昆布の袋の裏を見たら
・・・・・・・
・・・・・・・目が点になった私。
昆布だけじゃなかった、
醸造調味料、砂糖、しょうゆ、
食塩、アミノ酸・・・なども添加してあった。
正式名称は、昆布加工品・・・・・
ええっ・・見かけはとろろ昆布だけなのに。
絶句!!
恥ずかしいなあ・・・明日白状しようか
だましてごめんねみんな。
その気になって、大ぼら吹いてごめんねみんな。
今度100%のとろろ昆布で、まずまた実験してみます。




1・19
今、歴史の授業は
江戸時代の産業。
北前船の大もうけのもとが、
昆布だとは知っていたが、
おもしろい番組があった。
昆布ロード。

その番組に触発されて、
和風だしを子どもたちといっしょに実験。
とろろ昆布と鰹節
ほんのちょっとをコップに入れて、
お湯を注ぎ、出しの味が出ているかどうか確かめる。
これが、不思議なことに、ほんのちょっとでも
出しが出ている。

このとろろ昆布と鰹節を見ていて
ビックリしたことがある。
鰹節があんなに薄く削れるのも、
とろろ昆布があんなに薄く削れるのも、
すべて日本の刃物がすごいから・・・・
やっぱり和鉄はすごい!!!
そして、出しもすごい!!!と楽しい発見でした。


1・15
パリのテロ事件。
パリに行った時には
移民の多さに驚いた。
パリの人々がバカンスに行ったせいかもしれないが、
車両に乗った人がほとんど、
白人ではなかったこともあった。
いろいろな人種の人々がいるのが
当たり前のパリになっているらしい。

そういう状況下では
どう違いを認め合うのか、
その上で自由を守るのか
苦悩があるのかよくわかった。
私でもよくわからないことだろうし、
どう対処していいか価値観の違いをどう乗り越えるのか
困惑してしまうだろう。

それでも、見た感じでは
排他的にはなっていないのがパリだった。

だから、テロ後の行動が
とてもよくわかる。
人々の動きが
ああだからなんだなとよくわかる。

いろいろな考えの人たちと共存し
いろいろな伝統のもとに暮らす人々と
毎日を過ごすというのは、何とむずかしいことだろう。

でも、日本も、百年すれば、そうなるだろう。



1・13
とても妙なもので、
三日ぶりの中学二年生に
クラスに入ったら、
私が照れてしまいました。

連休のあと二日は
卒業生を思い出しながら、
過ごしていたので、
心の中で、
どっちもかわいいよ・・・と言っている感じ。
何だか、今教えている子たちに
焼きもちを焼かれそうな気持になっていました。

こんなに子どもたち、教え子たちをいとおしく思えるのは
年のせいかもしれません。

連休の一日目には
若い先生たち向けに
戦争の授業、を模擬体験してもらい、
教材をUSBに入れて、活用してもらうように渡しました。

子どもたちも若い先生たちも
可能性が無限大の気がします。



1・12
ようやく原因がわかってきました。
まず、このページの要領に入りきらなくなってきて、
ページが重くなりすぎたんです。
それで、何時間もかかって、
1年生の時のページを移動させました。
リンクを貼ったので、バックナンバーに入れてあります。
これで、にっちもさっちもいかなくなっていたのは、どうにかなりそうです。
新バージョンには、適応するかどうか、
明日またやってっます。
また、少しずつ、毎日書いていけそうな予感がします。
パソコンと付き合うのは、ほんとむずかしい。
でも、どなたかが読んでくださっていると思うと嬉しいです。

あともうひとこと。
同窓会が昨日ありました。
教え子たちのです。
とても手こずった子どもたちでしたが、
成人式でした。
とてもとても楽しかったし、幸せでした。
何ということはなかったのですが、
顔を見ているだけで、幸せでした。
何だか、ずっとニコニコしていました。
まるでクイズでした。
顔の形、目鼻立ち、声、しぐさ、笑いかた
想い出を手繰りながら、面影をさがして、
名前は出てこないんだけれど、顔はわかる
そして、その子についての思い出を手繰り寄せる・・・
ほんとうにきれいになって、若者らしくなって
全然同一人物だとは分からないくらいですから・・・
でも、わかるんです。
思わず、手をたたいて、そうだった・・・っていうんです。
そんな昨日を思い出しながら、寝たいと思います。
ではおやすみなさい。


1・8
12月の2度の製鉄作業と
年末の奥出雲の鍛冶は、
ほんとうに、ドラマチックで
記憶に残る授業と体験でした。

たたら製鉄でできた鉧
ケラと呼び、ごつごつした塊です。
これが、名人の鍛冶屋さんの手にかかると
みごとな小刀に変身・・・
このケラから小刀が、
一番驚きました。
・・・・旧バージョンで書いて、
土日に、またチャレンジしてみます。


1・7
全然だめです。
新しいバージョンでは
カーソル移動だけで5秒、
文章を打ち込むと10秒かかります。
新規購入者が困っているのに
企業のサポート体制は
メールの問い合わせはお断り、
平日の5時までの電話だそうです。
なんというサポートなんでしょう。
あまりの動作の遅さに、旧バージョンで書いているので、
何も解決できていません。!!!!

 

1・6
トラブルは解消して、
動作も少し早くなりました。
でも、まだまだ・・・
ページを更新するより、こうして、
トラブル対処に数カ月に一回ぐらい、
何日もかかってしまうのが、困惑します。
また、明日,
動作環境の改善にチャレンジ!!!






1・5
バージョンアップはできたようですが、
不具合はまだまだ。
企業のサポートページに問い合わせることにしました。
それよりなにより、今、この瞬間困っているのが、
カーソルの移動だけでも  
3秒ぐらいかかっている!!!!
バージョンアップはいいけれど、
これじゃあ、毎日書けないよ~~~~~~


1・4
明けましておめでとうございます。

島根県の奥出雲は年末、雪でした。

ほんとうに長い間、ご無沙汰しました。
12月、2回のたたら製鉄、
その後の学期末処理・・・・。
予定されていた忙しさでしたが、・・・

こちらのページを書きこもうと思っても
いろいろな注意が出てきてしまったり、
ソフトを更新しないと
販売元がトラブル対応してくれない期限切れとわかり、
最新バージョンを購入したものの、
バージョンアップにどう対応するのか
・・・・不安で、そう簡単に
取り組めず・・・・、
へたにいじれないとそのまま過ごしていました。

さて、新年あけて、
家事もようやくひと段落、
もう、明後日には学校がはじまりますので、
この二日間で、チャレンジしてみる予定です。

うまくいったら、バージョンアップした新ページでお会いしたいと思います。
では、がんばります・・・。






2014

December



12・9
風邪をひきました。
やっぱり、過労でしょう。
それでも、学期末事務もやって来るし、
三者面談も控えている。
でも、鉄づくりももう一度やります。
今年は、何とか、漢方薬でしのごうと工夫しています。

2回目の炉づくりは
先週の水曜日
社会科の教科リーダーたちが
ワーッッと1時間で半分作り上げてくれました。
たくさん有志達も集まって、
何かやりたい何かやりたいと、
おもしろがって・・・

楽しくて、共同作業で、
だからこそ、やりたい。
11日は、雨なので、
変更して、10日にやります。
2回目は、少し不安がとれて、余裕があります。
始発で来ても間に合いそうもないので、
前の日から、駅前のホテルに泊まります。では・・・



12・2
今日は、1回目のたたら製鉄実習の日。
いろいろの懸念はあったけれど、
成功しました。
子どもたちは、とても楽しんだ。

最近このページから遠のいていたが、
うれしかったこともたくさんあった。
また明日にでも、書きます。
今日は、綿のように疲れて眠るだけ。


November



11・24
今日は、明日から雨なので、
中古で購入したミニテントを
たたらの炉の上に
設置に学校へ。

約一か月前になってしまった
合唱コンクールのまず当日のこと。
文化会館は音響効果がすばらしい。
教室や体育館で歌うのとはわけが違う。
大声を出さなくても、
みんなの歌声が響く。

いろいろあったけれど、
吹奏楽部のメンバーが多いことと
男子の歌好きで、低音が出るほど
体が成長している子が多いので、
練習ごとに、順調にうまくなっていった。

自由曲は、エグザイルの絆。
エグザイルと言っても、完全な合唱曲になっている。
でも、私の役割は、
モチベーションを上げることだと思い、
ネットの映像から「絆」のものを紹介。

当日のことを最後にひとこと。
とても感心した。
舞台のそでから見ていたのだが、
一番初めに戻ってきた男の子が、
「ああ~~~楽しかった」と言ったこと。
指揮者が戻ってきた途端に、
「先生、先生、みんな、とても楽しそうに歌ってたよ」

その二人のひとことに、とても感激した。
胸がほっとあったかくなった。

結果発表では、リーダーを務めた女の子が涙した。
それはよくわかった。
彼女は、みんなの歌を、もっとよくしようもっとよくしようと
あせっていたが、それを、途中から
表に出さず、ことあるたびに、みんなをほめた。
自分の焦る気持ちと、責任感と、
でも、それを、思い切りぶつけるのは
我慢して、・・・それで、最高の結果だったから、
思わず、ホッとしたのだと思う。

彼女の功績は、みんなが納得するものだった。
彼女は自信がついたし、大きく成長したと思う。
私にとっても、幸せな時間でした。


11・22
12月に4回目のたたら製鉄をします。
1週間のあいだに2回、
地面のすきまの無い学校なので、
アスファルトの上に鉄板を敷いてやります。
2回やることと、
アスファルトの上は初めてなので、
超超・・・・緊張しています。
今日は休みですが、
連れ合いさんと、炉づくりをしてきました。
地面の中に、ドラム缶を埋め込まないので、
相当な高さにもなる予定。

地面に埋め込み式なら、
4回目だけなら、そんなに緊張せず、
楽にできたでしょうに、・・・・。
いろいろ考えなければならないことが多くて、
でも、終わったら、疲れも吹き飛ぶことでしょう。

島根のたたらの里、吉田に行って
実習してきたことが、
とても自信になっています。

さあ、こういう時こそ頑張ろう
若い人たちも、楽しみにして、
手伝いたくてうずうずしているようですが、
基礎は気が抜けないので、
今日は、二人だけ。

明日も、4時間かけて、学校往復して、
送風乾燥させる予定です。
がんばろうったらがんばろう・・・ふふ




11・17
火縄銃は、こうして手に入れました。
20年近く前、
会の仲間と、島原の乱あとをフィールドワーク。
原城あとや博物館を見学した後、
帰り道、バス通りを歩いていると、
会の仲間が「あ~~~!!」と
声をあげました。
みると、大型ごみ集積所から、
鉄の棒らしきものを拾っています。
見れば、火縄銃の銃身でした。
しかし、一応真っ二つに折り曲げられています。
これをその仲間が、もとの形に戻し、
まわりの木製の部分を製作し、
引き金の部分もつけて、火縄もつけられるようにしました。

大人気の火縄銃ですが、
もちろん撃てないし、さわって重さを確かめるだけ・・・。
でも、嘘のような本当のロマンある由来でしょう?

いつも思うんです。
この銃身は天草四郎たちが使っていた物のうちの
一つかもしれない・・・などと妄想しています。



11・16
実は、私たちの会では
火縄銃の模型を持っている。
三年ごとに、種子島に鉄砲伝来の授業の時には
その模型を使って実演してみせる。
今年も・・・・
火縄銃の火縄に火をつけてみせると、
みんな驚いて、のけぞって、耳をふさいだり、
頭を引っ込めたりするので、
私は内心・・・ふふふ・・・
それで、口で、ドカンと言って見せて
なあんだ・・・と拍子抜けをするみんななのだが、
私のクラスの楽しい女の子たちが、
他のクラスの仲のいい友達に、こう言いふらした。
「その実演で、4組の壁に穴が開いて、
 5組が見えているんだよ!!」と。
それを信じた友だちが、
私が構えたとたんに、「先生やめて!!」
「壁に穴があいちゃうよ。4組は壁に穴が開いて
 5組が見えているんでしょ!!」
あまりの素直な信じ込み具合に
もう少しで吹き出しそうになったが、
ポーカーフェースで冷静さを装い、
みんなをおどかしてあげた。
こういうドキドキが、みんな大好きです。
明日、この火縄銃の模型の不思議な由来を
お話しましょう。

それから、12月に、2回たたら製鉄をやる予定です。
そのことについても・・・また。





11・12
血の気も引く出来事。
このページが11月になって開けたら
真っ白なページに。
数年書き続けてきたこのページが何も復元できないかと
青ざめた。
これがネットはこわい。
でも、前に一度、近い状態があり、
復旧できる可能性を信じて、
業者に電話したが、もうサポート対象ではないと言われ、
愕然!!!!
ネットで検索し、方法を試行錯誤しながら、
ようやくここまでこぎつけましたが、
まだまだ不安。
もしかしたら戻っていないかもしれないので、
調整中です。

その間に、合唱コンクールも終わってしまい、
学年で金賞をもらいました。
その興奮も書けなかったのは残念。
さて、今日のこの記事は、ちゃんと反映されるかどうか、
ドキドキしています。




Octerber



10・27
合唱コンクールが
1週間後に迫った。最初は試行錯誤。
予定通りというか・・・
私の予想通り、
音楽を愛する女子たちが、
男子の歌声や態度に
イライラして、或いは思うようにいかず
涙と、苦情とで、多少混乱した。

ところが、それならと、
男子の一人を臨時リーダーに任命し、
その日の進行役を引き受けてもらった。
これも無理やり強制したのだが、
なんと、なんと、驚いたことに、
手際よく、練習を引っ張っていき
「今日は良かった」・・・という彼の言葉に、
思わずクラス全員が拍手。

そこから少し変わった。
まず、昼休みに、放課後の練習の流れを、
係のメンバーで打ち合せるようにしたこと。

そうすることで、係のメンバーが
相談している間、
他の全員が暇でぶらぶらしている時間が減ったこと。

今日の歌声は見事でした。
特に、最初の出だしで
クラス全体が息を吸い、
そっと歌い始めるところが、
みんな一致していて、
驚いた。さて、明日はどうかな?



10・23
もののけ姫を見て、
十二月の鉄づくりの準備を考え始めている。
もののけ姫のストーリーは
とてもむずかしい。
二重三重に関係が
作られている。
でも、少しでも
戦国時代のあたりを想像するには
とてもありがたい。
たたら製鉄の技術と
その自然との関係。
宮崎駿監督のメッセージも
単に自然保護を訴えるものになっていないことが、
何度も見ると、よくわかってくる。
主人公のアシタカが、もののけ姫に
最後語りかける。
もののけ姫「シシ神を殺してしまった人間を許すことはできない」
アシタカ「ともに生きて行こう」
人間は自然と共生しなければ生きていけない
でも、それはとてもむずかしいこと、・・・。

しかし、今年訪ねた島根では
たたら製鉄は森林破壊の技術ではなくて、
共生をめざした技術だったと聞いた。
森林の再生のサイクルの中で、
砂鉄採取で山を崩し、炭焼きで森林を伐採する、
しかし焼畑と同じで、約30年たてば
森が再生するとうかがった。
島根の森は豊かな森であるらしい。




10・18
さらに中世について・・・・

市内の社会科教員の方たち相手に
鎌倉考古学研究所の斎木秀雄先生から
話をうかがう機会を持ちました。

これも衝撃的な内容で、
びっくり!!
一番驚いたのは
鎌倉の由比ヶ浜近辺の発掘で
人骨が見つかったこと・・・
これは知っていました。
しかし、穴の中におびただしい人の骨。
数えて500人ほど埋まっていたそうです。
亡くなってその遺体を放置できず
町のはずれに埋めたようだと。
その写真とその数は、
目の前に幻想ではなく、それが中世だと
生死が今よりもずっと表裏一体だと教えてくれます。

もう一つ示されたのが、
頭蓋骨だけが入った穴。
これは、鎌倉の入口にあたる
江の島近辺だそうですが、
200もの頭蓋骨があって、
これは、みなさらし首にあったものとか。
さらし首にされた場所が、
町の入口と定められていたらしく
さらに、なぜさらし首とわかるかというと、
亡くなってすぐ埋葬した遺体には、
あごの骨があるそうですが、
首はさらされると、あごの筋肉が無くなり、
それであごの骨は見つからないのだそうです。

斎木さんに見せていただいた
発掘現場から出てきたお箸も
これを握っていたのかと思うと、
ほんとうに不思議な気分でした。




10・15
問題6の答え
○はイ・ウ・オ
藤木久志氏は、乱捕りと言われる、
戦争中、戦争直後の農民兵たちによる
強盗、捕虜強奪、乱暴狼藉のようすを
古文書から引用している。
それによれば、岩手でも、九州でも、
大阪城でも、負けた城では人身売買の市が
何カ月も開かれ、転売に転売を重ねて
島原から中国・アジアまで
売られていった人々も
多かったらしい。

故星野芳三先生(私たちの先輩でした)が
紹介してくださった「妙法寺記」の中にも
信玄たちの軍が、人を誘拐し奪い、
奪い返され・・・という怖ろしい記事が残っていた。

問題7と8
褒美は土地や金銀、大名愛用の品など、
褒美の証拠はおもしろいことに、
「記録する証人役の武士がいたそうだ」
そして、首実検
首を持っていき確認する。
しかし、戦国時代の本に、
これまた恐ろしいことが書いてある。
身分の高い者の首は、ていねいに血などを洗い落とし、
髪を結い、化粧をして、板の上にのせて差し出す。
その際も右手でこうして左手でこう支えて
・・・という流儀が決まっていたらしい。
それだけではなく、首の表情をもとに、
吉凶を占うこともあったそうで、
上を向いてたら・・・、苦しい表情をしていたら、・・・
目をつぶっていたら・・・などの解説が怖ろしい。
また、足軽などの首は、陣の外に山と積まれたらしい。

戦国時代とは、ほんとうに血で血を洗うがごとく
凄惨な時代だったのだと痛感してしまう。
自力救済とは、その中から出てきた力強さなのかもしれない。



10・13
大阪夏の陣の屏風絵
ご存知でしたか?
藤木久志さんの本で紹介されていたので、
ネットで検索してみました。
そして、もっともよく掲載されているという本も
ネットで中古本を購入してみました。

この屏風絵の解説を見ると
たとえば、徳川家康、真田幸村、・・・
闘う武将も、合戦のようすも
たくさん描かれている一方、
敗けてからの逃亡する一般の人々も
たくさん描かれているそうだ。
それも克明に。
それだけリアルに描いた理由については
いろいろな説があるようだが、
戦国時代のリアルな戦場を
ほんとうによく映し出している。

この屏風絵のくわしい話をする前に、
最後の問題。
問題6
敗けた人々はどうなったでしょうか?
ア:武士は切腹禁止。
イ:武士は処刑された。
ウ:武士は逃げる途中で村人に襲われた。
エ:農民は村に戻り、年貢を払わされた。
オ:農民は、奴隷として売られた。

さて、どうでしょうか。
問題7
勝った方の人々はどんな褒美をもらったでしょうか。

問題8
褒美をもらうためには、どんな証拠が必要だったでしょう?

答えは、明日にでもご紹介しましょう。



10・12
戦国クイズ
問題4
戦でけがをした場合どうしたでしょうか?
○×で答えましょう。
ア:治療する暇などないのでほおっておく。
イ:馬のフンを水で煮て飲ませる。
ウ:弓矢の先や鉄砲の玉が体に入った場合は放置しておく。
エ:温泉を作り、そこで治療した。
さて皆さんはどう思いますか?

○は、イとエ。
イは迷信ゆえ。熱海の温泉は家康の秘湯だったそうです。
ウは必ず取り出した。
そのままにしておくと、敗血症を起こすのでしょうか?
肉を切り裂いてでもとりだしたそうです。

問題5
戦で死んだ人はどうなったか?
これも○×で。
ア:専門業者が片づけた。
イ:そのまま放置した。
ウ:負けた軍が後始末をした。
エ:近くの村の人々が埋めてあげた。
オ:それぞれの軍が味方の遺体を故郷に持って帰り埋葬した。

これは、○はアとエだけ。
専門業者は黒鍬者と言い、戦では、土木工事をやったそうです。
村人たちは、たたりを怖れたとか。
敗けた人々がどうなったかは、次のクイズで紹介します。





10・11
今の学校はとても落ち着いている。
そのせいか、とても子どもたちに厳しい。

学校の状況によって、
ほんとうに、生徒の指導もいろいろだ。

荒れた学校でいっしょに働いた
もとの同僚に、指導に厳しい学校の話をすると、
平和だし、暇だからそうなっちゃうんだねと
苦笑されることが、今までもよくあった。

子どもたちは、素直だし、
屈託がないし、屈折していないので、
ダイナミックなトラブルがない。
私の精神状況も落ち着いていられるし、
苦労も少ない。

そうなると、子どもたち自身が
自分たちにかせをつけてしまう。
でも、それを止めるのが、大人のはずなのに・・・。

校外学習のルールで
実行委員たちが、くるぶしソックスかどうか
カバンにキーホルダーやマスコットを
たくさんつけていないかどうか
週一回抜き打ちで検査すると打ち出した。
当日まで、まだ、一か月以上先の話なのに・・・。
あきれてしまった。
でも、子どもたちが会議で決めたこと、
そして、それを若い先生たちが同席していたので、
すぐにダメ出しはできない・・・。

それを聞いた賢い男の子。
「そんなに管理しなくったって、いいのに・・・・」
まるで、大人のようにつぶやいた。
私は、思わず、くすっと笑ってしまったが・・・
ちょっと胸が痛む。
でも、それだけではない。
その男の子は、そうした管理をも柔軟に受け止めて、
うまく切り抜けていきそう・・・
それが中学生なのかな?
でも、頼もしくて、
やわらかい彼の頭に、納得しました。




10・9
月曜日は台風で一日お休み。
明け方の雨と風は怖ろしかったけれど、
また台風がやって来るそうです。
台風の準備で、
1m以上に育った30個のプランターの綿花を
昇降口に運び込む。
なかなか体力がいりました。
まるで森のよう。
まだ、花をつけながら、実を
結んでいます。
弾けるのはまだまだ先。
来週の台風に備えて、
まだ昇降口に置いておきます。

戦国時代クイズ続き。
問題3
戦の準備のために、
足軽たちは、何を用意したでしょう?

この絵がとても正確で面白いイラストです。
子どもたちの予想は武器と食料。
実際にはそれ以外に、
火打石セット、ねござ、
のこぎり、なた、かま
他にも、陣笠・・・これが
雨よけ、日よけ、防御のためとなっているが、
この陣笠を使って煮炊きもしたと書いてあり、
「きたな~~い」と思わず感想を漏らす女の子。
でも、第二次世界大戦中も同じでした。
火縄や、芋がらで編んだ縄(食料にもする)
薬袋、…それぞれがおもしろい。

次は戦のたたかい方と、戦争後についてです。
ここからがクライマックス。
戦国時代のほんとうの恐ろしさを、子どもたちに伝えています。
教材として、
大阪夏の陣の屏風絵を使いました。
その姿の乱取りは、怖ろしい限りです。




10・4
戦国時代のことを、クイズにしました。
私が驚いたことを、子どもたちもクイズで
予想が外れるように、・・・・
まず、今回、いくつか紹介しましょう。

問題1
戦に参加したのは、どういう人たちだったでしょう?
( 貴族、大名、武士、農民、女性、子ども、お坊さん)
いくつ丸を付けてもOK
子どもたちは、女性・子どもはほとんどいないと予想しましたが、
答え
女性は刀を持って戦う人もいたし、
城を守る際には石を落とすなどで、交戦。
子どもは原則15歳以上は一人前。
これでまずビックリ!!
お坊さんたちは、情報をもたらすスパイとして活躍。

問題2
戦が多かった季節はいつだったでしょう?
( 一年中、春、梅雨、夏、秋、冬 )
一年中以外はいくつ丸を付けてもOK
予想は子どもたちはそれぞれバラバラでした。
一年中という子も結構多く、四季ぞれぞれ。
答え
答えは冬。理由は農民がひまだから・・・。
なあんだというけれど、話をすれば納得してくれます。
春や夏の農作業をやらないと
食べる物が無くなって飢きんが起きる・・・。
でも、本で読んだことが意外でした。
上杉謙信は、越後の冬から春にかけての
食料不足を補う意味もあって、
冬の始めに関東で戦を始め、
農民たちは冬のあいだじゅう、
関東で略奪して食いつなぎ、
雪解けとなると故郷に帰る・・・
(『雑兵たちの戦場』藤木久志著から)
「頭いい」と言った子たちも多かったですが、
関東の村々はきっと震え上がったことでしょう。
何しろ軍神ですから・・・。
続きはまた明日。



10・2
10月です。
9月の研究授業では、
ルネサンスをやりました。
オーソドックスに
ルネサンスの美しい絵を眺め
その背景にはスパイス貿易があるという
授業です。
でも、研究授業だから
コショウやクローブの味見は
この授業ではやらずに、次回。

わんぱくなクラスだからこそ、
緊張しても、はだかの美しさを
指摘してくれました。
指導者からは、とてもいいクラスだとおほめの言葉。
自分のクラスではやらなかったので、
担任はまだ、10年に満たない先生で、
自信につながったことでしょう。

ルネサンスの芸術品の中で、
特に、ポッチチェリ「ビーナス誕生」と「プリマベーラ」
ミケランジェロのダビデには、力が入ります。
その話をするのが、すごく好き。
子どもたちも、私の情熱をわかってくれた感じ。

こんなふうに、美しいもの、すばらしいものの歴史を
とうとうと語り、テストも無ければ、
こんなに素晴らしい授業はないでしょうに。
私にとっても、子どもたちにとっても
・・・・・残念。
世界の芸術に触れるのに、普通の授業なら、
5分で説明。
芸術家たちの名前を憶えておしまいなんて、
授業としては、最低の内容だと思うけれど、
それが推奨される文化水準の悲しさです。



September



9・30
もう月末である。
ほんとうにイライラしなくなった。
うるさいよ~とどなっていても、
全然、イライラを感じない。
しょうがないか、まあいいか、そんな感じである。
そのせいか、
クラスの子どもたちはのびのびしてきた。
全く私の顔色など気にしていない。
顔色を気にするというのは
ちょっと、飼い犬のようですから
私としては、あまりそうしてほしくない。

リラックスしていて、
本来の自分の姿を見せてほしい。
毎日が、冗談を言いながら、
かまい、かまわれ、楽しく生活して、
かつ勉強にがんばろうって
そんなクラスになれるのじゃないかって、
子どもたちを信頼できるように思います。
あさってからは中間テスト。
暗記カードも作って渡したし、
テスト用勉強要点プリントも配ったし、
がんばってくれそうです。




9・29
すぐに書かないと忘れてしまう。
今日、うれしかったこと。

いつもその時代の状況が思い浮かべるようにと
映像を編集して見せる。
その映像を見せている最中に、
教科書の他のページを見ていたり、
興味がなさそうにしていた男の子がいた。
社会科は得意なのに、あまり見ないので、
暗記にしか興味がないのかな?
気難しいのと興味がないのかな?とばかり思い込んでいたら、

今日私のところに来て
「先生、この間、タイムスクープハンター
 やっていて見たよ、おもしろかったね」
と話してくれた。
ほとんど、私に話かけてこない男の子だったので、
驚いた。
自分でおもしろそうだから見ようと思って、
番組を見るのが、一番勉強になる。

私の思い込みだった。
人をそう思い込んでいて、ごめんなさい。
そうやって、関心が広がって、
知的探求心を持ってくれるのが、一番うれしい。




9 ・28
昨日は、笑ってしまった。
と書いたが、よく考えると笑えない。
中学生にとっても、
歴史は、フィクションなのか、ノンフィクションなのか
ほんとうの所では、区別はついていないのではないか?
物語としてしか、或いは、暗記モノでしかないのではないか?
ザビエルも、鑑真も、物語の主人公。
歴史も、御伽草子も、小説も
全部、物語にしか思えないのではないか?
という考えが、頭を離れない。

ほんとうにあったこととして、
どれだけ実証できるか
物語と違う「人類の歴史」を学ぶ意味が
どれだけ子どもたちに納得できるか?
それが勝負だと思う。

だから、発掘された遺物を必ず時代ごとに
見せたり、レプリカを触らせたりするのだし、
昔の人々の言葉や、私の体験も話をする。
特に、第二次世界大戦を、物語だと思われては困る
・・・そんなふうに、頭をよぎった。




9・27
昨日の夜までは
全く香る様子はなかったのに、
今朝、玄関のドアを開けると、
金木犀の匂いが、ぱあっと広がった。
秋の香り

昨日おもしろかったこと。
室町時代の授業で、
御伽草子が作られるようになったと話したとたん
いつもすぐ質問する女の子が、
「えっ、一寸法師の話ってノンフィクションじゃないの?」
始めその意味が分からず、
私もクラスのみんなも、口をあんぐりさせたまま。

思わず爆笑してしまったが、
他のクラスで、まさかと思い、
冗談の話として、
「一寸法師をホントの話と信じてる子がいたけど・・・」
と言ったとたん、
そのクラスでも、
「え~~~、ホントにあった話じゃないの?」
と言った女の子が2人。

もう、目が点になり、
ビックリして、茫然とする子どもたちもいて、
しばし、大さわぎになりました。




9・24
一番変えたのは
徹夜をしないように、
最高でも1時半に寝るように、

そのために、こちらを書く
ゆとりがなくなってしまい
申し訳ありませんでした。

でも、いろいろと、忙しく
おもしろいようなことがいろいろ起きて
報告したいことは山ほどあります。

古代のまとめとして、
図書室に、今までの教具を集めて
博物館にしました。
ある程度落ち着いている学校なら
これはおすすめです。

今までの、エジプトのお土産やら集めた物、
奈良時代や古墳時代のレプリカ・・・・
好きな子どもたちは、まとめて見るのが
とてもおもしろかったと喜んでくれます。
でも、300人近い子が見たので、
やっぱり大仏の模型の首がとれました。

今までだったら、
どうしてもどうしても、
責めてしまうところ、、
名乗り出ませんでしたが、
「罪の意識があるから名のれないんだよね」
「わかっているよ」と話して、
修理しました。

さわってみる博物館を目指すなら、
壊されても修理する覚悟が重要、
仏になったかな?





9・10
イライラすることも、
注意することも、
叱ることも、ずいぶん減っている。
まだ、順調に、フランス式ケセラセラです。

足の折れた人類模型について、
彼はまだ沈黙を守っているけれど、
いつ話してくれるかなあと・・・いう気分。

今は戦国時代の授業のために、
本を読み漁っているところ。
「戦国の村を行く」藤木久志著
「雑兵たちの戦場」藤木久志著
「図解 戦国合戦がよくわかる本」二木謙一監修

概念崩しのうんちくは・・・そうだったのかあと
意外で面白い。(戦国時代の現実!!!)
これを、どう子どもたちにおもしろく
時代のイメージを描く意味から伝えるか
考え中です。
でも、戦国の村については
岩波絵本の「戦国時代の村の生活」が珠玉だと思う。
タイムスクープハンターは、劇的で面白いけれど、
みんな、あまりに汚い格好なので、リアリズムすぎて、
生々しい部分もあります。


9・6
2学期が始まって1週間。
今週は教育相談週間、ということで
はからずも子どもたちとじっくり話す時間が持てた。

いつもなら、学校生活での悩み事だけを聞いて
終わりにするところだが、
夏休み、どう過ごしたか
楽しい思い出を特に聞いた。

それぞれが話してくれた。
マレフィセント(白雪姫)の映画を友達と見たこと、
花火大会に部活の友達たちと
浴衣で行って、楽しかったこと。
家族で、カラオケに行って、たくさん歌ったこと。

海では
式根島に毎年行って、家族で潜っていること
ハワイに初めて行って、サーフボードに初めて乗ってみたこと
沖縄の美ら海水族館に行ったこと
千葉の海でも、イワシの群れや熱帯魚のような海を見れること

家族でキャンプに行った子もいれば、
軽井沢や志賀高原に行った子もいた。

足を痛めて、ほとんどどこへも出かけられなかった子もいたし、
部活でほとんど休みもない子たちもいた。

でも、楽しい話をする時、みんな笑顔だった。
よく、ずっと、話をしてくれた。

ちょっと、私にも心のゆとりが出てきた。
あくせくすることはやめようと思うようになったし、
イライラも、やたら大声で怒鳴るのもやめようと思うし、

ああ、そうそう、人類模型を壊してしまった先生は
毎日目の回る忙しさで、私に何も話しかけないけれど、

余裕が少しでも出てきた後で、
(9月の研究授業が終わったあとで)
声をかけ、いっしょに作り直そうと言おうと思う。
時間が経てば、人間は寛容になれるんだなと思う。



9・2
クラスの子どもたちにも話したが、
とがめたり、注意するのではなく、
なるべく笑顔で、穏やかに・・・・そう心がけていると
私自身がちょっとずつ変わってきたように感じる。

人の目を気にしない、とがめたり、
注意することばかりしない・・・そう思い、
実行するようにした。
子どもたちがおしゃべりばかりしていたら、注意するが、
思いのほか、それほど注意する必要はない。
何だか、あくせくせず、
イライラもしなくなった。

落ち度が無いように、
やらねばならぬことを期限までに・・・
それだけを気にしていたのが、
忙しさをさらに増幅しているのかもしれない。

授業は戦国時代に入ろうとしている。
本を読むと、怖ろしく、震え上がる時代だということが、
改めて実感した、。
戦国時代に比べたら、今の日本は
ほんとうに平和と痛感する。
この時代もおもしろく授業したいなあ。



9・1
クラスの子どもたちと、久しぶりに出会う。
やはりうれしい。
ところが、髪型のせいで、
みんな、口をぽかーんとあけたまま、
近寄ってこない。

でも、北海道に行っていた彼女は
ちょっと遅刻をしたけれど、
きわめて元気。
長すぎる夏休みに
悩みも出てきたようだが、
学校に来れば、先生たちが声をかけてくれ、
話し相手になってくれるので、
今日は明るい顔。

子ども達とたくさん話し、
ゆっくりコミュニケーションをとることを
決意している。
だから、今日は少しずつ、声をかけた。
にぎやかでも、気にならない気持ちのゆとり。
前よりも、よい先生になれるかな。
肩に力を入れず、無理せず、笑顔で行こう。



August



8・31
もう夏休みも終わり。
どうしても髪を短く切りたくなり
フランス風ショートに。
そうしたら、明日、学校に行くのが
気恥ずかしくなってしまった。

久しぶりだから、子どもたちも
友達どうしでも、たいてい
9月1日は照れくさそうにして、・・・・
過ごす。それが、人間としては、自然です。
一か月おばあちゃんのところに行った生徒もいて、
どんなふうに、楽しそうに帰って来たかどうか・・・。
みんな、どんな顔をして、学校にやって来るか、楽しみ。

忙しく過ごす以外は、
どうしても、テレビを見るか掃除をするかの毎日。
一番大変なのは、たまった文書を整理するのだが、
それが、うまく行かない。

2学期に向けての準備としては
ちゃんとやれたのは、タイムスクープハンターを
戦国時代のものをすべて見たこと。
戦国時代についての本を2冊読んだこと。
その程度。

でも、12月に鉄づくりをするのだから、
準備が大変。それも今回は、2回を目指す。
鎌倉に砂鉄も取りに行かなくてはならないかな?
武者震いといったところです。


8・30
昨日、学校で悲しいことがあった。
ホントに悲しかったこと。
若い、社会科の先生が、
人類模型を貸してほしい・・・
そう言って1学期貸してあげた。
とても楽しんだ雰囲気だったが、
アウストラロピテクスとクロマニヨン人だけ、
資料室に戻っていて、あとは戻ってこない。
それで、さがしに行ったら、
北京原人とネアンデルタール人の
模型の足が、ポッキリ折れていた。

この4体の模型は
私が20代のころに、
一人で作ろうと、ベニヤ板を買い込んで、
小学校の放課後、何日もかかって、
奮闘して作った愛用品。
30年間、授業の役に立ってくれ、
子どもたちと私とを、
歴史の授業のスタートで
一挙に結び付けてくれた
とても愛着のある四体・・・・・・。

やっぱり、人から借りた教具って、
こんなものだろうな、・・・と痛感して、
簡単に貸してあげるのは、意味がないなと思ったし、
もう貸してあげたくない・・・そう思った。

しかし、昨日見た偶然のテレビ。
以前から聞いていたが、アフリカで40年
事業を続けたかたのお話・・・。
それに、ダメ出しやとがめるのは、きわめて日本的・・・。
と思い、どうしたら、いいかなと、考え中。
まず、とがめることはやめにした。
どうしたらいいかな?
未来を考えること・・・をしようと思う。
まだ考え中。




8・28
フランスで驚いたことをもう少し。
考え方と行動を変えようと思ったこと。

まず、エアフランスの機内で、
フライトアテンダントの女性。
イギリスのパンクロックのような短髪・しかもブロンド。
小柄で黒のワンピースに赤のベルト。
とてもチャーミング。
30~40代の女性、この人が、
ずっとお客さんの女性と(フランス人・家族といっしょ)、
話している。

よくしゃべるなあと見ていたら、
フライトのあいだじゅう、暇があればしゃべっていて
日本なら「むだなおしゃべりはしない」
なんて、注意されるだろう。
でも、帰りの飛行機でも、
今度は、男性のフライトアテンダントが、
ビジネスクラスの男性とずっと話していた。
会話もサービスだし、
それでいて、とても気が利いて、
私にもサービスしてくれる。
何の問題もない。

カフェでも、
たいてい数人(男性二人に女性とか、女性二人に男性一人とか)で、
どうも友人同士らしいが、
カプチーノやビール一杯で、
えんえんとしゃべり続け、1時間近く話して、
「それじゃあ、バイバイ」と言ったふうに帰る。
何を話しているのかわからないのが、とても残念。

電車の車内や、駅では、
大さわぎしたり、かしましい感じはしないのに、
カフェではほんとうによくしゃべる。
相手に気を使っている雰囲気も、
気まずい雰囲気も、全くない。

一方、私の日常生活は
「しゃべるな」が大部分。
勝手にしゃべるのは困るけれど、
もっとしゃべるべきじゃないかなと、
フランス人を見ていて、とても思った。
「しゃべるな」と言って
自分を内向させる・・・これが日本人の
逆の攻撃性になっているんじゃないかなと、・・・
日本に帰って来た時、佐世保の少女の事件を聞いて、
強く思った。

授業中は集中して、
休み時間はおしゃべりをして、
・・・・こどもたちともっとつき合ってあげないと・・・
と思ったのです。
早速、2学期時間があったら、すぐに二者面談を
やって、くだくだ話そうかなと思っています。




8・27
先日、若い先生たち相手に
授業と教具づくりの講習会をした。
正倉院の拡大コピーを貼り合わせる。
・・・これは、いかに農業が発達していったか
登呂遺跡・吉野ヶ里遺跡・大阪法円坂遺跡の倉庫と比べる。

木簡のレプリカも作る。
1班3枚ずつ。
バルサ材に貼りあわせて、
その文章を読み解けるように・・・
みんな熱心で、1時半から、6時までかかってしまった。

こうして教具を作っていくと、それが宝物になる。
ぜひ、授業で使ってもらえたらうれしい。

2学期に鎌倉時代をあつかう人もあるだろうと、
鎌倉時代の授業の授業案も説明する。
クイズも使いながら。

古代も中世も、
今のイメージと違って、
まじないや呪いにとらわれ、
生死が、大きな問題になっていること。
意外だと思う。
その一端でも感じていただければと思う。



8・24
くだらないように見えて、
とても強く感じたことがある。
パリの女性は、堂々としている。
それと、地下鉄の車両では
夏は三分の一がアフリカ系、アジア系、南米系
の人々だった。
ここはどこの国かと思った。
グローバル化ということはそういうことなのだ。
EUに入ってしまえば、移動の自由。
たぶん一番暮らしやすいのが、パリなのだ。
難民としてあるいは出稼ぎとして、
たくさんの人々が住みついている。
人種のるつぼはパリだった。

そして、女性。
パリには冷房施設が皆無。
窓を開けるしかない。
地下鉄でもそう。
夏には、胸の大きく開いた
袖なしの黒のワンピースを
どの女性も着ている。
赤いベルトに赤いバレーシューズなどとそろえて・・・
それが、若かろうが、お年寄りだろうが、
かわいらしい。
肉感的ではなくて、ちょっとセクシーで
そして、胸のあたりをどの男性もじろじろ見ない。
日本のように、男性に媚びたりした感じはしないし、
服が開放的だからと言って、女性が悪いと責められる雰囲気もない。
誰かに咎められたり、注意されたり、
人の目を気にしたり、・・・そんな必要をみじんも感じない。
自分がステキだと思う服を着て、それを堂々と着ている。

私の日常の悩みは、日本で着る服が、
普通の店ではサイズがなかなか見つからないことだ。
それは、日本では、本人が悪いことになっている。
しかし、パリでは違う。
私の体形でも、女性らしく、ステキに見せるだけの
服の形とサイズがそろっている。
偶然、ベッドで着るTシャツと短パンを忘れ、
一番安い物をパリで買った。
それなのに、着てみてびっくり。
なんと体型をうまく生かしてくれる服なのだった。

こんなこと、ばかばかしいかもしれないが、
私には、とても大きなことに思える。
女性が、男性の目を気にせず、
涼しくそして、ステキにみえる服を着て
セクハラにもおびえずに、
堂々と、地下鉄に乗り、毎日を過ごせるのだ。
都議会のヤジとの大違い。
やはり、フランスは、生きた人権の国なのだと
強く強く肌で感じた。
アフリカ系の人も、フランス人ぽい服装をしていることもあるし、
民族衣装を着ている人も見かける。
でも、どちらも、堂々としている。
これがパリなのだと思った。


8・23
中国地方が雨量が多いと
思っていたら、それどころか、
広島は大変なことになっています。
会員の中にも、広島のかたがいらっしゃるので
さぞ、御苦労されていることでしょう。

関東は、はれはれはれ
まだ猛暑で、綿花の水やりが大変です。
綿花は、人の背丈の半分ほどに育ちました。
その苗が、ゆうに
100本はあるので、水やりだけでも
1時間かかりますが、この出来が
2学期以降の授業に関係するので、
私も必死です。

学校に行くと、
久しぶりに会う子どもたちが、
「ああ先生、なつかしい」
2学期の授業も期待してくれていると
うれしいな。
クラスの子どもたちには、
アンネフランクの絵ハガキの残暑見舞いを出しました。
アンネフランクの中学生後半の写真
はにかむ姿が、とても愛らしい。

でも、ベルリンで思ったんです。
なぜ、人間は学ばないのかと
ワルシャワでゲットーを作り
ベルリンの壁を建設し、
イスラエルは分断の壁を築いている。
すべて同じことをしている。
憎しみを育てないこと、
パリの地下鉄の笑顔を忘れないようにしよう・・・
希望はあります。
小さい記事を見ました。
軍の無差別爆撃に抗議するイスラエルの人々のデモ。
2000人と出ていました。


8・20
まだまだ関東は、猛暑と言った感じ。

たたら製鉄のあと、
石見銀山あとも歩いてきた。
共通する島根の豊かさを発見した。

もののけ姫のような
はだかの山は無いということ。
銀山でも、製鉄でも、
肝心なのは、鉱脈と木炭。

私自身が製鉄をした時にも
木炭代が、何万と必要だった。

まして、何百というたたら場があったり、
何十という銀の精錬所があったなら、
どれだけ木炭が必要だったろう。

その山の経営もしたのが、田部家などの山林地主。
しかし、30年の周期で山は再生したと聞いた。
それだけ、山陰地方は雨が多い地域だ。

ほんとうに、滞在中、何度雨に見舞われたか。
そして、むしむしとした暑さ。
この高温多湿が、産業を生み出し、
南蛮船や中国・朝鮮との貿易も盛んにした海岸だった。

こういうイメージを裏切られる新発見に胸が躍る。
戦国武将の毛利氏は、鉄と銀を持ち、
海賊衆を従えたとすれば、何と最強だろう?
おもしろい!!!。





8・19
1週間近く、私たちの研究会で
島根に行ってまいりました。
合宿研究会と、
吉田の小だたら体験です。
その前の準備に、あたふたと追われ、
こちらの方が、すっかりご無沙汰になりました。
ごめんなさい。

気持ちを入れ替えて、
相当充実したHPにしていきます。

小だたら体験とは、
雲南市吉田の鉄の歴史村の
吉田さんと杉原さんにお世話になり、
砂鉄から玉鋼を作る操業体験です。

会員の中にも、鉄を作ったメンバーは
数名いるのですが、
本場のたたら製鉄の方の教えを
うかがおうという試みでした。
それとともに、近隣の鉄に関する博物館をはしご。
鉄の歴史博物館、鉄の未来科学館、
奥出雲たたらと刀剣館、和鋼博物館。

実習と勉強とで、
もののけ姫の世界、戦国から江戸にかけての
日本文化の発達・・・・イメージは広がり、
今までの概念をガラッと変えるような
楽しい勉強になりました。
特に実習は、吉田さんの村下姿に
みな「かっこいい~~~」
さいわい、気温の低い1日でしたが、
1日中、火の番と、送風の番の疲れること、
炉を壊す時の高温の熱と、汗と、・・・・
迫力満点の体験となりました。



8・12
ヨーロッパに行って
改めて気づきました。
第一次世界大戦から100年です。
私が奇しくも行ったベルダンで、
ドイツフランスの政治家たちが
握手をする映像、
首相たちが花をささげ会談する映像が
たくさん流れていました。

100年たって、
二度と戦争をしない、
そういう合意が、
当時の敵対国フランスとドイツで共有されていると
感じました。
亡くなった人々を悼む気持ちも共通でした。
フランスでは
国を問わずベルダンの1万人以上の
一人一人の墓碑に
バラを供えようという活動の呼びかけもありました。
フランスの墓地には、コロンつまり植民地兵たちの
墓碑銘も、たくさんありました。

ベルダンには、フランスからも観光客が来ていますが、
もちろんドイツからも車で、
自転車で、夏休みなので、
ヨーロッパ中から、大学生たちも
家族でも、旅していました。

日本と韓国、中国、東南アジアが、
100年たったら、政治家が、
人々の墓地に、花を手向けることができるか
考えてしまいました。

そのあと、ドイツ・ベルリンを訪ね
第二次大戦後からのドイツの70年の
努力を首都でまざまざと見せられました。

過去ではなくて、今の歴史です。
三国を旅して、ほんとうに
たくさん肌で感じました。

ありがとう、感謝です。
一番強く感じたのは、
寛容でしょうか。



8・10
長い間、2週間以上開けてしまいました。
すみません。
長旅から帰ってきました。
パリとベルダンと
アムステルダムと、ベルリンです。

一人で旅するのが、
ほんとうに最高に、いい。
ペースは自分で、
だれにも頼らず、自己解決。
感じることも、私自身が感じること。
どんどん自信がついてくる。
でも、最後のころには、
ちょっと独り言がふえました。

日本にいたのでは感じないことをたくさん。
まず一言は、
怒鳴る人をどこでも見ませんでした。
特にフランス。
寛容さ、自信、自由、それを感じました。
一番好きな町は、フィレンツェとパリになりました。
少しずつ書いていきます。



July



7・24
夏休みになってからの方が忙しかった。
農家のかたの指導で
畑をやっているので、
トマトときゅうりとズッキーニとナスの大豊作。
キュウリ4キロをキュウリのキュウちゃん風漬物につけこんだり、
ナスを煮ものにしたり、
ズッキーニのカレーを作ったり・・・・
なかなか、季節が全部一緒なので、
朝から午後までかかってしまう。

家の片づけや
綿花の乾燥よけとか・・・・・とてもとても忙しい。
そして、とうとう徹夜の挙句
きょうからフランスへ一人旅してきます。
フランス革命のあとと、
なぜフランス人たちは、デモもやり、
要求を通すのが国民主権と理解できているのか・・・
それを、この日本の閉塞状況と対応して、
勉強してきたかった。
でも、ヨーロッパに行くんだったらと
…アンネの家を見学し、ベルリンの壁をもう一度見に行くことにした。
ベルリンを再訪できることは、胸が高鳴ってしまう。
あと、ベルダンと、戦争に反対する戦争の
エルンストフリードリッヒの博物館(再建)を見てきます。
ホテルは取ってありますがガイドなし、一人で
マイペースで回ります。そんなわけで
2週間、旅の人です。
また、ご報告します。
オランダの航空機撃墜のことに胸を痛めています。


7・18
今日でおしまい。
今のクラスは、手のかからない子どもたちばかり。
昨日、実に楽しそうに遊んでいた。
ずいぶん、暑くなったけれど、
たまの学活でレクをやりたいと、
みんな、校庭を希望。
私は、ドロケイを提案したが、却下。
そうしたら、男女仲良く、全面コートを使って、
サッカーを始めた。
ボールを追いかけて、キャーキャー。
一応私は「自由行動」と言っていたので、
校庭にまで本を持ってきて読んでいた子も、
バトミントン部でバトミントンをやりたいと
ラケットを持ってきた子も、
サッカーボールを追い始めた。
汗だくになって、生き生きして、・・・・
もちろん私は見ているだけだけれど、
楽しそうにやっているのは、見ているだけでうれしい。
笑顔で終われたクラスはいいなと思った






7・16
もう、あと二日で
1学期はおしまいです。
毎日、家に帰り着くのが10時近く。

保護者会資料として、
子どもたちの職場体験の感想を
簡単にまとめました。

その一言が、
ダイヤモンドのように輝いています。
アンケートの
「「自分のためになったと思うことは、どんなことですか?」
に対して、
短く、簡潔に、それもピッカピカに光る言葉を書きました。
たとえば
「人助け、介護をすると、
相手、そして自分もいい気持ちになることを学んだ」
「一つ一つのあいさつに、感謝と心を込めるということ
(スポーツ店に行った子)」
「働いている人は、全員家族のためや、
お店に来てくれた人のために働いていて、
誰かのために働くのは、大切なんだなと思った」

うれしかったことは
「保育園で、子どもたちが手をつないでくれたこと、
むぎゅーって握ってくれたこと」
「子どもたちに、大好きと言われたこと」
「工事を手伝っている時に、職場のかたが、
優しく体調を気遣ってくださったこと」
・・・・・・
全員と言ってもいいくらい、すばらしいひと言を書いていた。
ほんとうに社会を感じて帰ってきたことに
大きな喜びを感じている。
私があまりに子どもたちのことを、
たくさん話すものだから、
お母さんたちも、話に引き込まれて
よく聞いてくれていた。
ちょっと調子にのってしまったかな?




7・11
あっという間の11日。
学期末事務処理で、超多忙です。
今年は、全市的に、
ネットワークを使った通知表作りです。
学校のパソコンでなくては、
通知表は作れません。
だから、毎日残業デーです。
サービス残業どころではなく、
毎日残業。明日も出勤。
帰りがどんどん遅くなる~~~~遅くなる~~~と、
動画で歌いたいくらいです。

今日はくだらなくて、平和な学校を表わす事件。
授業で、わざと手でおならをさせて、
ずっと笑って、授業にならなかったクラス。
でも、まるで、「だるまさんが転んだ」
・・・でもやっているように、
私が黒板に書くと、おならの音をさせ、
私が後ろを向くと、知らんぷり。
それも、首謀者たちは、友達にやらせて、
自分たちは笑うだけ。
そして、私が注意して回ると、
「僕はちゃんとやってました」

他の学校では、こんなことに費やしている時間はないけれど、
今の学校は、みんな落ち着いているので、
ウソをそのままにもできず、おならの音もそのままにできず
ちゃんと後始末をつけさせました。
神妙な顔をして、「すみませんでした」
と謝る男の子たちに、内心苦笑しきりです。

台風一過の猛暑が続きそうです。
皆さんご自愛を。



7・7
10月の市内の研究会に
講師として、
鎌倉で発掘をおやりになっている方を
お呼びすることができることになった。
たいへんうれしい。
いつも、校外学習では、お世話になり、
子どもたちが、発掘されたものを
見せていただいた。
私も何度か通い、見せていただいたが、
鎌倉の発掘では、
地下水位が高いため
遺物が水につかっていて、
木製品がとてもたくさん残っている。

おはし、漆塗りのお椀、
操り人形など、びっくりするようなものも出てきていた。
偶数目しかないサイコロなど、
バクチが大流行だったことを裏付ける。

わざわざお越しいただくが、
市内の若い先生たちの勉強になるのなら、
これもとてもうれしいことです。

子どもたちに、歴史の授業をする時には
ほんとうに会ったことの実証として、
必ず、遺跡からの遺物と、古文書を両方紹介する。
考古学と歴史学の出会い・・・です。
そうすると、ものでイメージを膨らませられ、
文書で当時の人々の息吹や感情に触れる。
こういう、企画を立てるのが、とても好きな仕事!!




7・4
今日の職場体験。
1日中、職場を回ってあいさつ。
これが、とても楽しい。
いつもの、校舎内で会う子どもたちとは
全然違う。
たぶん、午前中だけでも、
ものすごく緊張して、
お手伝いの仕事をしているところに、
私たち教員が現れると、
走って飛んでくるような勢いで
「せんせ~~い」と、満面の笑み。
地獄に仏というか、
待ち焦がれていた恋人が突然現れたようなというか・・・
そんな笑顔で、仕事の状況を話そうとする。
そんな子どもたちのかわいらしさに、
とても癒される。

休みがちな女の子は
親友と介護施設を希望、
他にも、教室に入りにくい男の子は
仲の良い男子と保育園を希望。
前日まで、ほんとうに行けるのかどうか、
心配して、当日も恐る恐る見に行ったが、
なんと、みんな、満面の笑みだった。
介護施設で、おじいちゃんとおばあちゃんたちに、
ほめられ、勇気づけられて、
「明日も、職場体験を続けたい」
保育園に行った男の子のようすは、
小さい子たちを追いかけ、
鬼ごっこをしている。
あれ~~??
あんな笑顔、始めて見た。

一番大変だったのは、
トマト農家だった。
トマトの名につられ、
トマトの収穫を期待していった子どもたちだったが、
ほとんどトマトの時期は終わりで、
ビニールハウスの中の、後片づけ。
長靴に、軍手、マスクで、
地面に貼ってあるビニールをはがして、
廃棄する仕事。
猛暑の中で、くたくたになりつつ
素直で明るい女の子たちは
「最高に楽しいけど、最高に疲れる」
アイスクリームをごちそうになり、
段ボールの上で、昼寝を2時間弱して、
また、午後からもお手伝い。
職場体験で、これほど、ほんとうの労働を
体験した子どもたちもいないだろう。
それなのに、体が、綿のように疲れただろうに、
生き生きと、話がとまらないほど・・・。
健気さに、かわいくて仕方がなかった。



7・3
若い先生、肺炎で1週間近く休んでいる。
明日は、職場体験の当日。
だから、そのための仕事を、
若い先生とペアでやるはずが、
一人でやることとあいなり、、
昨日は家に帰り着いたのが、11時。
それから、このページを書き、
DVDのダビングをしたので、
ベッドに入ったのは2時半。
起きたのは、5時半・・・これもお弁当のため。
我ながら、鉄人だと思うが、
昼間に眠気が来て、
今日は大丈夫だったが、
昏倒しそうに眠くなる時もある。
危ない、危ない・・・。

鎌倉時代の仏教を教えて、
今年は、とても満足がいった。
私の解説が、わかりやすかったと思う。
ヒントを、朝日百科からもらった。
「武士は、人を殺す職業だからこそ、
 殺した人々の菩提を弔う必要があった」
・・・・・これは、傑作だと思った。
武士にとって、仏教がとても必要だということを言い当てている。
一つは、必勝祈願、お守り、精神統一
二つ目は、加害者側の心の痛み、トラウマ、呪いや怨霊を恐れる気持ちを鎮める
・・・・そういうことだったのか、
だから、中国から僧を招いて、
禅を学んだのか・・・・と納得。
もう一方の仏教の一群の説明。
これも朝日百科によれば、
鎌倉は、飢きんや地震・津波に襲われ
たくさんの死傷者が出たらしい。
この時代から、地獄の絵巻物などが流行り、
あの世への怖れが、一段と深まる。
そんな時に、念仏をとなえれば、
極楽浄土に行ける(苦しみ悲しみも一切ない世界)・・・
と言われれば、信じるだろう。

それまで、奈良時代は、仏教は天皇の物で、
お経は、中国の僧があげていた。
平安時代は、貴族がお寺を作り、
これまた、貴族のためにお坊さんがお経をあげた。
鎌倉時代、お経を一般の人々は読めないのに、
念仏だけでも唱えれば、極楽浄土に行ける、
それを、法然も、親鸞も、日蓮も、一遍も
旅をしながら、人々に語りかけたのだから、
広まらないはずはありましょうか?

そのひとつの原因として、
地獄の絵図や、餓鬼の絵巻物を写真で少し見てもらった。
当時の人々の怖れや気持ちがわかると、
今まで難行苦行の「鎌倉仏教の暗記モノ」も
覚えやすくなるかなと、思います。



7・2
集団的自衛権についてひとこと。

昨日、焼身自殺を図った人のニュースを知る。
若者たちは、知らないのだろう。
娘も「そんなことしたって自分の体が傷つくだけ、
それでは世の中は変わらない」
と言ったけれど、
私は、すぐに思い出した。

ベトナム戦争のころ、
私は高校生だった。
アメリカ兵が、
ベトナムの少年の遺体を持ち上げて、
かすかに笑いを浮かべている、
そんな有名な写真から、
目を話すことができなかった。
そんな時期、ニュースになっていた。
ベトナムの僧侶たちが、南ベトナム政権への抗議として
次々に、焼身自殺を図ったこと。
そして、政権側が、それを
「人間バーベキュー」と軽視した表現をして、
政権が倒れるきっかけにもなったこと。
私がその時思ったのは、
焼身自殺をするほど、絶望していたのだということだった。
それで政治は、止められないかもしれないと考えつつも、
自分の身を差し出さなければならないほど、絶望していたのだと思った。

新宿の男性の詳しいことは知らないが、
でも、絶望は、同じように、私を覆いそうになる。
世界の平和を希望して、
夢を抱いて、教師という職業を選び、
今まで生きてきたのだから。

父が私に言った言葉を忘れられない。
「小学生の時に、戦争は始まったけれど、
大人になるまで戦争が続くなんて思わなかった。」

この言葉を、初めて聞いた時、
私は大人だった。
だから、初めて理解できたことがある。
今すぐには、戦争にはならない。
突然戦争は始まらないということ。
でも、いつの間にか、だんだんに、戦争になっていくのが、
戦争なのだ、ということ。
松岡洋介が、後悔したと言ったが、
自分が引き金を引いたとは、その時は、自覚できていなかった。
同じように、今の政治家も、責任を感じることはないだろう。
その時は、私も含めて、政治家たちも、
もう、引退しているか、いなくなっているかだろうから。

それでも、責任を感じずにはいられない。
戦争が始まるには、時間がかかる。
そのための、1歩どころか、10歩ぐらい進めてしまったことを。

この夏、フランスとドイツとオランダを旅することにした。
なぜ、こんなに、日本では女性の意見が軽んじられるのだろう。
(都議会のヤジは、日本のホンネを表わしていると思います)
人々の意思が、なぜ尊重されないのだろう、
政治が変わらないのだろう・・・。
マイケルムーアの「シッコ」を見た時
フランスの「この国の政府は、人々を怖れている」
アメリカでは「人々は、政府を怖れている」
この言葉に衝撃を受けた。

フランスの福祉と、人権意識とどこが違うのかと、
それを思い続けていたら、
一度も、フランスを訪れたことがなかったことに気づき、
フランス革命の跡をたどる旅をしようと考えた。
そこで、フランスの歴史をもう一度本で読みなおしつつ
つくづく痛感したことがある。
フランス革命は、1度ではなかったこと、
何度も何度もパリ市民は命をかけて、共和制を打ち立て、
それを守り育ててきたこと。
最初から人権をイメージして闘争をしてきたのではなく、
その時代、時代のひっ迫した状況を、変えようと
犠牲を払って蜂起したことが、政権を転覆させ、
実績を積み上げてきたこと。

パリからオランダは近い。
アムステルダムのアンネの家を訪ねることにもした。
そして、ベルリンの壁が崩壊した年に訪ねたベルリンを、
もう一度20年ぶりに訪ねることにもした。
ベルリンでは、エルンストフリードリヒや、
ケストナーのゆかりの地を訪ねたい。
フリードリヒは、反戦博物館を創った人、
ケストナーは、飛ぶ教室で有名だが、
彼も、非常に鋭い批評家でドイツを逃げ出さなかった作家。

授業に生かせるのも、今回だけになるかもしれないから、
金欠病になりそうだけれど、踏み切ることにした。
戦争についても、人権についても、
よく考え、体験する旅にしてきたい。
勇気をもらって、帰ってきたい。
下調べをしていたら、
平和博物館国際会議という組織が
あるらしいとわかった。
世界中の地に平和博物館があり、つながっている。
インドにも、オランダにも、ノルウェーにも
南アフリカにも、ケニアにも・・・・
そのネットワークに、広島の平和記念資料館もあり、
長崎の原爆資料館も入り、沖縄平和祈念資料館も入っていた。
今からが、勝負のような気がする。
やっぱり、希望の芽はある。

なが~い長~いひとことになってしまいました。ごめんなさい。



7・1
7月になってしまった。
夏ですが、今年は、雨が多いですね。
職場体験が目前です。
緊張しつつ、職場のかたがたに、
ちゃんとお世話になることができるかな?
何だか、母親のように心配している。

奥州藤原氏の豊かさを、
NHKの番組で見て、
子どもたちに伝えたのだが、
とても驚いたことがあった。

発掘作業の中で、
かわらけが、30万枚以上発掘されたとのことである。
かわらけとは、釉薬をかけていない素焼きの皿です。
鎌倉でさえ、2万枚。
まあ、まだ発掘が終えているのは、
鎌倉では10分の1も行っていないそうですが、
・・・・・・・・・・・。
つまり使い捨ての紙皿を30万枚以上使ったと同じ。
それだけ、毎日宴会三昧だったということらしい。

それよりも、私が不思議に思うのは、
皿を使い捨てにしたこと。
私の我流の推理だが、
かわらけは、素焼きだから、汁ものがついてしまうこと、
それから、使い捨てにするのは、
疫病を怖れるからではないかと思うのだが、
どうだろうか?

鎌倉からは箸が4万本も出てきている。
これも、そのことを意味しないだろうか?
ランチョンマットのような木の皮を削ったものも、
何万枚も出てきているのだ。
一人で、「衛生面での使い捨て」を、確信している私です。


June



6・26
とうとう、若い先生が肺炎にかかってしまった。
他にも、ずっと頭痛が治らない人、
体の不調を訴える人、
学年に、何人も出ている。
4月からほとんど土日も出勤して、
部活動をする、そういう毎日だから、
気も、体も、休まらない。

私がしてあげられることは
何だろうと思い、
いたわり、ビタミンのサクランボやイチゴを差し入れ
早く帰りなと、
他の先生たちとともに声をかけるけれど、
仕事が減るわけではない。
若い先生の過労が増えていて、
過労死まで至るのではないかと心配している。

私たちの世代の人間も、
あと数年たてば退職だから、
殺伐とした職場で、
どうやって子どもたちを育てていくか
大きな問題だと思う。





6・24
心配していた綿花の芽は、
がんばっている。
双葉は白っぽくなっているが、
本葉を少しずつ伸ばし、
生きのびようとしている。

教室に入れない女の子は、
今は、ちょっと、
またもどりぎみで、むずかしい。
それでも、職場体験で、
老人ホームを職場に選んで
行くつもりでがんばっている。
友人と、下見までしてきたらしい。
彼女の、一番良い所は、
言葉が乱暴でも、甘えん坊でも、
何かしら前を向こうと、
すること。
だから、一歩進んで二歩下がっても、
十歩下がっても、やがては、
大人になってくると、
なんとなく信じている。
今までの経験からも、そう思う。



6・23
明日からテストである。
今、元寇を授業している。
私にとっては、胸躍る、
わくわくする番組を見せた。
昨年、一昨年と、
報道があった、元寇の船が九州の海底から見つかった!!!
というNHKスペシャルである。
もうその報道を聞いただけで、
新聞を切り抜き、カラー写真を保存し、
番組が出たとたんに録画し、
水中考古学とは、何とロマンだろうと、
うれしがって見せたのだが、
思うほどには、子どもたちは、感動してくれない。

私にとっては、30年、授業で教えてきたことの謎を
よくぞ解いてくれたという気持ちだが、
今の子どもたちにとってみれば、
元寇が何年で文永の役・弘安の役・・・
などの暗記事項にもまだ恨みはないし・・・
「ふ~~~ん、そうなんだ」といった風情。
う~~~ん、この温度差が、ちょっと悲しい。

でも、そんなことではへこたれず、
水中考古学のロマンを語ろうと思う。
今日は短く・・・・では、明日。



6・22
今年、綿花は順調に発芽。
80%ぐらい発芽したので、
とてもうれしかった。
コツは、昇降口で育てていること。
つまり、おいしい綿花の種や双葉を
どうも、ナメクジに食べられずに済んだから。
昨年は3度も蒔きなおしたので、
ほっと安堵した。

しかし、このところ、
案じていた心配ごとがいくつか出てきた。
陽当たりが半分なので、
ひょろひょろの綿花が・・・大丈夫だろうか。
それに、以前、校舎のお手洗いを借りに来た
保育園の子どもたちが、
かわいらしい大きな双葉を
4~5個、ちぎってしまった。
そうしたら、たぶん中一の子どもだろう、
やっぱりちぎったあとが・・・。
それも、ちぎるだけじゃなくて、
ばれないように、土に挿してある。
幼さに苦笑い。

もう、ナメクジは心配ないかなと
外に出した。
しかし、やっぱりうまく行かない。
1日で、手のひら半分ほどの大きな双葉が、
風にあおられて、今にも折れそうだ。
それと、風のせいでたぶん飛んできたアブラムシに
新芽が吸われているのか、
しなびた本葉の芽が多数。
今度は、ナメクジ予防と、アブラムシ予防に薬を蒔く。

・・・・・・そうしたら、
一難去って、もう一難。
今度は、その薬のせいで、
双葉が、白くなり、枯れ始めた・・・・・
ああ、これで、今年は全滅????
昨日は土曜日なのに、綿花が心配で心配で、
4時間かけて、学校までもう一度見に行った。
今年、綿花を300人以上が
授業で使う予定なので、
これが全滅だったら、死活問題。
だから必死なのです。

なんとか、全滅は避けられそうである。
植物の強さに、安堵する。
でも、作物を育てるたび思う。
これが、生活する糧だったり、商売だったら、
大損害で、生きていけないんだなと。
たとえば、古代の農民で、米が、全滅したり、
江戸時代の山形の農家で紅花がすべて枯れてしまったら、
土地を奪われてしまうかも、
家族が生活していけないかも、・・・
自然に左右される農業は、ほんとうにむずかしいと思う。
作物を育ててみるようになって、
歴史がより深くわかるようになった。それは一挙両得。
何回、いろいろな物を育てても、いつも成功するとは限らない

若い先生は、少し元気になりました。




6・20
今週は若い先生が心配。
耳が聞こえにくいのと
めまいがすると言う。
あまりにも忙しすぎて、
人にかまう暇もない今の学校だから、
早く帰った方がいいよと
みんながアドバイスするけれど、
本人はふらふらなのに、帰らない。
心配で、いっしょに残った。
医者に行った方がいいよ、それもアドバイスした。
ちゃんと行ってくれるかな? 気になる。
やっぱり今の時代の職場は忙しすぎる。

授業は蒙古襲来へ。
いつも使うのは、大河ドラマの一部
「北条時宗」
この、戦争の発端のようすが、よくわかる。
日本は鏑矢を射て、
悠々と「我こそは・・・」と自己紹介するうちに、
蒙古軍は「てつはう」を投げてきて、
直撃されて、死亡。
その技術と戦法の違いに、驚く。

鎌倉時代の仏教が、なぜ、広まったのか。
今回も本を読んで、我流解釈だが、こう説明した。
「武士は、戦への恐怖に打ち勝つための精神集中と、
 殺した人々の霊を弔うために、禅宗が必要だった」
「一般の人々は、鎌倉時代に2万人も亡くなるような
 地震・津波のせいで、また、日照り、火山の噴火
 で、飢きんが起きて、多くの人々が亡くなった」
「死への怖れが人々の心を占めるようになって、
 地獄も、この頃考え出されるようになった。
 だから、多くの人々は念仏を唱えるだけで、
 極楽浄土に行ける仏教を、ありがたい教えと受け止めた」

全国行脚した法然、弾圧を受けた日蓮、
踊りながら念仏を唱えた一遍、
これは、念仏を唱えるだけという信仰は
ありがたいものだったろう。
これで、少しは子どもたちに仏教が近づいてくれただろうか?




6・19
一進一退のクラスの女の子。
再び、クラスに入れなくなった。
ほとんど、1日で、1時間程度しか、
教室に入れない。
それでも、毎日、学校に来る。
そして、空き時間の先生と
お喋りを楽しむ。・・・・
忙しい先生たちは、頭を抱えながら、
仕方がないと、相手をしてくれる。
彼女は、そうした大人の優しさに、
甘えたくて甘えたくて、学校に来ているようだ。
私だけが、叱る係。
先日は、ルール違反をした上に、
お母さんに、迷惑をかけ、
わがままを通したので、こっぴどく叱った。

そうしたら、ちょっとしたパニックになってしまって、
トイレに閉じこもった。

もうわかってきているはず、
逃げては解決しない。
チャレンジして、乗り越えなくちゃいけないということ。
でも、それができれば、苦労しない・・・
でも、それを言う人がいないから、
私が、厳しく、冷たく言っている。
・・・・でも、彼女も、すべてわかってるんだよね。

気を長く持ってます。
こんな状態が、半年は続くだろうと予想する。
他の学年の先生たちは、・・・そんなに続いたら耐えられないと言う。
でも、私は、今までそんな経験ばかりだったんです。
それでも、未来はあるし、光も出てくるんです。
大丈夫、大丈夫。



6・17
京都の截金(きりかね)の工芸士さんの所で、
実習をしたのが10年以上前。
下見で訪問した時に、
こういうお仕事があるのかと、とても驚いた。
京都は奥が深いと思った。
その様子をご紹介したい。
今でも、忘れられない。
截金(きりかね)というのは、
金箔を切って、貼る仕事。
その方は、仏像に貼るのを
仕事でしておられるようだった。
金箔の扱いを、身近で見せていただいたのだが、
薄い和紙にはさんである、
折り紙ほどの大きさの、うすいうすい金箔を、
息をつめて操作し、息をふっと吹きかけて、
浮かび上がらせて竹のピンセットではさむ。
今から思うと、私がやったら、
挟むだけで大穴があきそうだったと思う。
それを、竹の定規で、仏像に合わせた大きさ・長さに切り、
切ると言っても、定規でそっと押さえただけで
切れてしまう繊細さ。
それを張り付ける。

他の仕事場でも見たけれど、
金箔を貼りつけるのには、
のりや漆を使う。
ふしぎな接着剤。漆は湿気が無いとくっつかないそうだ。
西陣では、和紙に金箔を貼りつけて、
それを、1ミリ幅ぐらいに切って、金糸として扱う。
帯に、華やかな金を添える。

奥州藤原氏の金色堂の
金や螺鈿は、極楽浄土の光を表わしているようだ。
蛍光灯も、灯明もない時代、
仏像を安置した部屋を光で満たしたい・・・
そう聞くと、金と螺鈿が納得できる。
いつの時代も光るものは貴重で好まれる。
玉虫もそうだし、
今の時代のスワロフスキーやラインストーンで
飾り立てたデコ電(というらしい)も同じ。





6・13
ちょっと書きたいことがあるので、
明日の日付で書いてしまいます。

今、勉強しているのが、
中尊寺金色堂。
黄金の国ジパングと呼ばれたのは、
平泉か?とも言われている。
その金箔を貼りめぐらした金色堂を
実感させたいと、金箔を手に入れる算段をした。

一つは、偶然連れ合いのお母さんの遺品から出てきた
小さな金箔のかけらの包みが、25個ほど。
ただ、大きな金箔も見せたいと思い、
東急ハンズで購入した。
1枚560円ほどなり・・・。

さて、子どもたちに見せました。
しかし、しかし・・・・・・
金箔は、1万分の1ミリの薄さ、
ふうッと息を吹きかけたら、
風に飛んで、消滅でしょう。

だから、くれぐれも、息を止めてとか、言って、
1班ずつ教卓のところに呼び寄せました。
極薄の和紙が被せてありますが、
やっぱり黄金色を見せたい。
だから、和紙を取り去って、金箔を見せたい・・・
そうしてみました。

そうしたら、息を止めてはいるんだけれど、
ちょっとハハっと笑っただけで、
宙に浮きそうになる。
1クラスめは危うくセーフ。
2クラスめは女の子が、ふっとついたため息で金箔が半分よじれて破けた。
3クラスめでは、男子が笑ってしまったから
宙に浮いて、教卓の上に・・・
そのたびごとに、教卓のまわりの子たちが
ああっとおののき、私も冷や汗をかき、
「ダメだって言ったでしょ、ああああああ」
と、半泣きべそになる。

教材って難しいんです。
子どもたちが触りたがる、見たがる・・・それも好奇心の重要性。
でも、こわれる危険性がある、
でも、私としては見せたい。
いつでも本物は見せたいけれど、
こわれて、子どもたちを怒鳴りつけることはしたくない。
だから、ある程度覚悟をして、後悔しない物を
見せたいのですね。

この金箔をどうしようかと迷ってます。
最後のクラスになったら、
金箔じゃなくて、金箔がぐちゃぐちゃになったものになりそう、
でも、私的には、金が大好きな子どもたちには
どうしても見せたい誘惑が強い・・・。

つくづく、1万分の1ミリの薄さの金箔、
その恐ろしさを知った・・・巻でした。

実は、修学旅行で京都に行った時
きりかねという伝統工芸士のかたのお宅で、
以前の子どもたちが実習させていただきました。
こともなげに、金箔をあつかい、
その道具も、すべて竹でできていて、
その合理性に目を奪われましたが、
金箔は、素人が扱うものではないと思い知ったのでした。


6・12
戦争をめぐる論議の
よくあるレトリック。
「泥棒や強盗が来ても、守れないのじゃ困る。
 だから武器を持つ。」

そうお父さんが言うとしたら、
お母さんはこう反論します。
泥棒が来るからと言って、
ライフルを用意して
それを子どもがいじって、家族がけがをするより
まずは、カギをしっかりかける方が先。
「武器を持ったら安心」と思い込むのが怖いのよ。
泥棒や強盗が来にくくなるように、
ご近所さんと声かけ合って、家の周りを明るくして・・・
そうする方が先じゃない?
以前にもあったじゃない、覚えてる?
アメリカで強盗とまちがって、高校生が殺されたわよ。
持ってる武器で人が死ぬ方がよっぽど怖いわ。

お父さんがこう言います。
どんなに恐ろしい強盗が来るかもしれないから
ガードマンを雇い、襲われた時に
お前たちを守るため、助け出すために、
最新武器を調達したよ・・・

お母さんはこう言います。
ガードマンの方が、あまりにこわもてで
娘たちはこわがっているわ。
最新武器が最強のものだっていうけど、
こんな恐ろしい武器を持つよりも
同じお金を使うなら、おいしいものを手に入れて、
ご近所におすそ分けして、
喜んでもらう方が、幸せじゃないかしら?

私はそう思うんですが、
いかがでしょうか?
毎日のニュースが苦痛で苦痛でたまりません。



6・11
集団的自衛権、
あまりにも、悪くなる日中関係と
雑誌にさえ、臨戦態勢とあおるような見出し、
そして一国の首相が、
すぐにでも、攻撃されるような想定を話すとは、
あまりにも国民の命を逆に軽視していると思う。

国民は政府が、最大限の平和への外交努力を続けていると
そう信じるから、毎日の生活が送れるはずなのに、
平和への外交努力は、行政の基本的な義務ではないか?
絶対に表に出ず、しかも、日常的に
永遠に続けられるものが外交努力だからこそ、
行政側を、国民は信用するわけなのに、

そうした信頼を、政府や、行政は
裏切ろうとしているように思える。

人口が激減し、女性の数が極端に減り、
みな女性が子どもを産みたくない国、
そんな国に、未来はあるのでしょうか。
それでも、同盟国が攻撃されたら、
いっしょに戦争しようという国
・・・それなら国民は戦争でまた人口も減る
あまりにも悲しくて、ニュースを見る気にもなれない。
教え子たちの将来に明るい希望があるのか
私にはそれを語れない「今」のように思ってしまう。
理屈なんて、どうでもいい。
大きな声で、戦争を想定する発言を毎日しないでほしい。
その議論こそが、私たち女性にすれば、
パワーハラスメントだと思う。
きっと戦時中も、戦争を語る大きな声に、
女性たちは怖れと恐怖で、無言になり、
結果的に加担してしまったのではないか?

でも、とてもうれしいことが一つ。
そのことを喜んで、こちらのニュースに癒されたい。
かこさとし先生の本が、また出ました。
新シリーズなのに、旧シリーズの続編です。
うれしくてうれしくて・・・・
「どろぼうがっこう ぜんいんだつごく」やら、
「からすのおかしやさん」やら、
次々と、どんどんと、新シリーズ・続編が売り出されていました。
私もようやく気付いたところです。
昨年、すでに発売されていたとか・・・
「どろぼうがっこう」・「からすのパンやさん」
「だるまちゃんとてんぐちゃん」の新シリーズも。
この絵本たちに囲まれて、
小学生を教えていた10年間
そして、わが子に読んでいた10年間のなんと幸せだったこと。



6・10
今、2年生の授業は、平安時代。
NHKの番組を見ると、
「はっ」とする発見があって、
楽しく、すぐに、子どもたちに伝えたくなる。
でも、同じ番組を見ても、
毎日、歴史の授業のことを考えている私と
部活に明け暮れ、友達関係に悩む中学生とは
かなり大きな温度差になる。
だから、そぎ落として、そぎ落として、
誰もが興味を持ち、おもしろくて、
平安時代に重要だと思うことを
最少の形で伝えたいと、エッセンスは何かと探る。

教えていて不思議なのは、
必ず中世まで出てくるのが、
仏教のこと。
中学生にしてみれば、なぜ、最澄や空海、
曹洞宗や浄土真宗・・・親鸞・・・をなぜ覚える必要があるのかと
ため息とともに、憂うつが襲うことだろう。
考えてみれば、江戸時代になると、えらいお坊さんの名前など、
全く出てこない。
当然、明治・大正は、かわって、首相の名前。

私も人物名を覚えるのが、大嫌いで、社会が苦手だった。
人物名を覚えさせるよりも、
今の何とつながっているのか、
その時代の人々にとって、宗教は何を意味していたのか、
それを問うような問題が良問だと思うし、
その答えは、いくつあってもいいと思うのですが、・・・。

娘が大学受験を控え、日本史の網羅的な
暗記問題集をふと見ていて、・・・そう考えてしまいます。




6・3
もう6月。それなのに猛暑です。
先週は体験先を振り分けるために、
学校に、9時近くまで残業。
でも、今の若い人たちは、
毎日のように残っている。
部活を終えたあとに、仕事をやるので、
いつも、8時過ぎはざらだ。
みな、たいてい、家に仕事を持ち帰らない。

家庭を持っているとそうはいかないので、
先週はつらかった。

でも、そんな時、夜、
道のまわりで、
花の匂いが、夜風で
ふうっと漂ってくると、
こんなときは、役得かなと思うくらい
気分が安らぐ。
くちなしの匂いでした。
星やお月様も、
夜の帰り道のお伴です。

今、平安時代を授業しているが、
改めて、関東の鉄と馬が
重要だと気付く。
これについては、また明日に。





May



5・27
今はまた忙しい毎日。
今度は7月の職場体験に向けて
準備が始まっている。
以前の学校では3日間やっていて、
とても充実していた。
しかし、今の学校では1日。
相手の企業でも3日間はむずかしいところが多い。

三日間やっていた学校で印象的なことがあった。
とても協力的な産婦人科の病院があり、
出産にも立ち会わせてもらった。
中学生たちは、感動したり、失神しそうになったり、
・・・・でも、その三日間で、
親の愛情を初めて知ったり・・・・
その医院は一か月でも来てほしいとまで
言ってくださっていた。
職場体験をした子どもたちみなが
大きく成長させていただいていた。

ある年、かん黙の女の子が
この医院を希望した。

しゃべった言葉を聞いたことがなかったので、
とても不安だったが、彼女の希望を生かして
体験先に選んだ。
確かに3日間ほとんどしゃべらなかったらしい。
でも、何と、高校受験では、
私立高校の看護科を受験して、見事合格した。
ほんとうに驚き、彼女を祝福した。
こういうこともあるのだと、感動しました。

さて、今の学校では大規模校なので、
なんと、職場体験先を89か所用意しました。
この振り分けが大変だが、
でも、子どもたちの成長を考えると、
顔がほころんでしまうくらい楽しみです。




5・21
体育祭の予行の日、
学級対抗リレーが始まった。
男子の部、見ていると
走るのが苦手な子が
トップバッターやその次、
というように、次つぎ走り、
どんどん引き離されていった。
あれ~~???
作戦をたてたはずなのに、
走るのが速い子たちが、
全力を使っていないように見えた。

よくあるパターン。
競技なのだから、
いくら一位になれそうもないからと
勝負を最初から投げていては
チームワークはバラバラになるし、
お互いを責め合って、
楽しい体育祭には決してならない。
どうも、トップバッターを
押し付けてしまったらしい?ようす。
でも、このままでは、アンカーの学年一の俊足の子に
申し訳ない・・・・
Do your best!!のチームを作るよ、と言って
体育委員を励ました。

そうしたら、まわりの男子たちと
リレーの順番を1時間以上考えて
つくり直した。
その話を聞いて、とても感動してしまった。
会話が、こう~
「○○君は、やっぱりトップバッターが嫌なんじゃないかな、
 ○番目の方が、きっと走る気になるよ」
「一番速いグループと苦手なグループと
 中間のグループに分けて、
 苦手な人の分は速い人たちがフォローして、
 その上で抜いてもらって、
 中間の人たちにキープしてもらう・・・どう?」
「この人たちは、抜きたいって言ってたから、
 他のクラスがゆっくりめな○走めがいいよ」
「ここで、ずっとキープしてもらうように、
 がんばってもらおう」
「バトンパスはここではちょっと仲悪いけど、
 後半だから、みんなのこと考えて、
 きっと一生懸命やってくれるから大丈夫」
一人一人について、○走めにした理由があり、
それぞれのやる気を考えていて、
後から、私が横から口を出そうとしても、
まったく邪魔なだけでした。
その子どもたち同士の話のやりとりが、
横で聞いていて、思いやりがあって
優しくって、それでいて、
勝ちたいというチームになっていて
100点でした。
結果よりもそのプロセスです・・・の巻でした。



5・19
10日近くあいてしまいました。
17日 体育祭
天候がすばらしい一日だった。
一週間は、学級旗作りの
立会いと、そのあとのいろいろで
10時過ぎに帰ることも続いた。
ちょっと疲れました。

でも、いろんなドラマがありました。
楽しかったり、うれしかったり・・・

クラスの一人の女子、
適応教室に一度入ったけれど、
やっぱり難しいと・・・・結論。

でも、その結論のあと、
後始末を一人で、ちゃんとできた。
相手の先生に、きちんと気持ちが伝えられた。
「せっかくみんな先生たちが、
 話し合ってくれたのに、
 どの先生にも迷惑をかけることになっちゃうから
 申し訳ない・・・」
そう、言ったんだそうです。
そんな配慮と、それを口に出せる勇気
彼女の成長に、周りの大人の誰もが
驚き、喜んでいる。

それに、彼女から私も聞きました。
「担任(私のこと)が、どれだけ苦労したか
 いろんな先生たちから言われた・・・・」
まわりの先生たちが、
彼女に、陰で、そういう話をしてくれていたんだ・・・
そうわかって、私も感動しました。
これこそ、職場のチームワーク、
プロフェッショナルですね!!
また、一歩、彼女は踏み出すでしょうか?



5・10
連休が終わって
綿花の種まきシーズン。
プランターの土を45袋買って
プランター30個ほどで育てる。
これを、できたらいろんな人たちに分ける。
市内とか、同じ学校とか
社会科の先生同士とか
若い先生に・・・とか。
綿花を見て喜ぶ子どもたちがいたら、
それも幸せ。

蚕の飼育も始まる。
連れ合いさんが、冷蔵庫から卵を出した。
さて、今年の蚕は、何匹生まれるだろうか?
昨年見せたので、蚕の季節だねと言ったら、
子どもたちから悲鳴が上がる・・・
蚕そっくりのチョコレートもある。
ちょっとおどかすのが楽しみです。

学校では、体育祭の練習が始まった。
学級旗作り、競技の練習と
慌ただしい日が始まる。

この時期の太陽と空気は
爽やかで美味しいが、
新しいクラスにとっては、
初めての試練の時、
学級対抗リレーの作戦、
クラスが速いか遅いか、子どもたちは
見極めようとする。
旗作りでも、
一生懸命作る子もいれば、
それに文句を言う子も出てきて、
ちょっとしたバトルがある。
さて、今年は何が起きるかな?

適応教室に通う彼女も
4月いっぱい、気を張って、
5月は疲れて・・・ひと休み
それでも、コミュニケーションをとるのは
うまくなった。



5・6
山梨の研究会が
昨日終わって、帰ってきた。
若い先生たちが、いらして
話ができたし、春まっさかりの山が
気分をとてもフレッシュにしてくれた。

若い先生たちに
楽しい授業を伝えようと
新しい授業「飛鳥時代の授業」と
「奈良時代の授業」をつくる。
昨年中学校で授業したものを
小学校の先生でも使えるように
ある程度リニューアルした。
それに、お土産、

カラーコピーで
正倉院宝物、朝鮮と古墳時代のもの比べ
それに、奈良文化財研究所発行で、
平城宮趾博物館で配布していた
木簡のレプリカしおり。
それに、蘇の味見。
とても喜んでもらえて、これも気分刷新になった。
飛鳥時代の授業のポイントは、
渡来人集団を奪いあうからこその権力争いと
仏像・寺院から入る仏教公伝。
奈良時代の授業のポイントは、
正倉院が象徴する豊かさと
都市計画の破たんから来る死者の激増と大仏。
とてもおもしろいと好評だった。

これも授業のページに載せたいと考えている。
ホームページの仕事、仕事にがんばりたい・・・・ナ?。





5・3
4月は、目が回るほど忙しい毎日。
寒い日に風邪をひき、
咳が止まらず1ヶ月。
ようやくおさまってきた。
季節は春なのに、ずっと調子が悪くては
悲しいのです。

職場のまわりの人たちも
咳をしている人、
疲れ果てて食欲を無くしてる人、
土日、休みなく部活で朝から晩まで
学校で過ごしている人
・・・・みんな週末とゴールデンウィークを
待ち望んでいた。
少しでも一息入れるために。

若い人たちが、働きすぎで、
心配になった。
そこで、子どもたちが下校したあと
大きなイチゴ「博多のあまおう」と
アメリカンチェリーを
学年の先生たちにふるまう。
冷たくして練乳をかけて・・・

疲れがとれない、栄養も取れない
その悪循環が心配でした。
「ああ、生き返る」
ほんの数粒のイチゴとさくらんぼだが、
癒しになってくれたかな?

職場のみんなが元気で笑顔が一番大事
チームワークこそ元気のもとです。




April



4・29
驚きました。
月曜日に出勤したら
急転直下、解決でした。
いきさつはほとんどわかりませんが、
彼女の居場所ができ、
前に進むことができれば、
うれしいです。
まわりの同僚から、
温かい言葉をかけられて
うれしくなりました。
さて、4日からは研究会です。
また報告をお書きします。



4・27
うれしいことと、驚いたことを一つずつ。
以前の同僚が、火起こしの道具を
借りに来てくれました。
授業で使うそうです。
子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かびます。
授業を楽しんでもらえるならば、
私のお手伝いなど、どれほどの手間でしょうか?

驚いたこと。
市内の研究会があり、
中学校社会科の教員の、
半分ぐらいが集まりました。
私と同年代か、下の年代の人は
3~4人。
あとは、全部20代。
みんなスーツを着ているので、
30人くらいがグレーか真っ黒。
うわ~~と驚きました。
あと数年たてば、
若い人ばかりになります。
これは大変です。
中学校というのは
子どもが一番難しい時期、親御さんもです。
これでは、授業の面でも、生徒指導の面でも、
子どもの動きを予想できず、
対応が後手後手になって・・・・
私たちが若いころ経験したように、
どう指導していいのかわからず、
たくさん苦労してたくさん壁にぶち当たるでしょう。
そして、たぶん、しばらく学校が混乱するでしょう。
だからこそ、残る私たち世代が、
今つたえないと・・・と
思いました。
若い人たちにがんばってと言えるように・・・。




4・25
昨年から、一番手のかかる一人の女の子を
受け持っています。
入学した時には、自分が誰からも
認められていないという不安で、
そのために、心が大揺れでした。
でも、1年間かかって、
若い男の先生たち、
彼女の相談にのってくれた先生たち、
養護やカウンセラーの先生たちのおかげで
どれだけ自信をつけ、どれだけ自制しようとするように
なったことでしょうか

しかし、その先生たちも転勤で、・・・・
いなくなってしまいました。
彼女の寂しがったこと、悲しかったこと・・・。
でも、チャンス!!
甘えていないで、彼女は、
今度はまわりの生徒たちに働きかけ、
危なっかしくも、新しい人間関係を
自分で作ろうと努力し始めました。
子どもって、やっぱり
柔軟性の生き物なんだなって思います。

ああ、このチャンスを生かしたい!!
逆戻りなんて、絶対させたくない。

ところが、大人の方の状況が、
複雑に、にっちもさっちもいきそうにもない状況でした。

ですので、我ながら、年のせいか、
忍耐力が無くなったのか、
職員室で叫んでしまおうか、暴れてしまおうか・・・
錯乱しそうな・・・
そんな不安定な精神状態になるとは
自分でも驚いたくらいです。
そして、それほど、
理不尽で理解できない状況に追い込まれました。

よく考えました。
ここで感情的になっても、何も解決しない。
一番私にとって心外だったのは
密室で、結論を出されるかもしれないという不安でした。
そこで、一つ、行動しました。
職員間の打ち合わせで、
今の状況と学校のそれぞれの分掌が
協力して、問題解決をお願いできれば・・・と
みなさんのサポートをお願いしました。

たぶん、驚かれたでしょう。
何もそこまでと、思われた方もいたでしょう。
でも、オープンで、一石を投じたので、
何だか、その後、心が落ち着きました。
いっしょの職場の皆さんが、
いろいろな形で、助けてくれると思います。

これがチームワークですね。
心穏やかになって今日は過ごせそうです。

また来週からは、いろいろな方たちと、
少しずつ話して行こうと思います。



4・24
大問題発生!!
今週、職員間で問題。
私が受け持っている子どもの扱いをめぐり、
あまりに理不尽な動き。
しかし、そのままにすることはできません。
その子の利益を守らねばなりません。
公立学校は、
心底、大人が差別をしたり、
排除したりするなど、問題外です。
道理が通らない今の現状に、
私自身は、苦悩、憤り、悲しみ、
あきれ、・・・・・
でも、闘わなければなりません。
でもでも、なぜ、こんなことを言わなければならないか、
なぜ、こんなことをしなければならないか、・・・・
苦しい。
辞表も準備して、心も決めて、闘うつもり
そうしなければ、相手は、動かないでしょう。
それでも動かないかもしれない。そしたら、また新たな手も
考えなければなりません。



4・20
少し元気になってきました。
インドのバンカーロイという人を知っていますか?
私は、先日NHKの海外ドキュメンタリーで見て
初めて知りました。
インドの農村で「裸足の大学」という活動を
45年間続けてきたそうです。
痛快だったのは、世界中から
アフリカ、中東、インドの
おばあさんを集めて
ソーラーパネルを作る技術を習得してもらって
村中に発電システムを広げていることです。

バンカーロイさんの20分の講演も
ネットで見ることができました。

この講演を見てください。
とても感動しました。
今もガンジーゆかりの大学が残るように、
バンカーロイさんも、ガンジーの志を
育てている。

講演に感動しました。
ユーモアと、力強さと、
自信と確信と・・・・

三年生になったら、生徒たちに
ぜひ、マララさんと、この大学のことを伝えたい。
世界を広く見て、人々とつながることを考えようと・・・・。







4・17
やっと薬が効いて、眠れるようになった。
少し楽になる。
クラスも新しくなってスタート。
2年生です。

具合が悪い先週の土日、
横になると咳が出るので、
ほとんど椅子に座って、
採りためた番組を見ていた。
NHKのBS、海外ドキュメンタリーを
10本近く見る。
とても感動した。
特に、アフガニスタン、パキスタン、インドの女性たちの話。
ひどい性差別の中でも、家庭の中でも、
必死で生きている。

もう一つ、コロンブスの台所という番組。
なんと、ダージリンの紅茶店、紅茶農園、紅茶工場、
・・・・・そして、ダージリン鉄道!!
私たちが行った場所、すべてが同じところを撮影していた。
何といううれしいことでしょう。
この工場で買ってきた紅茶を
今年は2年生にふるまうことができます。
元気になって、早くがんばりたい。



4・16
新しい学期がスタート、
しかし、体調が戻らない。
土日にごろごろしていても、
咳で眠れない。

若い先生たち、気をつけて。
若い時に、2か月も3カ月も
風邪の後の咳を放置していたら、
今は、喘息になりかけているらしい。
処方された薬は、
慢性気管支炎向けの吸入薬。
春の、さくら、チューリップ、
雪柳、ハナミズキ、・・・
気持ちのいい春風なのに、
ボーっとしています。
もう少しよくなったら、
子どもたちのことを書きましょう。

先生という職業は
声と耳が勝負。
子どもたちの声を聞き、
わかりやすく説明する声量が必要。
だから酷使しています。




4・8
新しいクラスの子どもたちと
出会いが始まった。
でも、始業式と、入学式準備。
自己紹介も、話をする暇もない。
放課後は、会議会議に
教室清掃や整頓・・・
疲れても疲れても終わらず、
みんな、周り中で咳をしている。
風邪、気管支炎、花粉症・・・・
みんな、それぞれ やつれた顔をしているが、
忙しさに、走り回っています。
私も、まだ、全然本調子ではないけれど、
一日一日、とにかく頑張っている。






4・3
今日は、もう3日目、
激務です。
終わらなければ帰れない・・・。
寒い理科室でクラス分けをしたせいで、
風邪をひき、花粉症とで、
発熱、それでも出勤です。

その合間に、教室移動の準備だとか、
肉体労働もあるし、
転勤した先生たちに、気も使うし使われるし、
・・・・・
でも、ここで、クラス分けをていねいにしたかどうかで、
クラスの人間関係が変わってくるので、
しつこく、慎重に、昨年受け持った先生たちが、
情報を持ち寄って、
2年、三年を見越して、クラスを分けます。
ああああ、くたびれた。
今日は、このご報告だけで、申し訳ありません。

2013



人間の歴史の授業を創る会

連絡先・事務局
〒340-0802
埼玉県八潮市
    鶴ヶ曽根824-7
       川上泉 方

TEL(FAX): 048-945-0651



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