2017・2学期
December
12・31
今年も楽しい授業がたくさんできました。
感謝、子どもたちにありがとうです。
三年生の感想の中で、
マイケルジャクソンが
以前から好きだったけれど、
授業で授業で勉強して、
彼の行動を知り、感動した。
週に二日は、ヒール・ザ・ワールドを
聞いて勉強してます。
というのがありました。
子どもたちの、心を勇気づける
そのことに、社会の勉強が役立つとしたら
こんなにうれしいことは無い。
三年生には、フランス土産として、
クラッカーに栗のクリーム(ジャム)を付けて、
ごちそうしました。
新年明けると、ノロウィルスとか
受験にかかわると大変なので・・・。
二年生との最後の授業は、
お得意の火縄銃の授業。
ドキッとさせて大好評。
この火縄銃ですが、
全て連れあい様のおかげです。
感想にもありました。
先生のだんなさんのすごさに驚いた・・・。
いわれがすごいんです。
天草へのフィールドワークの帰り、
つれあいさんが、ふと、
大型ごみの場所を見たら
そこに二つ折りになっていた廃棄された!!
火縄銃らしき現物。
私が知ったのは、東京に帰ってから
それを、一つに伸ばし、
周りの木製の部分を年代物のように見せかけ、
金具まで全部作った物を見てから。
すごい!天才!!あっぱれ!!
この火縄銃復元物に、すごく助けてもらっています。
そのいわれの解説の前に、中学生には
これ、本物だからと言って、
火薬(花火をほぐしたもの)を入れ、
パチンコ玉を入れて、棒で突き、
水平にして火皿にもう一度火薬を置き、
火縄にライターで火をつけると、
ねらいを定め・・・これは、一番後ろと見せかけて
天井に向け、・・・・引き金を引く。
子どもたちはのけぞって、耳をふさぎ
体を丸めて「ええ~~~!!」
この火縄の焦げ臭いにおいが、
子どもたちをビビらせるのです。
最後は私が、口でドカーンと言う。
「撃てるのを持っていたら、
銃刀法違反だからね」
「なあんだ!残念」
そうして、持ちたい子には持たせてあげました。
今回は火縄銃の先生にうかがった通り、
確認してみると、うしろのねじが
外れることもわかったので、
ぜひ、1月に見せてあげます。
ねじが外れないと、火縄銃は火薬がつまり、
暴発の恐れがあって、ダメなのだそうです。
毎回撃った後、水で掃除をするそうです。
こうして長篠の合戦も
三段式なのかどうか想像して終わり。
楽しい授業になって、よかったです。
12・30
授業の感想を書いてもらっていて、
いくつか気づいたことがあります。
今回は、とにかく転校生がいることがわかり、
少しでも進度を他の学校に近づけようと
焦って授業を進めたために、
他の子たちから、
黒板書くのが速い、
あっという間にどんどん説明が進んでいた・・、
と、数人から批判の声が載っていました。
ああ、鋭いとこ突かれたなあ・・・とドキッ
ホントにそこは、よくわかっていて、
指摘が鋭すぎて、賢いなあと思います。
もう一つは、ほとんど全員が、
なになにがわかった、何々がわかった・・
という感想をことごとく書いていたこと。
ふむふむ、歴史の授業で、
わかったと書いてくれる授業なんて、
あるかな?
わからない・・・それなら、自分で
もう一度教科書を読め! 資料集も見て・・!
そう答えるのが落ちでしょう?
社会科の教師って、顔を合わせれば、
進度のことを言うけれど、
教科書通りやっていたって、
つまり、説明だけをしていたって
終わるのがやっとなのだから、
体験とか、資料の読み込みとか、
視聴覚教材を見せたりしてたら、
100%時間が足りなくなるのが当然。
あたりまえのことなんです。
だから、中学校の教師は
99%?、体験や視聴覚教材や
わかるための努力はしない。
言い訳もたくさんあるし、
終わらなかったら大変だから。
それでも、戦後史はほとんどやらないのにです。
だから、おもしろい授業、
わかる授業をしようと思うと
マクロ的な視野
・・・大きく時代を捉える・・・と、
骨格が必要なんですね。
それに情熱と、覚悟。
そうじゃないと、社会科、特に歴史で
わかったと言ってもらえるような授業は
できないと痛感しています。
わかったと言えない、つまり、
わからない社会科の授業なんて、
それもわからないでいながら、
覚えなくちゃいけない社会科の授業って
価値があるのかな?
ちょっと、過激に書いてみました。
12・29
今、アメリカにいます。
南部アトランタとモンゴメリー。
公民権運動のあとを、
一人で訪ねています。
昨年の夏に南アフリカ、
それより2年前にインド、
そして、夏と冬にアメリカ。
マンデラとガンジーと
キング牧師、
決めていたわけではないけれど、
結果的に非暴力の活動をした
それぞれの足跡をたどれました。
授業でぜひ生かしたい。
子どもたちに世界を見てと伝えたい。
小学校を教えていた時の教え子が、
ネパールに旅をして、お嫁さんを
旅先で見つけ、そのお嫁さんの故郷、
宮崎県で農業をしているらしい。
そうやって、未来を切り開いている
子どもたちを育てて、
彼らの幸せの役に立つならうれしいなあ、
来年もがんばりましょう。
12・23
学期が終わりました。
2学期いろいろあったなあ。
モンゴルから来ている男の子が、
三者面談で4月までしかいられないことがわかった。
寂しいです。
固まっちゃう女の子が、
涙も、固まることもなくなったけれど、
でも、授業はあんまり出ていない。
それでも、はっきり自分の言いたいことは
しゃべれるようになった。どうなるか、予測がつかない。
もう一人の自分を傷つけがちな女の子は
そういうことはしなくなったけれど、
スマホにはまっているらしく、
毎日、昼頃登校。
でも、拒食症を防ぐために給食は
必ず食べさせてます。
表情は明るくなって、楽しそう・・・これは安心。
三者面談で驚いたのは
何人も、親子喧嘩が始まったこと。
私は、何か悩みや嫌なことがあって、
学校に来たくなくて遅刻が増えたのかと心配していたら、
二人の子たちが、深夜のユーチューブだった。
夜中まで布団の中で見ている子もいれば、(徹夜組も)
朝5時に起きてみている子も・・・。
やっとわかりました。
授業中みんな、寝ている子たちは
ユーチューブに、捕らわれているんですね。
三年前には無かった現象、
ユーチューブがまだ流行っていなかったし・・。
親と教師と学校は、
パソコンやスマホやユーチューブやゲームと
戦わなくちゃいけないんですね。
これは大変です。!!!
12・12
今二年生はルネサンスから大航海時代へ、
三年生は、冤罪から死刑制度へ
どちらも、私の大好きな授業のテーマです。
ルネサンスでは、ビーナス誕生の絵について
黒板の半分大にした絵を貼り、
とうとうとその美しさについて語る・・・。
ダビデ像を見た時の戸惑いと素晴らしさを語る。
ダビデ像というのは、本当に困った彫刻で、
近くに行ってみようとすると、男性の局部しか見えない・・・
世界中の人々が、見に来ていて、困惑しています
それが、また、少し愉快・・・。
子どもたちはこういう話に刺激を受けて、
世界へ飛び立ってくれるでしょう。
冤罪についてはていねいに、今までの例の話を出します。
鹿児島の選挙違反の志布志事件の再現ドラマを見せたり、
NHKの番組で、情報番組の中で、なぜ冤罪が起きるのかを
ていねいに見せたりしています。
漫画「モリのアサガオ」からも・・・。
そして民主党政権時代に唯一公開した
死刑執行の現場についてのクローズアップ現代の番組も。
本当は免田栄さんのドキュメンタリーを見てもらいたいけれど、
中学生には、それは難しいように思うから、
私が見て・・・思いを馳せる。
それでも、手ごたえは、それぞれ強く感じます。
心に強く残って、これからたくさん考えてくれると
いいなと思います。
トランプ大統領の
エルサレム首都の話、
あまりにも世界をなめている、
世界の人々を侮辱して、おとしめてもいいという態度が
この時代に、あまりに、人々を苦しめている。
共感への想像ができない、
そして、損得だけが計算できる「賢さ」?
これって許されることだろうか?
これから世界は、ますます
人類破滅へと向かうのだろうか?
一方で、ノーベル平和賞での被爆者の演説があり、
一方で、アメリカ大統領によるイスラム教徒への挑発行為がある。
私には、広河隆一さんが撮った
パレスチナの子どもたちの絵本が
忘れられない!!
12・11
先月の末、自由の森学園の
公開研究会に行ってきました。
若い先生たちの授業を見て、
感想を言い、資料と詳しいアドバイスを
郵便で送りました。
自由の森学園の子どもたちは、
のびのびと過ごしています。
教師から諭されることはあっても、
怒鳴られたり、一方的に叱られることは無い。
そこは、日本の学校としては
ほとんど唯一の空間でしょう。
うらやましくもあるし、
厳しさも感じます。
生徒というより、子どもたちにも
敬意を払う必要があるのですから。
でも、授業がとても面白かったことは確かです。
学校が始まった頃のことを思い出すと
壮大な実験として始まり、
30年の歴史を乗り越えてきた、それは、
とても日本の教育にとって、
将来も稀有な可能性のある場所に
なっているのではないでしょうか?
12 ・4
一か月もさぼってしまうなんて、・・・。
忙しく過ごしています。
今は学期末のテストも終わり、
採点成績準備です。
二年生の授業はルネサンス・大航海時代へ
三年生の授業は死刑制度、冤罪へ
楽しくもあり充実しています。
もう一つ
3年前の二年生の時は
たたら製鉄を、実習していました。
私の人生で4回目、と5回目。
つまり、12月に1週間開けずに
2回の実習!!!
あり得ないくらい大変だったけど、
本当に充実して、とてもたくさんのことがわかりました。
学校で鉄を作る実習も、相当自信がついて、
若い人たちが教えてほしければ、
教えてあげられます。
とてもなつかしい。
体力的に前回が限界だったので、
もう挑戦しませんが、
そのかわり、今年はくぎからナイフを実習します。
鍛冶です。
これは、6年ぶりかな?
がんばるぞ~~~!
November
11・12
合唱祭の練習も
とても疲れました。
中国語の先生に聞くと、
台湾でも合唱部はあるらしいが
コンクールは無いようです。
一番の難題は、男子の声変わり。
そのせいで、男子はやる気が無いことが多い。
声が出ない、パートが主旋律ではない、
そう言った不満やふざけが中心になってしまって・・・。
でも、今年の子どもたちは
どちらかというと、男子の方が、歌が好きでした。
一番の問題は、クラスとしては、
明るく元気なせいかもしれません。
全部行進曲ふうに、
節を取って首を振りながらリズムを取って歌っている。
課題曲は、昔を振り返りながらも、
未来への希望を、風のように歌うはず。
自由曲は、昔の初恋の思い出を、
胸キュンに思い出しながら歌う曲。
時の旅人と、青いベンチの曲です。
それなのに元気がいい。
元気がいいとどんどん歌うのが早くなって
余計にとても失恋の唄とは思えない。
ここが担任としての苦労どころでした
11・9
クラスの活発な子どもたちに遠慮して、
一緒に行動してしまう子たちもいる・・・、
では、どのくらいの子たちがいるのかと、
丹念に、半分くらいの子たちに聞いて回りました。
でも、もう、大人になっている子もいて、
一緒に、うつ伏せになってた?と聞くと
「ううん」
なんで?
「別に、私は関係ないから」
「私は、その間、本を読んでいたから」
マイペースで、自己の確立ができ始めている印ですね。
「まずいんじゃないかと思っていたから」
三者三様でありつつ、
同調しなかった子たち、何人もいて、
それはそれで、頼もしく、自信がある表情をしていました。
一方、同調圧力をかけた方、
みんなに命令したと思われている方の
メンバーを呼び出してみると、
一軍二軍という話があるよ、
上と下っていう話・・・。
その話に、目をまん丸くして、心底驚いた子もいれば、
えっと、息をのみ、
その後「えっ!おれが上?」と爆笑。
涙を流して笑いすぎ、…私にたしなめられる始末。
あるいは、
「ぼくは女子に怖がられてるって言われた。
いつも暴言をはいてるせいだなあと思った」
それだけでなく、
「こんな性格を直したいと思っている。
もっと前から直せてたらいいのに・・・」
私もこの言葉に仰天、わかってるじゃない。
それらの話を、全部ほとんど、誰が言ったかは
ぼかしながら、全部クラス全員に、打ち明けてしまいました。
クラスの子たちは、笑いながら聞いていたし、
感想を書いてもらうと、
「上も下もないんだなと安心した」
…そう感じていた子は、安心したらしく、
担任としては、やっと落ち着くところに落ち着いた感じがしました。
そのあとは、合唱祭の練習へと怒涛の毎日でした。
それは今度に。
11・7
ネットでもよく、一軍二軍という
言い方などは出ているようですが、
私の学生時代には考えもつかない表現。
さて、同調圧力に流される自分を
自覚していた一方で、
でも、悪いことをしちゃったのかなあという彼女彼ら。
じゃあ、活発な子たちは、どう思っているのか、
いったい、なにが、どう、
それで、みんなうつ伏せになっていたのか、
中心人物と自分から名乗った女の子に
聞いて見ました。
聞いて見ると、
なんと、あっけなく、ばかばかしいことだったか、
実は大笑いです。
まず最初は、私のパソコン準備の間、
周りの何人かで、その女の子を、じっと見て
ちょっとからかう、そんな雰囲気だったそうです。
だから、その子は「じっと見ないで!
下を向いて寝てろ!」と、周りの子たちに
大きな声で言ったそう、
それが、伝言ゲームのように伝わり、
でも、おもしろいゲームと思った子もいたり、
You tuveの動画でそんな様子を前に見た子は、
先生に仕掛けたドッキリとして、反応したとか・・・。
拍子抜けして、先生への「イジリ」だったのか
と思う一方、
やっぱりサボタージュの意識はないんだなと確認したり、
教師への敬意という話をした翌日の
この行動のブレーキのなさに、がっくりきたり、・・・。
まだまだ、奇妙な今どきの子どもたちの
言動に、唖然とすることがいくつも出てきました。
でも、まず第一の問題は、
まずいことだと思っていても、
同調圧力に屈して、一緒に流されてしまうクラスの状態。
これでは、すぐに、いじめが広がってしまう可能性もある。
見ていても、傍観者になる・・・。
それに、クラスの構成メンバーで
平等意識が無いとしたら、それも困ったこと・・・。
そこで、上下関係があるという子どもたちには、
もし、その権力を持っていると思い込んでいる子がいたら、
その権力は、私が絶対つぶすから大丈夫と、
太鼓判を押して、安心してもらいました・・・が。 つづく
11・5
一人ひとり、聞いていきました。
まず、何もしゃべらない班長から・・・、
女子二人を別々に聞いたら、驚くことに、
話を聞いているうちに泣きじゃくる・・。
私が怖いんだそうです。怒られるって、・・・。
これに私もびっくり。
何があったのか、聞いていくと、
後ろの方から、机に寝ろって回ってきた・・・。
そのあたりの話から
女の子の目から涙がこぼれ落ちて・・・。
それってどういうつもりだったの?と聞くと、
まずいと思っていた。しちゃいけないかなと思っていた。
じゃあ、なぜ、まずいと思っているのをしちゃったの?
これの答えがびっくりです。
クラスには上の方の人がいて、
その流れには逆らえない、空気を読まないと、
仲間外れにされかねないから、やっぱり、やっちゃう…と言うんです。
この「上」という表現に私はびっくり?
えっ、上とか下とかあるのか?と思うと、
他の子たちの中には、一軍、二軍という言い方もしたし、
活発な子たちに合わせないと…という言い方もありました。
何をおびえているのか?
これって、日本人にとってもお得意の
同調圧力じゃないか!!と
聞けば聞くほどびっくり
のクラスの内情だったのです。 つづく
11・4
次の日、また、変なことがあった。
(続けて書いていますので、11・3の項を参照)
学活の授業中、パソコンとネット、テレビを接続、
その接続に5分ほどかかっていたら、
ふと振り向くと、クラスの三分の二が、
机にうつ伏せで、寝ている格好。
なんだか、騒がしかったので、うつ伏せにして静かにしていたのか?
謎の行動に私の頭は??????
いったいなんじゃこりゃ????
授業サボタージュ?、これってそういうこと?
それとも、誰かが静かにさせようと、
うつ伏せになってとでも言ったのだろうか?
訳がわからない一方、それでも、授業中に
こういうことは、意志を示しているのかと、
ちょっと、私としては怒りを抑えながら、
「いったい何をしているの?」
「合唱祭の歌の原曲を見せようとしているのに、
何を考えているの?・・・」
…それでも皆沈黙。まずそうな雰囲気。
頭ごなしに怒鳴っても・・と思って
班長立って、説明しなさいと言っても、
班長、教卓の周りに集まって話してごらんと言っても、
沈黙・・・。
これ以上話しても、空回りするだけだと、
予定通り、原曲の動画を見せてお終いにした。
昨日、先生方には、敬意をもって接しなさいと、
大切なことだよと強調したのに、
このありさまは一体何なんだ!!と思ったのですが、
聞いてみてびっくり、!!
唖然としつつ、ばかばかしくなって大笑い、
でも、深刻な問題がわかってきました。
あったんです、深刻な問題が・・・。
11 ・3
中学生たちの青春ドラマは続いていたのですが、
毎日疲れて、筆を取らず、・・・
でも、それなりに、また
私としては、勉強になったので、
何回かシリーズとして書いておきます。
まず、クラスに、問題発生!!
若い男性の先生を、
他の先生に少しそそのかされて、
パブロフとからかった。
他の先生は、どうも、もっと子どもたちとの距離を
縮めてあげようという気づかいだったらしいが、
担任としては、何と言われようと、
子どもたちの行動は容認できない。
パブロフと言われれば、パブロフの犬でしょう。
犬扱いされて、喜ぶ先生なんていない。
年長者の私に、何とか…ということで、
私のクラスのことだし、これまた他の先生から、
報告がありました。
まず、帰りの会で、
先生方には、何と言われようと、敬意を払うべきだという
前提を話した。
次に、言われた方の若い先生に、
クラスに来てもらい、そう呼ばれた時の、
不愉快さを直接語ってもらった。
子どもたちには、直接が一番。
傷つけた人がいるなら、なるべく本人に語ってもらう。
子どもたち同士なら、私が代弁して、
必ず悲しく不愉快な気持ちを伝える。
それで、感じない子はいない。
その場で、みんなの見ている前で、
心当たりがある子どもたちには、
直接先生に謝罪させた。
他の子たちが、机を移動させている最中に・・・。
一方で、おせっかいをした先生にも
ひとこと、耳打ち。
そういう意味で言ったのではないのに、・・・
と彼は言っていたけれど。
でも、犬は無いでしょう・・・。と言っておいた。
一件落着と思ったら、次の日に、
また今度は私をめぐる一件勃発。
しかし、クラスの問題がはっきりしてきた。
Octorber
10 ・23
もう、2週間近くたってしまいました。
今年も、合唱祭が11月に迫っています。
今年は課題曲が「時の旅人」
自由曲が「青いベンチ」
練習風景を見て、思ったこと。
おい、おい、この曲は行進曲か?
なぜかというと、
パート練習の時に、
パートごとに歌っていたら、
調子に乗ったメンバーが、手をつなぎながら、
首を振って、まるで元気に歌っていたから・・・
特に「青いベンチ」は、失恋を歌った、
思い出を懐かしむ、胸キュンの唄。
それなのに、おててつないで…の雰囲気?
中二のワンパク君さんたちには、ちょっと想像外か?
それ以外にも、いろいろ問題あり。
中二の二年生って、やっぱりいろいろあります。
昨年は全学年のトップで歌ったのに、何と学年優勝。
思いもかけなかったけれど、
今年はどうでしょうか??
またまた苦労しそうです。
10・8
二年生は平安時代に入りました。
その後、古代についての博物館をやるつもり。
教室を博物館にしてしまいます。
三年生は社会権が終わったところ、
生存権ではホームレス中学生、
お笑いの麒麟の田村君の話が
すでに資料集に載っているので、
紹介します。
有名な話ですが、中学生の中には、知らない子も。
ある日、お父さんが、家族全員を集めて
「解散!」と。
その後は公園生活を一か月。
雑草を食べたり、段ボールもかじってみたり・・・。
お笑いだから笑ってしまうけれど、
みじめで悲惨な話。
でも、これだけ、子どもたちに
貧しさが迫っていると教えてくれた貢献は大きい。
それも笑いとともに・・・。
平安時代では、イメージ作りに
映画「陰陽師」を
30分、見てもらう。
瓜に呪がかけられて、蛇が忍ばせられる話と
生成姫の話。
ねらいは、平安時代の人の考え方。
呪や、もののけや、鬼を信じ、恐れた話。
だからこそ、末法思想が広がり、平等院鳳凰堂が造られた。
もう一つは摂関政治のイメージ。
天皇の妃に12人も藤原氏の娘がなっている。
さぞや、娘が男の子を産むのを
待ち望んだ権力たちの争いは、熾烈だったろう。
夢枕獏の生成姫の話もさもありなん! だ。
女性が道具となっていたのは悲しい事実。
陰陽師を見ていて、一番好きな場面は
瓜が動き、蛇が出てきて、源博雅が
口を大きく開けて驚く場面と
生成姫の場面だからこそ、見てもらう。
生成姫の場面は美しくて、悲しくて、怖ろしい。
嫉妬から、鬼になるすけ姫
それでも、すけ姫の牙を受け止める博雅、
ふと、呪いが解けて、人間に戻るすけ姫。
人間の心の醜さと美しさを同時に映画で映し出す。
二年生たちも静まり返り、ひとこともなかった。
今回、また、一つの発見。
安倍晴明の口から飛び出す呪文の一つが
急急如律令
意味は、「急いで、
律令に書いてあるように処理すべし」
という命令だったらしい。
漢代の中国の文書の最後の言葉。
それが、日本に入ってきて、
文章の最後に使われていたのが、
悪魔払いのようになったらしい。
漢代といえば、2000年前の
食べ過ぎで死んだ辛追さんの時代の話。
だから、律令と言っても、
法律というイメージを持ちやすいけれど、
秦の時代も律が竹簡で残されていて、
いろいろな儀式や命令がその中に書かれている。
今の時代は法体系と占星術が一緒になることは無いが、
そうしたものが一緒だったというイメージが、
急急如律令で、一層私なりのイメージができた。
とても面白い。
10・7
不登校の子どもたちの居場所をどうするか、
頭の痛いところです。
関わる全ての人が
同じ思いなら、解決するのですが、
言葉は子どものためと言いながら、
自分のテリトリーと、
自分の利益を守るための考えが
透けて見えてしまうために、
調整は難航中、
さらに、言いたい放題状態で
私のストレスと、抱えた怒りは
マックス状態。
毎日毎日、そんなことを考えるのは
もう、いい加減たくさん!!!と思ったりします。
でも、それぞれの担任の先生たちは、
子どもたちに振り回され、
職員の対応に振り回されながらも、
一生懸命なので、
一肌脱がなくちゃという思いもします。
ああ、子どもたちの人間関係より、
大人の人間関係は、厄介で難しい
September
9・28
ここのところ、頭を悩ませているのが、
学校全体の不登校の子どもたちの状況です。
大規模校のせいで、不登校の子どもたちも
二ケタどころか、30人に迫る勢い。
対人関係、部活の問題、
親のプレッシャー、繊細で神経質、
親御さんが結果的に手をかけられない
・・・それぞれ状況も違い、
悩みも、コンプレックスも違う子どもたちに
すべて対応できるほどの人手が無い。
担任の先生も、そんなに余裕がない。
でも、手をかけてほしいと子どもたちは表情で望む。
親御さんも手厚くしてほしいと願う。
そうはしたいけれど、
毎日毎日、不登校の子どもたちからの電話や
親御さんからの電話に対応する・・・
これって、あまりに過重労働だと思う。
若い先生たちは、口には出さないけれど、
いっぱいいっぱい。
なぜかって、電話は、休み時間や、朝や、
昼休みにかかってくるから、トイレに行く暇もないのです。
何とかしたいけれど、
不登校対策支援室の先生の思惑と
スクールサポーターの先生の思惑と
担任の思惑とが…かみ合っていない。
でも、なんとかしたいと、
ベテランの私だからこそ、学校全体のことを考えてと、
根回しやらアイディアやら・・・いろいろ頭を悩ませながら、
動いています。
9・18
愚痴になっていますね。
昨日書いたことは。
潔くないな。自分でやっていることを、
人のせいにしてはいけない・・・。
潔く、書いていきましょう。ちょっと反省。
研究授業は、奈良時代の授業をしました。
平城京について。
また、プリントに起こして、
若い先生たちに役立つようにします。
授業は、いつもやることですが、
なぜ、都がいくつも変遷していくのか、
それを、汚水の面と伝染病で
解き明かしていきます。
子どもたちが好きな下ネタもいれて。
でも、そこってかなり一番大事。
都には下水が無かったから、
溝にすべてを捨てていたから・・・
そして、大仏を作った動機。
私は以前、聖武天皇が世の中の平安を祈って・・・。
というのをなかなか信じられませんでした。
でも、藤原四兄弟の死や
都が数万人の人の死体にあふれることを考えると、
それはそうかもしれないと実感するように。
そして、授業は、大仏を作る資金はどこから・・・?
ということで、弥生時代から奈良時代への
余剰の集積を見てもらいます。
これが一番大事なところですが、
正倉院の大きさを改めて調べて、
また、驚きました。
高さ14m、幅33m、長さ9m
ということは・・・・校舎とほとんど同じ大きさ。
校舎の1階部分は正倉院では
柱だけになります。
校舎の実質2階部分に全部米を入れるとしたら、
恐ろしい量!!
正倉とは、元来は税の米を入れる蔵。
それが、東大寺だけで、10棟近くあったのだから、
奈良全体で言うと、どれだけの米が集まったことでしょう。
これが、班田収授法のすごさ、怖ろしさですね。
9・17
席替えです。今年度になって、3回目。
今、どこの学校も、子どもたちを管理することを
まねて、やっています。
席替えというのは、一番の子どもたちの関心事。
そこをぎゅっと握って、
班長を推薦で決め、クラスの席を
班長と先生で決めていく。
そうすると、一番の脅しになるんですね。
よくわかっているベテランの先生がやりたがること。
でも、いやなんだよなあ、
班長達が、子どもたちのことを
平気で問題児と言って、その子たちを
どう配置するかを考えていく手法が・・・。
学年全体で同じ方法で三年間やっていく・・・
そう、前の中心の先生が主張し、やってきた。
私が反対したけど、一顧だにされなかった。
初任の先生がいたから、
なかなか難しいのはわかるけど、・・・。
そしてやり方を急激に変えるのは
若い先生たちにとっては不安だろうけど。
一番好きなのは、何と言ってもくじ引き。
ドキドキするでしょう?
子どもたちったら、
私の「問題児っていう言い方ってどうなの?」の発言に
「ああ、先生、そうでした、活発なかたがた」
と言い直していました。
その後も、何度も「活発なかたがた」。
このユーモアは好きです。
私が頑張っているのは、イメージを打ち壊すこと。
問題児なんじゃなくて、人づきあいが下手だったり、
状況を理解せずに自分中心に考えちゃうから・・・。
一人ひとりがすごい価値を持っていることを見つけてもらうこと。
来週もがんばるぞ~~~。
実質で勝負しなくちゃ・・・。
9・13
研究授業、生徒会役員選挙、
教育相談・・・と
毎日毎日追われています。
9月のスタート、
私はまた、決心しました。
心にゆとりを持って
子どもたちと接すること。
優しくほめること。
私自身が、追いまくられて生活しないこと。
人生を楽しむこと。
ゆったりと過ごすこと。
夏に、フランスのパリに1週間滞在して、
また、フランス革命のあとをたどり、
西部戦線異状なしのあとを訪ねました。
モネのオランジュリー博物館で、
荷物係のベテラン女性が、
ビブラートをかけて歌声をきかせて、
荷物を返してくれました。
笑顔と、周りの人たちの和やかな雰囲気と・・・。
パリに行くと人生の過ごし方、
毎日の生活を、思い返します。
もっと、楽しんで、もっと、人とのコミュニケーションを
温かなものにして、人生を豊かに過ごしても
いいのじゃないかな?って。
9・10
NHKの奇跡のレッスンの番組を
録画していたものを
たくさん見ました。
とてもステキ。
子どもたちが・・・。
そして、先生たちも。
私も先生が好きになってしまう。
ストリートダンスの先生、
女子サッカーの先生、
基礎を教えて、
励まして励まして
ほめる。
サッカーの先生は、
エクセレントの連発、
ダンスの先生は、
ファンキー・・とほめる。
自分の心を出して~、
仲間のために走って~、と
チームワークと感情の表現を求める。
自分を抑えることではなくて、
チームワークができれば
楽しくて、信頼で来て、感情が表現できる。
そう言えば、中学生たちは、
友達がどう見ているか、いつも不安。
もっともっと一緒に良いところをほめて
安心して一緒に楽しめると最高の笑顔を見せている。
9・9
2学期が始まりました。
1学期、うまく意思疎通ができなくなって
固まってしまっていた女の子と、
ずいぶん話した。
教育相談と言って、
一人ひとり面談します。
問題なしという子たちは5秒くらい。
少しでも悩みがあるという子どもたちは
少しずつ話を聞きます。
悩みを抱える子は
多くが思春期の悩み・・・
小さなことにこだわってしまったり、
親御さんとのやり取りに、
勉強やら、片付けやら
すぐイライラしてしまったり、
それは年齢のせいだし、
解決はできないけれど、
少し話をすると、
私と彼らの距離が縮まって、
ホッとした顔をして帰っていく。
それで、OKです。
9・2
先日、NHKで、広島にゆかりのアメリカ人を紹介していた。
民放の番組でも紹介されていた人らしいが、
フロイド・シュモ―という人物で、広島の原爆投下に心を痛め、
募金を集めて昭和24年に来日し、日米ボランティアの協力で
21軒の家を建てて、被爆者の住宅にしたと言う。
その行動も驚きだったが、
90歳になる息子さんが出演され、
インタビューに答えた話に、驚いた。
息子さんいわく、
「父のしたことは大したことではない。
父は、常々、平和のために一つずつでも(ここは記憶があいまい)、
毎日、行動しなさいと言っていました。」
大したことではない?
平和のために、行動しなさい?
森林学者だったそうです。
早速、私なら何ができるか考えた。
それが、私には授業。
それが最も重要な行動であり、使命だと
改めて考えてる。
平和の重要性を子どもたちに伝えること。
私たちの両親の世代が私に伝えた、
戦争はなぜいけないかを伝えること。
もう一つ、最近のことで、
私の思い込みに、まちがっていて、
とても驚いたことがあった。
市の研究会で、私より10~15歳若い
ベテランの人たちに、戦争の話を
身内や親せきから聞いていたでしょう?と聞くと、
みな、一様に、
「祖父母は、一切戦争の話をしなかった」と
話してくれたのだ。
私の父は大正の最後に生まれ、母は昭和4年生まれ。
父は徴兵されたが、訓練中に終戦。
母は空襲にあったけれども学徒動員の最後の世代。
しかし、私より十年~十五年若い人たちは、
両親は戦争中は幼な子。記憶はほとんどないだろう。
祖父母から聞いたのではと思いこんでいたが、
祖父母は、孫に、つらい戦争の話など、
話したくなかったのだ。
戦争について直接身内から聞いた世代は、
結局私の世代で終わりなのかと、愕然とした。
私たちが、何をしなくてはいけないか、
改めて考えなくてはと思う。
9・1
北朝鮮のミサイルで、
毎日、人々やテレビが揺さぶられている。
8月の残暑見舞いで、クラスの子どもたちに
ハガキを出したけれど、最後に
「心配している人がいるかもしれませんが
戦争には絶対なりません。安心してください」と、
ひとこと添えた。
まさか、こんなに危機感をあおられるとは思っていなかったが、
ひとこと添えたのは間違いではなかったと思う。
今、大騒ぎしているけれど、
思い返せば、今から20年前、今回のようにミサイル実験の
同様な事件があった。
私は北朝鮮のミサイルが落ちてきたら・・・、
そういう授業をしている。
子どもたちは、とてものんきだった。
来たら、ホームランのように打ち返す、
うちわであおいでそらす・・・、そういうアイディアもあった。
でも、その時も、政府は危機感をあおっていた。
その時、私は、アメリカと中国が戦争を望まないし、
世界もそれを望まない、
だから冷静さが、一番必要なんだよ、
平和的に解決することが、政府と外務省の仕事なんだよと伝えた。
前回とは格段に違う、
Jアラートのおどろおどろしい音と警告。
母から聞いた、まるで空襲警報ではないか?
私がなぜ戦争にならないと思うのか?
それは、中東とは違うから。
中東は、はっきり言って、世界が放置してしまっている。
パレスチナ問題から始まって、石油の利権の問題、
イスラエルの言う自己防衛の問題もあって、
中東に住む人々は、いつも苦しめられてきた。
だから、戦争は無くなったことが無い。
なんと不幸なことだろう。
でも、アジアは、ベトナム戦争が終わった時点と、
アメリカと中国が外交を復活させてから、
二大大国の衝突を望まなくなった。
ベトナム戦争で負けたことに、懲りたのだ。
中国とアメリカ、両方が、軍事衝突を望まない。
もし、二大大国が緊張関係を望んだら、
第三次世界大戦の悲劇になる。
誰が、その責任を取りたいと思うだろう。
だれが、その引き金を引きたいと思うだろう。
独裁者が最も恐れるのは、権力を奪われること。
戦争・軍事衝突になれば、北朝鮮の権力は
確かに、金正恩氏以外のものになる。
トランプ大統領の挑発的な言辞と異なり、
アメリカは、アフガニスタン、イラク、シリアで
軍事行動を行っている。
アジアの中国を相手に、緊張関係など、
手に余るどころではない。
いったん軍事衝突があれば、どこでも泥沼化が
ずっと続く。
北朝鮮を攻撃しても、北朝鮮が攻撃しても、
最低10年以上は続くだろうアジアの混乱を
どこの国の誰が望むだろうか?
私たちが、まず望まないのだ。
私は、父の言った言葉を忘れない。
小学校の時に始まった戦争は、まさか、
大人になるまでには終わると思っていた。
それが、自分が高校生になるまで続き、
20歳を過ぎ、徴兵されるとは思わなかった。
第一次大戦の時も、第二次大戦の時も、
仕掛けた国は半年もすれば終わる、数年すれば終わる、
そう思って始めた。それが、どれだけの規模に広がったか。
だから、どれだけ挑発されても、
その挑発に乗った方が負けなのだ。
子どもたちにも言うではないか、
先に手を出した方が負け、
手を出されても、我慢しなさい・・・。
私が予想するのは、ミサイルの部品が
まちがって落下し事故が起こることはあるかもしれない。
ミサイル自体も、失敗して落ちて
事故の犠牲者が出るかもしれない。
それでも、私が死んだとしても、
家族が死んだとしても、戦争はしてはいけない、
軍事的な報復はしてはいけない・・・。
殺人に殺人をする報復は、ハムラビ法典さえ、
許しているのではなく、その予防効果を狙ったものだと聞く。
許されるのは国際社会に訴えて、
国際法と国際倫理を使った解決である。
もし事故が起きたとしても、
それで煽るような、戦争に進むことを求めるような
政治家や評論家がいたとすれば、
それは、国を愛しているのではなく、
国を滅ぼそうとする人物ではないかと思う。
戦争に行くのは私たちではなく、若者だ。
若者の未来を奪う、そんな権利は私たちにはない。
大人たちは、平和的に解決させて、
戦争にならなかったね、大丈夫だったろう?
そう子どもたちに告げる義務がある。