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2018・2学期
December
12・25
でも、授業は実り多き日々になりました。
9月から、説明だけを続けて1か月半、教科書の内容は
全部説明が終えているので、
あとは映像と資料で膨らませる授業。
つまり、子どもたちにしてみると、教科書を
中心に説明しただけではわからなかったことが、
深くわかった!そういう実感がわいたようです。
授業の感想では、ほとんど皆が、
深くわかった!!そういう評価を書いてくれていて、
いつも、私が「わかる」ことにこだわっている、
そういう面目躍如・・と自分で書くのもおかしいですが、
子どもたち自身も「わかる」意味を考えてくれたようで、
とてもうれしい感想でした。
それと、戦争についての学ぶ意味についての感想も
深かった・・・。
目を背けてしまう自分がいたけれども、
それでも、学ぶ意味はとても大きいと書いてくれています。
これは、ぜひ、若い先生たちに伝えたいことです。
やはり、戦争を教える時に、使命感無くしては、
授業は成立しないし、その使命感を
子どもたちも受け止めてくれる・・・そういう事実を知ってほしいです。
12・23
この花はマグノリアの花。
アメリカ南部の花です。なつかしい、
昨年を思い出す。・・・・・
さて、
くたびれて、くたびれて、
でも、初任者の人や部活を持っている人は
もっともっと大変。
でも、苦労を共にして、
学年の気持ちは一つに、
毎日毎日愚痴を言い、
背中をさすり合い、(もちろん、同性とですよ)
みかんを食べ、ミルクティーを飲んで、
どこまで行った?
もう少しだね、
ええ、もう終わったの?ずるいよ!!。
子どもたちの帰った学校で、深夜に向けた時間帯まで、
みんなでがんばりました。
職員会議で訴えました。こんなブラックでは過労死が出ます。
来年、三年生の職員は短縮を増やすべきです。
だって、授業時間確保のため、という教務主任の
ありがたい配慮のため、事務ができたのは、
それも三日間、5時間授業になっただけ。増えたのは3時間だけです。
勤務時間内内で終わらせるなら、12時間のみ、
しかし、実際にかかった時間は・・・・
9日間で42時間だったと思います。
そう、毎日4時間半だから、8時か9時なのです・・・!!
12・22
なんと、もうクリスマス。
この一か月は、今までにない残業。
毎日、生徒指導でもなく
書類作成に、毎日、8時ごろまで、
時には9時過ぎ、
土曜日も9時までやった日もありました。
こんなのは、今まで体験したことない残業です。
同じ三年生を受け持ったのに、三年前には考えられない状況。
それは、ひたすら、私の地域では
私立交渉をやるのが、教員だからです。
それと、ネット出願!!。
隣の県は親が業者テストの偏差値を持って交渉に行く。
或いは、もう一つのとなりの県は、一切やらない。
その分、中高一貫をたくさんたくさん増やして、
中学卒業の半分を私立校に行かせるようにしている・・・!!
絶対、都知事が私立高校と結託したのだと思う。
私の地域は、ある程度の成績を取ると、
私立高校が、テストで失敗しなければ合格ですよ・・・、
そのための志望を子どもたちから集約し、
書類を作ります。
それに、ネット出願ばかり・・・
便利になったのは、生徒と私立高校だけ、
私たちは、その分出願が早まって、
12月の最後の2週間で、通知表、私立高校用調査書
それに、公立用調査書も当然作っている。
それを、すべて、パソコンソフトで作成するので、
家で仕事はできません。
情報保護のもとに、私たちは縛られています。
そして、さらに、調査書開示用に、間違いが無いかどうか、
親と子どもたちで最終確認できるような確認書も最終日に渡す。
つまり、4種類の書類を40枚ずつ作成、2週間で!!!
160枚ですよ。
何が大変と言って、間違いが無いかどうかの、点検。
部活動の成績や、英検なのか、漢検なのか、
そういう特別活動の記録も、親御さんは、とても気にします。
出欠席の間違いも無いかどうか、
それを、一人一人、各自が点検して訂正する、
そして、また、それぞれの文書、通知表、私立用調査書、
公立用調査書、確認書、微妙に形式が異なるので、
どの内容にも同じ内容がかかれているか、欄を変えて書かなければなりません。
ああ、ほんとに、死にそうでした。
インフルエンザで最後の2日間が休校になったのに、
午後から、パソコンを打ち始めても終わらず、
最終日に間に合わせるために、夜の8時半、9時に帰りました。
家につくのが私は2時間かかるので、10時半や11時半の毎日。
そして、朝5時半に起きて、6時半の電車に乗るのです。
睡眠時間は4時間半。
過労死する段階です。
毎日4時間パソコンに向かって打ち続けるので、
背中バリバリ、肩と腕は腱鞘炎に・・・。
ああ、私の職業は何だろうか?????
November
11・20
20年前の「知ってるつもり」の沼田鈴子さんの回を
子どもたちと見ている。
20回以上見ているから、
すべてのセリフも、音楽も頭に入っている。
特に、香川京子さんのナレーションが
すばらしい。
10フィート運動のフィルムの
ナレーションは大竹しのぶさんの
高校生ぐらいの時の声か?
香川京子さんの語りには
沼田鈴子さんのいろいろな思いを代弁したり、
平和を願う気持ちが、そっくりそのまま
出ているように、何度も聞くと
聞きほれてしまう。
香川さんの作品も、いくつも見ているように思う。
七人の侍や、ひめゆり・・・
印象的な作品で、何度も子どもたちとも見て出会っている。
こうして被爆者の方たちの声を
私も少しでも代弁して
核兵器を減らすことができれば・・・
そう使命を今さらのように
強く感じるようになったが
遅い!自分でもそう思う。
でも、被爆者の方たちが、
高齢になった時に、被爆当時の絵を
描いて原爆資料館に寄せたのは、
働き盛り・子育てを過ぎて、
逆に将来のことを考え始めたからだろう。
私も同じ。
自分の子どもや孫のことではなく、
人類のことを考えてしまう。
二度と世界大戦・核兵器が使われないように、
そして、被爆する人々が出ないように・・・と。
沼田鈴子さんが亡くなったのは
東北の大震災のあとで、
そのことが引き金になったと聞く。
これから話をうかがう児玉さんも、
震災のあとには、
「二度と被爆した人々を
出してはならないと思っていたのに、
福島の人々が被害にあってしまった」と
ショックを受けられていた。
まるで、福島原発のメルトダウンの責任を
ご自身のものと感じられているかのようだった。
これまでの運動が、どれほど役に立ったか・・・と
改めて、非力に感じられたようだった。
語り部として、生涯をその仕事に
つくしてこられた方には
その思いが強かったらしい。
それを思うと、胸が痛みます。
私たちは、あまり責任を感じなくて済んでいる。
核兵器が増え、核戦争の危機が迫っても、
私たちは、今、生きている責任を感じないだろうか?
11・14
まずは、戦時中の朝鮮半島から
日本に働きに来ていた人々の補償問題からだった。
理不尽な日本の動きだった。
牛山純一さんが、生きていらしたころ、
取材して、植民地支配の実態を8月に放送していた。
その頃は、まだ、植民地時代を生き抜いていた人々が
ご存命で、牛山さんは細心の注意を払い、
韓国の人々からお話をうかがっていた。
そのドキュメンタリーは見るのがつらかった。
私が初めて知ることばかりで、
いかに、三一独立運動の弾圧から始まって、
どれだけ、朝鮮の人々に被害を与えたか、
心が痛むことばかりが事実として出てきていた。
その中には、サハリンに労働力として、
新婚の夫が連れ去られ、
行方不明となり、いまだに涙と怒りにくれた
おばあさんの恨の激情に、圧倒された場面を思い出す。
そして、東南アジアの人々が、
戦時中のニュース映像で、
原爆が落とされて、きのこ雲が登場すると、
喝采を叫んでいるという話も聞いていた。
今のアメリカ以上に、憎まれていたのだ。
だから、原爆のきのこ雲のTシャツを着た
防弾少年団のニュースの時には
そう簡単にコメントできないと思った。
朝鮮半島の人々にとっては、光復節なのだ。
子どもたちには、こう話した。
「防弾少年団が、原爆のプリントしたTシャツを着たり、
ナチスのハーケンクロイツの印の帽子をかぶったり、
似た印の旗を振ったりしたと問題になってるの知ってる?
私は、一昨日までは、みんなに話そうとは思わなかった。
でも、防弾少年団の事務所の人々が、勇気を持って
被害にあった人々を、馬鹿にしたり、貶めようとしたつもりは無かった。
お詫びしたい・・・。と声明を出したことが、昨日わかって、
その勇気のことを、話をしたいと思ったんです。
韓国や北朝鮮の人々にとっては、
日本の植民地になっていた時代のことは
とても屈辱的なこと。
だからすぐに、日本に謝るという感情に
韓国の人々は納得できない。
でも、防弾少年団の彼らは、謝った。
世界で活躍するからこそ、
そういうことが大事だと、思ったんだと思います。
その勇気がすごいと思う」
・・・・・・・・・・みんな、眠そうだった子どもたちまで、
目を見張って聞いている・・・・
「私自身も、高校まではそれほど知らなかったけれど、
大学生の時に、そして、先生になって教えるようになったら、
もっと詳しくわかっていないとみんなに話ができないと思って、
勉強したら、ずいぶん知らないことがあった。」
「例えば、日本人なら、原爆のことをよく知っていて、
放射能が怖いということは知っている。でも、私自身が、
最近の中学生は、5年前の中学生より、知らないなと思うことが増えた。
それはね、以前ははだしのゲンを知らない子どもがいない・・・という
小学生の常識があったの。でも、はだしのゲンを読んだことがある人は、
今はクラスで5~6人だよね。」
「だから、知っていることが当たり前ではない。
例えば、韓国の人、北朝鮮の人、アメリカ人、世界の人、
原爆のことは、ほとんど知らないと言ってもいいかもしれない」
「でも、一方で、日本人は、朝鮮を植民地支配していたのに、
その実態はほとんど知らない。
韓国や北朝鮮の教科書には、
当然、植民地時代のことは詳しく載っているけれど、
日本では、1ページ分も無いよね。」
「日中戦争のことだって、日本では、1ページ分も書いてないけど、
中国の教科書には、何ページにもわたって書いてあるし、
戦争のあとも、そこらじゅうに残されている」
「ナチスのことだって、日本人の全部が知っているわけではない」
「だからこそ、みんなは知ってる?欅坂48の制服が、
ナチスのようだって言って、世界中で問題になり、
秋元康が謝ったのを知ってた?」
「相手の国の人々の傷みを知らないからと言って、
お互いが攻撃しあうだけだったら、不毛だと思う」
「知らないことは、知ればいいことだと思うんだ」
「もっと驚くことで、常識はずれのこともあったんだよ。
イギリスのヘンリー王子が、
ナチスの格好をして、パーティーをして、
その写真が世界中で、ものすごい顰蹙を買った。
そうしたら、やっぱり、王子でも、謝った。
そして、真実を学ぶことを課せられた。」
「まちがうことはある。それを認めて
知ることが大切だと思う。」
「だから、みんなには、知るのも見るのもつらいかもしれないけど、
原爆のこともちゃんと知ってほしいし、
植民地時代のことも知ってほしいから授業するよ
今の社会の問題の多くが、
近現代から原因があることがほとんど。
だから、暗記は嫌いでもいいけど、
つながりを知っておくことを、敬遠しないで、・・・
相手の国・歴史について知ることは、とても重要なんです」」
そう、知ることが第一歩なのです。
11・14
ニュースを見ていて、いいニュースが少ない。
世の中の不正義に、小学生のころから
納得いかないでいた
早熟な少女だった私は、
いつも、胸を痛めるのに、
最近は、疲れてしまった。
それでも、気になるニュースは
ネットで見るようになった。
一番、最近で納得いかなかったのは、
トランプ大統領が
START(戦略兵器削減条約)をやめると言いだしたこと。
核兵器を減らさず、新たに小規模な核兵器を開発し、
それを現実に使いたいとまで言っているらしい。
宇宙軍まで創設するとの話。
核兵器廃絶国際キャンペーン=ICANのノーベル賞に
真っ向から冷水をかけるような発言。
さらに、エルサレムを首都にすると言うトランプ大統領の
理不尽さに対するパレスチナの人々の抗議行動
さらに、この二・三日の、
ハマスに対する暗殺行動と、ガザの反撃。
あの爆撃の下に、
ガザの子どもたちがいるのかと思うと、
胸がつぶれる思い。
NHKの世界のドキュメンタリーで見た
ガザの少年たちが、イスラエル側を
攻撃したいという言葉と絶望、
それでもあどけない・・・その表情を、悲しく思い出す。
その少年は、まだ小学校1・2年生だった。
それを伝えてくれたのは、殺された後藤さんの取材だった。
NHKで音声で説明していた。
ジャーナリストを攻撃する最近のジャーナリズム。
世も末だと思う。売れればいいのか・・・。
だれも、弱者の声を伝える正義に
若者が憧れなくなる。
安全なところにいて、評論家のように発言し、
出演料を多額に受け取る人物が、
ジャーナリストとして成功したと言われるとしたら、
真実は、誰が伝えてくれるのだろう。
書き出すと、怒りが止められなくなる。
ネット上では、非難、攻撃、同調、
尻馬に乗った、知ったかぶり・・・・
うんざりしている。
この一週間の日本のお祭り騒ぎ、
それも、韓国を攻撃するのをあおり、・・・うんざりしていた。
著名人と言われる有名人が、
平気で憎しみや非難をぶつけている・・・
テレビに出るような人間が、
良識を持てなくなったのか・・・。
若者のまちがいを
大人が謝罪を要求して攻撃するなんて・・・。
実際に被爆者の人たち自身は
それについての非難の声明を出してはいなかった。
どれだけ煽っている人々が
被爆者の声を聞いてきただろうか?
あなたが日本の代表のつもりかと
聞いてみたくなる。
被爆者が求めてきたのは、
知ることと、核廃絶の願いだけだった。
なり替わって攻撃するのが好きな人々の醜さが
あまりに酷い。
この話は授業で話すつもりは無かった。
あまりにえげつなく、
あまりに政治的で、
子どもたちを巻き込みたくなかった。
しかし、、防弾少年団の事務所が勇気を持った行動をして、
授業で、今日、初めに話すことにした。
今、原爆の授業を始めているからです。
11・11
今は歴史を全部黒板授業で終えて、
あとは視聴覚教材。
ルーツを見て、
ああ野麦峠を見て
映像の世紀の第一次大戦を見て
西部戦線異状なし・・・
その後ワープして、
広島のことをやります。
下旬に、地元の被爆者の会のかたに、
来ていただいて、原爆の話を聞きます。
その為に2時間授業をします。
被爆者の方の絵、
沼田鈴子さんのビデオ
そして、すぐかどうか迷っていますが、
核戦争後の地球・・からの抜粋、を見る予定です。
ルーツを見せた時に、
奴隷船の中のようす、気持ち悪くて、
見られない…そういう子がいました。
何人も・・・。
私は以前は、差別なのかな?と思いましたが、
今回見ていて、奴隷船の中のようすが、
あまりに、残酷な場面のせいなのだと、
痛感しました。
たえまないうめき声、死体、糞尿まみれと言われる環境、
鎖でつながれた苦痛…それを想像するのでしょう。
うめき声を、10分間にわたって聞くのが、
とてもつらいのでしょう・・・。
しかし、子どもたちは、クンタキンテが
脱走する時には、見たくないとは言いません。
鞭でたたかれる場面も嫌だとは言いません。
逆に最後まで自分の名前にこだわる
クンタキンテの気持ちを、当然と見ています。
子どもたちを見ていて、
人間にとっては、アイデンティティー=自分は何者なのか
が、そして、誇りが、いかに大事なのかを、
痛感します。
奴隷主から、動物のように扱われていても、
自分の名前にこだわり、誇りを失わないように、と
行動するクンタキンテは、子どもたちにとって
ヒーローなのです。
中学生自身も、自分のことが誰にも認められていない…
と思った瞬間に自暴自棄になります。
人間は、本当に特殊な生き物なのだと思います。
中学生たちが、そこに気付いていくことが、
本当にすごいと思っています。
11・10
思い出す。7月、合唱祭、
無事に済むだろうか?不登校の彼女は
伴奏を希望するだろうか?
気分屋さんのもう一人の彼女は
伴奏を引き受けるだろうか?
他に伴奏できる子はいないのか?
モルダウの曲では、気持ちが乗らないから
これは無理だな…無事に済むことだけ・・・
祈ろう・・・これが7月の私の願いでした。
忘れていました初心を。
そういう初心から言えば、
モルダウに向けて努力を続ける男子、
アルト、ソプラノ・・・・みんなとてもすごかった。
万々歳です。
もう一つの涙にくれていたクラスも、
終わった後で、帰りの会で
みんなで、担任の先生も一緒に
笑顔で歌っているのを盗み見て、
良かった~~~
そのクラスのリーダーが
私がうまくいった?と聞いたら、
返事が、「ありがとうございました」
大人だねえ~~~~
さて、今は、三者面談中の
超忙しい日々です。
勤務時間をちゃんと申告しろとのお達し
記録した所で、
何にもないのに、
ノー残業デーだと
校長が、帰らないと怒る!!
本末転倒ですね。
11・3
合唱祭を終えて、2位銀賞
袖で聞いていた私には、ほんとうに
気持ちとハーモニーが一つになり、
とても上手に聞こえました。
戻ってきた子たちも、満足気でした。
学年の子たちにも、3組が一番だと思ったと
言われました。
確かに、順位発表の時に、
みんなは最優秀を期待していたので、
銀賞の喜びも 半分くらい
中途半端だったけれど、
一晩経つと、やっぱり私自身、うれしいなあと思います。
このあと、どうしたらいいかと、
帰る道々考えました。
最後の帰りの時にも、
「みんなの努力に感動したんだよ、
パートリーダー・指揮者・伴奏者に感謝!」と
言ったけれど、それだけでは、
ずっと足りない気がしていました。
私は、担任として、いつでも、
2週間以上付き合わされるから、
クラスの自由曲が、思い出とともに好きになります。
「虹」 「帰らざる日のために」
「青いベンチ」「道」「今咲き誇る花たちよ」
「YELL」「手紙」・・・・そうやって思い出とともに、
好きな曲が増えていきます。
そうした思い出として、さらに、残させてあげたい。
来週、おせっかいな私は、子どもたちに
提案しようと思います。
「合唱祭の思い出を、もっとハッピーエンドにするため、
私も覚えてきたから、最後に一緒に、
リラックスして歌おう。
さらにこの曲を好きになるために、
私は、モルダウが、今までよりずっと好きになった。
水曜日の道徳の時間に歌おうと思うんだけど、
賛成してもらえるかな?
教室の周りに、一列で立って、
みんなの顔を見ながら、笑顔で歌って、終わりにしたい」
どう思いますか?
三位になりながらも、一位を逃して、涙にくれていた
クラスの子たちにも、おせっかいで同様な
アドバイスをしたいと思っています。
気持ちが、それで、少しは癒されるといいと思います。
11・1
明日は合唱祭。
今日の最後の練習で、私は、もう何賞でもいいと思った。
クラスの子どもたちを見ていて、
6度も鳥肌が立ち、本当に感心した。
モルダウの曲を、これほど歌えるようになるとは、
予想もしなかった。
とても無理だと思っていた。
特に、男子パートの音が取れない子どもたちに、
私自身が楽譜を見て、男子パートのメロディを
ピアノで吹き込んでいた時に、
上がり下がり極端にするメロディに
これを歌えるのか?と半信半疑。
よく聞くと模範CDも微妙に一か所
ずれているところもある・・・
和音、ハーモニーを作るには、
自分のパートを大声で歌うだけではだめで、
当たり前のことだけれど、相手のパートに
きれいに合わせる気持ちが無くてはできない。
その上に、パートのメロディの音が取れない・・・
もうあきらめていました。
それが、この二週間で、歌うたびにどんどんうまくなっていく。
音程も繰り返し、吹奏楽部の男の子が押さえようとするので、
少しずつ取れて、和音が作られていく。
曲の強弱も取れていく、
曲の出だしもよく聞こえるし、最後の終わりもぴったり合う。
・・・・・・これだけ、自分たちの力で
歌えるようになるとは、歌のうまさもそうだけれど、
それより、毎日、喜んで歌って、
自信を深めていったクラス全員に
本当に驚いている。
歌っていて、気持ちがいいのだろう、
そして、ハーモニーも自分たちできれいに聞こえるのだろう。
今まで、最優秀を学年で取ったことも何度かあります。
でも、それは、声が大きくきれいな声の子たちが何人かいたり、
そういうメンバー構成に左右されていました。
そして、ほぼ、完ぺきというまでにはいかず、私は、
もうちょっと、こうすればいいけど、…と思いながら、
子どもたちの最終判断に任せていました。
でも、今回は、私がアドバイスをし、吹奏楽の男の子が、
アドバイスをすると、もっともっと歌おうとする。
休み時間も、家に帰っても、
難しいパートを口ずさんでいるらしい。
明日は、どんなハプニングが起きても、
これまでの、努力とチームワークと
歌が好きという気持ちを作った思い出は
、決して消えないでしょう。
前日の段階で私も、クラスの子たちも、
これほど満足したのは、
たぶん初めての経験でしょうね。
楽しい合唱練習でした。
また、子どもたちに教えられた経験になりました。
October
10・29
今日は、リハーサル。
それにしても、何度も書きますが、
モルダウの難曲を、楽しそうに、自信を持って
歌ってるのが、すごいです。
ほれぼれしてしまう。
リハーサルのあとでも、
パートの音の確認を楽しそうにやっている。
男子も、女子も、相手を責めずに
それぞれを切磋琢磨。パート練習が終わったら
全部で合わせましたが、指揮をやっている男の子が
ハーモニーがきれいで、満面の笑み。
ピアノの女の子は、引き終わったら、すぐに
みんなに拍手のあと、「ビビッと来ちゃった」
それで、みんなも拍手。
それに、昨日体をゆすりながら歌っていた男の子は、
クラス一番のワンパクと、目配せして、がっちり握手。
自分たちの歌が、歌えば歌うほどうまくなっているのを
実感して、笑顔で満足しているのを見るのは、
とてもうれしくて、担任冥利に尽きます。
それには、私も秘策を使っているのですがね。
10・27
今週も慌ただしい一週間でした。
合唱祭練習が始まりました。
三年なので、声量や男子のやる気が違います。
それでも、とても難しい。
課題曲は「花になれ」でいいのですが、
自由曲は「モルダウ」
自由曲と言っても、他のクラスと希望が重なるため、
消去法で選んだ曲。
それにしても、テノールのメロディが難しすぎます。
良く歌っているなあと思います。
月曜日のリハーサルを前にして、
密かに子どもたちにアピールしました。
「他のクラスは声量で勝負すると思うけど、
わがクラスは、ハーモニーで行こう。
音程をよく考えて聞きながら、
それぞれのパートに音を合わせてやろう」
その理由は、ソプラノが少し声量が無いのに、
テノールはありすぎて、のどに力を入れて、
がんばっているために、音程が下がってしまう。
モルダウは、とにかく難しい。
全部が和音になっているので、
ハーモニーが狂うと、まるで不協和音です。
だから、大切なんですね。
でも、三年生だから、
難曲のモルダウを、男子も女子も喜んで歌っている。
いつも同調しないはずの大柄な男子も
この間、調子に乗って、体をゆすりながら歌っていました。
私が注意したら、「だって、楽しいからです」
調子に乗っていたことは確かですが、
笑顔であったことは確か、
まあ、まあ、目くじら立てることはやめましょう。
10・19
うれしいことがたくさん。
それは、中学三年生、勉強をよくやっていること。
中間テストに向けて、ワークを
三周やったよ、5周やったよ、
自分でノートにまとめたよ、
イラスト付きの年表を自分で作ったよ、
そう言って、テストのあとの
「勉強の証拠」チェックで、
みんなが誇らしげに、私のところに持ってくること。
試験範囲は、ペリーから第一次大戦まで、
歴史では、一番難しいところなのに、
ワークも、反復練習も、ノートも
それぞれが工夫して覚えようとしているところが、
三年間の私の「やる気にさせる」努力の成果として
とてもうれしいです。
歴史は60点満点で3年間で初めて
満点の子どもたちが、各クラス1人は出ました。
平均点も43点。
他の社会の先生たちにテストを点検してもらったら、
1問1点で60問、「これやる気めげませんか?」
3年間で慣らした子どもたちは、
60問を約30分で解いていました。
ホントに基本事項なので、
ワークをやっていれば、書ける問題なのです。
私にとっては、点数が高いことが満足なのではなく、
やる気を出して一生懸命覚えれば
得点を取れることが、やがて自信につながっていくことが、
うれしいのです。
やっぱり、どうにかして、中学生の難しい時期、
コンプレックスを持ち始める年齢の子たちに、
自信をつけさせて、明るい顔をさせたい、
それがうまくいったので、うれしいのです。
予想通り、毎年毎年、中学三年生は、
一番10月が伸びて、10月に自信をつけるから・・・です。
10・15
書きたいことが山ほどあるので、
月曜日分まで書いてしまう、
未来日記です。
最近でうれしかったこと
たくさんのうちの一つ。
ノーベル平和賞
ムラドさんとともに、ムクウェゲ医師の受賞です。
コンゴの武装勢力が、
レイプや性暴力を、武器として使っているという
彼の主張には、以前、驚愕しました。
一番安上がりな大量破壊兵器であり、
その村、地域ごとを破壊し、恐れさせるには最も有効だとして、
レアメタルなどの資源を得るために、
軍隊が作戦として実行している。
悪魔の考えることだと思いました。
それを、彼は男性でありながら告発し、
救済し、癒し続けて仕事をしているのです。
性器の再建手術、性器を引き裂かれた幼児の
局部を縫合して、痛みを思う・・・。
そんな男性がこの地球上にいるのかと思うと
それだけで私自身も救われる思いがします。
Me too は、私も感じることができる。
性暴力にあった女性、女児、乳幼児の悲しみ痛み
それを見た、毎日手術を続ける
ムクウェゲ医師の心の痛みと怒り
女性なら無条件で理解できます。
世界では、こうした弱者への傷みと怒りを
わかろうとする人々が
今の時代にはたくさんいる。
でも、日本では、呆れるほど遅れている。
それなのに、
わかっていないことに気付かない男性も多い。
ああ、ため息が出る。
いつもは、だいたいあきらめているのに・・・
確かに優しい日本人男性もいるけれど、
日本の女性の現状をほとんど理解していない。
どんな思いでいるか。
みんな日本人女性は黙っているから。
勉強をしたいと言ったマララちゃん(当時)
回復した彼女は「みなさん、ペンと本と教師で
世界は変わるのです」と訴えました。
その彼女を「広告塔」と言った人がいました。
許せない。絶対に。理解できないのでしょう。
女性だから学校に通ってはいけない
勉強をしてはいけない、・・・
そう言われていた地域で、通学を続け、
殺される思いをして、
その後、世界中の女性たちからメッセージを受け取って
勇気を持って訴えることをし始めた。
彼女が銃撃された時、
私もメッセージを送ろうと思った一人です。
イギリスの病院に向けて。
死なないで。どうか、命を失わないでと、
祈った一人です。
彼女はなぜ殺されかけたか、それは、女性だったからです。
女性であることが罪とされる、
そういう地域が地球上にまだ残っている。
それにペンとノートで立ち向かう女性がいる。
そして生き延びてくれた。
それを知って、どうして、広告塔などという
心無い言葉が吐けるのか。
知ったかぶりを止めてほしい。
どこかに何とかと書いてあった、
それを知っているから、それを披露する。
そのことに、何の意味があるのでしょう。
それは、世界中の弱者の共感からは
ほど遠いのです。
彼女の勇気や恐怖や痛みや
世界の女性たちから送られたメッセージを
理解しないのだろうか?
そうした世界の女性たちの共感を
世界政治の陰謀説で汚してほしくない。
エセ、味方の顔をしないで。
あなたは、自分が一番大切でしょう?
自分の話を優位に進めるために
彼女の話を材料として提示しただけ。
そこに、共感は無い。だからエセなのだと思います。
そこには深い崖のような超えられない溝がある。
女性差別を感じない女性は要るでしょうか。
私は20代の時に、とても不公平感を持っていました。
それを言わなくなったのは、それを飲み込むだけの
知恵を持ったから、
日本では、その方が生きやすいから、それだけの話です。
納得しているわけでは決してない。
私の20代の時に、アメリカの過激なフェミニストで、
驚愕の芸術を見ました。
女性性器は隠すものではなく誇るものだと
女性性器をあらゆる花で飾った美しい絵画でした。
ブラックイズビューティフルで登場した
黒人女性の美しいモデルのスタイルとともに、
私が驚き、過激さにとても憧れた
そこにアメリカがありました。
女性の上で、
無神経にあぐらをかいているのに、
それを気付いていず
理解者のつもりの男性もいます。
でも、ムクウェゲ医師は軽々と超えて
こちらに来てくれている。
弱者の人々は誰が味方かすぐにわかる
・・・涙が出ます。
10・14
さて、最近は、石塚美津夫さんのところに通い詰めています。
5月田植え
6月蛍見学
8月合宿研で話をしていただき、
9月稲刈り
10月今日は脱穀
田植えの時は、楽しかったけれど、
稲刈りの時は、本当に大変でした。
一番働いたのは、一緒に行った20人近くの
メンバーの中で二番目に高齢だった私でしょう。
なにしろ、一番長く滞在したので。
1日半フルに田んぼの中で稲刈り。
石塚さんの夢の谷ファームは
機械の入らない小さな棚田。
そして深い泥田。
だから人力なのですが、
これが、太ももまで入ってしまい、
全力で抜かないと抜けないほど深い田。
たぶん、スクワットを百回どころか・・・
だって、二日合わせて8時間ですから、
その日のうちに筋肉痛で、
一日目の夜中に筋肉痛で目を覚ましたくらいです。
それなのに、石塚さんと奥様は
倍以上のスピードで、ずっと働き通し、
私よりは5歳は年上なのに・・・。
そして、10日は市の研究会に
石塚さんに来ていただき、お米と
日本の農業の話をしていただきました。
その前日に送っていただいた
笹神の水で炊いた、夢の谷ファームの新米と
笑いあり、驚き有りのお話で
好評、好評!!
私たちが田植えをし、稲刈りをした新米
とても甘くてつやつやしておいしかったです。
10・13
今・現在の授業は、全て黒板授業です。
あと2時間で歴史の授業を終えます。
3学年は3人の先生で社会科を教えていて、
私が全クラス週・2時間で歴史。
あとの二人が公民を学年半分ずつ2時間で教えています。
こんなふうに変則的にしたのは、
私の体験的授業を受けられるのが、
学年で全クラスでないと
受けられないクラスの子どもたちが、
嫉妬するからです。かわいそうでしょう。
その代わり、週に2時間なので、
歴史が2学期半ばまでかかってしまいます。
そして、会場模試の範囲があるので、
「なるべく早く教科書終わらせて」の要望のもと、
2学期はスタートから、ずっと黒板授業。
私のストレスもたまり放題です。
でも、これからが、本番。
その時代に生きた人々が、どう感じ、どう暮らしていたか、
それを映画やドラマで、みんなで共感しながら
見ていきます。
「ルーツ」「あゝ野麦峠」
「西部戦線異状なし」「モダンタイムス」
「戦争に反対する戦争」「涙は忘れない」
「映像の世紀」「さとうきび畑の唄」
「シュリ」「ライフイズビューティフル」
もっともっと伝えたいことがあります。
あらすじプリントを全部印刷し、
準備万端、子どもたちも、いつからビデオの授業になるか、
毎日聞いてきます。
まあ、待っとれ! 準備万端だから。
10・12
ご無沙汰しました。
さて、第一次世界大戦のことを
フランスやドイツはなぜ短期間で終わると思っていたか・・・。
なぜ世界大戦というまでになると思っていなかったか。
その質問を逆に考えましょう。
それはきっと、子どもたちが言うように
自分たちの戦力に自信を持っていたせいでしょう。
自分たちは、産業革命を経て、圧倒的な戦力を持っている・・・
そう、ドイツもフランスも自信満々だった。
そう思っていたところが、滑稽で悲劇。
なぜ5か月で終わるはずが、4年も戦争をしたのか。
それは、片方=自分の国だけではなく、
両方ともが、圧倒的な戦力を持っていたから。
なんと逆説的なことか。
そして、子どもたちが正解をくれました。
短く終わっただろうという子どもたちが
「たくさん人が死んで、もう戦う人がいなかった・・」
私「じゃあ、足りなくなったらどうする?」
つぶやき「植民地から連れてくる」
そして、なぜ続いたか、もう一つの答え。
「新兵器が、第一次世界大戦中に、どんどん発明されていったから」
戦車、爆撃機、地雷、毒ガス、潜水艦・・・・
必要は発明の母・・・その悪夢が第一次世界大戦でした。
そして、第二次世界大戦に発明されたのは、
核兵器であり、ナパーム弾であり、ロケットやミサイルであり、
枯れ葉剤でした。(ナパームも枯れ葉剤も、ミサイルも
もう、発明はされていたのです。
ただ、どれが一番効果的で早く発明されたかというと、
原爆だったのです。))
今、書いてきたような、こういうやり取りをしました。
子どもたちの予想がある程度当たり、
しかし、それをはるかに超える第一次世界大戦の規模。
新兵器の数々、植民地の兵士たち、
参加国の数々、戦闘場所の世界的な広がり
(アフリカはもちろん、中国、南アメリカでもありました)
予想を超えた戦争だという第一印象は持てたようです。
感想には、第一次世界大戦の特徴がよくわかったと
書いてありました。まずはスタート地点です。
知識として理解すること。
その次が感性で分かることへ・・。
本当の悲惨さは、写真や映像でないとわかりませんが、
研究授業はひとまずここまで。
生き生きした子どもたちとのやり取りを、
若い先生たちも、ビックリした目で見ていたようです。
資料も、地図も、写真も・・・。
10・3
第一次世界大戦が、長かったか、短かったか
読者の皆さんは、どう考えますか?
短いと答えるか、長いと答えるか・・・・
班で話し合っている様子を見ると、
どちらとも言えるんじゃないかとか、
物差しが無いから言えないとか・・・
それぞれ主張しています。
その理由も、素晴らしく時代状況を理解している。
びっくりしました。
「産業革命をやったイギリスのような進んだ国と
そうでもない国とでは、力の差は歴然だから、
あっという間に勝負がついてしまったんではないか」
「いやいや、どの国も科学を発達させたから
同じくらい強かった。だから、長引いたと思う」
「兵器も発達して、人がたくさん死んでしまうから、
もう戦う人がいなくなってしまうから短い」
「資源だって、食べ物だって、戦争の規模がでかいから
使い尽くしちゃって、短く終わらせるしかない」
短いか、長いかではなく、その理由を
それぞれが主張して、なかなか譲らない。
それぞれの理由が、第一次世界大戦の特徴を
指し示しています。
私が、一番注目していたのは、
教科書の・・・あるいは第一次世界大戦の
写真や番組や本を読んだ時に、どの本にも書いてある言葉。
フランス・ドイツの若者が、手を振りながら、
入隊に向かって笑顔でいる様・・・・
そのキャプションとして、
「だれもが、夏に始まった戦争はクリスマスには終わると聞かされ、
戻ってくるつもりだった」
戦争遂行者たち、皇帝・王様・将軍…いずれも、
その自信だった。・・・・・ところが
映画「西部戦線異状なし」のポールの戦友、
ポール自身のように・・・・帰ってこなかった。
西部戦線異状なしのラストシーン、
学生たちが後ろを振り返るシーンがすぐに目に浮かびます。
今の戦争でもそうです。
イラク戦争は短期間で終わると言って
ブッシュ大統領は始めました。ところが違う。
第一問は、どちらも当たりとしました。
これが、今回の私のひっかけ!
つまり、以前の戦争に比べたら長い。
(元寇から日清日露まで、期間を表にしました)
でも、第二次世界大戦やベトナム戦争に比べたら短い。
じゃあ、当時の人々はどう感じていたか、それを伝えて、
なぜ、戦争が思ったより伸びたかを考えました。
つまり5か月の戦争の予定が、4年間も戦争したのはなぜか?
・・・・・・・・・・・・・・明日に続く
10・2
今日は試験の一日目、
さて、みんなの勉強の成果は出るでしょうか?
2学期になって研究授業がありました。
私は、第一次世界大戦のところ。
いつもだったら、第一次世界大戦はどんな戦争か
その特徴や実際のようすを授業するのですが、
今回は、少し内容を変えました。
今のわが市の?社会科は、全国的にもそうなのかな?
調べ学習や討論、班活動が中心で、
それが大流行り。
研究会に行って授業を見ても、
班での話し合い活動ばかりです。
その時の資料は、教科書の写真や資料集。
小さい写真を、教師が掲げた目標に沿って、
どう読み取るかを、子どもたちが話し合っています。
こういう授業が、文部科学省の言う
「深い学び」を作るのだそうです。
私は、全然違うと思う。
そこにはダイナミックさも驚きも
知的好奇心を満たされる興味深さもない…と言ったら言い過ぎ?
社会科の骨格を考えないで、
事項の羅列を、どう教えるかに囚われるから、
方法論だけの工夫・技術に
つまり小手先の授業改善になってしまうのだと思います。
どうしても予定調和と誘導尋問で
見ている方が…だいたい見ている先生たちが飽きて
教室を出たり入ったりしている。
私からすると、…学生時代に白井さんから教わった私は、
「それって失礼でしょう」・・・・と思ってしまう。
授業の一部を見て評論するなよと思ってしまう。
だからこそ、アンチで、
私自身も班活動をしよう、それを見せようと考えました。
結論から言えば、バッチリ。
授業を見たみんな、
先生たちから、ベテランの技だとほめられました。
どんな授業をしたかというと
第一次世界大戦がどんな戦争になったか、
子どもたちに予想してもらいました。
それ以前に、産業革命後の社会の変化を予想した子どもたちは
世界大戦や恐慌、貧富の格差やラダイツ運動、失業者まで
すべて予想します。(これは、今までも授業してきたこと)
その次で、新しいチャレンジをしました。
今回は第二次産業革命のあと、
一回目の世界大戦はどういう戦争になったか予想し、
班で意見をまとめて発表したのです。
残念なことに第二次産業革命、
私が取り上げたのは自動車と電気と無線でしたが、
その優れた教材は無かったので
私の説明文と写真で説明しました。
第一次世界大戦についての予想も
漠然とした予想にしたくなかったので、
クイズ形式の選択制にして、班の意見をまとめて、
発表しました。
第一問:この戦争は長かったか、短かったか、その理由
第二問:どこで戦ったか(原っぱか町か、その他か
世界地図でいうとどこらへんか) その理由
第三問:誰が戦ったか、武士・農民・傭兵・
志願兵・国民??? その理由
第四問:どんな武器が使われたか その理由
第五問:今までの戦争との違いは何か その理由
これを、予想なので、教科書を見ずに考えよう
としました。そして、その理由が最も大事だとも・・・。
社会科学は、未来を予想する学問、
私たちは、毎日のように予想している。
そうしたら、第一問目の理由がおもしろかった。
私としたら、第一問目が一番のひっかけでした。
皆さんはどう答えますか?
10・1
あるクラスに入ると、私のことを
「(下の名前で)○○ちゃん、今日もかわいいねえ」
私は、
「ああ、わかったよ」か、
無視・・・・。
皆さんも年を取るとわかると思いますが、
覚悟を決めておいた方がいいので、
お教えしましょう。
以前も書いたかもしれませんが、
そうしたら再録ということで・・・。ご勘弁を。
まず中学生、
私が、二十代の時から、「おばさん」と呼びました。
三十代になると「おばあさん」
或いは、口の悪いヤンキー連中は「ババア」
・・・・このことで、当時は痛く傷つき、
内心「私は、悪いことしたかしら、
何で、そんな罵詈雑言を浴びせられなくちゃ
いけないのだろう・・・」と眠れなくなりました。
この時は、日常的に暴力もありましたから・・・ね。
さて、貫禄もついてきた40代になると、
「妖怪ババア」
このころになると、このあだ名というか、時々の
呼ばれ方に、満足するようになります。
さすがに、免疫がついてくるのです。
ただのババアじゃなくて、妖怪とは・・・と
ニヤニヤしてしまいます。
私自身としては、なんだか位が上がった感じがして
喜んだりして…変な職業でしょう?
妖怪ババアが、いつしか50代になると
「おばあちゃん」とチャン付けで呼ばれるようになる。
まるで、愛称です。
さて、このころ、退職後にも先生をおやりになっている
ベテランの数学の先生がいらっしゃいました。
60過ぎて修学旅行も、少人数の暴れん坊の方のクラスも
全部、おやりになっているのを見て、
私自身は大変尊敬していましたし、
子どもたちのことが好きなんだなあと、つくづく思いました。
ところが、その子どもたちは、その先生を、
「横ちゃん」とチャン付けで呼ぶのです。
私は、ちょっとうらやましさも感じてしまった。
…ところが、今や私自身がチャン付け。
そして、いつもいじられる。
ニヤニヤせず、しかめづらして怒った顔をしていても、
そんなことを全然気にせず、
特に男子が、チャン付けをしてくる。
私はこう思いました。
「そうか、私もそういう域に入ったのか、
異性としては問題外…そういうことね。
まあ、怒っても仕方ないから、
ツンデレで行こう。」
そんな私の胸の内を知ってか知らずか、
今日もチャン付けする男子たち、
うっとおしい! レディをからかうな、いじるな
と、少々胸のうちで怒ってます。
でも、かわいいなと思っちゃう・・・教師の宿命ですね。
結局、男子は
話したいんですね。
かまってほしいんですね。
でも、そう簡単には、かまってあげませんよ!
September
9・30
なんと、9月はひとことも書かないうちに終了。
さぼってしまいました。
今後 心を改めます。
さて、一か月を振り返ってのいろいろの話。
一番衝撃的にびっくりしてうれしかったこと。
一年以上にわたって
教室に入れなかったクラスメートが
入ることができるようになって、
今、普通に過ごしています。
私としては、恐る恐る・・・
薄い瀬戸物のお茶わんみたいに
大事に彼女を扱っていますが・・・。
彼女と、1時間半にわたって話せたことも
うれしかったこと。
彼女もうれしそうにしていました。
次、9月になって、大人になったこと。
クラスの大部分のメンバーが
すごく大人になりました。
掃除で怒鳴る必要も無くなり、
なんと、雑巾がけを、言わないでもしている・・・
不思議な光景です。
まだ、約2名くらい、幼い子たちがいて
・・・でも、周りの子たちは
私が「もっとやらせてよ」と言っても
あの子は、ああいう子だからと、
サポートに回っているのが、すごい。
次、今まで自分が一番大事だった子たちが、
すごく変わりました。
一学期の終わりに心配をかけた子たちのことを
面倒見なくっちゃ…と気にかける感じが出ています。
一学期にはみんな、遠巻きにしてる感じがあったけれど、
その子たちも含めて、いっしょにならなきゃ
クラスじゃないもの・・・、
しょうがないな~~と言って
仲間と認めている感じがほんわかしていいです。
次、席替えをしました。
どうしても、班長を選んで
その班長がメンバーを、トリトリみたいな雰囲気が嫌で
私が決めてしまいました。
それには理由もありますが・・・、
一つの理由は三年の今は
一番勉強する時期。
がんばっているクラスメートの後姿を
のんびりしている子たちも
後姿から感じ取って
みんな頑張らなきゃとなってもらうために。
話は違いますが、
私自身の出産の時、
思い知ったことがあります。
それまで、日本語の「がんばって」
「がんばろう」が、
常に私の生徒の時代、プレッシャーを感じさせてきたので、
教師になったとたん、がんばれは
言わないようにしていました。
ところが、出産の時、助産師さんが
「もう少しよ、がんばって!!」とずっと
励まし続けてくれたのです。
そう言い続けられることで、
いきんで、二人を出産しました。
本当にがんばった結果、
子どもが生まれてきたんです。
ああ、がんばらなきゃいけない時って、ホントにあるなあ!!
その時、初めて感じました。
だから、中学生にしてみると
中三の秋は、絶対に誰もが頑張る時、
だから、励ますのと、
仲間から学ぶのと・・・ぜひしてほしい。
真ん中の二列に、勉強を頑張っているメンバーを
並んでもらって、
船の帆先で、凍った海を切り開いて行っているイメージです。
そう説明したら、みんなが分かったって言いました。
「船の甲板の脇から
海に転げ落ちるなよ!!」と思わずしゃべって。
・…そういうクラスの席にしても
誰も今は文句言わない、
そういう雰囲気になってきています。
みんなが頑張って、成績を上げたいから・・・。
よし、がんばろうね。みんな。