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今までの「アイ love 授業」バックナンバー編


 最新の「アイ love 授業」へもどる。


2015:中学3年生の1年間


March



3・31
張学良は、張作霖の息子。
西安事件の中心人物です。

西安事件のことを知った時から、
張学良のことに興味を持ちました。
蒋介石を脅して西安まで連れて行き、
周恩来と会談させ
国共合作を作った立役者。

以前西安に行った時に
楊貴妃の華清池を訪ねたら、その西安事件もこの場所だったと聞き、
銃弾の跡も見ました。

満州を訪ねた時には、張学良が
父親にプレゼントとして建てた洋館もあり、
そこには、張学良の使った筆も展示してありました。

そして、一番西安事件のことで、
興味を引いたのが、張学良が、その後、
蒋介石の逆鱗に触れて
台湾に死ぬ直前まで90歳ぐらいまで
軟禁状態に置かれていたこと。

どうしても、その住んでいた家を見たくて、
台湾の家を訪ねました。

それは、まったく、伊豆の山の中の住居でした。
行くのに台北から4時間、帰りも4時間。
そこに、名前も名乗らず、監視役の役人もついて、
そこで、静かに、数十年も暮らしたのです。

NHKの磯村尚徳がインタビューした、
その時にも、「日本軍に人生を狂わされた」とは言いましたが、
西安事件のエピソードは、ほとんど話しませんでした。
蒋介石を尊敬しているといい、
西安事件のことを後悔していないと言っていた・・・・

それは、それは、日本軍の罪の深さと
張学良の人生を考えさせられた、
胸がつぶれる思いの感傷に襲われる旅でした。



3・30
台湾に行ってきました。
目的は、非情城市の跡を訪ねること。
でも、有名な九份は、その観光地かだったのだと、
行って遅まきながら気づきました。
非情城市は私には衝撃でした。
韓国の済州島と同じ。

それプラス張学良の住まいも訪ねました。
これは、もっと今回の旅で衝撃でした。
戦後史を考えさせられるどころか
人生を考えさせられて、悲しい気持ちいっぱいになりました。
次回書きます。



3・30
一週間前に、国谷裕子さんあてに
手紙を書きました。
クローズアップ現代のスタッフにも向けて書きました。
全部でA4の紙18枚に及ぶ長いラブレター。
そのために、二晩徹夜しました。

私の過激なのは、思い込んだらとことんでしょうか?
でも、私としては、満足。
書かなくては、書かなくては・・・と思っていながら
重い腰でずっと書けずに・・・。
でも、いよいよ三月で終わりとわかったので、
急いで書きました。
10年以上、書こう書こうと思っていた手紙なので、
これからは、NHkスペシャルのスタッフとか
今までの番組制作者とか、・・・そういう人たちに、思いを届けるつもりです。



3・21
マララユスフザイさんの国連演説、
ノーベル平和賞の演説を読んだ。
読みながら、涙が出そうになった。

こんなことは書きたくないが、
私も痴漢に遭ったことが5~6回はある。
その時は、特に大学1年の時は恐怖だった。
私の母は、進んだ考えを持っていたと思っていたのに、
時々「きずもの」という言葉を使った。
その言葉を使う母が私は大嫌いだった。
反発したし、人を何だと思っているのかと思った。

女性は、暴力を受けるのではないかと
怖れを抱くことが普通なのだ。
だから、おばさんであろうが、おばあさんであろうが、
その恐怖は、全世界共通で
女性なら共感できるもの。
でも、少しは男性にでもわかるのではないかと期待していた・・・

マララさんは11歳の時に、
殺されるのを待って死ぬか
学校に行って死ぬか・・・それを選んだと言っている。
何とか打開したくて、BBCに投稿した。
そして銃撃に遭った。
そして、世界中から寄せられた
「私はマララ」の手紙に勇気づけられ
女性の権利を、子どもの権利を訴えている。
この演説を読んで、「私もマララだ」と思った。

思い出した。映画「レ・ミゼラブル」を見た時
ファンティーヌが体を売って
子どもに送金しようとした時の歌に
私は号泣してしまった。
こうして、女性たちは涙を流して生きてきたのだと思ったら、
先輩たちの女性の涙を思い、耐えられなくなった、
泣かずにはいられなかった。


でも、・・・・マララさんのことを、広告塔と言った人がいた
子どもだから利用されている・・・そういうことだろうか?

11歳で死ぬか学校に行くか判断を迫られるのは
マララさんは珍しくないことだと述べている。
世界には、そういう女の子がたくさんいると言っている。

彼女の訴えをノーベル賞をもらったから広告塔だと、
心に届かない人がいたんだ。
命をかけて訴えている少女の声が
そのまま届かないとは・・・。
ネット上の人々だけではなくて、・・・

クローズアップ現代で、最終回は
若者たちは痛みを共感しあっているというテーマだった。
国谷裕子さんに会えなくなるのが
ものすごく残念!!
痛みに共感できず、
社会科なんて成立するだろうか?




3・19
卒業式が終わって4日。
思ったより、さびしい感はありません。
これからやりたいことが
山ほどあるせいでしょうか。
卒業式の前日、
学年の最後の集会で
私は三つの話とサービスで、歌を歌いました。
一つめ、鉄の授業はあなたたちが最後だということ。
二つめ、学年に中国の男の子と、韓国の男の子がいて、
二人に感謝ということ
三つめ、ベルリンの壁を見に行った時の小学六年生の教え子が
数年前に、そのことが刺激になって、
世界を旅してネパールで日本人の女の子と出会って、
結婚して今宮崎で農業をやっていること、
だから、世界を見てきてほしいこと、
でも、好き嫌いをなくし、虫が大丈夫になる必要がある・・・・という話です。

歌はサビだけ。10秒だけ。
ハピネス
「きみが笑えば、この世界にもっともっと幸せが広がる
 きみが笑えば すべてが良くなる この手でその手で・・・」
赤ちゃんが生まれたお母さんの歌・・・
卒業にもいいね・・・と思って。

これもそれも、次の日の卒業式のため
演出のためです。
もう一つ、クラスの一人一人の「(本人が言ってほしいだろう)良い所」
を書いてあげました。
学年全員にも一人一人、授業の感想をもらったお礼と
気持ちのメッセージを始めて書きました。数百人分。


3・12
広島の件についてひとこと。
こういうことは、担任教師の個人の資質だけで
起きる問題ではないこと。
それをフォローできる職場なら
問題が起きずに済むけれど、
状況や背景がある。
そして、フォローできる体制でなければ
危険と隣り合わせということになってしまう。
そのために学年、学校でお互い教師が
補完しあい支えあう体制が必要だと思う。

何が原因か、本当の真実を知っているのは
当事者だけ、関係者だけだけれど、
亡くなった中学三年生への
敬意と鎮魂の意味も込めて

当事者じゃないからこそ、
考えられる状況がある。

いろいろな要素が絡み合って
今回の悲劇が起きたけれど、

私が一番気になるのは
推薦基準を3年生のみの触法行為としていたのに
今年から、1年生に変更していたという点。

この考え方の裏に、荒れている学校の状況を
1年生からの行動が推薦に関係すると
変更すれば、子どもたちの行動が収まるのではないか
つまり、脅し・・・の発想。
そして、その変更を
生徒指導などの会議で決め、
担任は上意下達で伝える立場になってしまったのだろう
と想像する状況。
その変更も秋以降になったからこそ、
付け焼刃で廊下で・・・。

重要なのはそこでストップをかける
三年の担任がいたのかということ。
利害の当事者の三年生を守って、
今年からの突然の変更は
生徒や保護者たちに説明がつけられない。
だから、それを私は言えない、
そういう反対ができたのかということ・・・だと思うのです。

私が30代、40代のころ、
まわりから言われながらも
人間関係が険悪になりながらも
(今なら、根回しとかテクニックを使って上手くやります)
そうやって、反対したり、
クラスの子どもたちを守ったこともあった。

でも、生徒指導や学校の体制
という立場の人間には「言うことに正義がある」
と、自分が思い込んで、
罰するのが教育だと
正論だけを強く主張する人も多い。

硬直化して、論争を好まない、
学校の体制を伝えるだけの立場になった担任は
最後に自分の行動の責任を問われるのだ
という自覚は無いだろう。

いつでも、これはそうでした。
ナチスの収容所で「私は言われたからやった」
日本の捕虜収容所で「私は言われたからやった」

でも、学校は収容所ではないし、
担任は、ノーという権利だって持っているはず。

新しい真実がわかって、
私の書いたことがまちがっていれば、
後で訂正させてください。
でも、私たちのすぐ隣にある問題だと思います。



3・8
最後に授業の感想への返事を書くことにした。
読めば読むほどありがたい。
社会科は何のために勉強するの?という質問はよく聞くが、
三年生たちはこう答えている。
「きっと、大人になった時に役に立つ」
「戦争にならないために学ぶんだとわかった」
「深く学べて社会のことがわかった」
そのほかたくさん。

みんなが、
「中身が濃い
 他の場所では学べないこと
 貴重な体験
 楽しく学べた
 あきなかった
 忘れない
 世界を見てみたい
 ・・・・・・」
三年間、振り返ってそう感じてくれたとは、
ほんとうにありがとう。
私こそ、やっぱり学ぶ価値のあることは何かを
教わったように思います。




3・5
公立入試が終わり、涙と笑顔とやはり両方に
分かれた日々が終わりました。
あとは卒業を迎えるだけ。
子どもたちの顔は、高校に向いています。
制服を作り、説明会にいつ参加するか・・・そういう話題。

これで、私も数回目の(育児出産があるから10回は超えないですね)
卒業生を出す。
卒業式や卒業自体にはあまり感慨は無いかな?
三年間、社会科を続けて教えることはもうないかな?
ということや、いつまで授業できるかな?ということや
それをつらつら考えることはあるけれど、

若い頃のように、子どもたちに執着する気持ちは無くなった。
だって、新しい世界に羽ばたいていく彼らだから・・・。
私ができるのは、世界の切れ端を彼らに見せてあげることだけ。
ひたすら、自分たちで獲得する幸せを願っている。

本屋の店頭で
佐藤優著の「世界史の極意」を見かけ、
今読んでいる。
簡潔で、マクロ的で、その視点がおもしろい。
また、知らないこともずいぶんあって、(もちろんなのだが)
論の簡潔なところもわかりやすい。
たくさんの本を読んだのだとよくわかるし
それを簡略にまとめてあるが、その飛躍は
すべてを私自身が追えないから、
その飛躍に問題点が潜んでいるかもしれないが、
議論にはなる。
新帝国主義とナショナリズムと現代的な宗教。
現代を読み解き、戦争を止めたいと願うその狙いには
敬意を持つ。

一つ気になったのは、日本はさて、
私たちは、労働者であるという意識があるだろうかということ。
社長たちが、自分たちは資本家だという意識があるだろうかということ。
日本にも存在するはずの、あるいは、作られているはずの?
階級は、今、自覚的になっているだろうか?
それは未来にどうかかわるのだろう?そういう疑問です。
ぜひ、だれかと討論してみたいな?

社会科では労働者という言葉を使いながら、
現代日本社会では、労働者という言葉は死語になっている?
だいたい労働者対資本家という対立構図が、
和を好む、波風を嫌う日本社会には
ほんとうになじんでいない。
組合対経営者の対立も、作られた感じが否めない。
内在している物は多いのに、水面下に隠される。

では、日本社会は、高度成長期以後に発生している
労働問題、格差を、どう定義づけ、どう解決していくのだろう?




3・1

子どもたちからの文章
「この三年間であなたが社会科で学んだこと、
賢くなったことを教えてください。」
に対する答え。

須藤さん
「昔の人々の暮らしがよくわかった。
今の自分たちがどれだけ裕福な生活をしていて、
どれだけ便利になっていたかわかった。
昔は道具も食べ物も十分に無くて、苦労していたと思うし、
こんなに国内でもみんなが楽しく、
内乱や紛争などが無く過ごせているということは、
昔にあったことを踏まえて、
人々がどんどん良くしようとしているからなんだなと思った。
歴史は元々興味も無く、
そんなことやって何になんの?とか、思ってたけど、
歴史の大切さがわかった。
公民では、今の自分たちが普通にくらしていられるのは
さまざまな憲法などで守られていることを知ったし、
経済や国会の働きの所では、
普段テレビのニュースなどで見ていることがわかるようになって
少し大人に近づいた気がしました。
これからの世界はイスラム国のことで悩まされる日が相当続くと思いますが、
世界の人々がそのようなことに興味・関心を持って、
ニュースや新聞などで情報をかたよらずに知って、
考えていくことが大事だと思いました。
自分たちが何かをやっても意味ないしと思うかもしれませんが、
みんなが同じことを願い行動すれば、大きなものとなると思います。
国がちがくても考えや思いはかわらないと思いました。
自分でこんなことを考えられるようになったのも
社会をがんばって勉強して教わったからだと思います。
三年間ありがとうございました。」
まるで模範解答です。
社会が大好き・・・というわけではなかった彼女から、
こんなにも長く書いてもらって、言葉の使い方にも
とても感激しました。

どの子も書いていたのは、昔の人々の人生・歴史の時間
それがあって、今があるということ。
昔の人々に思いを馳せられるのが私の授業の目標でした。
それこそ歴史の意味するものですね。



February




2・29

最後の授業の時にメッセージのプリントを配る。
「いっしょに社会科を勉強してきた時間、短かったけれど、楽しかったね。
ありがとう。
最後に三つの話をしましょう。

1つめ
1990年、ベルリンの壁が無くなりました。
“ベルリンの壁は私が生きているうちには、絶対に無くならない。
東と西に分かれたドイツの人々は会えない”そう思い込んでいたのに、
壁は無くなり、米ソの東西冷戦のために
東と西に分かれていたドイツが一つに戻りました。
このニュースを聞いて、“社会科の教師なら実際に見に行かなきゃ”と思い、
すぐに冬休みにベルリンに行く計画を立てました。

ドイツの人々は、温かかった。
世界中の人々がベルリンに集まって来たので、
ホテルが満杯になったら、一般の人々が泊めてくれました。
一番感動したのは、おおみそか、12時になって、新年になったとたん、
ブランデンブルク門で集まっていた人々の中で、
お年寄り夫婦が持ってきたバスケットの中からワイングラスを取り出して、
涙を流しながら、しかも笑顔で乾杯していたことでした。
この時から〝世界はいつか変わる。世界中の人々が願って、
今もどこかで行動しているから”そう信じられるようになりました。

2つめ
インドに行った時のことです。憧れのガンジーが作った大学を訪問して
授業を見せてもらいました。
その時、小柄な女性の大学の先生が、
〝福島の方は、いかがしていらっしゃいますか”
〝政府の援助は行き届いていますか”
そう聞かれました。
思いやりのある言葉に、思わず涙が出てしまいました。
世界には、国が違っても、心配して思いやってくれる人々がいるのです。
この時にも、「世界はつながっている」そう思いました。

ぜひ、偏見を持たずに、いろいろな国の人々と接してください。
ばかにせず、敬意を持って、相手に接することができれば、
日本国内の格差も無くなり、世界の貧富の差も無くなり、
世界の平和がきっとやって来ます。

3つめ
テレビの映像で、アフリカのサプールという人々を見ました。
世界の中でも、貧しい人々なのに、超カッコイ――――イ!!!!
エレガントでステキで、貧乏だって、かっこよく生きていける!!
あんな風になりたい、今もそう思っています。

世界の人々を見ると、それぞれ自信を持って生きているよ!!
あなたもぜひ自信を持って、幸せになってほしいと願っています。」




2・28
三年間で最後の授業が終わりました。
ホッとしている。
最後の授業は、
チョコレートをカカオバターとカカオマスから作ることと、
サプールの人々のビデオを見せた。
4時間連続でやったうえに、
冷蔵庫と往復をしなければならないし、
ポット二つと材料を持って教室を移動しなければならないし、
サプールの人々のビデオを24分で編集しているので、
それを見終わるために、せかしたり、廊下を走ったり・・・
足が筋肉痛になっていた。

でも、チョコは「最高の味」とどの子もニッコリ!!
そして、授業の感想は授業中に書かずに
その後で提出するようにしたが、
授業ベスト3の中に
サプールの人々やマララさんを入れている子どもたちがいて、
やっぱり私の伝えたいことを伝えてよかった
と思った次第です。

ライフイズビューティフルのあらすじの後に
「人生は美しい。ひとは顔じゃなくハートだよ」と書いたけれど、
サプールの人々を見せたあとで、
「貧乏だって、カッコよく生きることはできるんだなって思った」と付け加えた。

マララさんの時には
マララさんの強さは
「世界の人々が『私はマララだ』と言ってくれていた。
 一人じゃないんだと思うと勇気が湧いてきた」って言っていたね。
と付け加えた。

三年間の授業の最後のメッセージは
「人生は美しい。一人じゃないんだよ。
 自信を持ってカッコよく生きられるんだよ。」

これじゃ、私もかっこよすぎるかな?
感想に「一生授業を忘れない・・・」と書いてくれた子が
何人もいて、教師冥利に尽きます。

あと、卒業までは見守るだけ。
公立後期受験大丈夫かな?
でも、たぶん大丈夫。
こちらの方も仕掛けをしておいて
受かった子たちが寄せ書きをして・・・
サプライズをしかけたから…こっちも一人じゃないんだよって・・・。

少し余裕ができた時間で
他にやりたいことをやり始めた。
カルタの製品化を交渉・・・そして、NHKに手紙を書くこと。
国谷裕子さんのクローズアップ現代についてなど、
気になることがいっぱい。でも、一番お世話になったマスコミだから。
他にもやりたいことが頭の中にあふれています。




2・24
授業をしていると
どんどん、こうしたらいいな、この教具が必要だな、
とどんどんアイディアが、ほんとうに泉のように湧いてくる。
そんなのは、この十年。

ふと思い出した。
若い頃は1時間どうやって授業を持たせようかと
そればかり考えていた。
授業で伝えたいことがはっきりしている時はいいが、
教科書を読んで資料集を説明して終わりの授業など
どうやっても苦痛でしかなかった。
時間が余って時間が余って・・・

それなのに、今は時間が足りなくて足りなくて・・・
最後から二番目の授業も
ほんとうは3~4時間かけるところを
1時間で特急列車
内容は、ユダヤ人の虐殺からイスラエル建国、
中東戦争、2000年代のガザ侵攻、アメリカ同時多発テロ
アフガニスタン侵攻、イラク戦争、イスラム原理主義の台頭
マララさん銃撃、IS国
までをドキュメンタリーと説明で1時間。
地図を三枚用意した。

目を見張り、言葉を無くし、マララさんの言葉に安堵する
中学三年生だった。






2・21
マララさんの演説は
何よりも、何よりもわかりやすくて力強い。
他にも見せようかと迷っていたビデオがあったが、
(実は池上氏の「なぜ戦争は無くならないのか」
 なのだけれど、見終わって、1時間もすれば
 記憶に無くなってしまった・・・やっぱりマララさんだ!)

マララさんの演説をビデオでダビングしていたら
大学生の娘が口まねをした。
「one child, one teacher, one book,
 and one pen change the world!!」

授業のあと、ほかちゃんと呼ばれる愛きょう男子が、
「ワン ブック!!」と口まね。
やっぱり強烈で、とても確かな演説。





2・14
日曜日のバレンタイン。
中学生たちはどうしたでしょうか?
中3生たちはそれどころではなかったかな?

最後の授業で、何をするか?
カカオ豆からチョコレート。
それはいつも決めているところだけれど、
その前に、今の現実の世界の話で
いくつもたくさん見せたいビデオがあった。
でも、現実は1時間しか取れない。

何を伝えるか・・・
で、いろいろ、土日にビデオを見直していた。
マララさんのビデオ。
NHKのクローズアップ現代の国谷裕子さんが
インタビューしていたもの、
ガザのドキュメンタリー
9・11の映像、
イラク戦争の映像、
ベルリンの壁についての映像
そして、今後のサプール・・・・

全部見せたいけれど、少しずつだけ。
メッセージは、
「今のISは、パレスチナ問題と石油と
 イスラエルの問題から始まった。」
「ガザはとても苦しいけれど、
 マララさんは一人の子ども、一人の教師、
 一冊の本、一本の鉛筆が世界を変えられると言っている」
「貧乏でも、平和を愛して誇りを持ち
 尊敬する人になりたいとおしゃれをする人々もいる・・・」
「私が見てきたように、ベルリンの壁が崩れたように
 世界は変えられる・・・・」
伝えたいことがありすぎるかな?





2・11
経済の授業は、楽しかった。
まず、株。
もう、みんな夢中になる。
株取引の授業は、文科省からも
奨励されているようだが、
私のねらいは全く違う。
将来、株の取引をやらないように、
そういった配慮だ。
なぜって、公立中学校に通う子どもたちが、
将来、投機的な取引ができる余裕が、どこにあるだろう。
経済界の口車に乗ってはダメだと思っている。

私の父はちなみに、経理部から叩き上げた
企業の取締役までやったが、
バブルの時代にも、会社が株の取引に手を出すのを
一切しなかった・・・という功績が認められたらしい。

その父が、最近、驚くべきことを言ったので、
内心うれしくなってしまった。
私が「社会科の先生で、株をやってもうけちゃいけないと思う」
と話したら、「当然だ」
「株は、投資して、持ち続ける物」
「昔から今まで、現に持っているのは、会社の株だけ」
「株は、絶対投機的に売り買いするものじゃない・・・」と断言して、
「もし、株でもうけたと自慢する社会科の先生がいたら、
 首にした方がいい」・・・とまで言った。
経理部から出発した父だからこそ、
何億円という企業の収支があるからこそ、
それの投機的な利用は恐ろしいと知っているからこそなのだと思った。

授業では、新聞の株式欄を使うが、
いつも使うのは、バブル崩壊の時期の物。
何年もやってきているが、その当時の紙面の方が、
断然わかりやすい。
情報が、単純明快。
でも、それだけじゃなく、たいていの株が
下がっていくところに、
子どもたちの「株は恐ろしい」という感想が
出てくるのだとわかって来たので、
とても有効だと思う。

でも、株が怖いだけでは意味をなさないので、
その次に、敗者復活戦をして、
そして、株主として配当金をもらい、・・・そして、
一番配当金をもらっているのは誰か・・・それは銀行と保険会社・・・
そして、そのお金を出しているのは私たち。
という風に、お金の循環と、企業を支えるのが銀行であり私たちである。
そういう授業です。おもしろそうでしょ???



2・9
なんと、ネットワークで
成績や内申を管理した元年のせいか、
数えてみたら、16回も
進路用の文書を点検していました。
学年全員の分をです。
4月から始まって、
評定、出欠、特別活動などの記載事項、氏名・・・。
1年生の分から始まって、点検の上で、
保護者にも確認して、・・・・
授業より、子どもより、帳簿・・・。
悪夢のようでした。
責任者は、半分ノイローゼ状態になりそうでした。
それも、必ずすべて委員会の指示。

これが、これから、3年生の定番になるのでしょうか。
困惑・・・のかぎりです。
とにかく、コンピューターがゆうことを聞いてくれない。
コンピューターに使われていた私たちでした。

授業の方は、公民・経済の分野で
新しい流れが見つかり、とても新発見で、
楽しく授業しました。次回お知らせします。




2・8
今週が公立試験。
授業も秒読み。
一年の時から、一番手がかかっていた子は
すでにもう合格を決めています。

2学期後半から彼女の動きは目覚ましかった。
学校中の誰もが目を見張った。
親御さんに左右されず、
自分自身で道を定めるべきだと
自覚していた。
さびしがり屋で、甘えん坊で
常にだれかと話をしたがって
それでもうまくいかないとすねて荒れて・・・
そういう彼女が、一番早く進路を決めた。
それも、楽な道より、ちょっと大変な道。

子どもたち自身の力のすごさに驚く。
私は手抜き。
時々声をかけ、ほおっておいた。
一番考えていたのが、
本人が望む道しか選べないということだけど、
本人が、やっぱり望んで歩き始めたのだからすごい。
中学三年間て、ほんとうに、激動期だと思います。



2・1
ついに2月.
20日もサボってごめんなさい。

1月はくる日も来る日も
調査書の点検に追われました。
最近はまちがいも
子どもの利益に反することであれば・・・と新聞報道される時代です。
2度も3度も、入力ミスは無いか
二人組で読み上げ、家庭にも 連絡して印をもらい、
また、それにまちがいがあれば訂正し・・・を
くりかえして、くたびれ果てました。
以前は特記事項など、受験内容に関係ないとされ、
ほとんど漢検や英検だけだったのですが、
もしかして、有利になるのでは・・・という親御さんの希望を入れて
町内会の活動のボランティアやスキー何級、
エレクトーンやら・・・
様々な特技も書きこむことに今年はなり、
てんてこ舞いでした・・・。
そして、今日の公立高校出願で
やっと一息。
これで卒業間近の子どもたちのようすもご報告できると思います。


January


1・11
この三連休の多くを
若い先生たちとの授業の研究会準備に
時間を費やしました。

でも、私自身が楽しかったしおもしろかった。
テーマは江戸時代。
平和な260年間の価値を
再認識してもらいたい・・・という授業でした。
明治初期や幕末に日本に来た外国人たちが
日本の子どもたちは幸せに見える。
いつも笑っている。そう書いている、
その様子はどこからか・・・。
それで、武器を発達させずに、
何の技術を発達させていったのか、
例を色と灯りにとって、
体験と想像しました。

色についてはとてもおもしろかった。
いつものことですが、
準備は少しずつ・・・と思いながら、
せっぱつまらないとやらない。
でも、切羽詰まったところからアイディアが出ます。
若い小学校の先生たちだから、折り染めがいいかな?
と思っていたら、やっぱり的中、大人気でした。
それと、前日に思い付いたのが、
まゆを自然染料で、それも筆で染めること。
育てた繭を全部糸にするだけでなく
繭の形のまま、好きな色にぬって染められるのは
子どもたちは、とても喜ぶはず。
絹糸で染めようとして、前ぐじゃぐじゃになったことがあり、
学校向きではないなと思っていたら、
最高のアイディアが出ました。

戦争の授業については明日、また触れます。


1・8
戦争の授業の中で、
一番大切だと思うのは、当時生きた人々に共感すること。
なかなか理解できず、どうして殺し合いなんてするのか
下手をしたら、
「バカじゃないか、
 全く理解できない・・・」
それでは意味がないと思います。

私自身は、戦中派を親に持ち、
常に「どうして戦争を止められなかったのか」
そう思いながら育ちました。
戦争中の様子をドキュメンタリーや話で
聞いてきた世代の私がそう思うのだから、
これからの戦後派世代が、
全く理解不能になってしまうのは、考えられることです。

ですから、戦争の授業の最後に
「さとうきび畑の唄」のドラマを見ることで、
当時生きた学生たちが、真剣に
国に命をささげることを当然と思っていたようすがわかります。
ドラマの中には、勤労動員も、特高も、食糧難も
防空壕も、モンペも、防災頭巾もでてきます。
ですから、黒板で、くわしい国民生活を説明するより、
百聞は一見に如かずなのです。
ドラマが大きな役割を果たしてくれます。
当時の人々の心情や息遣いや、悲しみ苦しみを伝えてくれます。
昨日も書きましたが。

「映像の世紀」も大切な番組です。
特にすばらしいのは、当時の人々の言葉が
映像と同時に語られることです。
まるで、その当時の人々が、インタビューに答えて
語っているようです。
印象的な言葉では、たとえば、
サンテグジュペリがスペイン内戦に参加して
飛行機で出発する前に語っていたことが
その当時の飛行機の映像に被せて話されます。
また、名も無い市民の声として、
イギリスの女性が、ドイツのV2のロケットが飛んできたところを、
証言した言葉・・・これも爆発する映像とともにです。
アウシュビッツの映像のところでは、
実際に目撃したアメリカ軍の兵士の言葉です。
「その場所に近づくと、遠くからでもすぐわかった。
 臭いがした。
 そして、その場所はとても静かだった」
「人食いを見たのは初めてだった。
 見たことも無い光景だった。
 こうしたことがあったということは、
 これからもこういうことが
 起きうるということだ」
見直さなくても、内容は、すべてかけるくらい
強い印象を残す言葉の数々です。




1・7
第二次世界大戦の授業の始めは、こう黒板に書きながら説明します。

①特徴
 *兵士だけではなく、総力戦として市民(最も弱い子どもや女性・老人)が
  戦争に巻き込まれ、ぼう大な規模の犠牲者が出た。
 *戦場ではなくても、大量に虐殺される人々も出てしまった。
 *核兵器が戦争に使われた。

②第二次世界大戦(1939~1945=6年間)
 イギリス      ドイツ
 フランス  VS   イタリア
 ソ連        日本
 中国
 アメリカ
 (連合国)      (枢軸国=日独伊三国同盟)

③第二次世界大戦のようす
  原因=植民地獲得の争い、世界恐慌の不景気を軍備増強で解決しよう
 ・はじまり
   ドイツがポーランドに侵攻。戦争を始める。
   これをストップさせようとした、イギリスフランスが対向して
   ヨーロッパ戦線が拡大へ。
 ・ドイツのナチス政権がやったこと(ヒトラー総統)
   ユダヤ人を強制収容所へ・・・そして大量虐殺・絶滅へ
 ・日本もハワイの真珠湾攻撃へ←アメリカが参戦
 ・日本は、太平洋戦争を始める。=東南アジアのイギリス・フランス・オランダと。
 ・そして日中戦争も続く。
 ・ドイツはソ連に二度侵攻後敗戦が始まる。
 ・日本の戦場
   東京大空襲・沖縄戦(唯一の地上戦)
   広島(8/6)、長崎(8/9) 原爆投下
 ・ポツダム宣言受諾、1945年8月15日敗戦

④実際の戦場のようすを見よう
 DVD「映像の世紀6・・・世界は地獄を見た・・・」から
 約30分見ます。

ここまでが、普通の授業だと思いますが、
私の場合は、前段階、前提の授業です。
このあと、また資料を呼んだり映像を見たり、・・・
それを明日はお伝えしましょう。
これからが、私の真骨頂かな?
これでは、ほんとうにはわからない・・・と思います。

終わりにしない理由は二つ。
一つは戦後世代として伝えたいことだから。
一つはほんとうにわかるとは何だろうと考えると
 もっと深くわかってほしいから。
では、明日。




1・6
若い先生から
「いつも授業を見せて欲しいと思っているのですが・・・
 時々、廊下で聞いているんですよ・・・」と言われました。

でも、私の授業は結局10時間単位ぐらいの中で
考えた構造なので、1時間1時間で決まるといった授業ではないし、
それだけ見ても、ただ、ビデオを見せているだけに見えるだろうな、
と思いました。

授業は、最近は、こんなふうにすすめているのです。
時代や単元ごとに、
まず大事な特徴を三つか四つにまとめて説明。
そして、その内容を、具体的には小単元として、
三つぐらいに分けて説明。
そうして説明したあと、今まで説明したことを
具体としてどんどん見せていく。
つまり、大単元の最初に、骨格を説明。
そして、その後、小単元として、具体的な概念を細かく説明。
そして、それにそれを肉付けするための
映像や資料を見せて膨らませる。
その中で、クイズ形式にしたり、面白映像を見せたり、
体験をしたり・・・・。
映像だって、子どもたちによれば、
途中の私の解説がとてもいいのだそうで・・・
私自身は無声映画の弁士ぐらいのつもり・・・で解説を入れます。
そうしないとテレビだけだと眠くなるので、
起こすつもりで声を張り、
背景の解説も入れてしまいます。うるさくない程度に。

明日、具体例を、第二次世界大戦で上げてみましょう。




1・5
うれしい葉書が教え子から・・・。
三年前なので、今大学受験準備中でしょう。
「受験に向けて勉強漬けですが、
 毎日元気に過ごしています。
 中学のころよりも歴史を深く勉強するようになって、
 やっと、当時の蚕やたたら製鉄の意味が分かって
 あの時やって良かったなあって思いました。
 中学校のころが懐かしいです。
 受験終わったら会いに行きます~~!!」
なつかしい葉書でした。
大人になっても、楽しく思い出せて、
歴史の中身がより深くわかるなんて…ステキ!!

私自身が、若い時よりさらにわかっておもしろいのですから、
教えている本人がおもしろいので、当然ですね。
それが、私が会で教えていただいてきた「人間の歴史」です。


1・4
明けましておめでとうございます。
もうあけてしまいましたね。

ろう梅が咲き始めました。
庭がいい匂いに包まれています。
母が大好きで、我が家にも植木を贈られたので、
私も大好きになりました。
狭い庭が香りに包まれます。

さて、今年は何をしましょうか?
最後の卒業生に、悔いの無いほどたくさんの
私からのプレゼントを渡したい。
楽しかった、おもしろかった、賢くなった、勉強好きになった、
仲間との信頼関係も作れた、いろんなクラスメートがいて、
いろんな考え方ができるんだなあと知った・・・そんなことです。

大晦日からお正月2日まで、
我が家では恒例の片づけをくたびれ果てるまで
やっていました。
愚痴を言っていたのですが、
社会科の資料というのは、ガラクタも同然なのだけれど、
それがあると無いとでは授業が違う!!!!
それを保管するだけで大変なのですが、・・・・。
暮れにも書きました通り、
VTR3000本以上で、8畳の部屋を独り占めしていたビデオを
この数年かかって、数十本に減らし、
(いずれはゼロを目指しています)
重要教材は全てDVDにダビングして編集してあります。
でも、いずれは、このDVDも、編集したり、
保存も難しくなってくるでしょうし、
ブルーレイが意外と普及していないので、
難問になってくるでしょう。
でも、いつでも見ればうろこの番組は見せたい。

何年たっても古びないのは
チャップリンの映画や西部戦線異状なしと同じなのです。





2015

December


12・28
今年は少しサボりすぎました。
冬休み中に、新規のコーナーも立ち上げ、
サービスしようと考えていますが、うまくいくでしょうか?

冬休みになっても
家事やら大掃除やらで、
やることがいっぱいです。
今までため込んだたくさんの資料、
それらがあらゆるすきまに入っていて、・・・
でもめげないぞと決意しています。
探し物で人生を無駄にしたくない。
それこそが動機です。

でも、冬休み中にやりたいこともたくさん。
3学期は卒業まで秒読みなので、
伝えたいことがたくさんありすぎて、
きちっと計画を立てなくてはなりません。
それに、公民を二人で受け持っているので、
週に2時間のみだから・・・何を最重要にしようか・・・それを考えます。
大掃除の合間に、ビデオテープの整理と
ビデオテープからDVDにダビングするのと、・・・・
まだ、重要教材ビデオテープが数十本
(3000本くらいあったのが・・・)あるので、
それの処理が大変です。




12・14
すでに10日を過ぎてしまいました。
近県に私立高校がたくさんあるせいで、
独特な進路をすすめる状況があります。
生徒たちが希望する私立高校を訪問し、
打診してくるシステムです。
子どもたちが希望するのは私立だけで
30校を超えます。
その準備も忙しく、
私立高校によって、受験システムも様々、
今年はインターネット出願というのもあって、
それはそれは神経を使います。

それに、最近の傾向で、
書類にまちがいがあっては困るということで、
書類開示の方向で、家庭で確認もしてもらうための準備。
それも、すべて学校のコンピューターなので、
学校に遅くまで、ほんとうに9時頃まで
残ることもあり得るのです。

冬休みまで、新幹線並みのスピードで
突っ走っている感じです。

戦争の授業についてですが、
改めて考えてみると、
父母が戦争体験をしていないどころか、
もしかすると、祖父母も体験していない世代になりつつあります。
そこで、子どもたちに、家系図をたどらせました。

それぞれの家の事情もあるので、
わかる範囲で、祖父母の名前や生年、そして、出身地を
わかるだけ書いてもらいました。

・・・・でも、私自身が、私自身の祖父母の名前が
全部わかるわけではありませんでした。
もちろん、生年も分かりませんでした。
曽祖父・曾祖母にいたっては、だれも分からない・・・。
でも、その八人の曽祖父曾祖母がいたから
私が存在する・・・。

子どもたちには、こう話しました。
あなたたちのひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが、
戦争中に苦労し、もしかしたら、おじいちゃんおばあちゃんを
戦争中に育てるか、戦後育てるかして、一人も死ななかった、
生き残ったからこそ、あなたたちが生まれたんだね・・・。

これはさとうきび畑の中で、セリフとして出てくる言葉です。

顔の見えない、名前も知らない8人の曽祖父曾祖母がいたから
私がいる・・・・何となく私も感動してしまいました。



12・6
さとうきび畑の唄のドラマを見ました。
何よりも、つらい画像、つらい文章を読み、
胸痛む授業ばかり続いていたところに、
さんまさんの笑顔、ジョークは、
子どもたちの心を癒してくれます。
元気大賞上げ~~~ル
あほ大賞上げ~~~ル・・・・そんな冗談に
子どもたちも笑顔になります。

そういう笑顔の日常に
遠慮なく戦争が入りこみ、
死なないでという親の願いむなしく
子どもたちが戦場に向かっていく。
そして死の間際には、お父さん、お母さん・・・と思い出を
胸に抱いて、前線に立つ・・・。

こうして、ドラマの中ではありますが、
非日常のできごととして、
人ごとだったことが、
共感して、当時の人々を思う。
それができるのが、ドラマの力です。

もう一つ、進めて、今年は授業しました。
それがとてもよかったと思います。
その話は、明日にでも。

師走で3年生で、言葉通り走っています。
夜中まで走っている感じです。



November


11・30
歴史の授業をようやく終えようとしています。
とても子どもたちの感受性に訴えたのは
NHK「プロファイラー:ヒトラー」です。
アウシュビッツをV6の岡田准一君が訪ねています。
授業用に何度も見ていると彼の
その謙虚さと、よく勉強していることと、
解説の冷静さと、質問の的確さに
胸うたれます。
アウシュビッツのガイドさんがこう言います。
「私でも、ここを毎日案内するのはつらい。
 つらくて出てこれない日もある。
 でも宿命と思い、仕事をしている」
そして、彼の質問。
「そのような仕事を続けていらっしゃるのは
 何が支えになっているのですか」
彼女の答え
「平凡だけれど、二度と繰り返してはならないという思いです」
当たり前のようだけれど、ガイドを30年も続けている意味を
自然に聞き、大事な答えを聞きだすのは、
台本があるにしても、とても共感できる姿勢です。

「夜と霧」の映像が強烈過ぎて、
見たくない、知りたくない・・・になりそうな子どもたちも、
岡田潤一君が真摯な態度を見せるので
真剣に向き合おうとします。

特に、大量の髪の毛を前にして
「まるで、お互いを助け合おうとするとらわれた人々のようだ」と、
感想を言ったり、
バラックの収容施設の中で、
「どのくらいの期間生きのびられたのですか」と質問して、
「短くて三日。最長でも半年」と答えられた後、
三日、最長でも半年・・・・と答えをくりかえしながら、
まわりを見回し、下を見る彼の姿に、
子どもたちも、その深い意味を理解しようとしてくれました。

歴史と自分たちを橋渡しする役目を彼が果たしてくれました。
現在のアウシュビッツのようすも目に焼き付いて
忘れられない映像になったと思います。


11・29
続きがおそくなってしまいました。
三年生の担任で、毎晩帰り着くのは9時半過ぎ・・・・佳境です。

続き
私たちのくらしは
チェルノブイリのまわりをまわっています。
あの時どこにいたか、
原子炉から何キロのところに住んでいたか、
何を見たか、だれが死んだか、
だれがどこに転出したか。
今でも私たちは毎日チェルノブイリといっしょです。
若い妊婦が突然亡くなります。
病理学者は診断がくだせない。
小さな女の子が首を吊る。五年生。
これといった理由もなく、小さな女の子が・・・。
すべてのことに対してチェルノブイリという診断。
どんなことが起きても皆がチェルノブイリだという。
私たちは非難を浴びる。
あなたがたは恐れている。だから病気になるんだ。
原因は恐怖心なんですよ。
放射能恐怖症です。
では、なぜ小さな子どもたちも病気になり、
死んでいくのでしょう。
彼らは恐怖心がどんなものか知らないし
まだ理解できていないのに。

だれが悪いんでしょう?
悪いのは私自身にほかなりません。
以前、私たちは、自分たちのまわりの自然界に
気づこうとしませんでした。
空や空気があるように、自然があった。
誰かが永遠に私たちに与えてくれ、
自然は人に左右されず、
いつでもあるかのようだった。
私は森の草地に寝ころんで、
空をながめるのが好きでした。
自分がなに者かを忘れるくらい
気持ちが良かった。
今はどうでしょう?
森は美しく、コケモモがたわわに実っている。
でも、採る人はいない。
秋の森に人声がすることはまれです。
感覚的な、本能的な恐怖。
私たちに残ったのは、テレビと本と想像力。
子どもたちは森や川で遊ばず、
室内で成長しています。
森や川は見るだけのもの。
すっかりちがう子どもたちなんです。
でも、私はこの子たちのところに行く。
「物憂げな季節、魅惑的な瞳・・・。」
私にとって永遠のものであるプーシキンを
相変わらず携えて
ときおり冒涜的な考えが浮かぶのです。
もしかして私たちの文化全体は、
古ぼけた原稿のつまった長持ちじゃないのかしら。
私の愛しているものすべては・・・。



11・14
涙も出てくるのに、笑いもある。
ロシアの小話もたくさん。

まるで、米原万里さんの小説のように・・・。

先生の話
「私は子どもたちにロシア文学を教えていますが、 
 この子たちは、10年前の子どもとは
 似ても似つかぬ子どもたちです。
 彼らの目の前では、いつも何かしら
 誰かしらが葬られています。
 土の中に家も木もすべてが葬られている。
 この子たちは整列していると、
 気を失っては倒れ、15分か20分もすると
 鼻血を出す。
 何があっても驚きも喜びもしない。
 いつも生気がなく疲れた様子で、
 血の気のない青白い顔をしている。
 遊びもせず、ふざけたりもしない。
 取っ組み合いのけんかをし、はずみでガラスを割ったりしたら、
 教師たちはうれしいくらいです。
 子どもらしさが感じられない子たちですから、
 こんな時には叱りません。
 ただでさえゆっくりと成長しているんです。
 授業で何か復唱させても、子どもはできない。
 じゃ、後についてくりかえしてごらん、と言ってやる。
 それでも覚えられない。
 『しっかりして、授業中なのよ』と揺さぶってやります。
 考えるんです。いろいろ考えているんです。
 私は、ガラスに水で絵を描いているようなものではないかしら。
 私がなにを描いているか、知っているのは私だけで、
 だれにも見えない。だれにもわからない。だれにも理解できないんです。
 
・・・・続きは明日に。



11・12
チェルノブイリの祈りを読み始めました。
新婚の消防士の妻の話は
ドキュメンタリーで見ていましたが、
人々の声が、あまりにも悲しみに満ちていて
涙が出てきます。

でも、この声が、
広島や長崎の声だったのだし、
福島でも同じような言葉が
語られるのではないかと、
気付きます。

映像ではなくて、言葉でなら
語れることがあるのだと思います。
文学でこそ表現できる人々の心です。

核も原発も
人類の幸せを壊す物でしかない、
そう感じます。
人々の証言を読み重ね、
何度涙が出てくることか、

ノーベル賞は当然です。
これほど悲しみが満ちているチェルノブイリの土地を
世界が知らないで、それは罪だと
思いました。
明日、少し引用してみます。



11・10
子どもたちの言葉の中で、
ギョッとした言葉があった。
思い出した。
戦争の話はこわい、苦手・・・そういう男の子の中で、
いつも下を向き、耳をふさいでいるらしいようす。
その子が
「(被爆者のかたのお話が)最悪だったと友だちが言っていた。」
とつぶやいた。

怖かったのだろう、胸が痛んだのだろう、
でも、「最悪」の言葉が、
今でも、私の胸に突き刺さっている。
それは無いだろう、その言葉は・・・。

歴史を学ぶ意味は何だろうと、考えてしまう。
ほんとうのリアルな歴史を知れば、
戦国時代など、武将の活躍などより、
命が軽々しく扱われ、首を戦功の証拠にしたりして、
痛々しいこと極まりない・・・

でも、そう言った子どもたちにも
勉強して良かったと、最後に言わせるような
勝負の授業をしていたい。




11・9
合唱祭が終わりました。
銅賞、3位。
でも、一年前から優勝するつもりになっていた
わがクラスたちは、
結果発表でも、3位は全く考えていなかったので、
・・・・????と、茫然!!!
口数がほとんど無くなり、
ぼうっとしたまま、
悔し泣きも、やったあの反応もなく・・・

・・・・怖れていたことが起こってしまいました。
特に、中に、力が入りすぎて、全員分のお守りを
一人で作って来た女の子もいて、
この情熱が、宙に浮いてしまうことに・・・。
土日は、みんな大丈夫だろうか????
そんな心配で、二日が過ぎてしまいました。

魂を抜かれたように月曜日の朝も表情が無いクラス・・・。
そこで、フォローを・・・。
音楽科の先生に聞いておきました。

自由曲はベスト3に選ばれていたこと、
特に、風のようなハーモニーが
とても美しくて、透明感がすばらしいと言われていたこと、
そして、最後の落ちで、
「この曲好きだから、卒業式の日にみんなで歌ってお別れしよう。
 その時には、私も一緒にソロをうたってあげるから・・・」
そうしたら、みんな笑顔になっていました。
良かった~~~~ふぅ~~~~


11・3
ちょっとした悩み?
それとも、これは大きな悩み?

原爆の被爆者のかたからお話をうかがう時、
今までも、出会った悩みに、
会いました。

第二次世界大戦を学ぶ時、
アウシュビッツの映像や第二次世界大戦のようす、
日中戦争のようすを伝えると、
その悲惨な映像や文章に、
中学生たちの心が痛みます。

どうしても耐えられない、
泣いてしまう・・・そう訴える子が
始めて出てきた時には面くらいましたが、
廊下にその時だけ出て、待っていて・・・
そう頼みました。

次の時からは、あらかじめ、そう断っておいて、
待ってもらうようにしましたが、
今までの教員生活で、
せいぜいその年に、一人いるかいないか・・・。
今までの人数を合計しても、3人くらいです。

でも、今の学校の子どもたちは、
精神的にタフではないのか?・・・

驚いたことに、NHKの「映像の世紀」ですら、
見られないという子どもたちがいる。
中には、下を向くだけではなく、耳をふさいでいる子もいる。
・・・・そして、
被爆者のお話も、聞きたくないという子もいて、
「それは、繊細なのだから、仕方がないよね、
 わかるよ、・・・後ろの方に行ってもいいよ」
とは言ったけれど、多少、私の胸の中はざわついた。

つぶやきで被爆者のかたのお話を、
「聞きたくなかったと友だちが話してた」と言うのも、
小耳にはさんだ。
お礼状では、全員が、心もこもった文章を書いていたが、
ほんとうのところは、多少違うのかもしれない・・・

日本は、被爆国。
広島と長崎の人々が、原爆に遭い、
それで戦争が終わったことを考えると、
沖縄と同じように、知らずにいることは、
罪のように思える。
被爆者の方々の苦しみを知らないで
核兵器廃絶を訴えるなど、絵空事に思えてしまう。
世界遺産の原爆ドームを知っていても、
その下に暮らしていた人々を知らないで、
それでいいのかと思えてしまう・・・。

見たくない、聞きたくない・・・そうであっても、
社会科と言うのは、世界の現実を知ることに、まずあるのではないか、
痛みに共感することではないのか・・・そう思う。
だから、長年、こうして、授業をしてきている。

しかし、一方で、私の使命感だけを押し付けるわけにはいかない・・・
それもジレンマ。

私自身が、いまだに「火垂るの墓」を、見たことがないのは、
予想できる心の痛みに、見る以前にめげてしまうから・・・。

やっぱり、知りたいという要求、学びたいという要求があってこそ、
心に響く勉強になる。無理やりと言うのはできないのだ。
だから、こわい、聞きたくないという気持ちも大切にしたい。

多くの子たちは、戦争について、真実を知りたいと迫る。
それぞれの子どもたちに、差があるのを前提にして、
ベストのことを教えたい。あるいはベターでもいい。

アウシュビッツのこともどうしても教えたい。
それが無ければ、パレスチナも分からないし、
バレスチナがわからなければ、アメリカの同時多発テロも、
イラク戦争も、IS=イスラム国も・・・・わからない。
すべてがつながっている。
過去の人々が苦しんだ現実を知らなければ、
今の現実も分からない。

奴隷貿易のルーツも目を背ける子もいる。
でも、後で、知らない方が良かったという子はいない・・・。
今迷っても、中学生を信じて、あと半年、がんばろう・・・。
でも、いつも迷う私がいる。



11・1
ノーベル賞で、日本人が受賞したことだけが
話題だと思っていましたが、
本屋さんで、次の本を見つけました。
「チェルノブイリの祈り」
ああ、どこかで見たかなあ?と思い、
本を開けて驚きました。
胸がドキドキしました。

ロシアのドキュメンタリーで見た
チェルノブイリの悲劇の話が、そのまま
本になっていました。
次の文章の最初は、忘れるはずはありません。

そして、この女性の悲劇の話をしたあと、
震災後、1年生の保護者に誤解され、
口頭注意という“名誉”の騒動になった、
その消防隊員のお話でした。

「・・・・・リュドミラ・イグナチェンコ
 何をお話すればいいのか分かりません。
 死について、それとも愛について?
 それとも、これは同じことなんでしょうか?
 なんについてでしょう?

 私たちは結婚したばかりでした。・・・」
という文章から始まるインタビューでした。
チェルノブイリで消防隊員として、
放射能によって、最初の死者となった人たちの中の
一人の妻でした。

この記録が、ノーベル文学賞になったのです。
亡くなった人々、亡くなった人々の家族が
ノーベル賞で癒されるわけではありませんが、
犠牲になった人々を、忘れない・・・そう言われているようで、
私の胸にも、ろうそくの炎を灯してくれたように思いました。

ぜひどうぞ。
私もあらためて読みたいと思います。
同じ著者で「戦争は、女の顔をしていない」
この本も読んでみようと思います。


October




10・26
合唱祭の練習・・・難しい。
マンモス校なので、体育館利用を割り振ると、
結局、1ヶ月も放課後練習日程が入る。
そのせいで、わがクラスは中だるみ。
それだけならいいが、
自分たちの実力に自信があるせいか
逆にかえって、おごっているようす。
危機感を感じて、
やりたい人だけでやったら・・・と言っても、
やりたくない練習を
だらだらやっても始まらないから、
1回ずつ歌って、それで帰ればいい・・・と
逆説的に私の方でアドバイスしたら、、
めんどくさがりのメンバーたちは
それをいいことに、
適当に歌って、早々に帰る日々。
指揮者も危機感が薄く・・・・

これでは、優勝しないかもしれないが、
そのことより、後でお互いのせいにしたり、
くよくよと、愚痴を言い合ったりして、
後悔と悔し涙を、
中心メンバーが流すことになったり、・・・
みじめな分裂状態になりそうな予感・・・。

そこで荒療治。
今日は他のクラスが全部練習しているのに、
練習無しにして帰す・・・・しかたない。

これで、何とか立ち直ってくれるだろうか、
謙虚に歌のメッセージを伝えたいと
思ってくれるだろうか。

私は、やっぱり歌は心だと思う。
聞いてほしいと思わない歌は、
どうしようもないもの。
それも、おごって、
うまいと思い込んで歌ったら、
聞いてくれる人に届かない。
うまいからこそ陥る穴に入らず、
明日はがんばってくれるかな?

追い返したが、何人か残って、対策を練っていた。
やっぱり三年生だもの、
自分たちでやらないとね・・・!!



10・18
うれしい話を・・・。
ずっと歴史教科書として、優れた編集をされていると思っていた
帝国書院の教科書が採択された・・・と聞きました。

何がうれしいと言って、
子どもたちにわかりやすい教科書を提供できることほど
うれしいことはありません。

歴史教科書は、誰が読んでも、
中学校の教科書の中で、一番熟語と漢字が多い
難問の書物です。
私にだって、すべてはわかりません。
たぶん、教科書を作った人物でさえ、
部分編集ですから、
すべてを説明できることはないでしょう。
大人でさえ理解できない教科書を、
子どもたちは使っているのです。
特に、今まで使っていた教科書は、
受験勉強には、熟語が多くて便利かもしれないが、
とても「わかる教科書」には程遠いものでした。

ほんとうにうれしい・・・・です。

でも、受験勉強になれた先生たちには
戸惑いがあるかもしれません。
これが矛盾です。




10・15
今週は、ずっと被爆者の会の方に来ていただいています。
その方のお話で、先生方に研修で講演していただきました。
その時、大ショックを受けた話を、・・・
日本原水爆被害者団体協議会の代表が
放射能の被害者をもう出さないようにして欲しいと、
原発の廃止を訴えに行ったところ、
石破氏は目の前で
「原発は核の抑止力となり必要だから、手放すつもりは無い」
とはっきり述べた・・・とうかがったことでした。
ネットで調べてみるともう2011年の秋にはそう述べています。
「原発を保持していれば、1年以内に核兵器を作ることができる」
こうした見解を、本気で、
それも、被爆者のかたに対して、堂々と述べたとは・・・・
絶句しました。

思い浮かぶのは、福島の各地で今年の夏に見た
フレコンパックの山。
ああしたごみが、日本中に広がる光景。

目に見えない形で、地中深く
捨てるつもりなのかもしれないが、
いつまで核兵器に転用できる放射能ごみと
転用できない放射能ごみと
その両方を、作り続けるつもりなのだろう。
永遠に、・・・???

矛と盾という話、矛盾の言葉を知らないのでしょうか?

漢詩の
「国破れて山河あり・・・」
の逆バージョンと言えばいいのか、
「国、戦に勝ちて、山河無く、
 人々は、故郷を、永遠に失う・・・」
日本という国家が勝利したとして、
そのために荒れ果てた土地だけが残り、
人々は放射能に苦しむ・・・・
未来の姿をどう描いているつもりなのか・・・・。

日本の軍人・官僚こそが、原爆の真の恐ろしさと姿を知らないのか、
戦死でなければ、放射能の後遺症ぐらいであれば、・・・・
数十万人位の人生の犠牲はつきものと考えているのか・・・
ぞっとするような論理と、未来像にうすら寒い思いがします。



10・10
いよいよ合唱祭の練習が始まりました。
何だか、みんな、張り切っています。
もうすでに優勝する気分。

だから、もしだめだったら、血の雨が降りそう・・・
まあ、ちょっと大げさですが、・・・

確かに、声量はあるし、音程は取れているし、
一番良いのは、男子が歌が大好きな子どもたちなこと。
あまり力が入りきらないように、
それでも楽しくチームワークが組めるように、
担任として、サポート、がんばります。
歌は、森山直太朗の「虹」と
コブクロの「今咲き誇る花たちよ」
とてもむずかしい曲です。
みんな、がんばろうね。





10 ・9
早速、被爆者のかたがおいでになりました。
これから、半月以上にわたり、
かわるがわる来ていただきます。
被爆者の皆さまが、体調を考えて、
講演を連続させないためです。
83歳の井上さんです。
4時間目に1クラスの子どもたちがうかがいました。

子どもたちは、言葉を無くしていました。
私が井上さんからお話をうかがうのは3度目ですが、
それでも、また違うお話が入っていました。
それとも、前回聞き逃した部分があるのかもしれません。
毎回うかがっても、はっとします。
そして、井上さんは、さいごに、
みなさん、あきらめずに、夢を持って、がんばってほしい・・・。
と付け加えます。

私自身もそうでしたが、
かわいそう、同情・・・というイメージで、お話をうかがう
なんとなく潜在意識があったのですが、
子どもたちも、同じでした。
その先入観とは違い、
逆に、きびしい被爆と言う現実に向き合いながらも、
私たちを笑顔で励ましてくださる被爆者の方々の優しさに
心を打たれます。
こどもたちもそうでした。




10・7
地元の被爆者の会にお願いして
お話をうかがうことにしました。
県には2500名近くの被爆者のかたがいらっしゃるらしい。
市内にも多数いらっしゃるそうですが、
それでも、話してくださる方は
ずっと4名のかた。

以前の学校でうかがって、
中学三年生は、忘れられない授業だったと
印象を述べていた。

今回も、被爆者の方々の思いを
中学三年生たちが、
ちゃんと受け止めてくれると思う。

楽しみでありながら、
その橋渡しをする私自身の責任も感じる、
そういう授業に明日、まず一クラス、
始まります。




10・4
もう10月です。
会員の方から、授業が楽しくなってきたと、おたよりをもらいました。
以前小学校に勤務していた時、
小学生に歴史の授業をして、
たくさん感想をもらい、
そのストレートさに感動しましたが、
中学生は、それも中学三年生ともなると、
深くて、胸に響いて、心動かされます。

それは、それは、宝物です。
この感想をもらいたくて、授業をしているっていう感じ。
だから、政治がどうなろうと、
子どもたちの心を揺り動かす教材なら、
全てに打ち勝つだろうと思います。

ルーツの誇り高さ、レミゼラブルの人々の美しい歌声、
あゝ、野麦峠の懸命さ、
マイケルジャクソンのあれだけ誹謗中傷に会いながらも人類に希望を持つ純粋さ、
西部戦線異状なしの学生たちの心の傷・・・・
世界一流だからこそ、子どもたちに太刀打ちできます。
そして、今日も…今度はチャップリンの大恐慌時代の人々と
アンネの日記・・・・に進みます。





September



9・30
明日からテスト。
三年生になって、部活を引退して
すでに2カ月たっている。
ようやく、みんな勉強する雰囲気だ。

今の中学校は、
勉強で成績をつけているが、
生活の中心はほとんど部活。

人間関係も、生活のリズムも
部活が中心。
だから、朝練があると、
みんな授業中眠くなってしまうのだ。
2年生の時には、必ず授業で3~4人は寝てしまう。

それが、今は、みんなほとんど寝ない。
時には「先生、最近勉強するのが楽しくなってきた」
と言う男の子も出てきた。
そんな時は、無性にうれしい。

何がうれしいかと言うと
自分に自信を持ち始めたこと
チャレンジしようとし始めたこと
こんな子どもたちを見ると
やっぱり若さの一番良い部分を
見せてもらっている気持がして
心の中で、たくさんガンバレと言いたくなる。



9・28
昨年不協和音の四重奏、五重奏~・・・だった
不登校の子どもたちへの職場のチームワークは
今年はうまくいっている。

一番の勝因は、チームワーク。
改めて、一人では仕事はできないと思う。

若い頃は何でも一人でできるつもりだった。
甘えべたで人に頼ることの嫌いな性格ゆえ、
何でも一人でやろうとしていた。

でも、今の時代は忙しすぎて、
フォローしあわない限り、仕事がうまく回らない。

今年は、カウンセラーの先生が、
ほとんどの不登校の子どもたちの家に訪問してくれている。
ほんとうにありがたい。

教室に入れない子どもたちも、
それなりの居場所が定まったし・・・。

私の受け持ちの彼女も
少し大人に、少し落ち着いて、・・・
自分から勉強をするようになった。
あと半年だものね。



9・27
1ヶ月以上先なのに
少し不安・・・合唱祭。
昨年学年優勝したので、
ものすごい力の入りようが違う。
体育祭はダメだけど、合唱ならとクラスが思い込んでいる。

夏休みに受験勉強より、
「合唱祭のために筋トレをする」と目標に書いた子がいた。
リーダーを昨年した子は、もちろん
学年の始めからそのつもり・・・。
指揮者もそのつもりらしいし・・・。

でも、思いがけず・・・という結果があるので
もし、ダメだったらと考えると、
空恐ろしい。
みんなの落胆と、悔しさが、11月の始めだとすると
・・・・とても、受験の高校に気持ちがむかないんじゃないか
何より、エ~~~と言う悲鳴と
あ~~~というため息まで聞こえてきそう。

まさかの時のための 私自身の心の準備はできるだろうか?




9・26
「西部戦線異状なし」の映画を見終わりました。
胸が痛くなるような感想が、どのクラスからも出ています。
国会前デモで人々が声をあげたように、
子どもたちは、戦争の真相をつかんでいるし、
子どもたちの心からの声です。
「私はすごくこわいなと思いました。
 絶対に戦争に行きたくないと思います。
 ほんとにこわいなって思います。
 ほんとにほんとにこわいです。」

彼女が怖がっているのは、
「西部戦線異状なし」の
砲撃されている中で兵士が気が狂ってしまう状態、であり、
白兵戦で銃剣で殺しあう状態であり、
戦闘中にけがを負って、足を切断する状態であり、
学校で国のためにと教えて、兵士を送り出す状態であり、
けがを負って、顔の一部が元に戻らない状態であり、
その周りの家族の傷ついた状態であり、
戦後も一般社会に溶け込めない兵士の悲しい気持ちであり、・・・

すべてが、映画の中に表現されている。
他にもたくさんたくさん感想を書いてくれたが、
子どもたちは、震え上がっていた。

一番衝撃的だった「映像の世紀」の中の一部分は、
一次大戦でパニックになった兵士の姿だった。
戦後も体の震えが止まらないようすの兵士の映像が、
何人も出てきていた。
・・・・・・痛ましくて、私には、見せられなかった。
そして、兵士たちは、落伍者として、
戦後は捨てられてしまう運命なのだということも
西部戦線異状なしは見せている。



9・14
あるクラスでのこと。
一昨日書いた討論でのこと。
兵隊に行くか行かないか、と討論した時、
兵隊に行くと言ったのが、2人。
そのうちある男の子がこう言った。
「銃を撃ってみたいし、いろいろな兵器を体験してみたい。
 だから行く」

クラスの大多数の子たちがブーイング。
私は危うく
「アメリカでも、そうやって、ゲームでやったことができると言って
 米軍は勧誘しているんだよ」とサポートしそうになった。
そうやって、さらに挑発するつもりになりそうだった。

でも、たくさんの子どもたちがいっせいに手をあげて、
「遊びじゃないんだよ」
「ほんとにできるの?」
「人殺しだよ」
「やられるかもしれないんだよ」・・・と口々に反論。
それでも、その男の子は、「楽しそうじゃない・・・」と言って、
軽くいなしている。
もう一人の子は、いつもふざけているのに、
今日ばかりは「国を守るためなんだから、行かないとだめでしょ」
・・・・相当白熱した。
でも、最高で15分くらいを限界に止めている。

目的は、結論を出すことではなく、揺さぶって
映画「西部戦線異状なし」を見てもらうことだから。
それで、最後に
「みんなの意見がどう変わったか、聞いてみよう」と言って、
人数を確認した。

そうしたら、なんと、二人は、「行かない」方に手をあげた。
討論のためのポーズだったらしい。
みんな「なあ~~~んだ」と言って大爆笑。
それなのに、二人の言葉に揺さぶられて
「国のために兵隊になる」と言った子たちが
数人増えたことが・・・とてもおかしかった。

ねらいは達成できたようだ。
今後、戦争について、さらに学んでいくと
どう考えていくだろうか…楽しみです。





9・13
中学校では、受験用に、
校長面接というのをよくやっている。
校長さんが、面接官の代わりになって、
面接を三年生全員としてくれる。

さて、その前に準備として、
個人の資料=たとえば、志望理由とか将来の夢とか
中学校の思い出とか、・・・書いて提出する。

それが、大変な難問で
添削をしていたら、なんと、6時間目から
最終下校まで指導にかかってしまった。

いつもよりきびしい叱咤激励。
あまりの難問に・・・私も
ハイダメ、ハイダメ・・・の繰り返し。

でも、これって難しいんですね。
志望した理由って、何を書いていいのやら、
将来の夢と言われても、まだ無いし・・・
中学校の思い出は「修学旅行が楽しかったです」
これでは話になりません。

すべて、「具体的に」「具体的に」のアドバイス。
言葉づかいも変にへりくだったと思ったら、上からの目線。
たとえば、「貴校を希望させていただきました理由は、
文化祭が楽しかったし、生徒だけでなく先生たちもきちんと挨拶してくれたからです。」
なんていうようにちぐはぐ。
「いただきまして」なんて言いながら、
「楽しかったし・・」なんて、対等な”ため口”を聞いたかと思うと
「先生があいさつをした」なんて、評価してしまう・・・
こんな文章が、続々と出てきて頭を抱えていました。

最後は、私が希望理由を書きながら、作文をしてあげることも・・・。
だって、数人は、言葉が出てこないんです。
言いたいことが出てきたのに、なんて言っていいかわからない・・・
これは、明日になっても無理だなと思いました。

なんとなく、頭を抱えながらも、充実した放課後でした。
全員と一対一で向き合えたからかな?、




9・11
時々、強引に
「担任の権限で・・・こうします」と言っている。
今回の席のローテーションも、
なかば強引に言って始めたが、
それを言いだしたとたんに
子どもたちは、拍手喝采と、キャーと大喜びだった。
そう言わないと
子どもたち同士のうわさで
「あのクラス毎日席替えやってるらしい」
とでも、子どもたちが噂すると、
いらぬ摩擦を起こしてしまうので、老婆心の故。

こんなこと、考えずに、
大胆に、担任がクラスのために自由にクラス運営をすべきだと
思っていますが・・・。


9・10
第一次世界大戦の映画
「西部戦線異状なし」を見てもらう前に、
ディベートをした。
ディベートと言っても、軽く20分程度の意見交換。
ねらいは、子どもたちの認識を揺さぶること。
まず、意見を短く書かせる。
①戦争に兵士として行きますか?行きませんか?
②戦争は得になるか、損になるか、どちらでしょうか?

以前の教え子に聞いた時、
戦争に行くか行かないか聞いたら、ほとんど行かないと答えた。
しかし一人の男の子が、発言したら、
雪崩を打ってみんな変わった。
その子は、こう言ったのです。
「行きたくないけれど、クラスのみんなや友達が行くと言って
 みんな行ったら、僕だけ残るのは耐えられない」
そう言ったら、そうだそうだとなってしまいました。

今回も討論しているうちに、
残っていたら、罪悪感を感じる・・・と
発言した女の子がいて、・・・・私もその洞察力に、舌をまきました。

戦争も得になるか損になるかを討論したら、
(少数派の側に私が入り、さも、それが正しいかのように、
 私が過激に挑発します)
私の「科学技術は、今まで戦争のおかげで発達し、
   その恩恵をみんなは受けている」と言うと、
男の子が、「これからは、平和でも技術は発達できる」と
確信を持って言っていました。

これから授業で様々な映像を見て、
みんなは心を揺さぶられていくでしょうけれど、
ペラペラしゃべる雄弁家の話より、
自分の確信を持てるかどうか、
そして、いろいろな考えや主張があるということを
知っておくべきだと考えているからです。

今、討論を楽しんでいます。
たくさん挑発し、みんなが知恵をしぼって、何とか反論しようとする様子が、
頼もしいのです。



9・6
学年の統一方針で、
席替えは1学期にほぼ一回。

何ということなのだ!!とは思うものの、
絶対にゆずらない人がいるので困難。
もし、私が論理展開したら、
学年が二つに分裂する可能性も・・・
だから、二年間我慢。
打開策で、今回はアイディアを一つ。

班の構成はそのままで、
女子をローテーションで毎日、
班ごとに回るようにした。

なぜかというと
席が4カ月も一緒だから
人間関係が固定化して、
とてもよくない。

クラスの中に、不協和音が芽生えている。
それを打開するために・・・

ミソは毎日ということ。
そうしたら、傑作!!!!
クラスの雰囲気が異様に明るくなった。

毎日ドキドキワクワクするためらしい。
これでこそ中学三年生。
その笑顔をみなさんにお見せしたいほどです。

「いいわけ」は考えてある。
お試し期間だから・・・。



August



8・31
もう八月も終わり。
8月は、だいぶサボってしまいました。

でも、少し頭を使っていたのです。
約1ヶ月、和紙の折り紙から
都道府県カルタを考えるのに、
頭を悩ませていました。
京都の和紙屋さんで見つけた
都道府県折り紙
あまりのデザインのかわいらしさに一目ぼれ。
それを、都道府県カルタにしてみました。
少しずつ紹介していきます。
どうでしょうか?
絵柄も小さいながら紹介します。
一番のお気に入りから

石川県 海の星だよ ホタルイカ


次は、香川県 鳴門のうずは 目が回る


もう一つ、山形県 赤い宝石 さくらんぼ

ステキでしょう?



8・25
もうあと一週間で、2学期。
約10日間、20年来の念願だった
「鉄を生み出した帝国」ヒッタイトの
発掘調査を行っている
大村幸弘先生のところを
トルコに訪ねました。

くわしくは、また。
トルコはおもしろい国です。
中東の要素もありヨーロッパの要素もあり。
インテリのガイドさんが、とても興味深い話をしてくれました。

グリーンベルトという話。
アメリカは、1960年代から
ソ連の南進を止めるために、中東の国々に
やたらに宗教を強く打ち出すよう
援助をしていた・・・それがグリーンベルトで常識だそうです。
だから、イスラム国も、9・11のテロも
後ろに必ずアメリカがいるはずだとのこと・・・。
日本でいては考えられないいろいろな見方を
話してくれました。
その時の援助が効いてきているからこそ、
トルコも宗教関係が強くなってきていて、
ガイドさんのネジャットさんは、アタチュルクの遺産が崩れていると
言っていました。
アメリカは宗教が強くなってくれていた方が、
社会主義にならないからいい・・・と考えているよ、常識!!
とのことでした。そう言われれば・・・とも思います。



8・10
この週末、福島にフィールドワークと
研究会で行ってきました。
福島のお母さんたちの話、衝撃的でした。
なぜ、放射能の話ができないのか・・・
不安を口にすることができないのか、
家族の中で、親戚の中で、地域の中で、
みんながバラバラになり、「ガンバっぺ」の掛け声に
かき消されてしまう親としての子どもを守りたい気持ち。
胸が痛むどころではない、・・・
本気で取材した記者の中には、
精神的におかしくなった人もいたとのことです。
話を聞けば聞くほど、
おかしくならない方がおかしいほどの
やりきれない矛盾。
生の声を聞いて、初めて理解できました。
やっぱり、行ってよかったと思いました。

もう一つ、衝撃的な風景。
今までの日本ではありえない風景が広がっていました。
除染した土を梱包した黒い袋が、
山積みになった個所が点々とあるのも異様でしたが、
それより、高速道路から見た、
藤岡から浪江までの約30分間、
目の前に広がる土地は、水田だったはずの原野。
細かい段差がえんえんと広がる元水田だった、平らな土地、
それが、原野になっていました。
そして、ポツンポツンとある家には、誰も住んでいず、
異様に多いのは、いたるところの駐車場に止めた車の数
女性と子どもの声も姿も無く、
いるのは除染の作業員だけ、
サービスエリアでも、トイレにいたのは、
男性作業員だけでした。
こんな土地になっていいのか!!!
原野はほんとうに衝撃的で、痛ましく
日本ではありえない風景でした。
みなさんも、ぜひ一度は見ておかなければ
いけない景色だと思います。

放射能は目に見えないけれど、
確実に、高速道路で通っていても
ガイガーカウンターがなりだす高線量の地域でした。
その地点では、もちろん立ち入り禁止、
車のみOK、だけど下車はダメ
もちろんバイクも自転車もダメ、
危険はあるのは承知で、
見ておかなければならないのだと
改めて思いました。


8・7
今、みなさんそうだと思いますが、
秋の学校の研究会に向けて、
研究授業の指導案を作り始めている時期ではないでしょうか?

教育委員会から指導主事を迎えて・・・
ご指導を仰ぐわけですが、・・・

今も、思い出すたびに、
少し腹立たしい・・・と言うか、
あきれる発言を「いただいた」経験を思い出します。

授業は、オバマ大統領が実現し、人種差別や人権を
公民の授業で扱ったのでしたが、・・・
その指導される方は、
いとも簡単に「黒人の立場だったらどう思うか、討論させればよい」
とのアドバイス。
その後でした。唖然としたのは・・・。
NHkの番組「その時歴史が動いた」から、
ローザパークスのバスボイコット事件のようすを見せたところ、
この番組はわかりやすかったからよい、とのおほめの言葉のあと、
「私は、マーチンルーサーキング牧師は好きではないけれど、・・・」と。

驚きました。
何十、何百という学校を指導する立場の人が、
キング牧師の仕事を好き嫌いで表現するとは・・・。
アメリカには、キング牧師の日さえあるというのに、・・・。

黒人の立場だったら、・・・と簡単に想像できるぐらいだったら、
人種差別の問題など、大したことではないのではないかとも思いました。
でも、いつでも、典型的な授業モデルでは
「もし農民だったら」「もし天皇だったら」
「もし、武士だったら」・・・という討論を予定します。。
わたしも、「もし坂本龍馬だったら」という質問をしましたが、
幕末の状況がわかるまで、
イギリスの産業革命から始まってアヘン戦争を含め
10時間は、その質問の前に費やしています。
学制の時から、実はそういう社会科の授業モデルに
反発していた私がいました。

差別に対して闘った人を、社会科の担当の教員が、嫌いだと表明するとは
日本の教育の限界もよくわかった感じでした。
人権意識などあったものではない。
人権を求めて闘った人に敬意を払えなくて、
なぜ人権を教えられるのだろう?
底の浅い社会科だと、今も憤懣やるかたなし・・・です。。
でも、それも7~8年前のことでしょうか?


8・3
今年は綿花を育てていないので、
夏の苦労はしていません。
今年、綿花を育てていたら、
毎日、朝晩の水やりで
とても苦労したでしょう。

農家の方は、どうでしょうか?
雨が少ないと、苦労しますね。

あまりの物の多さに
探し物で何時間もかかり、疲れ果て、
けつまずいては、足の痛さに泣き・・・。
土日をかけて、2か月前くらいから
家じゅうの片づけに取り組んでいます。
そうしないと、にっちもさっちもいかない・・・。

本も、処分をすることにしました。
でも、大事だと思う本はとっておくことに。
そうすると、大きなことに気づきました。
ああ、このかたとの出会いは、
私にとって、財産だった。宝物だった。
だから、この本は捨てられない・・・。

なつかしい、その方たちとの出会い。
実際にお会いできたかたも、本の中だけでの出会いも・・・。
もう亡くなられた方も、お元気な方も・・・。
今でも、それを思うと、胸が熱くなります。
本やお話から、たくさん教えていただきました。
阿波根昌鴻さん、上野英信さん、加古里子さん
内海愛子さん、松井やよりさん、本田勝一さん
鎌田慧さん、広河隆一さん、中村悟郎さん、
犬養道子さん、・・・
スーザンジョージやオリアナファラチも・・・
ジャーナリストが多いのは、昔、
新聞記者になりたいと思ったこともあったから・・・でしょうか?

心を寄せてきたのは、小さき者の声を拾い上げて、
私たちに伝えてくれている方たち・・・ですね。



8・2
猛暑で、頭の中が煮えそうなくらい、に思えます。
8月になりました。

中学校で、服装検査のようなことが
行なわれるようになったのは、最初はいつなのでしょう?

修学旅行で、服装だけでなく
くつや荷物まで今回、点検です。

持ってきてはいけないものを持って来たい
分別の無い中学生・・・・修学旅行の悪夢は
最初に中学校の担任をしての最初の修学旅行で、
体験しました。
25年前のことです。
35にもなっていたのですが、
それでも、筆舌に尽くしがたいほど屈辱的で、
子どもたちのことが、いっぺんに
信じられなくなるぐらいのことでした。
ここでは書けませんが、
誰に話しても・・・と言っても
全部は話せないのですが、・・・
内容を聞いた先生が唖然とするような行動を
生徒たちにとられてしまいました。
悔しかったし、悲しかったし、やりきれませんでした。
当の子どもたちが、ケロッとした顔をしているので、
よけいに悲しかった。

その時以来、子どもたちをむやみに信用すると
その枠を超えようとばかり考えている中学生に
油を注ぐような結果を生んでしまう・・・。
それは重々承知。

でも、中学校というのは特殊なところで、
学校全体で、統一歩調を・・・
つまり、全職員が同じように注意し、
同じように指導する・・・ことを
理想として述べる方もいらっしゃいます。
私には、何よりも
教師として、仲間をお互いに尊重し、
敬意をはらい、子どもたちのために動いていると相手を
信じあうことが最も大切だと思うのですね。

それが無いと
担任としては、上下もない関係なのに、
先生が先生の顔色を見てしまうような・・・
そんなのおかしいと思ってしまいます。

若い人たちには、自信を持ってほしい。
自分の指導で失敗したって、それも勉強なんです。
ベテランがフォローするのが、当たり前、
そうやって私たちも育ってきたのですから。





July



7・31
学校に行ったら
大変なことになっていた。
若い先生が倒れて、手術、
もう一人の先生は、MRIを撮ると言う。
病状などくわしくは書けないけれど、
過労であることは確か。

どうすればいいのか、この構造。
元気がなければ、中学生に対処するなんて無理。

部活はお盆休みも無い部活さえある。
倒れれば、他の人にしわ寄せが行って、
学校に来ている他の先生も、ふらふら!!

犠牲者が出てからなんて、
まっぴらごめん。
妊娠中の先生が流産することもしばしば。

私の代は、親の世代から、
先生は、女性としての職場としては恵まれていると言われていたのに、
今、母親になる前の女性先生や
若い男性先生が、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれている。



7・29
あと三日で7月も終わり。
遠い昔の話のように思えるが、
修学旅行での話を一つ。

最近は私自身が年齢が上になって来たので、
あまり苦労しなくなったけれど、
若い頃は、制服を着崩す子や
おしゃれをしたくて、ちょっとみんなと違う個性を出したがる子、・・・。
そういう子どもたちにどう指導するか?
これが、小学校から来た私には、とても違和感があった。
慣れるのが大変だった。

私服でかわいい格好をしていたり、カッコイイ服を着ていたり、
女の子も、男の子も毎日、それが普通の小学校生活。

それが、中学校になると、
髪の長さ、スカートの丈、ズボンの太さ・・・
それを、物差しで測らんばかりに細かい指導が、
私の若い頃にはあり、私もものすご~~~~く嫌だけれど、
いっしょに注意しないといけない、と、いやいややっていた。

まるで、授業と同じくらい大切と言わんばかり・・・。
なぜ、と思いながら、納得できなくても注意!!!
気分は最悪でした。

でも、毎日なんて、子どもたちの顔を見る方が先だから・・・
思い出したように、注意するのだが、
毎日毎日、そのことばかり見ている先生がいて、
誰それのクラスの誰それは、スカートが短いだの髪の毛を結んでいない・・・とか

それが、最近は無かったから、毎日楽しく暮らしていたのだが、
この学校に来てからは、胸がざわざわするようなことが、
よくある。

どうしてだろう?
久しぶりにこういうことがあったから
とても胸に残った。
明日また。



7・28
夏休みが始まって一週間、
でも、忙しい毎日を送る部活顧問の若い先生たち。
先週、ついに隣の席の先生は倒れた。
病欠です。
確かに職員室は冷房が効いているが、
部活の校庭や体育館は、冷房なし。
そこに、中学生とともに、1日中いるのだから、
体が休めない、夏休みになっても。
しかも土日なし・・・。


1週間頭痛が続き、
それでも休まず大会へ・・・。
そして激しい頭痛、4日目でついに病欠。

無理に無理を重ねても
それぞれ自己責任のように、
管理職は「夏休みですから、体を休めて・・・」
と言っても、休められない毎日だったせいです。

新聞に14時間働きっぱなしの、世界一忙しい先生!!。
と書いてあったが、
なんと!! 野麦峠と同じ労働時間だ!!
明治時代の女工さんが勝ち取っていった労働時間短縮が
100年たっても、変わっていない。
公務員だから、給料いいんだから、・・・そのぐらい働いて・・・。
そう世間の人は思っているのかな?
でも、若くて、精神を病む先生は多いですよ。
疲れすぎて、どこを力を抜いていいかわからないから。

ベテランは、せめて肩代わりできるところは
担ってあげたいとは思っているけれど・・・。
実質の勤務時間が長すぎる・・・。
当然になってしまう。
ベテランは仕事の効率化ができるけれど
若い先生たちは、仕事の量も増やされ、
しかも経験が少ないから、体力で仕事の量をこなすしかない。
だから実質労働時間、
7時から21時がふつうなので。




7・21
ようやく夏休み。
勤務先では市内がみんなネットでつながり
通知表もそこに打ち込むことになっている。
だから、どうしても学校でないと仕事ができない。
学期末は毎日学校を7時過ぎに出て
帰宅は10時近くになった。
その上、三者面談は5時間の授業後。
若い人たちは
残業が9時過ぎ、10時過ぎ・・・が常態化している。
小学校と違い、中学校はほとんどが部活で
最終下校後の仕事になるので、
みんな7時過ぎから仕事を始める。
まだ外は6時半では明るいので、最終下校が6時半なのだ。
土日は大会で休みなし、どころか、朝7時に家を出て
8時からの準備にそなえる・・・。
となりの席の女性の先生に風邪をうつしてしまい、
咳喘息まで重態化してしまった。

ため息や愚痴が出てしまうけれど、
仕方ない。
元気で仕事ができるように、時間外の仕事がしなくて済むように
やっぱり部活は、社会体育のようにしてほしい。
でも、それができない。
人件費を削りに削り、
講師をやとって正式採用しない教育現場は
今の幸せではない日本を象徴している。



7・15
学校の中にはいろいろな子どもがいる。
国籍の違う子、どちらかの親御さんが国籍の違う子、
障害を持っている子、精神的に不安定な子、
家庭的に苦労している子・・・・・、
境遇が全く異なる思春期の子どもたちが、
たくさんいるのが、公立の中学校。
そこが、私にとっては、仕事のやりがいにもなっているし、
私だけの人生経験ではわからないところも、
勉強させていただいている・・・・そう思えるような場所です。

でも、だからこそ、考えさせられる時がある。
最近、学校を休みがちな子どもがいる。
三者面談でゆっくり、じっくり話をしたけれど、
言うことには、ほんとうに考えさせられた。

表にはっきり出るような
中学校1年生のころの、好奇心交じりの言葉は、
仕方ないと思える。
でも、今は、口には出さず、本人たち自身が
気付いていないかもしれないけれど、壁を作っている・・・と。

そういう言葉を、私は「気のせいだ」とは言えなかった。
当事者がそう感じるのだから、そうなんだと思う。
そして、それを感じ、悩んでいるのだから、ほんとうにそうだろうと思う。

私は、「私には、待つことしかできない」と言った。
そして、「私にわかることは限界があるけれど、
いつでもわかりたいと思っていることを忘れないで」とも伝えた。
成長してきたからこそ感じる、人間関係の壁。
ぜひ、乗り越えてね、
絶対、乗り越えていくよ、みんな、・・・そう心の中で考えていた。




7・12
ルーツのドラマの中で、
一番大事に思うのは、
主人公クンタキンテが農場から逃げ出して捕まり、
つるされて、ムチ打たれる場面。
そのピシ~~んという音に、
中学生たちは正視できないくらいにおののいているけれど、
クンタキンテは「お前の名は? ドビーだな」と
農場で奴隷としてつけられた名前を要求されても、
「クンタキンテ」と、二回答える。

その場面はとても大切だと思う。
奴隷となり、鎖でつながれ、
逃げ出して、ムチ打たれても、・・・・
それでも、名前は譲れない・・・・
そういう主人公の姿に、
中学生たちは、勇敢さと誇りと尊敬と・・・
それを感じ取ってくれる。

でも、今回は、それだけではなく、
最初にルーツのドラマの作者の話もしたし、
(つまり、アメリカの黒人作家自身がルーツをたどって小説化したという話)
慎重に、マイケルジャクソンも見せた。
奴隷貿易に同情するだけでは困ると思い、
「人種差別がかわいそうだと思うかもしれないけれど、
 だからこそ、アメリカには抵抗する文化と
 それだけ苦しみや差別を深くとらえた文化があるんだよ」として、
マイケルジャクソンの歌「Black or White」の、プロモーションビデオを見せた。
みんなポカーンと口を開けて見ている。
それは、そうでしょう。すばらしいビデオだから。

また、うれしい感想があった。
お父さんがアフリカ出身の子がこう書いてくれた。
「私の祖先が連れ去られていたら、どうなっていたのだろう」
こう書いてくれただけで、私は天にも昇る気持ち。
ほんとうによかった。

なぜかというと
奴隷貿易を授業で教えることで
その子が引け目を感じたり、苦痛を感じたり
そんなことになってしまったら・・・という不安がよぎった。
傷つけるようなことは絶対できない。
だからと言って、歴史の授業では避けて通れない。
そういう歴史があったことは、世界的な常識だから、
まわりの子どもたちも、本人にも、
知識として知っておいてほしい。
ならば、同情やかわいそうで終わるのではなく、
悲劇にまきこまれた人々と、その人々の尊厳やほこりや勇気を伝えたい・・・
そうして、ていねいに場面を選び、Black or White を見てもらったのです。
私にも少しの勇気と知恵とが必要だったのです。


7・11
学年の中に、さまざまな子どもがいる。
お父さんがアフリカ出身の子もいた。
その子が、ルーツをどうとらえるか、
細心の注意を払った。

だからこそ、以前から、
奴隷船の中や、アメリカの奴隷市場だけを見せることはしないできた。
原作を見ると
スタートは、アフリカの成人式の儀式から、
平和に暮らし、家族にも恵まれ
マンディンカ族としての勇敢さや知恵を教わる成人式。

そこには、驚きと共感がある。
そして、アメリカに渡ってからも、
クンタキンテというアフリカ名を頑なに守ろうとし、
奴隷から脱走しようとするくじけない勇敢さも描かれている。

だから、編集したとしても1時間半はどうしても減らせない。

思っている通りの他の子の感想があった。
こういう感想を書いてもらうと、
私の考えが、通じて受け入られたのがわかり、
ほんとうにうれしいし、ホッとする。

「アフリカの人たちの平和な日常が、一瞬にして、奪われていったのが、
 すごく恐ろしかった。
 不衛生な環境に何カ月も置かれたり、扱いがまるで人間ではないので、
 私だったら、絶対に耐えられないと思う。
 私だったら、船に乗った時点でこれからの人生をあきらめてしまいそうだけれど、
 何度も反乱を起こしたり、逃げ出そうとするクンタキンテは、
 すごく勇敢だし、決してアメリカの生活に流されず、
 マンディンカ族の誇りを忘れなかったので、すごくかっこよかった」




7・3
ルーツを見ていると、ドラマだということを忘れそうになります。
クンタキンテが、さも、演技ではなく、
実在する人物を今見ているかのように思ってしまいます。
そのぐらい、主人公クンタキンテがすばらしい。
奴隷貿易を視覚化して、アフリカ人のドラマを作ったことが、
とてもすばらしいと、今になって気付きます。

私の伝えたいことは、クンタキンテのように、
故郷から連れ去られ、
それでも、誇りを失わず、
何度も何度も脱走をくりかえす・・・
そうやって、心は奴隷であることを拒んだ人々が何百万といたこと、
そういう人々がいたこと。

ハックルベリーフィンの冒険の中に、
ハックルベリーの相棒として、逃亡奴隷の黒人が出てきます。
その二人旅のスリルに満ちた、そして人間性あふれる物語。

奴隷貿易の暗部がアメリカの底にあるとしたら、
インディアンの人々の迫害が、アメリカの恥部だとしたら、
でも、それを深くとらえるからこその、
アメリカのすばらしい文化が作られた・・・と言える・・・そういうことです。

人間は、奴隷にされたままではいられない
だからこそ、音楽・文学・・・そういう芸術で自己表現する。
マイケルジャクソンの「Black or White」だし、
映画の「ダンス ウィズ ウルブズ」がある・・・と言うことですね。

ルーツは予想通り、全クラス、ほとんど誰も寝ずに
見通した。すばらしい。やっぱり名ドラマだと思う。


Jun



6・30
ようやく咳が下火になってきました。
ひどいのどの痛みと咳が深く出て、
苦しくて、・・・・
でも医者に行って、吸入器をもらったら、
ようやく1週間でよくなってきました。
土日は、ずっと寝て寝て・・・・疲れも少しとれたか・・・。

授業は、少し戻って、
「ルーツ」を見せています。
どうしても、帝国主義を教える前に、
奴隷貿易と、アメリカの人種差別と
それを乗り越えてきた、アメリカの黒人の人々の
誇り高さを伝えたい。
以前は、劣化したテープを使っていましたが、
今は新品のDVDを編集して使っています。
青年時代のルーツの俳優の
みごとな演技・・・・何度見てもあきません。
以前は、悲惨な場面ばかり気になりましたが、
今は、このドラマを作った演出や、ロケや
その情熱に・・・驚きます。
始めて奴隷貿易を映像化したものが、
ルーツだった・・・・ということですね。
目に見える形で歴史を見せる・・・・その情熱はすばらしい。



6・26

1学期末試験、直後に修学旅行・・・
そして帰ってきたら発熱、・・・今は咳喘息のような苦しさ・・・
忙しさと疲れでよれよれです。

それでも、不登校の子どもたち、8人が、
修学旅行に参加。
わがクラスの彼女も
なんと、全日程参加。
最後の新幹線は楽しそうに
歓談して、心配する必要も無かった。
全く教室に入れないでいるのに・・・・すごいと
改めて驚く!!!




6・14
昨日、大英博物館展に出かけた。
大英博物館の実物には行ったので、
あまり期待しないで出かけたのに、
胸がドキドキするほど感動してしまった。

お目当ては、本場でも見た、
ウルのスタンダード。
旗と言われているが、たぶん王の宝物だろう。
それにしても、改めて見て、
ほんとうに美しいと思う。
青のラピスラズリの宝石と
(ツタンカーメンの目のアイラインがこの宝石でできている)
群青の瀝青
瀝青とは、アスファルトのような物らしいが、
この色の深くて美しい色・・・・。
今回、じっくりと見て、(大英博物館では、あまりに見る物が多すぎて、
この実物もさっと通り過ぎる程度だった)
細かい細工の見事さ
羊の毛の波打つ線など、ほんとうに細い・・それが、群青色なのです。

しかし、感動したのは、
思いがけない展示品を見たから。
私が、人間の歴史の授業を30年やってきて、
あらゆる本を買い、図鑑や写真集を買って、
探しに探して、手に入れてきた教材の写真、
実物が見られないから、コピーでしか本物を見せることができない・・・
でも、それでも、子どもたちは、本物に驚き、
歓声をあげてくれた。

それなのに、大英博物館は、
世界のお宝を、すべて持っている!!!!!!!
この泥棒め!!!!!!!と思ってしまう。

思いがけずに出会って、ドキドキしてしまったのが、
アウストラロピテクスの打製石器だった。
ケニアのオルドバイ渓谷に行かないと見られないと思って、
一生見られないだろう・・・と思っていたのに、
その石器が目の前にある!!!!!!
それなのに、それなのに、まわりのお客さんは、
「ただの石じゃん!!」「なにこれ!!」
ああ、なんと悲しいことだろうか???

それ以外にも、洛陽で見られなかったすばらしい唐三彩の像、
ブリアンも描いていたトナカイの角に掘られたマンモス像
インカ文明の黄金のリャマ像

足を延ばして、私も一生かけて見てきた
ギリシャ彫刻も、アステカ文明の像も、インドネシアの仏頭も、
私の行っていない地域の宝物もすべて、集めに集めて・・・

でも、一番は、やっぱり石器かもしれない。
私たちの祖先の、誰がどう使ったのだろう・・・
リーキー博士がNHKの番組でが解説してくれたように、
骨髄を出して食べていたのだろうか・・・そう考えるだけで
二つの石器は、私をずっとドキドキさせてくれていた。



6・13
もうすぐ修学旅行。
不登校の彼女、最近とんとご無沙汰。
学校に来ていない。
行かないのか?・・・とても心配になる。
そこで家庭訪問。
家に来てほしくないと言う嫌がる彼女に
電話して、しおりを届けないと、
それに、集金もあるし・・・と強引に訪問。
でも、それだけじゃ、ちょっと私としては
物足りないので、コンビニで
チョコブラウニーを三つとタルトを三つ。
お母さんとお兄ちゃんに・・・とおみやげ持って。
さて、これが少しは役に立って、
彼女、行く勇気が出るかな?

彼女はいらないというけれど、
お母さんとケンカしてるなら、
お茶入れてご苦労様って出すんだよって・・・。
まあ、おせっかいなサービス。

荒れた中学校の時、今から20年以上前、
子どもたちだけで暮らす家庭に、
よく唐揚げを持って行ったっけ・・・。
思い出してしまった。
以前の中学でも、よくプリンを家族分買って行ってあげた。
そのお母さんは、フィリピン出身だったし、
子どもの反抗期にどうしたらいいかわからなくて、
困っていたから。

私自身がおいしいものに目がないから、
食べ物で、人間関係がさらにつながるなら、安いものだし、
喜ぶ顔とホッとする顔は、うれしいばかりだから。





6・10
まだ、私の中では、
「あゝ野麦峠」がブームである。
原作本を読んでみることにした。
実は、恥ずかしいことに、まだでした。
読み進んでいるが、なかなか面白い。
実際に、映画の登場人物の「政井みね」さんは、実在したこと。
作者の山本茂美氏が取材したのが、
「政井みね」さんのお兄さんだったこと
もうすでに、高齢でいらっしゃったが、
妹が不憫だと、想い出に涙されていたこと、
実際におみねさんは、13歳から20歳寸前まで工女として働き、
結核で亡くなっていたこと・・・。

この悲しいエピソード以外にも
周辺の、繭の買い取りの丁々発止、
工女たちの脱走劇やらいろいろのエピソードは
よく考えてみれば、
九州の炭鉱で働く男たちのエピソードにも似ている。
山本作兵衛さんの描く生き生きとした絵の中にも
雰囲気も似ているような気がする。
日本の近代化を支えた人々の人生も
悲劇とユーモアとたくましさが入り混じったような・・・
今、まだまだ読み進めているところです。





6・7
あゝ野麦峠をテレビで放映した時には、
工女たちが話し合う部分はカットされていた。

また、ネット上では
”あゝ野麦峠”は誇張している、とか
そんなに当時悲惨だったわけではない、
とか・・・。
確かに、白井春男さんも工女たちが誇りを持っていたインタビューもあった、
と言っていた。

しかし、その誇りを持っていた・・・などのインタビューは、
昭和になってから戦後、
経験者に聞いたインタビュー・・・。
明治の最初に製糸工場が設置されてから、
50年もたっている。
相当労働条件も改善されてからのものだと思う。

工女さんたちの(働く労働者として敬意を払いたい)
労働条件に対する闘いがあってこそ、
今の私たちの労働条件がある。
14時間も働くこと、あの異臭の漂う工場だったこと、
昼でも10分~20分の休憩だったこと。
今の日本人の、誰が、我慢できるだろう?
そしてまた、あの工女たちに支えられた明治だったことを
誰が、否定できるだろう。

白井さんが言っていた。
戦前、働く人々が、身を削り、身をさらしながら、
経営者と交渉して、
労働時間を30分、1時間と減らしてきたものを、
(減らしてくれた者こそ、明治・大正の労働者たちだった)
戦争に負けたらすぐに、アメリカが8時間にしてくれた・・・。
つまり、8時間労働は、アメリカの民主主義だということと、
自ら獲得してきたものではないということ。

昔生きた人々が、苦労して作り上げた労働条件を
私たちは、自分から手放そうとしている。
経営者が儲けてくれば、
その分け前に預かれる・・・というのか
あまりにも、先人たちの苦労を学ばないのは
直接のご先祖様を敬わないようで悲しい。

私たちのご先祖様は、
決して、渋沢栄一でもないし、
戦前の財閥でもないし、
逆に営々と耕した農民であり、
毎日額に汗した働く人々のはずなのに・・・。



6・6
「あゝ野麦峠」を見ていて
先日も書いたが、
工女たちの寮で、罰金の工女たちがどうにかできないかと
みんなで考える部分が、どうしても抜かせないと思う。
今回初めて気がついたのだが、
工女たちの生糸の毎日の審査は、
経営者のもうけのために、
なかなかうまく作られたしくみだ。
映画の中では、当たり前のように、
生糸の生産量と品質を毎日検査しているが、
映画の中の解説をよく聞いてみると
「平均以下を切れといい、・・・」
平均ということは、必ず平均以下の者が出るということ。
成績下位の者が、罰金を科せられ、
成績上位の者の給料にあてられる。

この場面の中でも工女たちが言っている。
「旦那さんは少しも損しない。
 工女が工女同士共食いしている。
 バツ糸組の糸だって、国内産に売っているから
 損しているわけではない・・・」
彼女たちが言っているのは当然のことだ。

この場面を抜かしてしまうと、
それぞれが、競争意識を丸出しにして、
自分が優等工女になるようにがんばるしかない・・・
そういう物語にみえてしまう。
そうではなくて、同じ村から出てきた仲間を思い、
心配して、助け合おうとする、
・・・おみねだけの優しさではなく、
みんなが心配していた・・・というのが理解できるのだ。
それこそ当然の人間的感情。

それでも彼女たちの願いはささやかだ。
飯抜き工女を何とかしてほしい。
バツ糸組の借金を少し減らしてほしい・・・
それを願い、仲間の苦渋を見て見ぬ振りができない連帯感、
それが、とても優しいと思うし、
見ていて、自然に心が和む。



6・3
今、映画「あゝ野麦峠」を見ている。
編集して1時間半弱にしたもの。
今まで、録画したものを使っていたのだが、
原版の方が、とてもよくわかる。

テレビで放映した時に抜けていた場面は、
ほんの少しずつなのだが、
歴史の授業からすると、とても大事な場面。

たとえば、
山安足立組の製糸工場の事務所で繰り広げられる場面、
横浜からの電信で、生糸相場が上がったのがわかり、
「全部浜出しだ!!」というのは、
倉庫の生糸を横浜にすべて送るということ、
どのくらい、横浜に荷物を送ったか、
それをまた、仲買に電信に送っている。
そして、横浜のアメリカ人商店が買い入れている場面。
外貨を稼ぐということがよくわかる。

三国干渉後のロシアと、戦争すべきだという演説会。
演説しているのは軍人、
そして、座席に座るのは製糸工場の社長たち、
演説の内容も、「生糸を増産して、たくさんもうけて、軍艦を買いましょう」
「そうすれば、儲かるし、戦争にも勝てるし・・・」という演説で、
ロシアに鉄槌を下すと言っていて、戦争戦争で大拍手です。

工女たちが、ちゃんと賃金のからくりを知っているところ、
優等工女の報奨金は、バツ糸組の給金からの罰金でまかなわれていて、
社長の懐は痛まない、
そして、バツ糸組と言っても、
結局、海外に売れなくても国内産として扱って
少しはもうけが出ているはずだという話を、
働く彼女たちは見抜いています。
そして、聞いた話のエピソード、
違う工場で、賃金の10銭下げると言われた工女たちが、
最初、社長に話に行って拒否されたら、
いっせいに仕事につかなくて、困った社長は
話を取りやめにしたこと・・・そう、工女たちは
情報を得て、お互いを力づける。

この話には、以前、戦前派のおばあさんから聞いた、
工場でのストライキの話が重なる。
でも、以前、会の代表の白井さんの話が強烈だった。
戦前の女工さんたちが、体を張ってストライキをして、
労働時間を1時間縮めたのに、
日本は戦争に負けて、アメリカ軍がやってきたら、それを
さらに8時間労働にしてしまった。
アメリカの民主主義と力に驚いたものだ・・・という話。
それが、世界の人々がしてきた労働時間短縮の成果なんだ!!

でも、自分たちで勝ち取った時間ではないからこそ、
たやすく日本は、こうして今、
労働時間さえ、すべて経営者側に決められる時代に
なってしまうのだろうか?
・・・・・未来に生きる子どもたちに、
このこともちゃんと教えたいと思う日々です。



May



5・31
真夏のように暑い日々。
最近は土日ごとに片づけをしている。
事態は緊急性を十年以上前から帯びていたのですが、・・・
洋服の衣替えの時のじたばたで何とか過ごしてきていた。

10年ぐらい前には、いままでのVTRビデオを一部屋分処理した。
推定5000本近い本数だったかもしれない。
本とVTRで一部屋を占領していた。
会の代表の白井さんからのVTRを受け継いだものと
それぞれ夫婦別で集めたVTR全部だから・・・
それを、主な物をDVDに入力し直して処分したのだから、
とても恐ろしいほどの労力でした。

でも、まだ、数百本は残っていたのを、
最近片づけている。
娘たちの部屋も私たちの本とVTRで占領していたのを、
少しずつゆずって、空間を明け渡している感じ。

博物館も含めて、授業のために集めた
ガラクタのような教具は・・・
人から見ると、ごみか、ガラクタでも、
私から見ると正倉院の宝物なみの、生命線の品々。

だから、整理整頓など、とても、できなくて、
片づけしなければ・・・という強迫観念で
いつもストレスだった、・・・
今話題の近藤麻理恵さんこと、こんまりさん
書店で立ち読みしてたら、とても納得できて、
思わず2冊買いました。

よく読んで、私なりにとても勉強になったこと。
今の消費社会、誰の家でも、物があふれている。
物が多すぎるから、管理できなくて、探し物でイライラする。
(実際、片づけを考えるようになったのは、
 探し物で数時間かかって、疲労困憊するようになったから。
 以前は、直前の行動を思い出せば、すぐに解決できたのに、
 今は、メガネをどこに置いたかで、30分探し回る・・・つらいです)

まずは、物を減らすこと。
でも、人間って、物に対する執着がすごいから
捨てると考えると、…いつまでも迷い捨てられない。

こんまりさんのいいところは、
とにかく肯定してくれること、ほめてくれること、励ましてくれること、
本の中でもそうなのです。
捨てる物ではなく残す物について
自分が基準、自分が一生持ち続けたいくらい好きな物、
これを、ときめきと彼女は言っている。

そして、他人から見て、ばかばかしいものでも、
「ときめき」を感じる物は堂々と残して、
 そして、大切に、自分のために使えばいい。

ほとんど、自己肯定・自己確認の作業が、
片づけと教えてくれる。
あと単純にとても気分が上がったのが、
衣類をたたんで、それを色のグラーデーションに並べること
そうしたら、なんと私のセーターの色で、虹色が作れてしまった。
引出しをあけるたびにきれいで、うれしくなってしまう。
私が、こんなに片づけを楽しく感じるなんて、ウソみたいです。

暇だから片づけをしているのではなく、
探し物に疲れ果てて、生活を整理、変えようとしているのであります。
でも、楽しくできるなら、これはうれしいこと。
教材教具の整理も少しずつやっています




5・29
昨日、女の子から、驚きの発言。
ノートに生糸を貼ろう・・・と指示したところ、
汚くて貼れないと言うのだ。
虫が嫌い、生糸もさわれない、
・・・そういう子は
今までいて、それはわかっていたのだが、
理由を聞くと
「蚕が口からはいた糸だから、先生、汚い。
 水で洗ってもいい?」
私「う~~~ん」
世界一高級な糸が、絹糸であること
蚕が一生をかけて体を守るために、何km分もの糸を吐いたこと、
我が家で昨年手塩にかけて育てた蚕のまゆだということ・・・
など縷々説明したが、
「いやいや、絶対汚い」と譲らない。
それでも、教師の権限を使って、
ノートに貼りなさいと言って
強引に貼らせたものの・・・・・
年々、清潔志向がエスカレートする今の子どもたちに、
いろいろ教えていくのはとても大変だと思う。
(この地区がコンクリートジャングルのせい)

だから、すぐ、ちょっとフケが髪の毛にある子は汚いとか、
匂いがする子は嫌だとか、
・・・価値観や物の見方にまで影響するから
ほんとうに、極端な清潔志向は??????疑問がいっぱい。
ファブリーズや除菌グッズや・・・CMが、強力すぎます。




5・26


昨日から、蚕のまゆからの生糸取りの実習をしています。
ほんとうに大変。
なぜかというと、海岸沿いの埋め立て地区の学校なので、
子どもたちの生活には、虫一匹いないせいで、
授業中、窓から小さな小さなハエが入って来ただけで、
授業が中断、大さわぎです。
男子の中にも、セミやトンボは気持ち悪くて大嫌いという子も多数。
ですから、蚕のまゆを見るのさえダメだという男子が、
クラスに1名はいます。
まゆを触れないし、生糸もさわれない。
見るのも気持ち悪くなるからダメと言って、
作業用の!F教室の外のコンクリートのたたきに行ってしまう。

でも、他の子たちは、例外なく、キャーキャーどころか
悲鳴をあげながらも、1時間糸取りを続けると、
慣れてきて「案外かわいいかも」と言っていました。
そして、この会話、
「先生、きれいな糸でしょ、私が取ったんだよ」
「これでいくらする?」

おかしいですね、シルクだから、売れると思っている。
「あゝ野麦峠」の映画の糸審査を思い出します。

「あゝ野麦峠」が市販されて、ほんとうに幸せです。
原版が市販されたので、とてもよく時代状況がわかります。
今回は、編集したのですが、
あらたに、工女たちが、賃金について交渉したいと話し合うところと、
横浜との電信で相場を確認して、輸出する場面と、
権益擁護のため、日露戦争やむなしと、
生糸輸出業者の演説会で、全会一致する場面も入れて、
見てもらうことにしました。

画面もとても美しいし・・・・大満足です。




5・24
今日はもうすでに月末・・・。
先週体育祭で、雨天順延だったりして、
多忙な毎日でした。

クラスの子どもたちは、
私のちょっとおせっかい心をどう始末しようかと思うくらい、
自分たちで、それなりに練習し、それなりに学級旗を作り、
私がもっとこうしたらと言いかけると、
全然相手にされなくて、
…先生、もうすでに考えてやってますよ・・・
…淡々と、楽しんで、体育祭を終えました。
他のクラスの先生に言わせると、
闘争心が湧かないのは、文科系部活の子がほとんどで、
自分たちの舞台は、合唱祭だと思ってるのでしょう・・・とのことでした。

でも、楽しそうだから、・・・よかったかな?

今、ようやく自由民権運動まで超スピードで終えました。
これから植民地の獲得合戦に進むのですが、
この学年には、韓国籍と、中国籍の男の子が、
一人ずついます。
だから、細心の注意をして、
堂々と、バランスのとれた授業をするつもり。

早速征韓論でしたが、
日本では英雄の西郷隆盛が、
征韓論を強硬に唱えたとして、
韓国では違う目で見られている・・・と話してあります。
彼らが居心地が悪くならないように、
かわいそうな国と、同情だけをされることのないように・・・
がんばってやろうと思っています。



5・10
今、家での仕事の大部分を
若い人のためのプリントの複製や
DVDのダビングに時間を使っている。
スーパーウルトラおせっかい・・・というあだ名を
久津見さんから頂いたが、

とにかく喜んでもらえるのが、何でもうれしいのが私でござる。

そして、今回、2~3年ぶりか・・・
クマゴロ―先生の話を更新しました。
ぜひお読みください。

クマゴロ―先生、
長い間お待たせして、ほんとにごめんなさい。
読者の方は、きっと待ってたと思います。
最初のトップページも更新しようと思いますが、
少しずつです。


5・9
いよいよ体育祭の練習が始まった。
私のクラスは、闘争心がなくて、ほんわか。
とにかくクラス数が多いので、
真ん中ならば、まあいいかもという調子。
私も他人事だから、もっと頑張ればいいと思うけれど、
私自身だったら、はっぱをかけられたら、
ちょっと嫌かなと、
がんばれという言葉も及び腰。

一番燃えているのは、学級旗かもしれない。
でも、それも優秀賞をねらうというよりも、
和気あいあいと楽しむことにエネルギーを注いでいる。

うん、学級旗に載せる言葉も
私の名前をとって
「○○ちゃん Family 」だそうで
これは、笑いをとりたいにしても、・・・・
ま、家族のようにリラックスしてるからなのかもしれない・・・。

年を取ってきて、
男性のベテランの先生が、○○ちゃんと呼ばれ、
まるで、愛称のようだとか、思っていたが、

自分がその立場になると・・・う~~~ん・・・
人畜無害になったということか、
ちゃんとよばれるようになったら、もう、おわり。
ほんとの おばあちゃんだね・・・と
またまた、覚悟を決めるしかないです。

以前も書いたが、
20代でおばさん、
30代でおばあちゃん、
40代で妖怪ババア・・・
10歳も20歳もその名称から先に呼ばれて、
覚悟をしてきたが、もう、最後でしょう・・・。

人畜無害と思われても、
がんばろうなと思います。




April



4・30
クラスの子どもたちの変化に、
最近気づいて
驚くことがある。
一番変わったのが、
女子を避け、いつも
女子がひどいことをしてきたと
つぶやいていた男の子。
給食の時には、女子と冗談を言っている。
そして、この間の学活の時には、
自分の意見を手をあげて言っていた。
以前は「どうせ、意見なんて、言ったって無駄さ」
・・・そんなふうだったのに
最近、よく話しかけること、私にも・・・。
とてもうれしいし、ビックリしながら応答している。

ちょっと斜に構えていた子たちも、
男子が、よくしゃべることしゃべること。
私をいじったり、批判したり、指導しようとしたり・・・
そのたびに、はいはい、わかりましたとか、・・・
ありがとう、さすがだね・・・と適当に
相槌を打っているが、
自分をどんどん出していっているのがわかる。
女子も・・・。
よくしゃべるようになった子がたくさん。
この間は、委員会の副委員長に立候補して、
ほんとうにたまげてしまった。
大丈夫?内申のため?それにしても大胆!!!と驚く。
育てるのが私の仕事だから、
すべて、こういうのは良しとしています。


4・29
もしも坂本龍馬なら・・・という問いで、
子どもたちに予想を書かせた。
「外国が日本にやってきて、貿易をしようと言っている。
 インドのように、中国のように、ならないようにするためには
 どうするか?」

普通の授業(黒板だけの)なら、
・開国する
・外国の文化を取り入れる
たいていそれだけしか想像力が働かないだろう。

でも、産業革命の実習を入れ、
(機織り、飛び杼や力織機の模型実習)
インドの植民地化をていねいに扱い
(映画ガンジーを見せる)
中国のアヘン戦争を学ぶと
(アヘンの恐さをプリントで読む)
・・・・・・・・

鎖国を続ける・・・そう書く子が三分の一いる。
そして、子どもたちの意見の中から、
富国強兵、殖産興業、不平等条約の改正・・・そういう内容が、
次々と出てくる。
時代の状況が、具体的にわかれば、
幕末から明治の内容が、
「理解できる」

ずっと、教師生活、
「わかる」ことにこだわってきた。
だからこそうれしい。
それに、時間がかかるが、その分だけ、
第二次大戦まで、ずっと通して理解できる。

今年もこう書いていた子がいて、
確かに彼は歴史オタクですが、
やっぱりすごい、中学生って・・・と思わせられた。

彼の答えは次の通り。
「中国も被害を受けているだろうから、しかも人口が多いから、
 同盟などを中国と結び、もしもの時に備えて、
 反アヘン、植民地貿易協定でも結び、
 戦争はなるべくせず、
 ただ、そっちがおどかすならこっちにも考えがあるぞ
 というようなものを作ればいいと思う。
 そうすれば、今でも中国は日本に嫌がらせなどをせず、
 今でも仲の良い国だったと思う」

反アヘン協定、植民地同士が同盟をする・・・
この名前が、とても気に入った。
実際にそう考えた、当時の思想家もいた。
(誰だったか、忘れてしまったが・・・エ~~~と、誰だっけ?)

これから、近代史に入っていくのだが、
学年には、中国の子どもも、韓国の子どももいて、
とてもがんばっている。日本語ペラペラだ。
日本が近隣諸国となかよくしないと、
その子どもたちを傷つけることになるのに、・・・
政治はわかっているだろうか?



4・27
この間、とてもおもしろいことがあった。
昨年の夏以来、
フランスから帰ってきてから
なるべくクラスの子どもたちを
どならないように気をつけていた。
そんなにどなる必要があることは
危険な時くらいしかないはず・・・。

半年たって、
子どもたちの個性が際立ってきている。
リラックスして、ホンネで
教室では過ごしているようす。

そんな中、学級旗作りを始めた。
今までなら、図案を全員に描かせて、
その中から、みんなで選ぶ・・・そんなふうにしてきたが、
ふと思いつきで、
3年だから、班ごとにアイディアを出してもらって、
それを、絵の得意な子に描いてもらって、・・・と考えた。

そして、学級旗作りの、まず原案作りから始めたのだが、
その話し合いが、えんえんと、
1時間半・・・。
班ごとの図案の採決をしたものの、
裏はどうするのか、
・・・そこから、異論噴出
「採決で二番目に多かった図案にしたら」
「いや、表と全然違う雰囲気にしたい」
「じゃあ、どんな雰囲気にするかを意見を出し合おう」
「ポップな感じかな?」
「いや、カッコイイ系が良い」
「いや、先生の顔を入れるかどうかも決めたい」
「それより、学級旗を作る人たちが原案を作ったらどうか」
「でも、一部の人に任せるのは嫌だ。せっかくだから、
 全員で話し合って決めたい」
「全員でって言ったら、
 いろんな意見が出てきて、
 今みたいに決まらないと思う」
「まず、背景の色から決めたら?、
 布を染めて、黒か紺に染めるとか」
「もう一枚布を買ってきた方がいいんじゃないか」
「やっぱり話し合いが脱線してるから
 最初に戻って、どんな雰囲気にするかから行こうよ」
「これだけで、1時間の半分を使ってしまってるから、
 やっぱり、原案を作ってもらう方が能率が良いよ」
・・・・・・・・・・・・・・
ケンケンガクガク・・・・
とても驚いたのは、2年の始めは
女子を嫌って話をせず、
いつも・・・授業中さえ私の注意を無視して
本を読んでいた男の子が、
手をあげて、発言したこと!!
いつも授業中、睡眠王子というぐらい
よく寝ている男の子が
これも手をあげて発言したこと。
それも、みんなが紛糾している時に、
大声で、こうした方がいいと主張したこと。
ビックリ、たまげた!!!

でも、見ている方の私は、楽しかった。
ずっと先生笑ってるじゃん・・・と言われたけれど、
こんなに面白い討論があるだろうか。
学級旗の原案をどう作るかで、
こんなに36人が熱くなって、意見を言い合い、
簡単に納得せず、自分が良いと思うものを
主張したい、譲らない・・・しかも友達の意見を聞いて反論する。

どの意見も、「早く決めたい」、
しかも「みんなの意見を生かして案を作りたい」
それも「みんなが納得するようにして」
そんなことを考えて熱く話し合うって
始めて見る場面、私はかなり感動していました。
地方選挙の投票率は最低だったけれど、
この教室の中では、究極の民主主義があったんですね。

先週、こうだったのに、
まだ、みんな、ああでもないと、休み時間に話し合って、
原案を作っています。

お母さんたちが報告してくれましたが、
1時間討論して帰った日には
ある男子は、とうとうと、討論の経過を説明して
みんなすごかったんだと言った後、
学校は、楽しいと・・・言ったんだそうです。
それも2人、同じことを言っていたそうです。
一方、じれったくて、イライラしていた女の子も
お母さん相手に、こうなって、こうで
・・・・といちいち説明して
先生は、脱線した人の意見がすばらしいと言ってるんだから、・・・
と憤慨して、・・・そして、ぷんぷんしたあと、ベッドに入ったとか、・・・
それから、そうそう、
話し合いの報告をしたあと、上に書いた男子二人は、
疲れた~~~~と言って、
いつもより早めに寝てしまったとか。
すごいエネルギーの使いようです

すごく愉快で、おもしろくてたまりません。
だから、中学生は大好き。
中学校は、情熱大陸ですね。




4・26
仁について、もう一つ。
子どもたちと、何度も見ていると、
そのドラマの内容だけではなく、
セリフの深読みまでしてしまう。

今日は選挙だけれど、
行っても、変わる気がしない。
こんな状態で、どうやって子どもたちに
政治の未来を語れるだろうと思ってしまう。

戦争について、語ることなく、
戦争をもできる法案が
国会で審議されている。
暗い気持ちにならないはずがない。

投げやりな気持ち、未来に希望が抱けない気持ち、
でも、それは、ほんとうに、
今これからを生きようとする子どもたちに
失礼だと思う。
時代を選んで生まれてくることができないから。

仁を何度も何度も、
(クラス数が多いので、繰り返し見ることになる)
子どもたちと見ていると、
主人公南方先生の問いが、
私にも刺さってくる。
江戸時代にタイムスリップした南方仁は
「この時代に僕はいても意味のない人間ではないか、
 死んだ方がいいのではないか、
 死ねば、現代に戻れるのではないか」
そう、自問自答する。
江戸時代の人々は親切なのに、
自分はたった一人だ・・と感じる疎外感。

これって、思春期、そして、大人でも感じる孤独。
「僕なんて、いなくたって、
 世の中、何にも変わらない。
 僕なんて必要ないんじゃないか」
その問いが、とても普遍的。

それに対して、ドラマでは、こう答えが見つかる。
江戸時代の人々は、時代の制約の中で、
懸命に生きている。
その様子を見て南方先生は考える。
精一杯生きていこうと・・・。
「人間は、歴史の大きな流れの中で、
 精一杯生きていくことしかできないのだから」

マンデラも、ガンジーも
もっとも偉大なことは、希望を捨てなかったことかもしれない。
希望を失うと、人は生きていけないと聞いたことがある。
そんな生物は、人間しかいない。
だから、私も希望を語るようにしたいと思う。

小さなことにとらわれず、鳥の目で・・・。




4・25
うれしいことが二つ。
週2時間しか、歴史の授業ができないので、
進むのがおそくて困っているが、
それでも、「仁」を見せた。
幕末の攘夷がはびこる江戸や大阪の町、
その当時の雰囲気がよくわかり、
しかも、人々が、
一生懸命生きていることが
よくわかる。

驚くことが起きた。
1時間の授業で、一回もしゃべらない
・・・そんなの無理!!!という男の子、
しじゅう、しゃべってしまうか、
寝ているかの男の子が、
一言も発せずに、DVDを見ていた。
もう一人、社会の授業で、
どんなにしても眠ってしまう男の子、
この子も、一睡もしなかった・・・・ありえない。
でも、三年生には、それくらい魅力的かも・・・。
綾瀬はるか効果です。

教育相談部会に、校長と教頭、
2人も出席して、情報交換が・・・・。
昨年度の課題が、一つ一つ解決していっている。
子どもたちにも、若い先生たちにも、
目に見える形で、学校の組織が変わっていることが
わかってくれるだろうか。
何しろ、不安定な子どもたちに関わる先生たちが、
和気あいあいと助け合い、
情報を伝え合っている・・・
これが本来の学校の姿ではないでしょうか。
利害だけではないはずだと思っていたのが、
ようやく通じてくれたかな・・・うれしいです。




4・20
1週間も空いてしまった。
このペースでは
授業も子どもたちのようすも伝えられないと、
反省する。

今、一番エネルギーを注いでいるのが、
不登校の子どもたち、学校全体の
安定したシステムと連携作り。
それが、なかなか難しい。
不登校の子どもを抱えるクラスの担任と、
そうではないクラスの担任の温度差。
毎日のことだから、
神経も使うところだから、
過重労働も、全然違う。
でも、助け合って、サポートしあって
という職場を作らなければと奔走している。

でも、職員会議で、あまりに無理解な意見が突然出る。
30分近くも紛糾して、
心底疲れる。
でも、話を聞いてくれる同僚がいて、
数時間すれば、夕食も食べて、
そして寝れば、あれだけ神経がとがっていたのも
安らぐというものだ。

若い頃よりも、同僚同士助け合えるように、
私がなれたことが、私自身の成長だとつくづく思っている。
唯我独尊ではないのです。(本来の意味は違うのですが・・・)
また、明日・・・。




4・12
明日から授業。
最初は2年生の鉄づくりの
生徒たちが撮ったフィルムを見る。
12時間以上のテープを
30分に編集するのだから、
艱難辛苦でした。

でも、二回の鉄づくりの違い、
うまくいかなかった時と、
うまくいった時の細かい違いが分かった。

とにかく、
最後の炉の解体のところは、
何度見ても見ものです。

明日、子どもたちは、笑いながら、
楽しみながら、見てくれるだろう。
でも、たくさん文句も出るだろう。
私が、僕が映したのが出ていないと・・・
中学生カメラマンは
プロでないからダメなんです。
カメラマンが変なこと、
ちょっとした悪口や汚い言葉や
禁句をしゃべっているんですもの・・・
カットカットでした。




4・10
3学期の最後に書いてもらった、
授業の感想の中に、こういうラブレターをもらいました。
「どんなに疲れている時でも、楽しみにしています。
 どんな授業でも楽しいので、歴史は好きです。
 3年生になった時も、楽しい授業を楽しみにしています。」
かざらない言葉で、普通に書いてくれたつもりでしょうが、
何気ない男の子の、この言葉、
ほんとうにありがたいと思います。

来週から授業が始まります。
鉄づくりの写真全部で、数百枚を整理し、
12時間以上撮影してあるビデオを編集して、
授業に備えます。
手間がかかって大変だけれど、
あんなことを書かれてしまったら、
手を抜くわけにはいきません。
どうやって笑顔を生み出そうか。

お母さんが作る料理に似ています。
子どもたちのためにおいしいものを、・・・
私も生徒たちのために、
おいしくて楽しい授業を・・・・。
愛情料理です。


4・7
今日からようやく子どもたちが
やってきた。
この地域は、始まるのが7日からです。
とても遅いです。

でも、始業式の彼らは
なんとなくおもしろかった。
担任発表の時、
3年生の先生たちが発表されると
壇上にいる私たちを見ながら
安堵のうふふという
なごやかな笑い声
以前の学校などで経験した
キャーの歓声もにぎやかなざわめきも無い。
たぶん、学年の先生たちに
かわいがられていることが、
よくわかっているせいだろうと思う。

一昨日は一睡もできなかった。
職員会議で私が
提案する予定の内容が、気になり、
興奮して寝付けなかった。
こんなことは初めて。

昨年は辞表を書いて、引出しにしまっていたくらい、
ことしは、こんなありさま。
おとなを動かすのはとてもむずかしい。
でも、私の真意は
子どもたちのため、・・と
生き生きと協力し合って働きたいということ。
そのお手本としてのベテランの役目だと思い
引き受けた分掌だった。
でも、一応真意はみんなに伝わったと思う。

ひとつひとつ、実現させていくように・・・。
何しろ、1月から少しずつ、種をまき、
行動して、ここまで来たのだから、
今後もがんばるしかない。
何のことかわからないでしょうけれど、
いずれ、少しずつ書いていきます。



4・1
今日から新年度。
また新しいスタート。
今年は三年生担任。
張り切っていきましょう。

スタートは「仁」から。
おもしろいことに気づきました。

入国税関審査の紙にこう書いてあります。
「日本への持ち込みが禁止されている物
 ①麻薬、向精神薬、大麻、あへん、覚せい剤、MDMAなど
 ②拳銃等の銃砲、コレラの鉄砲弾や拳銃部品
 ③爆発物、・・・・・と続き、
 ・・・・・・
 ⑤わいせつ雑誌、わいせつDVD、児童ポルノなど
 ⑥偽ブランド品、海賊版などの知的財産侵害物品」

まさか、アヘンと言う言葉が出てくるとは思いも書けませんでした。
それから、わいせつ物に関する違憲訴訟がありましたし、
偽ブランド品などの知的財産権についても触れてあり、
この紙自体が、授業内容に、とても役に立ちます。

あへんとはおもしろい。
アヘン戦争から、日米修好通商条約から・・・
貿易の重要事項なんですね。

子どもたちの意見をまとめた時にも、
必ずアヘンを持ち込ませないと書いてくれるので、
そこから授業がスタートできます。

桜が満開、
一番忙しい学校のスタート。
新しい職員メンバーもそろって、
さて、どうやって、楽しい学校にしていくか、
がんばろうと思っています。




2015

人間の歴史の授業を創る会

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    鶴ヶ曽根824-7
       川上泉 方

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